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死者からの検索履歴、削除しますか? ~デジタル遺品整理室の暗号解読~  作者: U3
第二章:黒い履歴と白い嘘

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第42話 姉への手紙

 巨大な国家の闇――「パノプティコン計画」を崩壊させてから、三週間が経過していた。

 世間は未だに、あの日私たちがばら撒いた「ファントム・ファイル」の余波に揺れている。連日のようにニュースでは大物政治家やグラム社幹部の逮捕が報じられ、国会は紛糾し、特捜部が家宅捜索に走り回っていた。

 証拠隠滅を図ろうとした「掃除屋」たちも、末端から次々と芋づる式に検挙されているらしい。

 全ては白日の下に晒された。もはや、誰も真実を隠し通すことはできない。


 そして、私たち『デジタル・アーカイブス社』のメンバーも、激動の三週間を過ごした。

 最初は国家機密を盗んだテロリストとして追われる身だったが、涼子さんの神懸かり的な法廷戦術と、鞠さんのマスコミを巻き込んだ世論誘導により、風向きは一変。私たちは「命がけの内部告発者」として保護の対象となり、逆にグラム社と癒着していた警察上層部が一掃されたことで、捜査の魔の手は完全に消え去った。


 破壊された神保町の『三島ビル』も、涼子さんがグラム社とそのダミー企業から「不当な襲撃による損害賠償」としてふんだくった莫大な金により、わずか三週間という驚異的なスピードで復旧工事を終えていた。

 最新の防犯システムと空調設備が導入され、かつての静かで、少しだけ騒がしい日常が、この地下室に戻ってきていた。


「……痛っ。おい、引っ張るな。傷口が開く」


 所長の阿部邦彦は、忌々しげに顔をしかめた。

 彼の左肩にはまだ生々しい傷跡が残り、テーピングが施されている。全治一ヶ月の重傷だったが、驚異的な回復力で、予定より早く退院してきていた。


「大袈裟ね。化膿もしてないし、順調に塞がってるわよ。……ほら、大人しくして」


 大家の後藤かほりさんが、阿部の肩に包帯を巻き直している。

 彼女は容赦なく阿部の背中を叩き、阿部が「ぐふっ」とくぐもった声を上げた。


「……痛え。怪我人に対して、扱いが荒すぎないか、大家」

「あら、あんたには『命の恩』と『家賃の滞納分』、さらにあの襲撃でパーになった私の本棚と特注レールの修繕費まで、たっぷり借りが乗っかってるのよ? 一生このビルで、身を粉にして働いて返してもらうからね」

「悪徳大家め……」


 阿部が恨めしそうに呟く横で、私は淹れたてのコーヒーをテーブルに置いた。


「まあまあ、所長。生きて帰ってこられたんだし、お店も綺麗になったんですから、安いものじゃないですか」

「お前まで大家の肩を持つのか、石川。……チッ、猫、邪魔だ」


 阿部の足元では、すっかり大きくなった子猫の「チビ」が、彼のスリッパの紐にじゃれついている。阿部は文句を言いながらも、右手で器用にチビの顎を撫でていた。


「Hey, everyone!(みんな、お疲れ!)」


 その時、バンッと勢いよくドアが開き、カナダ人ハッカーのエミリー・ローレンスが飛び込んできた。

 彼女はいつものようにタンクトップに革ジャンという薄着だったが、今日はなぜか、その手にカラフルな紙袋をいくつも提げていた。


「エミリーさん、お帰りなさい。それは?」

「お土産よ! アキちゃんとミズホに頼まれてたスイーツ! ……それと、クニ!」


 エミリーは阿部の前にズンと立ち塞がり、ニカッと太陽のような笑顔を見せた。


「約束、覚えてるわよね? 退院祝いのデート!」

「……は? 俺はそんな約束をした覚えはない」

「Non, non! 私があの地下要塞で、アンタの命とデータを守り切ったご褒美よ。今日は一日、私のエスコートをしてもらうわ!」

「断る。俺は病み上がりだ」

「却下。さあ、行くわよ!」


 エミリーは有無を言わさず、阿部の無事な右腕を掴んで強引に引っ張り上げた。

 180センチのエミリーと、185センチの阿部。大柄な二人が揉み合う姿は、まるで格闘技の試合のようだ。


「おい、離せ! どこに行く気だ!」

「Asakusa!(浅草よ!) 日本のトラディショナルなデートスポットでしょ? 着物レンタルも予約してあるんだから!」

「着物だと!? ふざけるな、誰がそんなもん……」


 抵抗も虚しく、阿部はエミリーの力と勢いに押し切られ、ズルズルと事務所から引きずり出されていった。


「……嵐のような人ね、相変わらず」


 かほりさんが呆れたように見送りながら、コーヒーに口をつける。

 私は、なんだかんだ文句を言いながらも付き合ってあげる阿部さんの不器用な優しさに、思わずふふっと笑ってしまった。


 数時間後。

 浅草・雷門の巨大な提灯の下には、一際目立つ二人の姿があった。


「Look, Kuni! これがカミナリモンね! アメイジング!」


 エミリーは、鮮やかな赤と金の和柄があしらわれた振袖を見事に着こなし、金髪を綺麗にアップにまとめていた。元がモデルのような体型なので、和装でも恐ろしく様になっている。すれ違う外国人観光客たちが、次々とカメラを向けていた。

 一方の阿部は。


「……歩きにくい。帯が苦しい」


 地味な濃紺の着流しに、角帯を締めた姿で、不機嫌の極みのような顔をしていた。

 元々体格がいいため、着物自体は似合っているのだが、左肩の負傷を庇うように少し前かがみになっており、それが逆に「凄みのある浪人」のようなオーラを醸し出している。


「似合ってるわよ、サムライ。さあ、仲見世通りに行きましょ! 私、お団子とお煎餅と、人形焼が食べたいわ!」


 エミリーは阿部の右腕にしっかりと腕を絡ませ、楽しそうに歩き出した。

 阿部は舌打ちをしながらも、彼女の歩幅に合わせてゆっくりと歩く。


「……おい、食べ歩きは禁止されてるぞ。店の横で食え」

「分かってるわよ。……んー! このお団子、スウィートでモチモチ! クニも食べる?」

「いらん。糖分が多すぎる」


 差し出された三色団子を拒否する阿部だったが、エミリーは構わず、阿部の口に団子を一つ押し込んだ。


「んぐっ……貴様……!」

「美味しいでしょ?」

「……甘い」


 渋面を作りながらも、阿部はもぐもぐと団子を咀嚼した。

 エミリーはクスクスと笑い、次々と目についた屋台の食べ物を買い求めていく。

 メロンパン、抹茶アイス、揚げまんじゅう。

 戦いの後遺症か、それとも元からの大食漢なのか、エミリーの胃袋は底なしだった。阿部も、ブツブツと文句を言いながら、彼女が食べきれなかった分を黙々と片付けていく。

 傍から見れば、完全に「尻に敷かれている無愛想な彼氏と、自由奔放な彼女」の図だ。


 夕暮れ時。

 二人は隅田川沿いの公園のベンチに座っていた。

 川の向こうには、ライトアップされ始めたスカイツリーが黄金色に輝いている。

 冬の冷たい風が吹き抜けるが、エミリーは寒がる様子もなく、缶の甘酒を両手で包み込んでいた。


「……Beautiful.(綺麗ね)」

「ああ。人工的な光だが、悪くない」


 阿部は自販機で買ったブラックコーヒーを啜る。


「……ねえ、クニ」


 不意に、エミリーが真面目なトーンで口を開いた。


「私ね、カナダには帰らないことにしたわ」

「……は?」


 阿部はコーヒーの缶を持ったまま、嫌そうな顔をした。


「インターポールから、好条件でのスカウトが来たのよ。今回のファントムの一件で、私の名前が裏の世界で売れちゃったみたいでさ。でも、蹴ってやったわ」

「なぜだ。さっさと帰って、俺の鼓膜を爆音EDMから解放してくれ」

「寂しいくせに」

「清々する」


 阿部が憎まれ口を叩くと、エミリーは嬉しそうに笑って、阿部の肩にコツンと自分の頭をぶつけた。


「素直じゃないわねえ。……私、日本に来て、アンタたちに会えて本当に良かった。デジタルデータの海の中で、こんなに『熱い』連中に出会えるなんて思ってなかったわ。だから、まだしばらくはこっちで遊ばせてもらうわよ」

「……勝手にしろ。だが家賃はきっちり大家に払えよ」

「ふふ、もちろんよ」


 エミリーはスカイツリーを見上げながら、言葉を続けた。


「クニ。アンタの5年間の復讐は、これで終わったわ。……でも、あの子はこれからよ」

「石川のことか」

「ええ。アヤは、お姉さんの死の真相を知った。国家の陰謀っていう、途方もない真実をね。……真実を知ることは、時に呪いになるわ。あの子がその重さに押し潰されないように、ちゃんと見ててあげてね」


 エミリーの言葉には、姉のように彩を案じる深い優しさが込められていた。

 阿部は夜空に視線を向け、静かに頷いた。


「……分かっている。あいつは俺の部下だ。……それに、あいつは俺が思っているより、ずっとタフだ」

「そうね。……私も、あの子のこれからをもっと近くで見ていたくなったわ」


 エミリーは立ち上がり、着物の袖をパタパタと払った。


「よし、デートの締めくくりよ! クニ、最高のすき焼きをご馳走して! 今半で!」

「……お前、まだ食うのか。俺の財布を殺す気か」

「いいじゃない、世界を救ったんだから!」


 浅草の夜の街に、エミリーの明るい笑い声と、阿部の深いため息が溶けていった。


 ★★★★★★★★★★★


 一方、その頃。

 神保町の地下事務所で、私は一人、デスクに向かっていた。


 目の前には、姉・石川由紀子の古いスマートフォンが置かれている。

 あの決戦の日、ファントムのメインサーバーを破壊するためのアクセスキーとなったこの端末。

 阿部さんの解析によって、姉が遺した『ファントム・ファイル』の全データは抽出され、役目を終えた。

 だが、このスマホの中には、阿部さんが私にだけ見せるために残しておいてくれた、ある「隠しフォルダ」が存在していた。


 パスワードは、私が打ち込んだあの言葉。


 『Ashita_mo_Isshoあしたもいっしょ』。


 私は震える指でパスワードを入力し、フォルダを開いた。

 そこには、たった一つの動画ファイルがあった。

 タイトルは、『彩へ』。


 再生ボタンを押す。

 画面に映し出されたのは、自室のベッドに座る、姉の姿だった。

 すっぴんで、少し疲れたような顔をしているが、私に向けるその笑顔は、いつもの優しい姉さんのものだった。


『……彩。この動画を見ているってことは、私はもう、この世にはいないんだね』


 姉の声が、静かな地下室に響く。

 私は息を呑み、画面に食い入った。


『驚かせてごめんね。ずっと隠してたけど、私、ある危険な組織の調査をしてたの。……もし私の身に何かあったら、このデータが世に出るように、仕掛けを作っておいたわ』

『でも、本当は……彩には、こんな危ないことに関わってほしくなかった。私のデータなんか開かないで、忘れて、幸せになってほしかった』


 姉の目から、一筋の涙がこぼれ落ちる。


『……でも、彩のことだから。きっと私のスマホを開けようとして、泣いてるんじゃないかって思って。……だから、最後にこれだけは伝えておきたかったの』


 姉は、カメラに向かって、真っ直ぐに私を見た。


『彩。私は、後悔してないよ。自分の信じる正しいことのために戦って、そして……彩の生きる未来が、少しでもマシなものになるようにって、そう思ってやったことだから』

『だから、私のために泣かないで。自分を責めないで』


 画面の中で、姉が優しく微笑んだ。


『彩は、彩の人生を生きてね。大好きな人と出会って、美味しいものを食べて、たくさん笑って。……私ができなかった分まで、思いっきり幸せになって』

『明日も、明後日も、ずっとずっと……彩の未来が、明るいものでありますように。……愛してるよ、彩』


 プツン、と動画が切れた。


「……お姉ちゃん……っ」


 私は、スマホを両手で包み込み、声を上げて泣いた。

 悲しみの涙じゃない。

 ずっと胸の奥につかえていた、冷たい氷のような塊が、姉の温かい言葉によって溶けていく、そんな涙だった。


 姉は、私を置いていったんじゃない。

 私のために、未来を遺してくれたんだ。


 私はしばらく泣き続け、やがて涙が枯れると、引き出しから愛用の万年筆と、新しい便箋を取り出した。


 ペン先を紙に落とす。

 インクが滑らかに走り、文字を紡いでいく。

 それは、決して届くことのない、姉への手紙。


『お姉ちゃんへ。

 お姉ちゃんのメッセージ、ちゃんと受け取りました。

 ずっと、お姉ちゃんがなぜ死んだのか分からなくて、前に進めずにいたけれど。

 お姉ちゃんが命を懸けて守りたかったものを、私も少しだけ、守るお手伝いができた気がします。


 私ね、今、すごく変な人たちと一緒に働いているんだよ。

 口が悪くて不愛想だけど、料理がすごく上手で、本当は誰よりも優しい所長さん。

 元ヤンキーで頼りになるお姉さんみたいな葬儀屋さん。

 頭がキレて、かっこいい弁護士さんと情報屋さん。

 本が大好きで、ちょっと怖い大家さん。

 耳が良くて、生意気だけど可愛い年下の女の子。

 それから、太陽みたいに明るい、カナダから来たハッカーのお姉さん。


 みんな、傷だらけで、不器用で、でも最高に温かい人たちなの。

 私はここで、誰かの「遺したかった想い」を繋ぐ仕事をしています。

 お姉ちゃんの想いが、私に届いたように。


 だから、もう心配しないで。

 私はもう、泣かないよ。

 お姉ちゃんがくれたこの未来で、自分の足で、しっかりと生きていくから。


 明日も、明後日も。

 ずっと一緒だよ、お姉ちゃん。


                       彩より』


 私はペンを置き、手紙を綺麗に折り畳んだ。

 そして、それを姉のスマホと一緒に、引き出しの奥に大切にしまった。


「……ミャァ?」


 足元で、チビが私の足首にスリスリと頭を擦り付けてきた。

 私はチビを抱き上げ、その温かい毛並みに顔を埋めた。


 カチャリ。

 入り口のドアが開く音がした。


「……おい石川、いるか」


 着物姿の阿部さんが、エミリーに腕を組まれたまま、疲労困憊の顔で入ってきた。


「所長、エミリーさん。お帰りなさい。……ふふっ、その着物、すごく似合ってますよ」

「笑うな。……すき焼きを食い過ぎて、帯が破れそうだ」


 阿部さんが苦虫を噛み潰したような顔で言うと、エミリーが「アヤも一緒に行けばよかったのにー!」と笑う。


「……それで、お前。少しはすっきりした顔になったな」


 阿部さんが、私の顔を見て静かに言った。

 私は、真っ直ぐに彼を見つめ返し、満面の笑顔で頷いた。


「はい! ……所長、私、明日からもここで一生懸命働きます! だから、美味しいまかない、期待してますね!」


 阿部さんは一瞬目を丸くし、それからフンと鼻を鳴らした。


「……調子のいい奴だ。給料分はしっかり働けよ」


 神保町の地下にある、看板のない事務所。

 死者のデータを整理し、生者の明日を照らす場所。

 私たちの物語は、これからも続いていく。

 誰かの遺した「愛」を、見つけ出すために。


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