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死者からの検索履歴、削除しますか? ~デジタル遺品整理室の暗号解読~  作者: U3
第二章:黒い履歴と白い嘘

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第37話 デジタル・ゲリラ戦(前編)

 午前10時。

 郊外の閉鎖された斎場を出発し、私たちは再び黒塗りの霊柩車で移動を続けていた。

 長居は無用と判断したからだ。斎場という仮の拠点すら、いつ警察や『掃除屋』に嗅ぎつけられるか分からない。私たちは現在、当てもなく関東近郊の国道を走り続ける、完全な逃亡者となっていた。

 車内の遺族用シートは、今や完全に移動式の作戦司令室と化している。エミリーと阿部さんのノートPCが並べられ、そこから伸びる無数のケーブルが、ポータブル電源や各種通信機器へと繋がっていた。


「……あー、ダメだ。そっちじゃないってば」


 緊迫した空気の中、小川みずほが呆れたような声を上げた。

 彼女の視線の先、霊柩車の床には、プラスチック製の三段タワー型のおもちゃが置かれている。アキさんが途中のペットショップで調達してきた「ぐるぐるタワーボール」だ。溝の中をカラフルなボールが転がり、猫の狩猟本能を刺激するという定番の知育玩具である。

 しかし、当の子猫――いつの間にかみずほの命名通り『チビ』と呼ばれるようになった茶白の毛玉――は、ボールには一切見向きもしていなかった。

 チビはタワーを横倒しにすると、底面についている滑り止めの黒いゴムにガブッと噛み付き、後足で猫キックを連打しているのだ。


「ミャァ! ミャウッ!」

「だから、ボールを追っかけるの! 底をかじっても楽しくないでしょ」


 みずほがタワーを立て直し、指でボールを転がして見せる。チビは不思議そうに転がるボールを眺めた後、再びタワーをバタンと倒し、底のゴムに噛み付いた。


「……野良育ちには、上品な遊び方は通じないみたいね」

「獲物の『本質』を突く、いいセンスだ。俺の事務所の猫にふさわしい」


 情報屋の中島鞠が苦笑し、所長の阿部邦彦がPCの画面から目を離さずに真顔で褒めた。

 阿部の左肩はテーピングで厳重に固定されているが、本人は痛み止めを飲んで強引にタイピングを続けている。

 和やかなのはチビの周りだけで、私たちが置かれている状況は絶望的だった。


「……包囲網が狭まってるわ」


 エミリー・ローレンスが、七色に光るキーボードを叩きながら言った。

 彼女のモニターには、東京都内を中心とした地図が表示され、いくつもの赤い点が明滅している。


「監視カメラの映像と、パトカーの無線帯域をスキャンしてるけど……警察のサイバー犯罪対策課と公安、それに『掃除屋』の別動隊が、完全に連携して動いてる。神保町の事務所を中心に、同心円状に網を張ってシラミ潰しに車両検問をかけてきてるわ」

「この霊柩車も、時間の問題で怪しまれるってことね」


 弁護士の藤田涼子が、腕を組んで忌々しげに舌打ちをした。


「私のリークで『グラム社』のパノプティコン計画は機能停止に追い込んだ。でも、それはあくまでネット上の話。現実の物理的な警察権力を動かしている黒幕――政府高官や裏の組織は、まだ無傷よ。彼らは自分たちの延命のために、データの流出元である私たちを血眼になって探してる」


 涼子の言う通りだった。

 私たちは世界を救うデータを公開した英雄だが、現実世界では「国家の最高機密を盗み出したテロリスト」として追われる身なのだ。


「エミリー。周辺の敵の配置は?」

「数キロ先の国道に、黒いバンが3台。……止まったわ。どうやら、不審な車両がないか、徒歩で近隣の駐車場や路地を検索し始めたみたい」


 エミリーが街頭防犯カメラの映像をハックして表示する。

 黒いスーツの男たちが数人、耳にワイヤレスイヤホン(インカム)をつけて、周囲を警戒しながら歩いているのが見えた。

 あの時、事務所に踏み込んできた『掃除屋』たちと同じ身なりだ。


「……見つかるのも時間の問題だべ。どうする、阿部ちゃん。突破するか?」


 運転席の岡田アキが、ハンドルを握り直す。

 しかし、阿部は首を横に振った。


「霊柩車でカーチェイスなんて目立つ真似はできん。……それに、逃げるだけではジリ貧だ」

「なら、どうするの?」

「ゲリラ戦だ」


 阿部の目が鋭く光り、隣に座るみずほを見た。


「小川。奴らの通信網は奪えるか」

「……任せて」


 みずほはチビを撫でていた手を止め、自分のリュックから黒い弁当箱のような機材を取り出した。SDRの送受信機だ。

 彼女はそれをPCに接続し、分厚いヘッドホンを耳に当てた。


「奴らのインカム、Bluetooth系の近距離無線を使ってる。暗号化されてるから会話の中身までは復号できないけど……『周波数』は丸見えだよ」

「会話を聞く必要はない。……潰せ」

「了解。最高に不快なプレイリスト、流してあげる」


 みずほの指がキーボードの上を滑る。

 彼女は、街中を飛び交うフリーWi-Fiの電波を中継器として利用し、掃除屋たちのワイヤレスイヤホンに対して、強制的に音声データを送りつけるスクリプトを走らせた。


「人間の三半規管を一番狂わせる音……。15,000Hzの高周波サイン波と、位相を反転させたピンクノイズのミックス。音量はマックスで」


 みずほがエンターキーを叩き込んだ。

 瞬間。

 モニターに映っていた監視カメラの映像の中で、異変が起きた。


『……っ!?』


 歩道を警戒していた黒スーツの男たちが、突然、一斉に耳を押さえてうずくまったのだ。

 ある者は顔を歪めて膝をつき、ある者は三半規管を狂わされて千鳥足になり、そのまま植え込みに倒れ込む。

 映像には音声はないが、彼らがどれほどの激痛と不快感に襲われているかが、その動作だけでありありと伝わってきた。


「……うわぁ、エグい。あれ、鼓膜破れない?」


 アキが顔をしかめる。


「破れないギリギリの音圧に設定してあるよ。でも、立ち上がれるようになるまで数分はかかるし、しばらくは耳鳴りで使い物にならないはず」


 みずほはヘッドホンを外し、ガムを膨らませてパチンと割った。

 絶対音感を持つ彼女だからこそ作れる、完璧な「音響兵器」。デジタル空間からの、物理的な攻撃だ。


「……見事だ。これで外の包囲網に穴が開いた」


 阿部が満足げに頷く。


「でも、これだけじゃ根本的な解決にはならないわよ。逃げ切れたとしても、一生追われる生活が続くわ」


 鞠が冷静に指摘する。


「グラム社を炎上させても、システムの大元を管理している『ファントム』の中枢を潰さない限り、彼らは何度でも蘇る。……でも、その中枢がどこにあるか、手がかりが……」

「あ、それなんだけどさ」


 アキが思い出したように、胸ポケットから何かを取り出した。

 黒い革装丁の、小さな手帳だった。


「これ、事務所で乱戦になった時、あの鼻に傷のあるリーダーの野郎からパクってきたんだ」

「なっ……お前、いつの間にそんなものを!」

「伊達に元ヤンやってねえよ。私が飛びかかった時、あいつは避けて距離を取っただろ? あのすれ違いざまに、胸ポケットからかすめ取ったんだよ」


 アキは得意げに鼻をこすり、手帳を阿部に渡した。


「ほら、阿部ちゃん。デジタルじゃ残せないようなヤバい情報って、案外こういうアナログなメモに残すもんだろ?」


 阿部は手帳を受け取り、ページをめくった。

 私も横から覗き込む。

 しかし、そこに書かれていたのは、普通の文章ではなかった。


「……なんだこれは。記号の羅列か?」


 ページには、数字、アルファベット、そして漢字の偏や旁だけを分解したような、奇妙な図形がびっしりと書き込まれていた。

 一見すると、デタラメな落書きのようにも見える。


「エミリー、どう思う」

「うーん……。ベース64のエンコードにも見えないし、シーザー暗号のような単純なシフトでもない。……デジタル系の暗号アルゴリズムじゃないわね」


 天才ハッカーの二人が首を傾げる。

 高度なセキュリティシステムを構築するような組織のリーダーが、わざわざ手書きで残したメモだ。市販の暗号解読ソフトで解けるような代物ではないのだろう。


「……貸しなさい」


 後部座席の奥で、静かに文庫本を読んでいた後藤かほりが、スッと手を伸ばした。

 彼女は阿部から手帳を受け取ると、車内の薄暗いルームランプの下で、そのページをじっと見つめた。

 数秒の沈黙。

 やがて、かほりの口元に、知的な笑みが浮かんだ。


「……阿部くん。貴方たちデジタル屋には、これは一生解けないわ」

「なんだと?」

「なぜなら、これは計算式の暗号じゃないからよ。……『形』そのものに意味を持たせる、純粋なアナログ暗号だわ」


 かほりは、手帳の文字を指先でなぞった。


「江戸時代の忍者が使っていた『結び字』や、『武曜文字』の応用ね。漢字の部首を分解して、別の文字と組み合わせたり、画数を数字に変換したりする手法。……古文書の解読技術があれば、法則性はすぐに見抜けるわ」


 古書店主であり、書誌学者でもある彼女にとって、それは見慣れたパズルのようなものらしかった。


「……大家。解けるのか」

「誰に口を利いてるの? 私は神保町の女王よ」


 かほりはバッグから愛用の万年筆とメモ帳を取り出した。


「みずほちゃん、ライトを当てて。阿部くんは、私の言う文字をそのままデジタルマップの検索窓に打ち込んでちょうだい」

「了解」


 アナログとデジタルの連携が始まる。

 かほりの万年筆が、滑らかな音を立てて紙の上を走る。


「……ここの記号は『水』の偏。隣の数字の『三』は、画数ではなく『さんずい』を意味する。組み合わせると『池』。……次は、この図形。これは旧字体の『國』の一部ね。……」


 かほりの口から、次々と解読されたキーワードが紡ぎ出されていく。

 阿部がそれを猛烈な速度でタイピングし、位置情報を絞り込んでいく。


「……出たわ。最後の行。これが、彼らが死守しようとしている『本当の拠点』……物理サーバーが置かれている施設の所在地よ」


 阿部がエンターキーを叩く。

 モニターの地図がズームインし、東京都内のある一点に赤いピンが立った。


「……ここか」


 阿部の声が低く震えた。

 そこに表示されていたのは、一般の地図アプリでは「空白地帯」になっている場所だった。

 都心の地下深く。

 かつて戦時中に掘られ、そのまま放置されたとされる巨大な旧防空壕跡のエリア。


「グラム社は単なるフロント企業だ。国民の監視データをリアルタイムで処理し、スコアリングを行う巨大なメインフレームは、こんな地下深くの要塞に隠されていたのか……」

「ここを叩けば、ファントム計画は完全に息の根を止めるってことね」


 涼子が目を細める。


「ああ。……奴らの心臓部だ」


 阿部がモニターから顔を上げ、チームの面々を見渡した。


「だが、相手は国家の闇だ。防衛設備は軍事施設並みだろう。……行くか?」


 その問いに、躊躇する者は一人もいなかった。

 アキがハンドルを叩き、鞠がリップを塗り直し、涼子が不敵に笑う。エミリーがウインクをし、みずほがガムを噛む。かほりが静かに万年筆のキャップを閉めた。


 そして私は、足元でタワーボールのゴムを噛みちぎりそうになっているチビを抱き上げながら、力強く頷いた。


「行きましょう。姉さんが見つけたかった真実に、決着をつけるために」

「……よし。反撃の狼煙を上げるぞ」


 阿部の号令と共に、霊柩車のエンジンが低く唸りを上げた。

 逃亡者から、追跡者へ。

 デジタル・ゲリラたちの最終決戦の地へ向けて、黒い車体が走り出した。


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