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死者からの検索履歴、削除しますか? ~デジタル遺品整理室の暗号解読~  作者: U3
第二章:黒い履歴と白い嘘

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第33話 沈黙のバリケード

 神保町の地下、『デジタル・アーカイブス社』。

 地上と地下を隔てる重厚な天井の向こうから、一定の間隔で鈍い衝撃音が響いてくる。

 ズン……。ズン……。

 それは、ビルの1階にある古書店『後藤書房』の入り口で、正体不明の武装集団が、大家の後藤かほりが下ろした鋼鉄の防刃シャッターを破壊しようとしている音だった。


「……手こずってるみたいね」


 かほりは腕組みをし、メインモニターの隅に表示させた監視カメラの映像を見つめていた。

 映像の中では、黒いスーツの男たちが、大型の電動カッターやバールのような工具を用いてシャッターをこじ開けようとしている。しかし、特殊合金で補強されたシャッターは、そう簡単には屈しない。さらにその後ろには、レールで稼働する巨大な木製本棚が幾重にも重なり、分厚い「紙と木の城壁」を形成していた。


「私の本棚には、一棹あたり数百キロの重量があるわ。それを六重にロックしてあるんだから、装甲車でも突っ込んでこない限り突破は無理よ」

「頼もしい大家だ。だが、相手はプロだ。……いずれは破られる」


 所長の阿部邦彦は、迫り来る物理的な脅威の音をBGMにするかのように、淡々とキーボードを叩き続けていた。

 彼とカナダ人ハッカーのエミリー・ローレンスが取り組んでいるのは、先ほど一部を解読し、巨大IT企業『グラム』の裏の顔を暴いた「パンドラの箱」の、さらなる深層データの解析だ。

 多重にかけられた軍事レベルの暗号。それを、二人の天才が総力を挙げて一枚ずつ剥がしていく。


「……よし。最終レイヤー、突破したわ」


 エミリーが大きく息を吐き、エンターキーを叩いた。

 画面に表示されていたプログレスバーが100%に達し、ロックアイコンが外れる。

 同時に、無数のフォルダとドキュメントファイルが、阿部のモニターに展開された。


「……これが、グラム社が企てている『国民のスコア化システム』の、完全な実態だ」


 阿部の声が、一段と低くなった。

 私たちは全員、息を殺してモニターを覗き込んだ。

 先ほど知ったシステムの存在だけでも恐ろしいが、今開かれたのは、その「具体的な運用実績」と「黒幕」を示す決定的な証拠だった。


「プロジェクト名、『パノプティコン』……」


 弁護士の藤田涼子が、画面の文字を読み上げた。

 パノプティコン。全展望監視システム。少数の監視者が、多数の囚人を常に監視できるという刑務所の概念だ。


「グラム社は、このシステムを単なる計画で終わらせていなかった。……見ろ、このリストを」


 阿部が開いたファイルには、何万人もの個人名と、それに紐づけられた「スコア」、そして「処置」の項目が並んでいた。


「すでに、水面下で実証実験が行われていたんだ。……SNSでの発言や位置情報から『危険因子』と判定された人間が、どう扱われたか。ある者は就職の内定を取り消され、ある者は突然クレジットカードの更新を拒否され、ある者は身に覚えのない痴漢の疑いをかけられて社会的に抹殺されている」

「これって……!」


 情報屋の中島鞠が息を呑んだ。


「以前、私たちが対応した、痴漢冤罪で自殺した小野寺くん……。彼の名前も、このリストに入っているじゃない!」

「……ああ。あれは単なる炎上業者の仕業だと思っていたが、大元の発注者はグラム社だったというわけだ。社会不適合者のレッテルを貼り、自死に追い込むためのテストケースとして利用された」


 地下室が、水を打ったように静まり返った。

 背筋に冷たいものが走る。

 システムはすでに稼働し、人を殺していたのだ。


「そして、このファイルだ」


 阿部は別のドキュメントを開いた。

 そこには、莫大な資金の移動記録と、政治家や財界の重鎮たちの名前が記されていた。


「パノプティコン計画を推進し、資金を拠出している『出資者リスト』だ。……現職の大臣クラスが何人も名を連ねている。権田原の裏帳簿にも記載されていた連中だ」

「……」

「お前の姉さんは、これを見つけてしまったんだ、石川」


 阿部が、私の方を見た。

 姉は、この悪魔のようなシステムの全貌と、国家を巻き込んだ巨大な陰謀の証拠を、たった一人で手に入れたのだ。


「……姉さんは、これを見過ごせなかったんですね」


 私は、自分の声が震えないように必死に堪えながら言った。


「誰も知らないところで、誰かの人生が勝手に採点されて、踏み躙られていく。……そんなのおかしいって、告発しようとした。だから、口封じのために……」


 涙が出そうになったけれど、歯を食いしばった。

 今は泣いている場合じゃない。姉が命と引き換えに遺してくれたこの真実を、絶対に闇に葬らせはしない。


「……泣いてる暇はないわよ、彩ちゃん」


 葬儀屋の岡田アキが、私の肩を力強く叩いた。


「由紀子さんが遺してくれたこのデータ。どうする? 阿部ちゃん」

「決まっている」


 阿部はモニターに向き直った。


「このパンドラの箱の中身を、全世界の主要メディア、人権団体、そしてネット上のあらゆるプラットフォームに一斉にばら撒く。……誰にも揉み消せない規模で、真実を公開する」

「It's showtime!(ショータイムね!)」


 エミリーがニヤリと笑い、指を鳴らした。


「送信用の暗号化トンネルは構築済みよ。データ量が膨大だから、全世界のノードに分散させて一気にアップロードするわ」

「……送信完了まで、どれくらいかかる?」

「このデータサイズと、相手の妨害を避けながらの分散送信だと……最低でも30分は必要ね」


 30分。

 頭上からは、依然としてシャッターを削る金属音が響いている。

 敵がバリケードを突破するのと、データの送信が完了するの、どちらが早いか。

 完全なる時間との勝負だ。


「よし。送信プロセスを開始しろ。……俺は、迎撃の準備をする」


 阿部が立ち上がった。

 てっきり、物理的な武器でも用意するのかと思いきや、彼が向かったのはキッチンだった。

 冷蔵庫を開け、何かの食材を取り出そうとしている。


「……ちょっと待て、阿部ちゃん」


 アキさんが素っ頓狂な声を上げた。


「さっき石焼ビビンバを完食したばっかりだべ!? まだ腹一杯だぞ! まさかまた料理する気か!?」

「食事ではない」


 阿部は真顔で、有頭エビのパックと、大量のスパイスの瓶をカウンターに並べた。


「これは『カンフル剤』だ」

「カンフル剤?」

「先ほどのビビンバで、カロリーは十分に補給した。だが、これから訪れる30分は、一瞬の判断ミスが命取りになる極限の持久戦だ。お前たちの脳と神経は、恐怖とストレスで今にも焼き切れそうになっている」


 阿部は中華鍋に油をひき、エビの頭と殻だけを強火で炒め始めた。

 ジュワァァァッ!! という音と共に、甲殻類特有の香ばしい匂いが弾ける。


「交感神経を限界まで引き上げ、集中力を研ぎ澄ますための『スパイス』を直接体内に注入する。満腹でも流し込めるよう、麺は一口だけにして、熱いスープをメインにする」


 阿部は石臼で事前にすり潰してあったペーストを取り出した。

 シャロット、ニンニク、レモングラスの茎、ガランガル、ターメリック、そしてブラチャンと大量の唐辛子。


「これらを合わせたスパイスペースト『ルンパ』だ。これを油でじっくりと炒め、香りを最大限に引き出す」


 赤いペーストが鍋に投下されると、咽せ返るようなスパイシーな香りが爆発した。

 目に染みるほどの刺激臭。しかし、それは不思議と、私たちの心を奮い立たせる「闘気」のような香りだった。満腹のはずの胃が、その香りに反応して熱を帯びるのが分かる。


「エビの出汁とルンパが馴染んだら、濃厚なココナッツミルクを注ぎ込む」


 真っ赤だった鍋の中身が、ココナッツミルクによってマイルドなオレンジ色へと変わっていく。

 グツグツと煮え立つスープ。

 阿部は隣のコンロで、米粉で作られた太麺を少量だけ茹でた。

 小さな器に麺を盛り付け、その上から熱々のスープをたっぷりとかける。

 具材は、茹でた有頭エビと、スープを吸い込みやすい厚揚げをひとかけらずつ。そして最後に、細かく刻んだラクサリーフを添える。


「……完成だ。シンガポールやマレーシアの魂の麺料理、『ラクサ』のスープ仕立てだ」


 湯気を立てる色鮮やかな器が、次々とテーブルに並べられた。

 頭上から聞こえる破壊音すら、この圧倒的な料理の存在感の前では、単なるBGMのように感じられる。


「飲み物はこれだ」


 阿部が冷蔵庫からピッチャーを取り出し、氷を入れたグラスに注いで回った。

 それは、澄んだ琥珀色の液体だった。


「……麦茶?」

「違う。……『スジョングァ』だ。韓国の伝統茶だ」


 阿部はグラスを配り終えると、自らもラクサの器を手にした。


「ラクサの強烈なスパイスとココナッツの脂質。これを飲んだ後、このスジョングァの冷たいシナモンと生姜の刺激を流し込む。甘さが辛味を中和し、生姜が血流を爆発的に上げる。……最強のペアリングだ。飲め。そして目を覚ませ」


 阿部の号令で、私たちは一斉に器に口をつけた。

 熱いスープが喉を通る。


「……っ!!」


 全員の目が、驚きで見開かれた。

 ガツンと来るエビの濃厚な出汁。それを追いかけるように、唐辛子とガランガルの鋭い辛味が舌を刺し、脳天を突き抜ける。

 しかし、その直後にココナッツミルクのまろやかな甘みが全体を包み込み、複雑で深みのある味わいへと昇華させる。

 厚揚げを噛めば、限界まで旨味を吸い込んだ極上のスープがジュワッと溢れ出し、少量だけ入った米麺のモチモチとした食感が小気味良い。


「……すごい。さっきまでお腹いっぱいだったのに、これは細胞が欲しがってるのが分かるわ」


 鞠さんが汗をかきながらスープを飲み干す。

 そして、すかさず冷たいスジョングァを飲む。

 キリッとした冷たさと、シナモンの鮮烈な香りが、燃えるような口内を心地よく鎮火してくれる。生姜の作用で、体中から汗が吹き出し、視界が異様なほどクリアになっていく。


「……So spicy! But awesome!(すっごく辛い! でも最高!)」


 エミリーは器を置き、再び凄まじい速度でキーボードを叩き始めた。


「集中力が上がったわ! 送信速度、さらにブーストかける!」

「……ぷはぁっ! 目が覚めたべ! なんか、どんな相手でもぶっ飛ばせる気がしてきた!」


 アキさんが額の汗を拭いながら、バールを強く握り直した。

 涼子も、優雅に唇を拭いながら不敵な笑みを浮かべている。

 阿部の言う通りだ。これはただの料理ではない。戦うためのドーピングだ。

 熱とスパイスが、地下室の空気を「恐怖」から完全な「闘志」へと切り替えていた。


 その時だった。


「……おじさん。音が変わった」


 ずっとヘッドホンで外部の音を傍受していたみずほが、鋭い声を上げた。


「金属を切る音から、バーナーみたいな音になった。……シャッターのヒンジ部分を、直接焼き切るつもりみたい」

「……時間がないわね。私の本棚のバリケードも、火を使われたら長くは持たないわ」


 かほりが冷静に状況を分析する。


「エミリー、送信状況は!?」

「現在65%……! クソッ、向こうも大規模なパケットフィルタリングを仕掛けてきてる! 速度が落ちてるわ!」


 エミリーの指が、キーボードの上で残像を残すほどに高速で動いている。


「……私が囮になるわ」


 鞠さんが立ち上がり、トレンチコートのベルトをきつく締めた。


「裏口の非常階段から出て、奴らの車に発煙筒でも放り込んでくる。少しは時間が稼げるはずよ」

「無茶だ、中島! 相手はプロの殺し屋だぞ!」

「私を誰だと思ってるの? 修羅場ならあんたよりくぐってるわよ」


 鞠さんがドアに向かおうとした、その瞬間。


 ガガガガガッ!! ズドォォン!!


 真上の1階から、これまでとは比較にならないほどの凄まじい轟音が響き渡った。

 天井の埃がパラパラと落ちてくる。

 モニターの監視カメラ映像が、激しく揺れた。


「……突破されたわ」


 かほりが、静かに告げた。

 映像の中では、鋼鉄のシャッターがひしゃげて倒れ、男たちが店内に雪崩れ込んでくる様子が映っていた。

 彼らは迷うことなく、燃え上がる本棚のバリケードを蹴り倒し、地下への階段へと向かってくる。


「……来るぞ!!」


 阿部が叫び、デスクの下から消火器を引き抜いた。

 アキさんがバールを構え、涼子さんと鞠さんが私とみずほを背中に庇うように立つ。


 送信完了まで、あと数分。

 最強のチームと、国家の闇の清掃人。

 スパイスの香りが充満する密室で、最後の防衛戦が幕を開けた。


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