表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死者からの検索履歴、削除しますか? ~デジタル遺品整理室の暗号解読~  作者: U3
第一章:開かずのフォルダと遺された愛

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/18

第12話 幽霊の声とヘッドホンの少女(後編)

 神保町の地下、『デジタル・アーカイブス社』。

 深夜2時。地下室には、二種類の異なる「音」が響いていた。

 一つは、所長・阿部邦彦が叩くキーボードの高速な打鍵音。

 もう一つは、依頼人の少女・小川みずほがヘッドホン越しに聴いている、微かな再生音だ。


「……ここ。440Hzから445Hzへ、ゆっくりピッチが上がってる」


 みずほがモニターを指差す。阿部は即座にその部分を拡大し、周波数解析にかける。


「ポルタメントか。……機械的なファンなら一定のはずだが、負荷がかかった瞬間の音か?」

「違う。これは『風向き』が変わった音だよ。……おじさん、この音の発生源、特定したいんだけど」

「特定してどうする」

「行ってみる。現場へ」


 みずほはヘッドホンを外し、挑戦的な目で阿部を見た。


「この音が何なのか突き止めないと、ユナの無念は晴らせない。……だから連れてってよ。デートしよう」

「……は?」


 阿部の手が止まる。


「現場検証だよ。一人じゃ怖いし、おじさん車持ってるでしょ?」

「断る。俺はインドア派だ」

「えー、ケチ。イケオジと深夜のドライブ、悪くないと思うけどなー」


 みずほは生意気な口調で言いながらも、その手は自身の膝を強く握りしめていた。

 強がっているが、親友が死んだ場所へ行くのは怖いはずだ。

 阿部は短くため息をつくと、椅子の背もたれに掛けてあったジャケットを掴んだ。


「……勘違いするな。あくまで『データの裏取り』だ」

「やった。話が分かるじゃん」


 みずほが少しだけ表情を緩める。

 私は留守番を命じられ、二人は夜の闇へと消えていった。


★★★★★★★★★★★


 阿部の愛車は、無骨な黒のSUVだった。

 助手席に乗り込んだみずほは、興味深そうに車内を見回す。


「へえ、意外と綺麗にしてんじゃん。もっとゴミだらけかと思った」

「車内は聖域だ。土足禁止にしたいくらいだ」

「面倒くさ」


 車は首都高を走り、都外れの工業地帯へと向かった。

 ユナさんが亡くなった廃ビルは、古い工場街の一角にあった。

 到着した頃には、空が白み始めていた。


「……ここだ」


 立ち入り禁止のテープが貼られた廃ビル。

 その周囲は静まり返っているが、遠くから微かに機械の稼働音が聞こえる。


「みずほ。例の音は聞こえるか?」

「ちょっと待って」


 みずほは車を降り、目を閉じて耳を澄ませた。

 風の音、遠くを走るトラックの音、虫の声。

 あらゆる音が、彼女の脳内で分解され、整理されていく。


「……聞こえる。あっち」


 彼女が指差したのは、廃ビルのすぐ裏手にある、古びた金属加工工場だった。

 工場の壁面には、巨大な換気扇がいくつも並んでいる。


「あの換気扇の音だ。……ボイスメッセージに入ってた『うめき声』の正体」

「確認する」


 阿部はスマホを取り出し、指向性マイクアプリを起動して換気扇に向けた。

 録音し、周波数を確認する。


「……ビンゴだ。120Hz周辺の定在波。さらに、羽の軸がブレているせいで生じる独特の振動音。ボイスデータの波形と99%一致する」


 阿部は冷徹に事実を確認した。

 心霊現象ではない。物理現象だ。


「でも、変なんだよ」


 みずほが眉をひそめる。


「この工場、今は稼働してるけど……ユナが死んだ時間って、深夜の3時だよ? こんな音、してたかな?」

「工場の稼働スケジュールを確認する」


 阿部はその場で工場の公式サイトをハッキング……ではなく、公開されている企業情報を検索した。


「……この工場は『8時から17時まで』の操業だ。夜間操業の届け出は出ていない。近隣への騒音配慮のため、夜間は全ての大型機械を停止している」

「やっぱり」


 みずほの声が鋭くなる。


「ユナのボイスメッセージが送られてきたのは、深夜3時15分。その時間に、この換気扇が回っているはずがない」

「ああ。つまり、あのボイスメッセージは『その場で録音されたもの』ではない」


 阿部が結論を口にした。


「犯人は、昼間にこの場所で『換気扇の音』を録音しておき、それをユナを殺害した後で、あたかもその瞬間のメッセージであるかのように偽装して送信したんだ」

「……アリバイ工作」

「それだけじゃない。自殺に見せかけるための演出だ。『うめき声』が入っていれば、事故か、あるいは精神錯乱による自殺だと思わせやすい」


 みずほは唇を噛み締め、廃ビルを見上げた。


「……ユナは、誰かに呼ばれてここに来たんだ。そして、殺された。……許せない」

「感情的になるな。証拠は揃った」


 阿部はみずほの頭にポンと手を置いた。

 無造作で、少し乱暴な手つき。でも、そこには確かに温度があった。


「帰るぞ。警察に突き出す」

「……うん」


 帰りの車内。

 みずほは静かだった。行きのような軽口は叩かない。

 阿部は何も言わず、カーオーディオのスイッチを入れた。

 流れてきたのは、静かなジャズピアノだった。


「……センスいいじゃん」

「うるさいと集中できん」

「ありがと。……おじさん」


 みずほは窓の外を見ながら、小さく呟いた。


「私の耳、役に立った?」

「ああ。お前の耳がなければ、ただのノイズとして処理されていた。……いい耳だ」

「へへ。……そっか」


 みずほは嬉しそうに笑うと、シートに深く沈み込み、眠ってしまった。

 阿部はバックミラーでその寝顔を一瞥し、少しだけアクセルを緩めた。


★★★★★★★★★★★


 事務所に戻ると、すぐに阿部は中島鞠に連絡を入れた。

 鞠のコネクションを使い、警察に「新証拠」を提出するためだ。

 工場の稼働時間とボイスメッセージの矛盾、そして阿部が解析した音声データの改ざん痕跡。これだけの証拠があれば、警察も動かざるを得ない。


 数時間後。

 ニュース速報が流れた。


 『廃ビル転落死、一転して殺人事件として捜査』

 『知人の男を任意同行』


 犯人は、ユナさんの元交際相手だった。復縁を迫って断られ、逆上しての犯行だったという。

 音声偽装は、ネットで調べた浅知恵だったようだ。


「……捕まったんだ」


 みずほはスマホのニュース画面を見つめ、安堵のため息をついた。


「よかった。これでユナも浮かばれる」

「依頼は完了だ。報酬は……まあ、出世払いでいい」


 阿部はそう言って、みずほに帰宅を促した。

 しかし。

 みずほはソファから動こうとしない。


「……帰らないのか?」

「……」

「おい」

「……帰りたくない」


 みずほは膝を抱え、ボソリと言った。


「私、家出してんの。親とうまくいかなくてさ。……行くところ、ないんだ」

「ネカフェ難民か」

「まあね。でも金も尽きたし……」


 阿部は天を仰いだ。

 面倒ごとの予感しかしなかった。

 その時。


 カランカラン、とドアベルが鳴った。

 大家の後藤かほりが降りてきたのだ。


「家賃の集金に来たわよ、阿部くん。……あら?」


 かほりはソファで丸まっているみずほを見て、きょとんとした。


「新しい客? それとも……拾ったの?」

「拾ってない。居座られてるだけだ」

「ふうん」


 かほりはみずほに近づき、じろじろと観察した。

 みずほは警戒して睨み返す。


「……何?」

「貴女、いい目をしてるわね。野良猫みたい」

「はあ?」

「阿部くん、飼ってあげなさいよ。猫が一匹増えたって変わらないでしょ」

「人間だぞ! 猫と一緒にするな!」

「どっちも手がかかるのは同じよ。……それに、この子、音に敏感なんでしょ? 私の店の床鳴り、直す手伝いしてくれたら、家賃に色つけてあげるわよ」


 かほりはウィンクをして、去っていった。

 まさかの大家公認。

 阿部はがっくりと肩を落としたが、みずほのお腹が「グゥ~」と鳴る音を聞いて、諦めたようにキッチンへ向かった。


「……食うか」

「え?」

「腹が減ってるんだろ。何か作ってやる」


 阿部が取り出したのは、厚切りの食パンと、卵、牛乳、そしてバニラエッセンスだった。

 ボウルで卵液を作り、パンを浸す。

 ただ浸すのではない。フォークでパンに無数の穴を開け、真空パックのような手つきで短時間で芯まで染み込ませる。


「弱火でじっくり焼く。焦げ目はメイラード反応の旨味だが、焦げすぎは苦味になる」


 バターの芳醇な香りが地下室に充満する。

 フライパンの上で、黄金色のパンがふっくらと膨らんでいく。

 最後に、粉砂糖とメープルシロップ、そしてアクセントにシナモンパウダーを振る。


「……特製フレンチトーストだ。食え」


 差し出された皿を見て、みずほの目が輝いた。

 カフェで出てくるような、ふわふわのフレンチトースト。


「……いただきます」


 ナイフを入れると、カリッという表面の音と、ジュワッという中の音がする。

 口に運ぶ。

 途端に、みずほの表情がとろけた。


「……んんっ! 何これ、飲み物!?」

「噛めよ」

「すごい……甘くて、温かくて……」


 みずほの目から、ポロポロと涙がこぼれた。

 親友を亡くし、家もなくし、ずっと張り詰めていた糸が、甘いトーストの熱で切れたようだった。


「……美味しい。すごく、美味しい……」

「そうか。なら、働け」


 阿部は無愛想にコーヒーを啜った。


「食費と光熱費分は働いてもらう。お前のその『耳』、使い道はありそうだ」

「え……?」

「音声データのノイズ除去、動画編集、あとSNSの運用。……やれるか?」


 みずほは涙を拭い、顔を上げた。

 その顔には、先ほどまでの捨て猫のような怯えはなく、居場所を見つけた安堵の色があった。


「……やる。私、そういうの得意だし」

「よし。採用だ」


 私は思わず拍手してしまった。

 みずほさんは照れくさそうに笑い、最後の一切れを口に放り込んだ。


「よろしくね、店長。……あ、あと彩お姉ちゃんも!」

「お姉ちゃん!?」


 私は驚いたが、悪い気はしなかった。

 こうして、デジタル・アーカイブス社に、生意気だけど耳の良い、最年少のアルバイトが加わった。

 

 阿部さんが焼くフレンチトーストの甘い香りと、子猫の鳴き声。

 地下室はまた少し、賑やかになりそうだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ