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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

幻想昔話・灰色の賢者

作者: 淡麗
掲載日:2025/12/13

旅の途中、勇者が立ち寄ったのは、

森の奥にひっそりと暮らす「賢者」のもとでした。


でもそこにいたのは……?


このお話は、

派手な戦いやチート能力はありませんが、

誰かと一緒に生きることについて、

ほんの少し考えるファンタジー短編です。


肩の力を抜いて、

昔話を読むような気持ちで読んでいただけたら嬉しいです。

第一章:深い森の奥で


夕闇が森を包み始めた頃、ユシャンたち一行は、ようやく目的地へと辿り着いた。

「ここが、灰色の賢者の住処か……」

若き勇者ユシャンは、巨大な岩壁に開いた洞窟の入口を見上げた。長い旅路の果て、彼らが求めていたのは、賢者の助言だった。魔王討伐という使命を背負った彼らにとって、この森の賢者の知恵は、何よりも価値あるものだと聞いていた。

「ユシャン様、本当にオーガなんですよね?」

僧侶ソリヨが不安そうに聖印を握りしめた。純白のローブに身を包んだ彼女は、慈愛深い性格だが、まだ若く、怪物との遭遇に慣れていない。

「オーガといえば、人を食らう恐ろしい怪物だぞ。本当に大丈夫なのか?」

魔法使いのマウカイが、長い杖を構えながら警戒する。彼は知識欲が旺盛で、常に冷静沈着だが、用心深い性格でもあった。その鋭い目が、洞窟の暗闇を睨んでいる。

「まあまあ、ビビりすぎだろ。『賢者』って呼ばれてんだから、話くらい通じるだろ」

盗賊のトーゾが、軽薄な笑みを浮かべながら肩をすくめた。素早い身のこなしと狡猾な頭脳を持つ彼は、金と宝に目がない。だが、その技術は一行にとって不可欠なものだった。

ユシャンは首を横に振った。

「『灰色の賢者』と呼ばれるこの地の守護者は、もはやただのオーガではないと聞いている。信じよう」

一行が洞窟の入口に立つと、中から穏やかな声が響いた。

「おお、旅の者たちよ。よくぞ来られた」

現れたのは、驚くほど巨大な体躯を持つオーガだった。しかし、その灰色の肌には深い皺が刻まれ、瞳には底知れぬ優しさと哀しみが宿っていた。

ソリヨが思わず後ずさりし、マウカイが杖を握る手に力を込めた。だが、ユシャンが手を上げて制した。

そして、そのオーガの傍らには——。

「エルフ……だと?」

トーゾが、目を見開いて呟いた。その視線は、金色の髪を値踏みするように細められた。

金色の髪を短く刈り込んだエルフの女性が、オーガの横に寄り添っていた。美しい顔立ちだが、どこか儚げで、静かな微笑みを浮かべている。

「わしはガルド。こちらはミリアじゃ」

賢者ガルドは、一行を洞窟の中へと招き入れた。驚くほど整然とした空間だった。本が積まれ、薬草が吊るされ、暖炉には火が灯っている。

「なんて……清潔な場所」

ソリヨが驚きの声を上げた。オーガの住処とは思えないほど、整理整頓されている。

「面白い蔵書だな。古代魔法の文献まであるとは」

マウカイが本棚を眺めながら、興味深げに呟いた。

「宿をお借りできますでしょうか」

ユシャンが頭を下げると、ガルドは穏やかに微笑んだ。

「宿はどうぞ。ただし、礼として、じじいの昔ばなしを、聞いてくれんか」

「昔ばなし、ですか?」

「そうじゃ。これは、わしとお前たち、そしてこの森の始まりの物語じゃ」

ガルドは暖炉の前に腰を下ろし、ミリアもその隣に静かに座った。勇者たちも、炎を囲むように座る。ソリヨはガルドの巨体に緊張しながらも、ミリアの優しい眼差しに少し安心した様子だった。マウカイは腕を組んで聞く姿勢を作り、トーゾは面倒くさそうに欠伸をしながらも座った。

パチパチと薪の爆ぜる音だけが、しばしの沈黙を支配した。

やがて、ガルドは深く息を吸い込み、語り始めた。


第二章:邂逅と血の匂い


「わしがまだ、ただの食人鬼だった頃の話じゃ」

ガルドの声は低く、重く、過去の罪を背負うように響いた。ソリヨの顔が蒼白になり、暖炉の炎が揺れ、洞窟の壁に巨大な影を落とす。

「わしは森で狩りをし、迷い込んだ者を捕らえては食らっておった。それが、オーガの本能じゃった。ある日、わしは二人のエルフの姉妹を捕らえた。姉の名はリシア、妹の名はミリア」

ガルドは、隣に座るミリアを一瞥した。ミリアは静かに頷き、その金色の髪が暖炉の光を受けて揺れた。

「まさか……」

ソリヨが震える声で呟いた。隣にいるミリアが、その物語の当事者だということに気づいたのだ。

「姉妹は美しく、恐怖に震えておった。リシアは妹を庇うように立ち、ミリアはその背に隠れておった」

ガルドの目が遠くを見つめる。

「わしは……わしは、本能に逆らえなんだ」

ガルドの声が震えた。

「姉リシアの、片足を奪い、その肉を食らった」

沈黙。

誰も息をしていないかのような、凍りついた沈黙。

そして、ガルドはゆっくりと続けた。

「血の匂いが、洞窟の中に冬の風のように広がった。鉄と、恐怖と、生命の匂いじゃった」

ソリヨが顔を覆った。

「リシアの悲鳴が、洞窟の壁に反響して、何度も何度も、耳の奥に棘のように刺さった。ミリアは姉にしがみつき、泣き叫んだ。その声は、今も、わしの耳に残っておる」

ユシャンは拳を握りしめ、マウカイは眉をひそめた。

「その時間は、永遠のように長かった。リシアは意識を失わず、ミリアは姉を抱きしめたまま、ただ震えておった。わしは止められなんだ。自分自身を、止められなんだ」

トーゾだけが、奇妙に冷静な表情で聞いていた。

「だが、わしは満足しておった」

ガルドの声に、深い自己嫌悪が滲む。

「なぜなら、エルフの肉は、わしに異常な魔力をもたらしたからじゃ。体の奥から力が湧き、傷が癒え、時の流れが緩やかになった。それは、わしが永遠に罪を背負い続けるための、呪いのようなものじゃった。わしは、死ななくなった。」

「死なない……?」

マウカイが鋭く反応した。魔法使いとして、そのような現象に学術的な興味を抱いたのだ。

トーゾは何かを計算するように、視線をミリアへと向けた。

「リシアは片足を失い、動けなくなった。わしは彼女らを洞窟に閉じ込めた」

ガルドは目を閉じた。

「いずれまた食らおうと思うておった。次は、妹の方を、と」


第三章:献身と名もなき優しさ


「だが——」

ガルドの声が、わずかに震えた。

「ミリアは、姉を看病し始めた」

暖炉の火が、パチリと音を立てる。

「傷を洗い、包帯を巻き、水を飲ませ、額を冷やし、眠れぬ夜は子守唄を歌った。そして、わしにも、食事を運び、掃除をし、話しかけてきた」

「なぜ……?」

ユシャンが思わず口を挟んだ。

「なぜ、姉を傷つけた怪物に、そんなことを?」

ソリヨも涙を浮かべながら首を傾げた。

「私なら、憎しみで狂ってしまいます……」

ガルドは静かに微笑んだ。

「わしも同じことを問うた。ミリアはこう答えた。『あなたも、生きている。ならば、優しさを知ることができるはず』と」

ミリアが、静かに口を開いた。その声は、鈴のように澄んでいた。

「私たちエルフには、古い教えがあります。『生命は繋がり、繋がりは赦しを生む』と」

彼女は暖炉の炎を見つめた。

「私たちは皆、命を食べて命を繋いでいます。草も、獣も、魚も。それは営みであって、罪ではありません。ガルドが姉の足を食べたことも、オーガとしての本能でした」

ミリアは静かに続けた。

「ですが、私たちエルフには、もう一つ重い掟があります。傷ついた体と心を、見て見ぬふりをすることは、私たちにとって重罪なのです」

彼女の目が、ガルドを見つめる。

ミリアの目に、涙が光る。

「姉は幼い頃、私を森の獣から守ってくれました。片腕に深い傷を負いながらも、私を抱きしめて逃げてくれた。だから今度は、私が姉を守る番だと思いました」

「でも、それだけではありません。ガルドを見たとき、私は気づいたのです。この方は、本能に囚われているだけで、心の奥には何かがあると。それを見て、私は逃げることができませんでした」」

「……慈悲、ですか」

ソリヨが、胸の聖印を握りしめた。

ガルドは深く頷いた。

「わしは最初、その言葉を嘲笑った。『エルフの戯言じゃ』と吐き捨てた。だが、ミリアは諦めなんだ」

ガルドの声が、温かみを帯びていく。

「毎日毎日、わしに話しかけ、姉の世話をし、そして——洞窟を掃除し、わしの寝床に毛布をかけ、わしが寂しそうにしていると、昔話を聞かせてくれた」

「リシアの姿は、わしにとって罪の象徴となった。片足を失った彼女を見るたび、わしは自分が何をしたのかを思い知らされた。だが、ミリアの優しさは、わしの心を少しずつ溶かしていった」

暖炉の火が、ゆらゆらと揺れた。

「やがて、冬が来た」

ガルドの声が、再び重くなる。

「食糧が尽きた。雪は降り続き、獲物は姿を消した。わしは、再びリシアを食らおうとした」

沈黙。

誰も、呼吸すら忘れたような沈黙。

「だが——」

ガルドは拳を握りしめた。

「わしは、できなんだ。ミリアの涙を見て、リシアの震える手を見て、わしは初めて、『もうお前たちを傷つけたくない』と思うたのじゃ」

「それが……償いの始まり」

マウカイが静かに呟いた。


第四章:涙と赦しの朝


「わしは初めて、涙を流した」

ガルドの目から、一筋の涙が頬を伝った。

「わしは姉妹の前に膝をつき、許しを乞うた。『わしは、お前たちに取り返しのつかないことをした。どうか、わしを殺してくれ』と」

ソリヨが、両手で口を覆った。涙が頬を伝っている。

「だが、ミリアは首を横に振った。そして、こう言うたのじゃ。『許しと優しさで、摂理を変えられる』と」

「……神の教えと同じです」

ソリヨが震える声で言った。

「赦しこそが、最も偉大な奇跡だと」

ユシャンは、息を呑んだ。その言葉の重さが、胸に突き刺さった。

「リシアは、わしに微笑みかけた」

ガルドの声が、優しく響く。

「片足を奪われ、苦しみ続けた彼女が、わしに微笑んだのじゃ。そして、震える手でわしの大きな手を握り、こう言うた。『あなたは変わった。それで、いい』と」

ガルドは天を仰いだ。

「それから、わしたちは共に冬を越した。わしは狩りをし、ミリアは料理をし、リシアは編み物をした。わずかな食料を分けあい、夜には三人で暖炉を囲み、昔話をした。わしは初めて、家族というものを知った」

「笑い声が、洞窟に響いた。温かい食事の匂いが、洞窟を満たした。わしは、生まれて初めて、幸せというものを感じたのじゃ」

暖炉の火が、小さく揺れた。

「だが、春が来る前に、リシアの命は尽きた。足の傷がよくなかったのじゃ」

沈黙が降りた。深い、深い沈黙。

「最期の冬の朝、リシアは穏やかな微笑みで、わしに完全な赦しを与え、息を引き取った。わしはその手を握り、泣いた。ミリアも泣いた」

ガルドの声が、震える。

「わしたちは、リシアを丘の上に埋葬した。雪の中、二人で穴を掘り、彼女を大地に還した。ミリアは泣きながら、わしの背に手を置いて言うた。『姉は、あなたを赦したのです。だから、あなたも自分を赦してください』と」

「その日から、わしは『灰色の賢者』となった。罪と赦しによって、生まれ変わったのじゃ」

ソリヨはもう、声を上げて泣いていた。ユシャンも、目頭を押さえている。マウカイは静かに目を閉じていた。

トーゾは、複雑な表情で、ミリアとガルドを交互に見つめていた。


第五章:終わりのない償いと教え


「だが、リシアの肉がもたらした長寿の呪いは、解けなんだ」

ガルドは自分の手を見つめた。

「わしは今も、この森で生き続けておる。ミリアと共に、旅人を助け、迷える者に道を示し、苦しむ者に寄り添いながら」

ミリアが静かに頷いた。

「正直に申し上げて、自分が何をやっているのかわからなくなることもあります。しかし、姉は、生きた架け橋となりました。オーガと私たちを繋ぎ、憎しみを愛に変え、そして去っていきました。それを無に帰すことはできないと思っています」

「春になれば、リシアの丘には白い花が二輪寄り添い、この洞窟の入り口にもう一輪優しく咲く」

ガルドは勇者たちを見回した。

「ミリアがエルフの料理を作ると、わしはいまだに、あの日のことを思い出す。ミリアは優しく微笑むが、わしは知っておる。彼女もまた、姉を思い出しているのだと」

ミリアが静かに頷いた。

「それでも、わたしたちは共に生きています。傷は消えませんが、それを抱えて生きることはできます」

「これがわしの物語じゃ。勇者よ、最も深い闇とは、己の心にある後悔と孤独じゃ。魔王を倒すことよりも、己の心の闇と向き合うことの方が、遥かに難しい」

ユシャンは深く頭を下げた。

「賢者よ……私は魔王を倒すために旅をしています。それが正義だと信じて。しかし、あなたの物語を聞いて、少しわからなくなりました」

ユシャンは拳を握りしめた。

「正義とは、何なのでしょうか。魔王を倒せば、本当に世界は救われるのでしょうか」

ガルドは静かに微笑んだ。

「それは、お前自身が旅の中で見つける答えじゃ。ただ一つ言えるのは、誰もが心に闇を抱えておる。魔王も、わしも、そしてお前たちも。大切なのは、その闇とどう向き合うかじゃ」

「お話、ありがとうございました。私たちは、この教えを胸に刻みます」

ソリヨも涙を拭いながら、祈るように両手を合わせた。

「ミリア様……あなたは、聖女そのものです」

マウカイは静かに立ち上がり、ガルドに一礼した。

「賢者よ、あなたの物語は、私の魔法のどんな知識よりも価値がある」

「この昔ばなしが、お前たちの道しるべとなれば幸いじゃ」

その夜、勇者たちは賢者の洞窟で、人生で最も静かで、最も教訓に満ちた夜を過ごした。


終章:種子


深夜。

皆が眠りについた後、トーゾは一人、洞窟の片隅で目を覚ましていた。

月明かりが洞窟の入口から差し込み、眠る仲間たちの顔を青白く照らしている。

彼は暗闇の中で、賢者の物語を反芻していた。

「エルフの肉……食えば死なない、ね」

トーゾは薄く笑い、再び横になった。


翌朝。

一行は旅立ちの準備を整え、洞窟の前でガルドとミリアに別れを告げた。

「賢者ガルド、ミリア様、本当にありがとうございました」

ユシャンが深々と頭を下げた。ソリヨも涙ぐみながら、マウカイも静かに一礼した。

「気をつけて行くのじゃ。お前たちの旅路に、光あれ」

ガルドが穏やかに微笑む。ミリアも、優しく手を振った。

トーゾが、いつもの軽薄な笑みとは違う、真剣な表情で言った。

「魔王を倒したら、ぜひお礼を言いに寄らせてもらいたい」

ソリヨが、驚いたように振り返った。

「おや、トーゾさんがそんな殊勝なことを言うとは」

「ははっ、俺だって心を入れ替えることくらいあるさ」

トーゾは肩をすくめ、森の道へと歩き出した。

その背中を見送りながら、ガルドとミリアは静かに佇んでいた。

賢者の言葉は正しかった。

最も深い闇とは、己の心にある。

そして、その闇は——どんな物語を聞いても、どんな奇跡を目の当たりにしても、消えることはないのだ。

だが、それでも人は旅を続ける。

光を求めて。あるいは、闇を抱えたまま。


※この物語は、罪と赦し、そして人間の業について問いかける寓話です。

本作は、

「赦しとは何か」「罪は消えるのか」

といったテーマを扱った、少し静かなファンタジー短編です。


派手なバトルや爽快な勧善懲悪はありません。

代わりに、

過去に取り返しのつかない罪を犯した存在と、

それを赦すことを選んだ者たちの、その後の時間を描いています。


重い題材ではありますが、

誰かを断罪したい物語ではありません。

「正しさ」と「生きること」の間で揺れる感情を、

ひとつの寓話として読んでいただければ幸いです。

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