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本土決戦、但し敵は魔王軍 ~異世界帰りの戦艦『大和』、最後の殴り込み~

 昭和二十年八月中旬、相模湾。

 帝都の南門であるこの海域は、異常な緊張に包まれていた。


 日本政府はポツダム宣言を黙殺。全土で「一億玉砕」が叫ばれ、竹槍を持った婦女子までもが海岸線に塹壕を掘る、狂気の最終決戦が始まろうとしていた。

 その決意を嘲笑うように、洋上を鋼鉄の群れが埋め尽くしている。


 米海軍第三艦隊。正規空母一五隻を中心とする大機動部隊は、瀕死の帝都へ止めを刺すべく、悠然と進撃を続けていた。


 旗艦戦艦『ミズーリ』の艦橋。ハルゼー大将は、双眼鏡で静まり返った三浦半島の海岸線を睨みつけた。


「不気味な静けさだ。ジャップの奴ら、本当に国民全員で特攻を仕掛けてくる気か?」


「ええ。狂信的です。上陸部隊の予想被害は百万人を超えています」

 幕僚が顔をしかめて答える。彼らにとって、これは勝利が決まった後の、気の滅入る「残務処理」だった。


「おい、あれを見ろ」

 見張員が空を指差す。快晴だった空の一角、三浦半島上空あたりに、どす黒い染みのような雲が湧き出していた。雲は渦を巻き、不自然な稲妻を走らせながら急速に膨張していく。


 気圧が急変したのか、生暖かい風が甲板を吹き抜けた。

「気象班! なんだあの雲は!」

 ハルゼーが怒鳴るのと同時に、渦の中心が裂けた。


 現れたのは、雲ではない。巨大な「質量」だった。

 岩盤と金属が入り混じったグロテスクな外壁。直径五キロメートルはあろうかという逆円錐形の巨体が、重力を無視して静止している。

 あまりに異質な光景に、数万の将兵が息を呑み、動きを止めた。


『――■■、ギ、■■■……』

 それは、声ではなかった。


 巨大な金属が擦れ合うような、あるいは地殻が軋むような、不快な音。だが、それを聞いた瞬間、全ての人間は本能で理解させられた。


『……滅、ビ……ヨ……』

 言葉ですらない。脳髄に直接流し込まれる、純粋で膨大な「殺意」の思念。


 耐性のない者は、それだけで泡を吹いて倒れ、あるいは恐怖のあまり甲板で泣き叫んだ。

「そ、総員、対空戦闘! 撃ち落とせぇっ!」


 半狂乱になったハルゼーの号令で、全艦が一斉に火を噴いた。五インチ砲、四〇ミリ機銃。空を埋め尽くす数千の曳光弾が、謎の物体へ吸い込まれていく。


 だが、その全ては、物体の周囲に展開された薄紫色の光膜――魔法障壁に触れた瞬間、音もなく掻き消えた。


「馬鹿な、全弾無効だと!?」

 要塞の底部が、赤黒く脈動した。

 直後、音のない閃光が海面を薙ぎ払った。


 正規空母『エセックス』の巨体が、光に包まれる。爆発は起きない。鋼鉄の飛行甲板が、まるで熱した飴細工のようにドロドロと溶解し始めたのだ。


「う、うわあああ!」

 甲板員の絶叫が響く。彼らの体もまた、軍服と共に瞬時に炭化し、溶けた鉄の中へ沈んでいく。わずか数十秒。『エセックス』だったものは、灼熱の鉄塊となって海中へ没した。


 隣を航行していた戦艦『サウスダコタ』は、熱線が弾薬庫を直接貫いたのだ。キノコ雲が成層圏まで吹き上がり、衝撃波が周囲の駆逐艦を木の葉のように転覆させる。


「化け物……こんなの、戦争じゃない……!」

 歴戦のハルゼーすら、パイプを取り落とし、震える手で手摺りを掴むことしかできなかった。

 要塞は、蟻を踏み潰すように艦隊を蹂躙すると、ゆっくりと艦首を北へ――東京の方角へ向けた。


 艦底の脈動が、先ほどよりも強く、眩しく輝き始める。

「……まさか、ここから東京を撃つ気か!?」

 ハルゼーが叫ぶ。距離は五十キロ以上ある。だが、その「予感」は最悪の形で的中した。


 極太の熱線が、水平線の彼方へ向けて放たれる。

 数秒の静寂。


 次の瞬間、北の空が、真昼の太陽よりも眩く輝いた。水平線の向こう側から、巨大な光の柱が立ち昇り、成層圏の雲を吹き飛ばしていく。


 遅れて届いた重低音が、艦隊の腹を揺さぶった。

「……東京が、燃えているのか?」

 誰かの呟きが、静まり返った艦橋に響いた。あれだけの規模だ、都市の中枢は壊滅しただろう。


 その、地獄と化した東京湾近海が、大きく盛り上がった。

 先ほどの要塞出現時とは違う、荒々しい空間転移。海水がナイアガラの滝のように降り注ぐ中から、一隻の巨艦が姿を現した。


 全身の塗装は焼けただれ、装甲板はめくれ上がり、艦橋には巨大な生物の爪痕が深く刻まれている。

 だが、そのシルエットは紛れもなく、帝国海軍が誇る世界最大の戦艦だった。


 『大和』艦橋。

 転移の衝撃が収まると同時に、有賀幸作は防弾ガラスにかじりついた。


「戻ったか……!」

 懐かしい磯の香り。見慣れた日本の海。三年ぶりに見る故郷だった。

 しかし、彼の目に飛び込んできたのは、水平線の先で赤く燃え上がる帝都の空と、その元凶である浮遊要塞の姿だった。


「間に合わなかったというのか……!」


「艦長、奴は次の攻撃体勢に入ってる! あれを撃たれたら帝都が消滅するわ!」

 CICで戦術長のエルフ、エレンが悲鳴を上げる。


 有賀は即断した。

「エレン! 第三主砲、残存魔力で撃て! あの化け物を落とせ!」


「了解! てぇーっ!」

 艦尾の第三主砲塔から、紫色の光弾が放たれる。だが、光弾は五十キロ先で拡散し、要塞の障壁に傷一つ付けられずに霧散した。


「駄目! この世界、マナが大気で拡散しちゃう! 遠距離じゃ抜けないわ!」


「何だと!?」


「確実に抜くには、一〇〇パーセントフルチャージで、障壁の内側――ゼロ距離まで近づくしかない!」


「クソッ、チャージ時間は!?」


「……このマナ濃度じゃ、六時間はかかる!」

 有賀は血の味がするほど唇を噛み締めた。六時間。それまで帝都が保つ保証はない。


「機関室! ガルド、状況はどうだ!」

 有賀が伝声管に怒鳴る。返ってきたのは、蒸気の轟音にも負けない、岩を砕くような野太い声だった。


『おうよ! 全缶焚いてるが、これ以上はボイラーが溶けちまう!』

 声の主はガルド。異世界で『大和』の巨体に惚れ込み、勝手に乗り込んで機関長となったドワーフ族の男だ。


「構わん、壊れてもいい! 全出力をチャージへ回せ!」


「保たせるんだ。そのための『大和』だろうが!」

 有賀は伝声管へ怒号を放った。


「取り舵一杯! 機関最大戦速! 殴り込みをかけるぞ!」

 傷だらけの鋼鉄の塊が、黒煙を吐き出して加速を始めた。


 東京湾。かつて帝都の海の玄関口だったその場所は、今や灼熱の鉄火場と化していた。

 浮遊要塞は東京湾の上空三〇〇〇メートルに静止し、市街地へ断続的に熱線を浴びせ続けている。


 その真下で、『大和』は防戦一方だった。

「第三主砲塔、被弾! 装甲表面が溶解!」


「構わん、チャージを続行しろ!」

 有賀が怒鳴る。要塞からの熱線攻撃を、エレンが展開する魔導障壁と、自慢の重装甲で受け止める。動けば帝都への被害が増えるため、彼らは動かない「盾」になるしかなかった。


「チャージ率、まだ八パーセント! 艦長、このままじゃジリ貧よ!」

 CICでヘッドセットを押さえるエレンが悲鳴を上げる。彼女は自身の魔力で、希薄な大気中のマナを無理やり第三主砲塔へ搔き集めているのだ。


「耐えてくれ。今チャージを止めたら、あの化け物を落とす手段がなくなる!」


 一方、五十キロ南の海上。

 取り残された米艦隊の残存部隊は、別の地獄を見ていた。要塞が去り際に産み落とした無数の「卵」が孵化し、巨大なクラーケンの群れが襲いかかったのだ。


「撃て! 近づけるな!」

『ミズーリ』の一六インチ主砲が火を噴く。着弾。数百メートルの水柱が上がるが、海魔は止まらない。


「駄目です! 奴らの皮膚、砲弾を弾きます! 直撃しても信管が作動しません!」

 物理攻撃への異常な耐性。近代兵器が通用しない、文字通りの怪物だった。


「総員退避! 南へ抜けろ!」

『ミズーリ』の艦橋でハルゼーが叫ぶが、退路は既に海魔の群れによって完全に遮断されていた。


 残された進路は北――東京湾しかない。

 駆逐艦『ジョンストン』、戦艦『ミズーリ』、重巡洋艦『ボルチモア』……生き残った艦艇は、魔物の群れに追い立てられるようにして、狭い湾口へ殺到した。


 それは逃走というより、追い詰められた羊が屠殺場へ入り込んでいく姿に近かった。

 だが、その袋小路で彼らを待っていたのは、さらなる絶望だった。


「前方に艦影! そ、そんな馬鹿な……!」

『ミズーリ』の艦橋で、煤だらけのハルゼー提督が目を見開いた。


 炎上する帝都を背景に、仁王立ちで浮かんでいる巨艦。それは三ヶ月前に確実に沈めたはずの、帝国海軍の象徴だった。


「……蘇ったというのか、あの日本の怪物モンスターは!」

 退路は、巨大な触手を持つ海魔に塞がれている。そして追い詰められた先には、死んだはずの最強の戦艦が立ちはだかっている。


「前門には蘇った日本の怪物、後門には本物の怪物か……。神よ、ここは地獄か!」

 ハルゼーは呻いた。完全に詰んでいた。


「提督! 後方の海魔、追いつかれます! このままでは全滅です!」


「ええい、撃て! どっちの化け物も近づけるな!」

 錯乱状態に陥った米艦隊は、背後の海魔だけでなく、目の前の巨艦に向けても残存する全砲門を開いた。一六インチ主砲弾が『大和』の周囲に虚しい水柱を上げる。


『大和』艦橋。


「後方より米主力艦隊接近! 本艦へ発砲!」


「見ての通りだ。元気そうで何よりだな」

 有賀は皮肉な笑みを浮かべた。至近弾の衝撃が艦を揺らすが、魔導障壁はびくともしない。


「艦長、どうするの!? 向こうは完全にパニックよ! 通常兵器じゃあの魔物たちは倒せないわ!」


「放っておけ。あんな豆鉄砲、今の本艦には蚊が刺した程度だ。それより……」

 有賀は、米艦隊を追って湾内に侵入してきた巨大な触手の群れを睨みつけた。


「鬱陶しいハイエナどもだ。客人の前だ、少し掃除してやろう。虎の子の『()()()』だ、外すなよ。後部魔導副砲、装填! ハイエナを狙え!」

 『大和』の第三主砲塔は、紫色の雷光を纏ったまま沈黙を続けている。


 代わりに、艦橋後部に異世界の技術で新設された対魔物用砲塔が、ぬるりと旋回した。それは日本の兵器とは異なる、有機的な曲線を描く青銅色の巨砲で、砲身からは常時、淡い魔力光が漏れ出ている。


 放たれた三発の弾丸は、青白い燐光の尾を引きながら、米戦艦『ミズーリ』の頭上を低い弾道で飛び越え、その背後に迫っていたクラーケンの群れに着弾した。


 瞬間、通常の爆発とは異なる、青い閃光が広がった。異世界でドワーフが封入した高密度の魔力が解放され、物理攻撃を無効化していた海魔の粘液ごと、その肉体を根こそぎ蒸発させる。

 たった数度の斉射で、海魔の群れが消滅した。


「……な」

 ハルゼーは、パイプを取り落とした。

 我々の主砲が通用しなかった怪物を、奴は副砲だけで消し飛ばしたのか。


「奴は……我々を助けたのか?」

 信じがたい。だが、目の前の巨艦は、明らかに自分たちではなく「本物の怪物」だけを狙っている。 


 その時だった。

 ハルゼーを含む、戦場にいる全ての人間――その脳内に、直接男の声が響いた。低く、腹の底に染み渡るような、威厳に満ちた声だった。


『……総員傾注。貴艦らに告ぐ。我は大日本帝国海軍、戦艦大和艦長の有賀幸作』


「な、なんだ!? 頭の中に直接……!」

 うろたえる幕僚たちを、ハルゼーが手で制す。「静かに! 聞け!」

 声は続いた。


『――異界にて冠せられし本艦の名は『鋼鉄の守護神(アイアンガーディアン)』』

 ハルゼーが息を呑む。守護神。奴は自らをそう呼んだのか。


『現在、本艦は人類の脅威、“魔王”と交戦中なり。貴様らの砲撃は通じぬ。射線軸を空け、即刻退避せよ。……繰り返す、邪魔だ、退避せよ』


『退避せよ』

 その言葉は、米艦隊に衝撃を与えた。敵である自分たちを助け、あまつさえ「足手まといだから下がっていろ」と言い放ったのだ。


「……馬鹿にするな」

 戦艦『ミズーリ』の艦橋で、ハルゼーが低い声で呻いた。

 屈辱だった。だが同時に、心の奥底で何かが熱く燃え上がるのを感じた。


「提督、どうしますか。艦隊は壊滅です。空母は『エセックス』『イントレピッド』を含む一〇隻が撃沈、残る五隻も大破炎上し発着艦不能。残存兵力は本艦以下、戦艦三、重巡四、駆逐艦二〇……。それらも満身創痍。そして、これ以上の損害は、太平洋艦隊の消滅を意味します」

 幕僚の悲痛な報告に、ハルゼーはニヤリと笑った。


「退避だと? 我が合衆国海軍は、いつから敵に背中を向けて逃げる臆病者になったんだ?」

 彼はマイクを鷲掴みにした。


「全艦に通達! 目標変更、これより我々はあのクソ生意気な『守護神』とやらを援護する!」


「し、しかし提督! 相手は日本軍ですよ!?」


「知るか! だが、あの怪物を倒せるのは奴だけだ。……それに、借りを返さねば、海軍軍人の名折れだろうが!」

 その時、上空の要塞が新たな動きを見せた。


 底部のハッチが開き、黒い奔流が吐き出されたのだ。数千、いや数万のガーゴイルの群れだ。それらは一斉に翼を畳むと、まるで生きた爆弾のように『大和』めがけて急降下を開始した。


「対空戦闘! 撃ち落とせ!」

『大和』の全火器が火を噴く。一匹が弾幕を抜け、左舷の魔導障壁に激突して自爆した。


「特攻……! こいつら、最初から生きて帰る気がないぞ!」

 機銃員が悲鳴を上げる。文字通りの「神風」が、敵となって降り注いでいた。


 万事休すかと思われたその瞬間、『大和』の両舷に、猛烈な勢いで割り込んでくる艦影があった。

 米駆逐艦群だ。彼らは『大和』を取り囲むように完璧な輪形陣を組むと、五インチ砲とボフォース四〇ミリ機銃で、空を覆うほどの濃密な弾幕を張り巡らせた。


「なっ……米軍が、俺たちを守ってるのか!?」

 信じられない光景に、帝国海軍の兵士たちが絶句する。


「左舷、米戦艦『ミズーリ』より発光信号!」

 見張員が叫んだ。隣を並走する巨艦のマストで、信号灯が激しく明滅している。


「『カンチガイ スルナ コノ カシ ハ タカイゾ』……以上です!」

 有賀は一瞬驚き、そして豪快に笑った。


「ハッ、アメリカ人というのは損得勘定が得意だと聞いていたが、とんだお人好しどもだ! ……感謝する!」


「敵ガーゴイル、直上!」

 CICでエレンが叫ぶ。艦隊の弾幕でも、直上からの急降下攻撃は防ぎきれない。


 数千のガーゴイルが、火線の隙間を縫って『大和』へ殺到する。

 だがその時、西の空から新たなエンジン音が轟いた。


 濃緑色の機体に描かれた日の丸。厚木基地から飛来した、日本海軍最後の精鋭部隊、「紫電改」の編隊だった。


『何がなんだかわかんねぇ!だが! 露払いは任せてくれ!』

 紫電改部隊は、躊躇なくガーゴイルの黒雲へ突っ込んでいった。


 さらに、その乱戦の中へ、青い機体の大群が加わった。米海軍F6Fヘルキャット部隊だ。要塞出現時に上空哨戒に出ていた数百機が、母艦全滅により帰る場所を失い、空に取り残されていたのだ。


『こちら第9戦闘飛行隊! 母艦ホームは全滅、もう帰る場所なんてねえ!』

 悲痛な、しかし闘志に満ちた通信が響く。


『ヤケクソだ、一匹でも多く道連れにしてやる! あの日本の戦艦を死なせるな!』


 燃料が尽きれば冷たい海が待つだけの「空の迷子」たちは、最期の死に場所として、共通の敵との戦いを選んだ。


 燃える帝都の上空で、日米の翼が交差する。それは、地獄のような戦争の中で生まれた、奇跡の光景だった。

 だが、奇跡だけで六時間は長すぎた。


「弾幕薄いぞ! 撃ち続けろ!」

 絶え間ない波状攻撃に、米駆逐艦の砲身が焼き付き、動作を停止する。そこへガーゴイルが殺到し、一隻、また一隻と断末魔と共に爆沈していく。 


 空では、燃料の尽きたF6Fが、次々と静かに海へ消えていく。


『大和』も満身創痍だった。魔導障壁は限界を超えて明滅し、装甲はひしゃげ、無数の火災が発生している。


「機関室、温度上昇! もう限界だ!持たねえぞ!」

 ガルドの悲鳴が響く。わずか数時間が、永遠のように感じられた。


 そして、ついにその時が来た。

 CICのコンソールが、眩い緑色の光に包まれた。


「マナ充填率、一〇〇パーセント到達! 第三主砲、いつでもイケるわ!」

 エレンの叫びが、疲労困憊の艦橋に響き渡った。


 有賀は、充血した目で要塞を睨みつけた。

「……長かった。反撃といこうじゃないか」


「エレン、頼む。奴らを巻き込みたくない。全艦に伝えろ!」


「もう、人使いが荒いんだから! ……いくわよ、広域念話ブロードキャスト!」

 エレンがこめかみを押さえ、最後の余剰魔力を解放する。


 次の瞬間、日米問わず、戦場にいる全ての人間――その脳内に、直接有賀の怒号が響き渡った。


『総員傾注! これより第三主砲を発射する! 付近の友軍艦艇、および航空機は即刻離れろ! 巻き添えになっても知らんぞ!』

 物理的な通信を超えた「意志」の伝達。日米両軍は一瞬驚愕したが、すぐにその意図を理解し、蜘蛛の子を散らすように退避を開始した。


 『大和』は最後の力を振り絞り、機関を最大戦速へ叩き込んだ。

 目指すは要塞の真下。帰還直後に放った第一撃を無効化した、憎き魔導障壁の内側だ。


「艦長、敵も気づいたわ! 高エネルギー反応、来る!」

 要塞はマナチャージを感知し、都市攻撃を捨てて対艦攻撃へ切り替えた。


「奴の主砲が先か、こちらの足が勝つか……競走といくか!」

 有賀が吠える。第一撃の失敗で分かっている――奴の障壁を貫くには、懐に飛び込んで減衰なしのゼロ距離射撃を叩き込むしかないのだ。


「電信室より報告! 米旗艦『ミズーリ』より、平文で入電!」

 通信士が、震える手で受信紙を読み上げた。


「『GOOD LUCK YAMATO(武運ヲ祈ル、ヤマト)――W.HALSEYウィリアム・ハルゼー』……以上です!」

 短い、しかし万感の思いが込められた敵将からのエール。


「……フン、英語は嫌いだが、その言葉だけは覚えておこう」

 有賀は不敵に笑い、軍帽の鍔を押し上げた。


「敵エネルギー充填、一二〇パーセント! 撃ってきます!」


「取り舵一杯! 衝撃に備えろ!」

 直後、天が裂けた。


 要塞から放たれた極太の熱線が、『大和』の右舷至近の海面を蒸発させる。魔導障壁が悲鳴を上げ、右舷の高角砲群が熱で飴のように溶け落ちた。


「……直撃コースだったぞ! なぜ耐えた!」


「米艦です! 『ボルチモア』級重巡が、射線軸に割り込みました!」

 見れば、一隻の米重巡洋艦が『大和』の盾となり、轟沈していく姿があった。


「馬鹿野郎が……! この借りは勝って返すぞ!」

 その犠牲が稼いだ数秒が、生死を分けた。『大和』は熱線の雨を抜け、ついに要塞の影――絶対不可侵の死角へ滑り込んだ。


「目標、頭上! 要塞中枢コア! 障壁内侵入確認!」

 もはや照準など不要。見上げれば、そこには空を覆う巨大な構造物が広がっている。


「今度こそ逃がさん。てぇーっ!!」

 有賀が裂帛の気合いで咆えた瞬間、艦尾の第三主砲塔が炸裂した。


 音すら置き去りにする、純粋な魔力の奔流。


 直径百メートルを超える極太の光柱が、今度は減衰することなく要塞の底部を食い破り、中枢コアを蒸発させ、天頂へと突き抜けた。


 断末魔のような振動が、大気を、海を、そして見守る全ての人々の魂を揺さぶった。


 次の瞬間、要塞は内側から膨張し、太陽が爆発したかのような閃光と共に消滅した。


 やがて、光が収まり、静寂が戻ってきた。

 空には、不自然なほど青く澄み渡った夏の空が広がっていた。


 海面には、焼けただれ、至る所から黒煙を上げながらも、奇跡的に浮いている鋼鉄の塊があった。

 そのメインマストには、煤で黒く汚れながらも、旭日の軍艦旗がはためいている。


「……やったか」

 有賀は、防弾ガラス越しに青空を見上げた。

 帝都は焼けた。多くの仲間が、そして今日の友が死んだ。だが、日本は生き残った。


 水平線の彼方から、生き残った米艦隊がゆっくりと近づいてくる。

 彼らは『大和』を取り囲むように停止すると、一斉に汽笛を鳴らし始めた。


 長く、厳粛な、弔意と敬意を表す礼砲代わりの汽笛。

 それに呼応するように、厚木基地へ帰投していく紫電改の編隊が、『大和』の上空で翼を振った。


 昨日の敵が、今は同じ海で、互いの健闘を称え合っている。

「……悪くない風景だ」

 有賀は呟き、ゆっくりと軍帽を被り直した。


 戦争はまだ終わっていない。明日にはまた、殺し合いが始まるかもしれない。

 だが、今日この日、東京湾で生まれた小さな絆は、決して消えることはないだろう。

 鋼鉄の守護神は、静かに、新たな時代の夜明けを見つめていた。


 ◇◇◇


 昭和二十年十月二日、東京湾クレーター


 帝都、かつて宮城があり、国会議事堂があった場所は、今や直径十キロメートル、深さ数百メートルに及ぶ巨大なクレーターとなり、海水が流れ込んで歪な円形の湾となっていた。


 それは、人類が初めて直面した「規格外の理不尽」が残した、消えることのない傷跡だった。


 あの日。

 魔王軍の第一撃は、帝都の中枢を正確に貫いた。本土決戦を指揮すべき軍部指導者と政府首脳の多くは、地下壕ごと蒸発し、帰らぬ人となった。


 だが、それ以上に世界を震撼させたのは、要塞出現と同時に全世界の人々の脳内に直接響いた『音』だった。


『……滅、ビ……ヨ……』


 言語を超えた明確な殺意の思念波は、相模湾の将兵だけでなく、ホワイトハウスのトルーマン大統領、クレムリンのスターリン書記長までも同時に貫き、彼らに原初的な恐怖を植え付けたのだ。


 さらに、世界最強の米第三艦隊が瞬時に半壊したという事実が、その恐怖が本物であることを裏付けた。


 指導系統を失い、国としての死を迎えるはずだった日本を救ったのは、長野県松代の地下壕にあらかじめ移転していた「国体」であった。


 松代に残された国家の意志は、未曾有の危機に際し、歴史的な聖断を下した。

 残存する全軍に対する戦闘停止命令。そして、連合国に対する直接の「共同戦線」の呼びかけである。


『人類ノ危機ニ際シ、国家ノ垣根ヲ取リ払フ』

 当初、米政府内にはこの呼びかけを「時間稼ぎの罠」と疑う声もあった。それを一喝して黙らせたのは、最前線で地獄を見たウィリアム・ハルゼー提督であった。


「罠だと? 私はこの目で見たのだ! 我々の艦隊が紙屑のように燃やされる様を! そして、それをたった一隻で食い止めた日本の戦艦を! ……奴らと手を組まねば、次は貴様らが死ぬ番だ!」


 現場指揮官の悲痛な叫びが、硬直した国際政治を動かし、東京湾クレーターでの歴史的な調印式へと繋がったのである。


 調印された条約の名は『日米相互防衛、および未知脅威に対する共同戦線条約』。

 それは事実上の降伏文書であったが、同時に、対等なパートナーとしての未来を約束するものでもあった。


 『ミズーリ』の隣に停泊する傷だらけの巨艦、『大和』。

 その艦橋から、有賀幸作は調印式を見つめていた。


「……皮肉なものだ。国を守るために戦ってきた軍部のトップ連中が全滅し、彼らが一番軽視していた『話し合い』で国が救われるとはな」


 有賀は自嘲気味に笑い、包帯だらけの体で、松代のある北西の空へ向けて敬礼した。

「だが、国体は護持された。日本は続く。……それで十分だ」


 戦争は終わったが、『大和』の戦いは終わらなかった。


 平和条約締結後、首都機能は大阪へ一時移転したが、『大和』はクレーターの入り口を見守るように、横須賀に留め置かれた。


 脅威は去った。だが、「二度目がない」という保証はどこにもない。あの要塞を唯一撃破したこの艦を、人類は手放すことができなかったのだ。


『大和』は日米共同管理下の「特務艦」として、いつか来るかもしれない「その日」に備え、静かな眠りにつくことになった。


 乗員たちは、それぞれの戦後を生きた。


 有賀幸作は、新生した「海上警備隊」の創設に尽力。冷戦時代には、ソ連の脅威に対抗しつつも、彼の目は常に「空の彼方」に向けられていた。彼は生涯、『大和』の艦籍を抜けることなく、死ぬまで「艦長」であり続けた。


 そして二人の異邦人。

 帰る術が完全に消滅したことで、彼らはこの世界で骨を埋める覚悟を決めた。


「あーもう! 大阪の商人って、ドワーフよりがめついんじゃない!?」


 昭和三十年代。大阪の官庁街。


 エレンは、新設された「特殊技術庁」の長官室で書類の山と格闘していた。彼女のもたらす魔法理論は、戦後日本の復興を加速させる起爆剤となっていた。


 マナのない世界ゆえに魔法そのものは使えないが、その理論を応用した新素材や計算機科学は、日本を技術大国へと押し上げた。


「ガハハ! まあそう言うな嬢ちゃん。金は力だ、この世界のな!」

 ガルドは、東大阪の町工場街に自分の工房を構えていた。彼の鍛冶技術は、日本の精緻なモノづくりと奇跡的な融合を果たし、そこから生み出される製品は世界中の技術者を唸らせた。


 彼らは年に一度、横須賀の『大和』で同窓会を開いた。

 動かなくなった巨艦の甲板で、酒を酌み交わし、何もない平和な青空を見上げる。


「ねえ艦長。平和って、退屈ね」


「贅沢を言うな。……だがまあ、悪くない退屈だ」

 彼らだけが知る、硝煙と魔力の匂いのする記憶は、静かに歴史の彼方へ遠ざかっていった。


 時は流れ、人間たちは老いていく。

 昭和の終わりと共に、有賀幸作が逝った。平成に入ると、他の乗員たちも次々と鬼籍に入っていった。


 頑強を誇ったドワーフのガルドも、平成の終わりには病床に伏すようになった。マナのない世界での生活は、異邦人の体を少しずつ蝕んでいたのだ。


「……先に行くぞ、エレン。ワシの作った機関部、ちゃんと整備させとけよ」


「ええ、任せて。……またね、ガルド」

 最後の友を見送った日、エレンは一人、横須賀の海を見て泣いた。


 長命なエルフである彼女だけが、若々しい姿のまま、この世界に取り残された。


 そして、令和の現代。


 東京湾クレーターは世界的な観光地となり、『大和』はその中心に浮かぶモニュメントとして一般公開されている。


 その甲板に、一人の若い女性の姿があった。観光客ではない。彼女が歩くと、警備員たちが無言で敬礼を送る。


 エレン・イージス。見た目は二十代だが、その瞳には一世紀近い歴史が宿っている。彼女は今も、日本政府の特別顧問として『大和』の管理責任者を務めていた。


「……相変わらずね、あなたも」

 エレンは、第三主砲塔の冷たい装甲を撫でた。


 砲塔は沈黙している。だが彼女には分かる。その内部で、ブラックボックス化された魔導機関が、今も微かなマナを吸い上げ、来るべき時に備えていることを。


「平和ボケした顔しちゃって。有賀艦長が見たら怒鳴られるわよ」


 クレーターの周囲には、復興した新しい東京のビル群が輝いている。かつて彼らが命懸けで守り、そして焼け落ちた街は、不死鳥のように蘇っていた。


「でも、悪くない風景でしょ?」

 エレンは微笑み、青空を見上げた。


 かつて異世界を旅し、神々さえ撃ち落とした鋼鉄の守護神は、今日もただ静かに、平和な波に揺られている。

 だが、もし再びその空が割れたなら――。


 最後の乗員である彼女が、眠れる守護神を叩き起こすだろう。

「ゆっくりおやすみなさい。……今のうちは、ね」

 





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