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クロイツと風の精霊  作者: 志染
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第九話 麦と魔法

 ファルソ村のルシャの家に世話になって数日が過ぎていた。

 村に住んでいる村人は、総勢55名。


 クロイツが見た目の年齢で4世代ほどに区分けしたところによると、まず、年寄りとなるワゾク長老を含む60歳以上~の第一世代が三名。次に准年寄りのルドキュ村長らと、加えて、村の戦士達31~59歳くらいの第二世代が二十八名。この世代は村を支えている要の人たちだ。次は若くなり、15~30歳くらいのルシャや門番のステラなどが第三世代で十二名。駆け出しの戦士から家庭を持つものまで幅がある。そして最後に子供たちが第四世代として十二名。となっていた。


 そしてさらに、ケイトやケイハを含めた旅商人などの九名が、村に居候しているのが村の全貌だ。多いのは少ないのか判断に迷うところ。 




 星読み以後、ワゾク長老にも異世界の知識を教授願うべくしばらく村へ滞在すること決めたクロイツは、なにやら猛烈に村人に歓迎されることとなった。


 どうやらこの時期は麦や大豆などの刈り入れ時にあたるらしく、人手が欲しかったらしいのだ――。


 ルシャと共に行っている、ルシャ曰くの戦士の務め=雑用活動によって、予想をはるかに超えて村に受け入れたクロイツは、村に来て四日目には家族同様の扱いを受けるまでに村に馴染み始めていた。


 

 ワゾク長老とクルクには、星読み以後会えていなかった。研究がやはり忙しいらしい。

 邪魔しては悪いので、その間にルシャに様々な事を教えてもらいながら村で生活していたのだ。 



 そんな、夏至まであと七日といった快晴の本日。ルシャ達の星読みにより雨季が近いことを知ったルドキュ村長は麦の刈り入れをすると村人全員に通達した。


 クロイツには良く分からなかったが、麦は雨に濡れてしまうとダメらしく、かといって早めに刈り入れしすぎてもダメという……時期がとても大切なものなのだそうで、朝から花の世話もそこそこに、村人総出での麦刈り大事業となっている。


 当然のごとく、そこにクロイツもかりだされている訳であった――。



 「あー(あづーい)」

 広がる小麦畑の中にしゃがみこみながら移動するクロイツは言葉にならない声を上げた。

 流れる汗は、すでに噴きだすように体全体を覆い、汗を吸い込んだ服は重さを増してすこぶる着心地がわるい。


 まばらにくっきりとした白い雲が浮かぶ晴天の中、夏の日差しをその背に浴びて、目の前に広がる小麦の根元を、片手で掴めるだけつかみ、手に持った草刈鎌で刈り取り、そしてそれらを束にして後ろへ置いていく。クロイツはそんな単純作業を黙々と続けていた。

 猛暑の中で行われる作業に、クロイツは早々に風の鎧を発動させ、早く終わらしてしまおうと頑張っていた。


 村人達は、人間とは思えないスピードで刈り取りを済ませるクロイツを、歓声をあげながら見ていた。その中の初老の村人が遠めにその様子を見て微笑みながら呟いた。


「今日中に終わってしまいそうだのぅ」


 

 キュアラの癒しの魔法をときおり浴びながら、半永久機械のように働くクロイツ。

 いっかな体は疲れはないのだが、まとわり付く汗を含んだ服の不快感は拭えなかった。

 そろそろ精神的な休憩が欲しいと思い始めていた時、遠く背後から声がした。


「おおーぃ。クロイツさんお疲れ様ー、休憩だってよー!」

「おー(さっぱりしたい)」


 笑顔で叫ぶ村の青年にと半ばバーサーカー状態であった気持ちを落ち着かせて、うれしそうな笑顔で答えながらクロイツは立ち上がった。


 

 休憩所につくと、褐色の肌に黒みがかったオレンジ髪をした、ずんぐりとした中年女性が声を掛けてきた。


「いやぁ、すごかったね」


 あっはっはと笑う女性はケイト。

 ガンデス地方からの旅商人で、クロイツに衣服を提供してくれた方だった。


「あれは魔法を使っているのかい?」

「まぁ、早く終わらせたい一心です。暑いですからね」


 正確には精霊術だが、魔法には変わりないだろう。

 それよりもだ、汗を吸った衣服が体に張り付き、歩こうとするとすこぶる気持ちが悪い。


 いっそ裸になってしまおうかという勢いのクロイツを見て「あれだけ動けば当然さね」と笑うケイト。


「そんななりじゃ気持ちわるいだろ? 先にルスイさんとこいって清めてもらいなよ」

「そうします」


 クロイツはその声に頷いて、村人が集まって人だかりが出来ているほうへと歩んでいった。



 ルシャの母親でもあるルスイの周りには、麦刈りで汗だくになった戦士や村人、旅のお手伝いの人たちが群がっていた。

 その中で、赤い服を着た、褐色の肌に明るめのオレンジ髪の大柄の男性が目に付いた。ケイハだ。いつも着けているきれいな緑の鎧は、今は着けていなかった。


 ケイハがルスイの前へと歩んでいくとルスイの優しい声が聞こえた。


「力を抜いて立っていてくださいね。怖かったら息を止めておいてください」

「セガレナ・ケプルコゾモメゾティ・キティ」


 クロイツには空耳としてこう聞こえた呪文を唱えた。

 何ぞそれ? と思う呪文だが起源は神聖ルーティア王国のちゃんとした魔法らしい。


 ケイハの体を、何処からともなく現れた水が、ふわりと卵状に覆う。その水はゆっくりと頭から水面が下がるように下がっていき、どこへともなく地面へと吸収されるように流れ落ちていった。


「ありがとうございます」


 言葉少なめにお礼をいうケイハに、ルスイは笑顔で答えている。

 そんなケイハの体からは汗が消えており、それどころか汗を含んだ服すら乾いていた。


『水系統の清めの魔法です。簡単な魔法ですが、あれだけ滑らかに使える魔法師はなかなかいませんね』


 少し感心気味のキュアラが解説をしてくれた。


『キュアもあんな感じの魔法使えないかな?』

『難しいですね。風で汗を飛ばすことは出来ても、おそらく体に付いた汚れまでは綺麗にできません、汗だけでも飛ばしますか?』


 イメージ映像をクロイツの頭に送りながら問うキュアラに、辺りが暴風に襲われる姿をみたクロイツは若干笑みが引きつる。


『いや、ルスイさんの魔法も試してみたいからまたの機会にしておく』


 最良の選択をした。 

 




 ファルソ村では、小規模なものなら半数以上の村人が魔法を扱うことが出来るらしい。

 ルシャに教えてもらったところによると、この世界の魔法系統は、


 火。水。風。土。


 大まかに四つに分かれているそうだ。


 魔法系統は、その者の髪や、瞳に影響を与えることがあるらしく、銀の髪に、碧い瞳を持つものが多いファルソ村では、総じて水系統の魔法を得意とするものが多いらしい。

 むろん、得意魔法としての話であって、やろうと思えば全属性を網羅する戦士もいるそうだ。


 では……黒の瞳に黒の髪を持つ俺は何系統なんだろ? とルシャに聞いてみたところ、ルシャの答えは風系統の魔法が使えているじゃないか? だった。


 そういえば精霊云々の話をまったくしていなかったなと思い出して、ついで話のようになったが、クロイツはルシャにだけ風の精霊の話を済ませておいた。


「ふーん。どこにいるんだ?」


 ルシャの反応は意外と薄く、真顔でそう問い返されたのが少し笑えた。

 風の精霊は、半透明な飴細工のようなものをルシャに纏わり付かせて、己を示そうとしてくれたが、ルシャにはそれを感じ取ることも見ることも出来なかったようだった。

 精霊を感じ取るのはやはりそれ相応の何かがいるようだ。

 クロイツの眉唾物のような話だったが、ルシャは一切の疑念も持たず信用してくれた。

 

 その後、試しに、ルシャにいくつか魔法呪文を教えてもらい各属性の魔法を唱えては見たが、期待に反して魔法は全て不発の結果となってしまっていた。


 ルシャ曰く、一朝一夕で使いこなせるわけがないだろうとのことだ。



 まぁそんなこんながここ数日であったので……。

 だからこそ、今日の刈り入れでは、その憂さを晴らすかのごとくクロイツは魔法全開で張り切っていた。という話の流れがあった。




 話を戻す。

 ファルソ村の中でも、ルシャの母親であるルスイは水系統。特に癒し系魔法師として優秀と評判だそうだ。

 ルスイは額に汗をかきながら、村人達に癒しの魔法を掛けていた。その姿はおっとりとした女神そのものだ。

 集まった村人の半分ほどを清め終わったところで、少し休憩させてください。と息を弾ませているその艶っぽい美しさに見とれていたクロイツに少し怒りを含んだ声がかかった。


「そんな目で母上を見るんじゃない」


 鋭い眼光は鷹のごとく、碧く大きい瞳がクロイツを睨み付けていた。

 そんな瞳にもひるまなくなってしまった自分が恐ろしい。慣れとは偉大だ。


 それにしても、自分がどんな目でルスイを見ていたのか……よほどのアホ面をしていなかったかだけが気になる。


「ルスイさんの魔法で体を清めてもらおうと思ってね。しかし、魔法というのはとても疲れるものだから無理はさせられないだろ? だからこうして順番がくるのをおとなしく待っていただけだ」


 全身に汗を吸った泥臭い服に包まれているとさすがに滅入る。しかし、それを我慢してルスイの体調を優先させる。クロイツの男気レベルが上がった。



 そんなクロイツを見ながらルシャがいう。


「ならば……私がやってやろうか?」


 珍しく、いつもの高慢とも言える自信が感じられないような物言いに、クロイツはハテ? と首をかしげる。こいつは魔法が得意だったはずだが……?

 ルシャの言葉を聞いた村人がざわめくようにルシャから距離をとった。事情を知らないものたちはキョトンとその様子を見守っている。


 ゆっくり休んでいたはずのルスイは驚いて口をひらく。


「ルシャ? あなたの魔法は優れていはいますが、それは攻撃性のみに限った話。清めの魔法でルドキュを倒しかけたのを忘れたの?」


 その声は咎めるような口調を含んでいた。


 ルスイに咎められたルシャは、少し心外そうな顔をしながら、これを見てください。と言うと自らに清めの魔法を掛けた。

 ルシャの体をふわりとした水が覆っていく。ルスイよりは少々丸みを帯びた玉に近い形だが、それでもしっかりしたものだった。それは、ルスイのものと同じく、地面へとゆっくり消えていった。





 クロイツは、ルシャの得意な水系統の魔法を見せてもらっていた。

 見せてもらったのは大きな水玉を作って相手にぶつけるとか、短剣に水の刃を付与させて伸縮自在の刀にするとか……

 あれ、確かにルスイが言っていたように攻撃的なものだけだっただけな気がする。


 ああ、だからだろう。ルシャが癒し系の術も使えると知って新鮮さを感じるのは。



 そんなことを考えていたクロイツの脇で、ルスイはハラハラとその様子を見守っていた。

 ルシャの魔法が無事完了したのを見届ける。


「そうですね、あなたも成長しているのですね」


 ほっとした表情で語りかけた。


 しかし、まだ人に試すのは危険だと難色を示したルスイに対して、ルシャは残念そうな表情をしていた。


 

 それを見ていたクロイツは、早くすっきりしたいのと、ルスイの負担が減るならばと考えて、試しにルシャにお願いすることにした。

 クロイツさんが良いのなら、としぶしぶ了承してくれたルスイ。


「じゃ、よろしく頼む」


 クロイツはルシャに声を掛けた。

 ルシャは妙にうれしそうな笑顔で頷くと、クロイツに清めの魔法を掛けはじめた。


「セガレナ・ケプルコゾモメゾティ・キティ――」


 息を止めたクロイツの体を、ふわりとした水の感触が包み込む。

 それは適度な冷やっこさを含み、とても気持ちが良いものだった。あとはその感触が頭から足へと抜けていけば魔法は完了。のはずだった。


 しかし、クロイツが少しまっても冷やっこい水はなかなか引かず、妙だな? と思い、つぶっていた目を開けた瞬間、自分を覆った水が重量感を増した。


 「ルシャ!!!」


 どこからか響いた女性の声がかすかにクロイツの耳に届く。

 クロイツは、水の中へ飛び込んだような感覚に襲われると同時に、渦を巻き始めた濁流に飲み込まれた。水が肺を圧迫し、空気を押しだすのがわかる。

 キュアラが咄嗟に判断し、慌ててクロイツに風の鎧を発動させた。そして少しおいて、クロイツは体に軽い衝撃を受けると共に、木々の間に叩きつけられていた。



 事情を知る村人達は、その様子を恐々と見守っていた。

 ルシャの放った清めの魔法により、旅人を水が覆い。あとはそれがゆっくりと下がるだけ。魔法が成功したと思い、安堵した村人達は、次にその楽観が甘かったことを思い知らされた。

 旅人を覆う水は濃さを増していき、玉状の水の塊となった。中で水が渦巻き始めると共に魔法はルシャの制御を離れ、みるみる暴走し始める。

 

「ルシャ!!!」


 ルスイが叫び、止めに入ったがその声もむなしく、力の行き場を失った魔法は、水の中に旅人を含んだまま、花畑を越えて森の中へと見事な弧を描くように消えていき、


「ドンッッ」


 鈍い音が森の奥から遅れて響いてきた。



 村人達はそれをただ、言葉もなくシバシバと眺めていた。




 ルシャは言葉を失いながら、クロイツを含んだ水の塊が、山の森へ落ちていくのを見ていた。


 昔、母に教えてもらった清めの魔法。それを父であるルドキュに掛けた際に、今、目の前で起こったような事件を起こしてしまったことがあった。魔法の途中で、その記憶が蘇り、イメージが鮮明になるにつれて、魔法は自分の意思から離れていってしまい、制御が出来なくなってしまった。

 今はただ、終わってしまった出来事を眺めていた。


 言葉を失った村人達は、周りの空気が幾分か寒くなったようにそれを見守っていたが、一人の村人が森を指差して「おい、あれを見ろ!」と言った言葉に、皆目を見開いた。



 水玉が落ちていった森の方角を眺めていたルシャの目に、一人の男が漂々と現れてこちらへと向かってくるのが見えた。その足取りは先ほどの出来事が嘘のように軽やかだった。


 唖然としながら見つめていた村人やルスイを尻目に、クロイツは村に戻るなり一喝した。


「ルシャ! 何をするんだ!!!」


 普段あまり怒らないクロイツだったが、精一杯とりあえず怒って見せた。そういえばルシャに怒ったのは初めてかもしれない。

 いやはや実際のところ、水に洗い流されて服はずぶ濡れだったが、むしろ汗を水で洗い流せたのでいっそ清々しい気分ですらあった訳だ。




 今にも泣き出しそうなほど、碧い瞳に大きな涙をたたえたルシャがクロイツの胸に飛び込んできた。

 抱きしめられたクロイツは、激しくそれに狼狽し、その場でビシッと動きを停止させる。胸が……ルシャの温もりが伝わってきてすべてがぶっ飛んだ。


 年のころ15~16歳程度の小娘といっても相手は美少女だ。先ほどまでの怒りはあっという間に四散してしまっていた。むしろありがとう?



 その光景を目を丸くしながら見守っていた村人達の中で、いち早く我を取り戻したルスイは、クロイツが忘れてしまった怒りを引き継いでくれた。


「ルシャ! クロイツさんにちゃんと謝りなさい!」


 ピシッとした声が辺りに響いた。

 ルシャはクロイツの胸に顔を押し当てたまま、ごめんなさいと謝ってくれた。その声は今にも消え入りそうなほどか細いものだった。


「……そもそもは自分がお願いしたことですから」

 

 その様子にすっかり当てられたクロイツは、ルスイに無かったことにするように懇願した。


 ルスイは半ば事の成り行きが信じられないといった風だったが、クロイツを見据えて頷くと、抱きつくルシャもろともクロイツに清めの魔法を掛けてくれた。

 あれだけずぶ濡れていた服があっという間に乾いたのに感動しながら、クロイツはルスイにお礼を言った。


 尚も呆然としている村人を置いて、クロイツはスタスタとケイトの元に向かった。

 抱きついているルシャの感触が心地が良かったが、日が照りつける道を数メートル歩いただけで、さすがに暑苦しくなっていた。


「あんた? 大丈夫なのかい??」


 ルシャに抱きつかれたままのクロイツにケイトは驚きの声を上げた。


「残念ながら無傷です」


 首を横に振りながらクロイツは答えた。

 その様子にあきれたケイトはただただ笑っていた。




 ケイトと共に昼飯をいただいていたクロイツの元へルドキュ村長がやってきた。


「クロイツ殿、村人から話は聞きました。いや、娘が迷惑をおかけしたようで、申し訳ありません」


 その声はとても恐縮したものだった。

 ルドキュ村長が傍に来た頃には、ルシャはクロイツから離れていた。今はその目元と頬をピンク色に染めて、クロイツの傍にうずくまって座っている。

 自尊心の強いルシャを(イジ)るつもりがなかったクロイツは、ルシャをそっとしておいたのだった。


「無傷ですか……これはすごいのぅ」


 そういえば第一被害者はルドキュ村長だと聞いていた。倒しかけたとは一体どのような状況だったのか? 少し興味があるところだ。


 クロイツはルドキュ村長と目配せをして沈黙のうちに互いの無事を祝いあった。


「今宵は良いお酒を用意しておきましょう」


 そう、言葉を残してルドキュは去っていった。







 お昼の休憩も終わった頃……、


「本当にすまない」


 頭を深く下げて謝るルシャが目の前にいた。

 その声はいつもよりも低くドスがきいている。


 クロイツはそれをどうしたものかと悩んでいた。怪我もしなかった身としては怒るにも値しないどーでもよい事柄だった。

 しかし、根が真面目な彼女はどーしても何かしらのケジメとやらをつけたいようだ。

 これが男女逆の立場であったら責任を取って結婚するよ! とか的なイベントになるんだろうが……。


 悩んだ挙句話し合いをしてみることにした。


「まず、怪我もしていない俺からしてみれば、昼間のことは別に怒るに値しないし……、第一自分からお願いしたものなんだからね」


 反論の声を上げようとしたルシャを無理に制してクロイツは続けた


「それでも何かしてくれるというならば……」


 といったところでクロイツは言葉に詰る。正直言って、ルシャの家にここ数日お世話になっているだけでも十分よくしてもらっていた。

 しばし考えた後、無難な答えを閃いた。


「これは貸しでいいよ」


 ルシャはキョトンとしながら「貸し?」と首をかしげる。


「俺がもし、困ったことがあったら助けてくれ。それで貸し借りチャラだ」

 

 その言葉を聞いたルシャは笑顔に戻って頷いた。

 こういった切り替えの早い素直なところがルシャの持ち味だな、としげしげと眺める。



 

 クロイツは思い出したように午後の作業へと移って行った。


『貸しといえば、キュアには助けてもらったな。ありがとう』

『貸しにしておいてあげます』

『いつかお返しできるよう頑張ります』


 吹き抜けていくような清々しい風を内に感じて、クロイツは苦笑しながら答える。

 午後の作業も、さっそくキュアラに風の鎧を発動してもらった。







 午後の麦刈りが始まった。

 風の鎧を纏ったクロイツの身のこなしは、午前中から引き続いて村人を大いに驚かせていた。

 人とは思えぬ速度で、瞬く間に麦を刈り取っていくその手際は雑身がなく、美しさすらある。

 熟練した村人の十倍の速さで仕事をこなしていくクロイツの働きのおかげで、例年なら二日程かけて完遂する仕事も、一日も日を折り返したところで終わろうという勢いとなっていた。



 村人の感心をよそに、黙々と働くクロイツは、日がまだ高いうちに全て刈り終えるまでに至った。風の鎧を使ったにしろ、我ながら良くやったとクロイツは自分を褒めた。



「おつかれさま。大活躍ねクロイツさん。少し休んだほうが?」


 そう語りかけるルスイは少し疲れた様子だった。


「ルスイさんこそ大丈夫ですか?」

「少し魔法を使いすぎたみたい」


 心配するクロイツに、ルスイは笑顔で返した。

 しかし、ルスイは明らかに無理をして笑っているのが見て取れた……。



 二度目の清めの魔法を掛けてもらおうとルスイのところへやってきたはいいが、これ以上は……とクロイツが思案していると、


『クロイツさん。この方に癒しの魔法をかけたらどうでしょうか?』


 キュアラが提案してくれた。なるほどその手が! 


『精霊術も魔法だもんね。ルスイさんも他人にかけてたし、そうだね出来そうだね。なぜこんな簡単なことに……と俺がそんな苦悩をしてる間に、キュアラさんお願いします』

『はい!』


 透明な飴細工のような手が、するりとルスイへと伸びていく。あっというまにルスイを包み込んだかと思うと、キュアラが癒しの術を発動させたのがわかった。


「はぅ? えっ!」


 突然軽くなった体に、ルスイは普段あげないような声をあげた。

 ルスイが驚いたのは無理もない。体の疲れが完全に取れただけでなく、魔力まで完全に回復していたのだから。

 


『クロイツさん、終わりました。魔力も減っていたようなので補充してみたのですが……』

『ありがとう。助かったよ』


 キュアラは事後承諾となってしまったことを申し訳なさそうに、遠慮がちに聞いてきたがそれはまったく問題ない。

 クロイツはキュアラを信頼している。

 別段気にする様子もなく、心からキュアラにお礼を言った。


「今のは? クロイツさんの魔法ですか?」


 ルスイは少し驚いたように聞いてきた。


「風系統が得意なんです。癒しの術をかけさせてもらました」


 どうやらルスイにもキュアラを認識することはできなかったようだ。



 一方、ルスイは癒しの術で魔力まで回復するなんて? と疑問に思うことがあったが、日々、クロイツの非常識な魔法を見てきたので暗に納得し「ありがとう」と笑顔で返すにとどめた。

 そして「お返しです」といいながら、満面の笑顔でクロイツに癒しの魔法をかけた。







 麦刈りの流れは、村の戦士達が刈り入れをし、子供達が麦束を運び、女性達は適当な日陰の下で待っており、千歯扱き(せんばこき)をつかって穂から実を採っていく。採れた実を集めたものを、木の板の上にばら撒くように置いて天日干しにし、麦の実を狙う小鳥達を子供たちが追っ払うといったものだった。


 刈り入れは既に終わらせてしまったので、今は穂の束を女性達の元へと運んでいく作業だった。


 子供たちの「クロイツさんすごいー」とキラキラした瞳を背に受けながら、麦の束を瞬く間に運び始めるクロイツ。そこまできて、ふと思いついたことがあった。



『キュア、少し聞きたいんだけど、風の鎧も他人にもかけられたりするのかな?』


 収穫後に気がついても仕方がないような思い付きだった。


『魔法としてかける分には可能です。ただし、こめる魔法量によって強度や継続時間に制限が生まれますが……よろしいですか』


 おー…………出来るんだ!!!!


 脱力しそうになりながら、笑みを浮かべる。

 どーせなら早く終わったほうがいいだろうと子供達を集めた。

 五人ほど集まった村人の子供たちは7歳~11歳くらいで、この炎天下の中を走っていたにもかかわらず、色白い肌をしている。不思議だ。紫外線に強いのかな? と思いながら、クロイツはキュアラにお願いして、子供たちが怪我をしない程度に調整してもらいながら風の鎧を掛けることにした。


 森の中を走っていたような強度はいらないだろう。細かい調整は面倒なので、その辺はキュアラにまる投げする。

 例のごとく飴細工の手が無数に枝分かれをして、子供たちを包み込む。



 風の鎧を掛けた子供たちが飛び跳ねる。飛び跳ねる高さはなんと5mを超えていた。

 まるで大きなノミだな。とその様子をみていたクロイツは再び「集合ー!」と声を掛ける。

 クロイツを尊敬している子供たちはいう事を良く聞いた。


「よーし。今からみんなで競争します。麦の束を多く運んだ子の勝ちです!」


 体操のお兄さんのような声をかけるクロイツに、子供たちは嬉しそうにはしゃぐ。


「んじゃ、よーい どん!」


 それを合図に子供たちはめまぐるしく動き始めた。


「あはー! クロイツさん? 子供たちに魔法かけたのかい?」


 子供たちを見守っていたクロイツに、声を掛けてきたのはステラだった。

 村の門番の一人だ。


「あー、働いているときに思いついたんですけど、予想以上でした。初めから使っていればなぁ…………………………」


 せわしなく動く子供たちを眺めていたクロイツは、なぜ早くもっと気付かなかったのかと猛烈に後悔しながら自嘲的な笑みを浮かべていた。

 

「試しに俺にもかけてもらいたいねぇ」


 ステラはクロイツより若干年上で、最初に会ったときは非常に寡黙な印象を受けていた。

 しかし、実際はクロイツよりも随分と若者風の性格な持ち主で、そんなステラはぜひぜひという瞳をしながらクロイツにお願いしてきた。


「あまりはしゃがないで下さいよ」


 クロイツはステラに忠告しながら風の鎧を纏わせた。


「こいつはすごい」


 子供のように走り去っていくステラを見て、人間、意外な一面があるものだと見送ると、自分も子供たちに負けてられないと再び麦運びの仕事に戻っていったのだった。







 クロイツの予想通り、風の鎧をまとった子供たちは良く働き、瞬く間に麦運びは終了してしまった。

 クロイツは子供たちを再び集め、掛けた魔法を解除すると全員を褒めながら、頭をなでてやった。

 皆うれしはずかしそうにしながら喜んでいた。


 うん、素直ないい子達だ。


 仕事のなくなってしまった子供たちは「クロにいちゃん遊んで~」と可愛くクロイツを誘惑してくれた。

 しかし、村人達が忙しそうに働いているのに自分だけが遊ぶわけにもいかない。


「ごめんね。まだ仕事があるんだ」


 子供たちにそう言ってその場を離れた。



 山高くつまれた麦の束を、女性達が千歯扱きを使って実を分けている。

 しかし、これはクロイツが手伝いたくても台数が決まっているので見ているしかないようだ、なにか手伝えることはないかとうろうろしていると、村の仕事を同じく手伝っているケイトがいう。


「あんだけ働かれちゃ、こっちが恐縮してしまうよ。あんたはゆっくりそこで寝転がっていればいいよ」


 笑いながら言うケイトに、村の女性達もうなずいて笑っていた。





 いつの間にか、俺はルシャに毒されていたらしい。何かをしていないと申し訳なく思える日が来るなんて思いがけない成長だ。

 

「ではしばらく散歩でもいってきます」


 そういって、村の居住区へと向かうことにした。 






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