第八話 ワゾク長老とクルク
三大岩。古代からより天文台として使われてきたその場所に、四人の人影があった。
その四人の人影は、今は太陽の星読みを終えて、三大岩の空洞で食事をしながら談笑している。
今日の朝食は、ルシャとクロイツが村から持ってきたパンと牛乳と鹿の燻製肉、そして昨夜こんがり焼いたルクドノイ。少々のお酒はワゾク長老の提供だ。
夏至の星読みは大成功で、ワゾク長老、ルシャ、クルクが測定した太陽光の差込角度を計算したところ、皆一致して、12日後に夏至であるという結果を得たらしい。
「うむ。ルシャに感謝じゃな」
朗らかに笑う老人と、その脇で跳ねるような勢いのクルク。
「三つ一致すれば間違いありませんもんね。もし二つの測定結果だけだと、結果がずれたときにどちらが真実か分からなくなりますからね。本当にルシャさんに感謝です」
ワゾク長老とクルクから労いの言葉とお褒めの言葉を聞いたルシャは、珍しくホッとした表情を浮かべて、それに答えていた。
「そろそろ朝食にしましょうか」
クルクの愛らしい声を聞いて、今回まったくなにも活躍することのなかったクロイツは率先して働き、すぐに持ってきた食料を広げて、皆の朝食の準備をてきぱきとこなした。
そして、現在に至っている。
当初、会話の話題は、もっぱら天文学だと思っていたクロイツだったが、いまその話の中心にされているのは自分の事だった。
予想に反して、ワゾク長老もクルクも、先ほどからクロイツの話ばかり聞きたがったのだ。当然といえば当然であるのかもしれない。
あまり詳しく聞かれると話がややこしくなるかもしれないと危惧していたクロイツだったが、その危機は昨日、ルドキュ村長やルスイさん、ルシャも含めて旅の話などを散々聞かれた時にも乗り越えていた。元いた世界でバイク旅をしていた経験が役に立った。適当な話題を振ってやればそこに食いついてくるのだ。
しかし、学者と思しき二人を相手にするのは少しばかり勝手が違ったようだ。
「クロイツ殿は旅人という話じゃが、どこの国から来たんじゃ?」
「日本という国です」
興味深げに問うワゾク長老に、クロイツは素直に答えていた。
ルドキュ村長の時には『ほぅ、私も知らない国ですのぉ?随分と遠くから来られたようで、あっはっは』と笑って済まされてしまった問いだったが、学者二人の反応は異なっていた。
初めに首をかしげたのはクルクだった。
「ワゾク長老? ニホンという国をご存知ですか? 僕の記憶には見当たらないのですが」
その瞳は愛らしい姿とは裏腹に、真剣なまなざしをしており大人びて見えた。
「ふーむ」
自分の肩まで伸びた髪を指でくるくると巻くような仕草で考え込んでいたワゾク長老。
「聞いたことがないのぅ。大陸中の国名くらいは把握しておるつもりでおったが……新しく出来た国か、外界……かの?」
うぉ。とクロイツはあせる。
まさか旅のこんな序盤で《大陸中の国名》を把握してるつわものに会うとは思っていなかった。学者と聞いたときから警戒しておくべきだったか。
だがもう遅い。会話の初めから果てしなく面倒な流れになってきた。
相手を誤魔化し通すのは難しそうだ。なまじ、嘘は言わないと宣言して村に入ったので、最後の手段は黙秘しかない。しかし、それをするのもいかがなものか…………と。
そんな狼狽をクロイツに感じ取ったのであろう、ルシャがいう。
「クロイツ。何か隠してないか?」
淡々とした碧い瞳がクロイツに向けられる。
無言の圧力と言うよりも、それは例えるなら聖なる気だとクロイツは感じていた。
クロイツの後ろめたいという気持ちを刺激し、この上なく悪いことをしたと思ってしまうような。そんな力をルシャは持っている……そんな気がする。
「嘘はついてないぞ!」
「うん。嘘は言っていない。だから何か隠してないかと聞いたんだ」
やんわり声で反論するクロイツに対して、ルシャは追及の手を緩めることはなかった。
クロイツはしばし考え込んだ。本当のことを話すべきか否かと。
「話したく無いことなら無理に話さなくてもいい」
そんなクロイツの様子を見たルシャは、決まり文句いってくれた。
だが、クロイツの心の中に、もやもやとしたものが成長しているのがはっきりと分かる。
相手に隠し事をしているという事を、隠し通せなかった時点でダメだったのだ。心に息苦しさを覚える。
「話したくないというわけじゃないんだが、自分自身がよく分からない上に、理解してもらえるかが問題なんだ」
ルシャとクルクははてな? と首を傾げたが、ワゾク長老は深く頷いてクロイツに言った。
「なにやら事情がおありのようじゃの? どうじゃろ。ひとつ話してはくれまいか? 他言はせぬよ」
ワゾク長老の真剣な眼差しは、まるでどこかの王国の賢者か、あるいは大きな伝統ある学校の校長先生のように威厳があふれるものだった。それは瞳で語りかけてくる力を湛えていた。おそらく、クロイツがどんな突拍子もない話をしたとしても、理解してもらえるだろうと。
異世界にきて、そういった人間に出会えたことにクロイツの顔からは笑みがこぼれた。
そして、告げることにした。
「自分は異世界から来たんです」
ポカンとした顔のルシャ。聞きなれない「イセカイ?」という単語を呟く。
考え込むような顔をしたクルクも、イセカイが分からないようで、答えを求めてワゾク長老を見つめていた。
そんな二人をおいて、ワゾク長老は「そうか。ありがとう」とだけクロイツに告げた。その顔は妙に神妙な面持ちで、何を考えているかは窺い知れなかった。
「ワゾク長老!イセカイとは何ですか?」
クルクがワゾク長老に説明を求める。
ワゾク長老は、ふぅと深い息を吐いた後、両手の指を握るように交差させながら口を開いた。
「うむ。そうじゃの。クロイツ殿はそうだな、クルクやルシャに分かり易く言えば“ワイナレスシモン”の人間版じゃの」
ワゾク長老の顔は笑っている。声も穏やかだ。
しかし、それにしてもワイナレスシモンってなんだ? とクロイツのほうが逆に疑問に思う。
何かの儀式か、はたまた面白そうなマジックアイテムのような名前だが……。
静かに黙って事の経過を見続けることにする。
一方で、ワイナレスシモンと聞いたクルクが興奮していた。
「ワゾク長老! それは本当ですか」
落ち着いているワゾク長老とは対照的に、明るく嬉々としている姿はそのまんま子供だ。新しい発見をしたような喜びに満ち溢れているのだろう。
一方のルシャは、イマイチ状況が飲み込めず首を傾げるばかりだった。
「ワイナレスシモンとはなんなのですか?」
ルシャの質問にクロイツは心の中でナイスだと叫ぶ。
ふむ。と頷いたワゾク長老。
「それはクルクのほうが詳しいかもしれんの」
ワゾク長老がクルクを見ると、クルクは目を輝かせて説明を始めた。
「ワイナレスシモンとは、その時ある瞬間からそこに存在しはじめるもの。という意味がこめられた言葉です」
クロイツはそれを聞いてワイナレスシモンという言葉の意味を理解した。
異世界という概念がないするならば、そのとらえ方は事実だけをもとにした情報であるので、非常に正しい。
まぁ簡単に言えばいきなりそこに現れたもののことやその現象自体を、彼らはワイナレスシモンと呼んでいるのだろう。
頷くクロイツの横で、それが理解出来ないルシャは苦悶の表情を浮かべていた。自分だけ理解できないのがくやしいのだろう、不機嫌なオーラが漂い始めている。
それを感じ取ったクルクは急いで言葉を続ける。
「ルシャさんは僕が通っている“ギィミドパシィ魔法学校”をご存知ですよね?」
「あぁ知っている。クエイス公国のどこかにあるという、宙に浮かぶ島に建てられた学校だろう?」
魔法学校? 宙に浮かぶ島!? 思いもしないファンタジーな会話に驚いたクロイツは興奮する。
ルシャも知っているということはかなりこの世界でも一般的なのだろうか。
「ルシャさんの仰るとおり、ギィミドパシィ魔法学校は宙に浮かぶ島に建てられています。島の名を“ルンドブース”。実はこれが先ほどワゾク長老の仰った、ワイナレスシモンと呼ばれているものなんです。ルンドブースはクエイス公国にもともとあったものではなく、クエイス公国歴でいうと238年に、突如として渓谷に現れました。今が2010年なので、約1770年前のことになりますね。ワイナレスシモンは、突如としてそこに存在し始める現象、あるいは存在。それらを総称して指す言葉として用いられるものなのです。有名なところで言えば、シーラ地方アムイ山脈のドラゴンであったり、アルノード共和国に所管されている戦艦ディーディブローズなどがあります。学者達の間では、ワイナレスシモンは時代や場所を越えて転送されてくる自然現象というのが一般的な考え方です」
矢継ぎ早に話すクルクに対して、ルシャは理解しようと冷静に聞いていた。
そこへワゾク長老が言葉を引き継ぐ。
「そのワイナレスシモンについては数多の説が言われておるのじゃが……その中にあまり知られてはおらんのじゃが、イセカイと呼ばれる存在があっての。少し理解しずらいと思うが、そういうものだと解釈して聞くのじゃよ? 本来我々がいるこの世界。ここをルーティアの世界とする。世界とは不思議なものでな、実はより合わさるように他の世界も存在しておるそうじゃ。それは大陸や、海や、空などの、我々の目で見え感じ取れるような自然で隔たれたものではない。言葉で言い表すとしたら世界は世界によって隔たれ存在しているのじゃ」
理解できるか? と問うワゾク長老に、ルシャはなんとなく。と答えた。
クルクもそんな学説が、と目を丸くしながら感心して聞いている。
やさしい笑みを浮かべてワゾク長老は語る。
「かくいうわしも、イセカイの存在など信じておらなんだ。証明自体が出来ない事柄なんじゃよ。しかし、クロイツ殿が自らそういうのならば、本当にイセカイがあったということじゃの。ワイナレスシモンの正体が全てイセカイから来たものと決め付けるには早いと思うが、ここに確かな可能性が示されたのは事実じゃ」
少し苦悶の表情を浮かべていたルシャはそういった。
「違う世界からクロイツが来たことは理解しました」
ワゾク長老の話を聞きながらクロイツは考えていた。
異世界を理解できるかどうかは、頭が良いか否かは問題ではない。異世界という存在に触れる機会があるか否かだと考えていた。クロイツの世界でもそんなものは空想の産物に過ぎなかったわけだし……巻き込まれてしまう前のクロイツならば、異世界から来たといっても信用しなかっただろう。
だからこそ、その存在があると言い張る者の方がむしろ稀なのだ。長い時間、この星に存在しているキュアラのような精霊と呼ばれる存在ならばいざしらず、短い命である一介の人間が異世界に気付くことは難しいだろう。
「ワゾク長老は……こちらの世界で名のある方とお見受けしましたが?」
クロイツは自然と口を開いていた。何者なのだろう?
訊かれたワゾク長老の笑顔が、少しだけ曇ったように感じたがゆっくりと語りだしてくれた。
「わしは昔、とある学校の教師をやっておったのじゃよ。イセカイの話は、そこでひとつの可能性として語られていたものじゃ。イセカイから来たものに、イセカイから来たといわれれば、もはや信じるしかないのぅ」
笑うワゾク長老の顔には、最初に会ったときのような、キラキラとした瞳が復活していた。
「今はこの三大岩の天体観測所近くにゆっくりと隠居しておるじじぃにすぎん。ファルソ村にたびたび出向いて、魔法の指南をすることもあるが」
ワゾク長老はクルクを見つめる。
「そういう機会に、こんな干からびたわしを慕ってくれる、特異じゃが優秀な弟子が出来ることもあっての。世のめぐり合わせとはまこと面白いものじゃ」
微笑むワゾク長老。見つめられたクルクは、尻尾があればパタパタと振っていただろうと思えるくらい嬉そうにしている。
「ふむ。そうじゃの」
「クロイツ殿がワイナレスシモンならば、この世界に疎かろうて? しばし、ファルソ村で生活するのであれば、わしがいろいろと知識を吹き込むこともできるのじゃが……いかがかの?」
「見返りは異世界の話ですか?」
にんまりとキラキラした瞳で笑うワゾク長老と、輝かしい瞳をしたクルクを見ながら、クロイツは思索にふける。
クロイツにとって、キュアラ以外の、この地に住まう人間の意見は大変有難い。事情を話した上で理解し、協力してくれるというのであれば願ったりだった。
「まぁ、しばらくはクルクと研究に忙しいのでな、なかなか時間はとれんとは思うが許しておくれ」
「いえ、それはかまいません。ルシャに教わることもまだまだ多いですから」
「ふぉふぉ。そうじゃのぅ。まずは生きるために必要な知識が必要じゃからな。そのほうが良いじゃろう。わしとの話はその後でなゆっくりと」
○●○●○●
天文観測からの帰り道。
クロイツはルシャに気になったことを聞いてみる。
ルシャがクロイツの話を聞いて自分を気味悪がるのではないか? と少しばかり覚悟していたのだが、横を歩く少女は平然と、いっそ清々しそうにしていたのが気になったのだ。
「旅人らしからぬ風体に、ようやく納得がいった」
玲瓏な声で答えてくれたのにルシャ。どうやら異世界というものを理解したうえで自分と向き合ってくれるらしい。
「だがやはりこの話はややこしいので村人には黙っておいたほうがいいだろう」
「そうだなぁ。誰かさんは苦悩の表情を浮かべていましたからねぇ」
銀髪碧眼の少女は馬鹿にするなといった表情で言い返してきた。
「どうせお前がどこから来たやつであろうと旅人は旅人だ! そのことでお前に対してみんなの態度が変わるわけでもあるまい? ならば余計な混乱はさせないほうがいいだろう? と私は言っているのだ」
「たしかに。みんな良くしてくれるからね」
最初攻撃されたときはどうなるかと思ったが、いやはや、今は本当にみんな温かく接してくれる。
特にルシャと、ルドキュ村長やルスイさんには感謝しても仕切れないほどだ。恥ずかしくて直接そんなこといえないけど。
「そうだよ。ルシャ! お願いがあるんだけど……」
そう、クロイツは大切なことを忘れていた。
真剣なまなざしを向けたクロイツにルシャは怪訝そうな瞳を向ける。
異世界、村人、知識人…… その次って言えばやっぱり!
「村に帰ったら魔法教えて!」
――楽しみです。