第四十三話 クエイス公国 首都スーセキノーク!
クロイツはフーネの甲板から間近に迫った山脈を一人ぼんやりと眺めていた。
ラディオサイズと呼ばれる水中限定推進力派生装置を搭載した最新鋭の高速魔工動力船は、イナート川の流れに逆らいながら、大型のフェリーのように振動もなく川を進んでいく。
どこまでも続いていると思われた川にもようやく終着点が見えてきた。川は正面にうっすらと見える北の山脈の麓へと消え、その手前には山脈に囲まれた最後の平地が見えた。切り立った山脈からじわりと広がった山裾には、低い背丈の草木が広がり、キルクと呼ばれるまん丸な羊が群れをなしているのが見える。
山脈に囲まれた入江のような場所であった。立っているだけでも少し空気が薄くなったように感じる。おそらくここは、標高千メートルくらいはあるのだろう。そんな大地からさらに見上げる山脈の峰は、標高二千メートルを楽に越えているはずだ。
黒色の険しい山頂を超えてきた風は、少し冷たさを含み心地よかった。
軽く背伸びをして通り過ぎていく風を吸い込むと、夏の高原を思わせる程よい冷たさが体を満たしてくれる。
『クロイツさん。風に含まれる魔力が少しだけ濃くなってきましたよ。分かりますか?』
『いや……よく分からない』
世界には魔力が満ちている。
風の精霊であるキュアラ曰く、それにも濃淡があり、魔力が強いところや弱いところがあるらしい。
『近くにラーフがあるのかもしれませんね………………近くの精霊の話だととある鉱窟の中にラーフがあるようですよ。とてもきれいなところだそうです』
『……風の精霊ネットワークは相変わらず世界を網羅してるねぇ』
謎の風の精霊ネットーワーク。
クロイツにも感知できない不思議な通信によって、キュアラは自身と同じ、風の精霊たちと連絡を取り合っている。
風の便りを出している、というのは以前にも聞いたとおりだが、クロイツはキュアラ以外の風の精霊にあったことがない。
そもそも、交易の街アソルに始まり、クゥサノ湿原、渓谷の港アンプ……あらゆる場所に風の精霊は存在していたそうだ。ただ、それが極めて知覚しにくいという話であるらしい。
キュアラのように興味本位? で存在を固めてくれるほうが稀有であるといえるだろう。
朝の稽古と朝食が終わり、キュアラとのんびり会話しつつ、ほっと一息つくころ、ここまで来ると人も多くなり、クエイス公国人と思われる赤い髪をした者たちがよく見られるようになった。
木製の小船を浮かべて魚を取っている者や、左右に水車のようなパドルを取り付け推進力としている大型な外輪船もちらほら見えている。これからアンプに向かう船もあるようだ。
そんな無数の船の間を、謎の箱舟フーネは突き進む。外見からして、船が最低限進むために必要であると思われる推進力があるように思えないこの船は、目に見えない水中にラディオサイズと呼ばれる魚の尾ひれのようなものが四本ほど取り付けている。明らかに突出した技術であるようで、クエイス公国の人々にもまだ珍しいのだろう。通り過ぎる際に見えるあっけにとられたような表情が少し面白い。
「クロイツ、あれがスーセキノークの入り口だ」
と、ルシャに指で示され説明されたのがすでに三十分前の出来事で、一向に近づかないな、と思っていたそれは、イナート川の上流、向かって右手にずっと見えていた。
高さにして千メートルを超える黒い峰が連なる山脈。その合間に並ぶように一際白く浮き出て見えていたそれは、そこだけが大自然と切り離され、しかしそれでも大自然と肩を並べるように調和し、そこにあった。
「……でかいな……」
見上げる高さは山脈より少し低い程度。
横幅は山ひとつ分。
あまりにも巨大な灰色の門が、そこにあった――。
「……あれが門か? あの山が」
ゴウゴウという音が聞こえてきそうな門を前に、クロイツは呻くような声を上げた。
意匠を凝らした門というわけではない。ただシンプルに、ただ大きく。
……どう考えても山ひとつの材質がなにか別のものに変えられ、細工したのだと素人が見てもわかってしまう。
「あれがスーセキノークの玄関口。“レグゾイの門”と呼ばれている建物よ。山一つを加工する技術はクエイス公国くらいしか持ってないんだから」
ホノカの誇らしそうな言葉に素直に頷いてしまいそうになる。
山脈と肩を並べる巨大すぎる門……もとい玄関口にあたる建物は、やはり麓までくると全体を把握することはできないようだ。
そそり立つ灰色の壁は恐ろしいほど垂直に天高く伸びており、上から何か物でも落ちてきたらと思うとゾッとしてしまう。
恐ろしいほど大きな玄関口に比べて、川の水を引き込んで作られた、極めて小さな船着場は、それでも横幅が二キロほどあった。
船着場の一角、比較的人影がまばらな、白い石畳で作られた綺麗な船着場に、フーネは静かに着いた。
「やっと到着か」
クロイツは船着場に着くと、フーネの甲板から飛び降りて久しぶりの地面を踏みしめた。少しばかり体が上下に揺れる感覚は船酔いによるものだろうか。
二日ほどで航路をブッ飛ばしてきたので早いほうだとは思うが、フィヨルドのような水路をひたすら進んでくるのはさすがに飽き飽きしていた。
何より遠くに見える人ごみが冒険心をほのかに刺激する。
「クロイツ。急ぎたいのは分かるが、何も持たずにどうするつもりなんだ」
甲板にいたルシャがあきれた口調と一緒にクロイツの簡素な旅袋を投げおろしてきた。
「あっちの人だかりが気になって」
クロイツは袋をうまくキャッチすると、門の麓へと目をやった。
人の群れが少し離れた場所に見えていた。交易の街アソルよりも賑わっているように思える。
むしろ対照的に人が少ないこちらのほうが異常だと思えた。まぁ、普通に考えるならば、閑静なこの船着き場はお金持ち様のプライベートなものだと容易に想像できるわけだが。
フーネの横腹が音もなくゆっくりと開き、船着場とフーネに橋ができた。
中からさらりとした黄金色の髪をなびかせて、狐の耳と尻尾を持つポルがテッテッテとかけてくる。
クロイツはポルを抱きしめるように迎え入れると、流れるように持ち上げて、肩車をした。
ルシャもフーネの甲板からひらりと飛び降りてくる。普通ならちょっとした衝撃で足が動かなくなる程度の高さはあるはずなのだが、いまさら何も言うまい。
さて、残るは後は一人といったところで、フーネから猛々しい男の怒号が聞こえた。
「ホノカ様! お待ちくだされぃ」
ホノカがフーネから飛び出してきた。
いつもの制服姿ではなく、いかにも旅人らしい白い清楚な服に、薄手の赤い刺繍が入った上着を着ていた。
髪色を赤にしている状態を街娘モード(クロイツ命名)といい、ホノカが身分を隠して街を探索する際に使用するものとクロイツは解釈していた。
「もう。本当にグレオートって頭が固いんだから。ちょっと寄り道するくらいいいじゃない」
眉を少し吊り上げて、肩で息をしているホノカは少しばかり機嫌が悪そうだ。
「グレオート師匠の親心ってやつだと思うけど? むしろあっちのほうが貴族って感じがすごいする。正統派っていうのかな?」
「正統派ともいえるけど、あれは真面目すぎるだけよ。アソルで自由にできた日々がとても懐かしいわ……」
「今だって自由奔放、まるで野生の猫のように本能そのままの行動をしていると思うが?」
ホノカから繰り出されたじゃじゃ猫パンチをクロイツは軽くいなした。
ホノカにジトっと睨み付けられてもどうと思うことはない。三度目になろう男の咆哮にさすがのクロイツも焦りを覚えた。
「さてと。共犯になるのは不本意だが先に逃げるか」
クロイツは風の鎧を全員にかけると、脱兎の如く逃げ出した。
○●○●○●
フーネの船内の騎士たちはうろたえていた。
フーネの船内、目の前の通路のいたる所に見えない壁のようなものがあり、前へ進めないのだ。
魔法で攻撃したとしても壊すことができず、ある者は反射した自身の魔法によって無駄なダメージを負う始末であった。
「おとなしいと思っておればぁぁぁぁ!!」
フーネの横腹に開いた出入り口も見えない壁によって阻まれていた。
グレオートは怒りに顔をゆがめながら、透明な壁を殴りつけうなり声を上げた。手に仕込まれた鉄鋼が透明な壁に当たる度に、辺りに甲高い金属音が響く。
「グレオート騎士長、少し落ち着いて」
偶然その場に居合わせてしまったオウドは、何とかグレオートをを諌めようと努力していた。
「逃げ出すことに気づいておったのか!?」
「まさか!」
オウドは全力で首を振って否定した。肯定でもしようものなら八つ当たりでボコボコにされたに違いない。
「少しくらい寄り道させてもいいじゃないですか、ちょっと見せてあげればクロイツ殿も満足しますって。そもそもホノカ様が唆したようにも思えます」
「ニーセトル公爵はすぐにつれて来いと命令なさったのだ。小僧がぁ! わしの力をなめるでないぞ」
身を竦めながらオウドは思い出していた。
若かりし日に、グレオートというこの初老の男は、武舞大会で優勝をしたこともある猛者であったことを……。
魔法ランクにしてSランク。潜在的な魔法能力ではホノカには劣るかもしれないが、総合的な武術等でくらべれば今でも圧倒的に強い。
本来ならばクエイス公国十騎士にも選ばれているはずの男は、地位や名声にはあまり興味がなかったようだ。
だからこそ、貴族に、自らが主と認めた男に付き従っているような堅物な人物であったわけだが……、
その男が久しぶりに切れてしまった。
グレオートがスラリと抜いた剣の柄には、赤色の宝玉がはめ込まれている。クエイス公国特有にある魔装具である。
宝玉には無数の鉱石が配置され、長年に渡り蓄積した魔法陣が詰め込まれていた。
宝玉が赤く激しく輝き始めると、円を描くように炎があふれ出し、剣とグレオートを包み込んでいく。
既に巻き添えを覚悟したオウドは、自身で作り出した炎の盾によってグレオートの威圧を含む炎を何とか防いでいた。
傍にいるだけでも正直しんどい。それでもオウドは必死になって声を張り上げた。
「落ち着いてください! 港がぶっ壊――――――――」
オウドの言葉は最後まで発せられることはなかった。
目も眩む閃光がオウドの世界を支配した。
「だぁぁぁぁぁああ!!」
声とともにグレオートが突き出した神速の牙突が透明な壁を穿つ。
剣圧が炎を纏い、目の前にある透明な壁を粉々に砕くにとどまらず、尚も勢い余った炎が突き進み、船着場の近くにあった壁に叩きつけられると、そこに深い穴を穿った。
攻撃から遅れるように、周囲には硬い鉱石を巨大なハンマーで砕いたような甲高い音色が鳴り響き、グレオートの近くにいたオウドはフーネの奥へと吹き飛ばされていた。
「わしから逃げられるなどと思うな」
グレオートの獰猛な声が聞こえたような気がした。ふと、オウドが気が付くと、グレオートの姿はなかった……。
「おい、大丈夫かオウド?」
しばらく放心状態で座っていたオウドであったが、仲間の騎士が差し出した手を取りようやく立ち上がった。
吹き飛ばされたショックで軽く頭を打ったが、現状から見ればよく助かったものだと自分の幸運に感心してしまう。
フーネの側面には、黒く大きな焦げ目のついた穴が開いており、先に見える壁には人間業とは思えない黒色の穴とひび割れが見えた。
人があまりいなくて幸いであったというべきか、ケガ人はいないようだ。
「オウド、どうする? これ」
「俺に聞かれてもな」
半壊したフーネと損傷した壁を前に、極めてどうでもよさそうにオウドはいった。
「ニーセトル公爵にはとりあえず到着したと報告をしてくれ。ついでにホノカ様が観光が港に着くと同時に例の婚約者とともに魔法を使って逃げ出しました、という我々の失態もな」
「そんな報告でいいのか?」
「事実なんだから問題ないだろ? 聞かれたら詳細を答えるように言っといてくれ。聞かれないなら黙っていればいい」
「了解」
「フーネの修理工場への運搬は五名ほどいればいいだろう。とりあえず余ったもので追いかけるか」
「追いつくか? 中に入られれば見つけることは困難だと思うぞ」
「なーに、問題ないさ。あれだけ目立つメンツがそろってるんだから。……すぐ見つかるさ」
オウドの言葉に騎士達は頷き、それぞれ動き始めた。
たぶん騒がしい方向に向かっていけばきっと追いつける。
走り出したオウドの直感がそう告げていた。
○●○●○●
「まずいな。完全に怒ってる」
「しょうがないわ。結果的に逃亡したようなものだし」
目の前の人ごみを、赤い獣となったグレオートがすさまじいスピードで通り過ぎていった。
こっそり隠れる作戦は大成功だが、グレオートが予想以上に怒っているのでクロイツは内心ドキドキしていた。
ホノカが隣で面白そうに笑っているのを見ると、どことなく犯罪の片棒を担いでしまっているような、途方もない罪悪感が胸を締め付ける。
「城に連れて行かれたらしばらく監禁される……と、ホノカから聞いて俺は協力したと思っていたんだが……本当に、今はとても後悔している」
「私を妻にするってことは、父様だけじゃなく周囲の貴族にもお披露目する必要があるし、それなりの教養も必要でしょ? 監禁はたぶんそうなるんじゃないかなと思っただけよ!!」
誇らしげに胸を張ったホノカに、クロイツは少し強めのデコピンをかました。
すかさず反撃しようと向かってくる少女を片手でやんわりといなしつつ、今後の事を考える。
「観光も兼ねて名物品を食べ歩きながら向かうか。土産を買っていくのは俺の国では礼儀として必要なものだったし……」
日本の伝統お土産作戦が異世界で通用するか否か、そして貴族へのお土産ってどーよ、何がいいんだ? クロイツはぶつぶつと言葉を続けた。
「そういえばクロイツ。金はあるのか? 結局アソルではお金を貰ってなかっただろう?」
ルシャに問われて、クロイツはああと思い出したように答える。
「金粒が10あるよ。ルシャの初給料にもなるのかな? すっかり言うの忘れてた」
「そんな大金どこで?」
「アソルでアルトニさんに貰ってきた」
少し驚いたルシャに対して、ホノカが食いついてくる。ちなみに金粒10は現実貨幣換算300万円になる大金だ。
「オーナーであるわたしが知らなかったんだけど?」
「人材は集めてあとは人任せだからそうなるんだろ?」
冷ややかな、それでいてグッと奥歯を噛みしめるような表情をしたホノカの視線があるが、ここは無視をしておいてあげるべきところだろう。そもそも当然の対価であるわけだし。
「それに、ここまで来るのに盗賊団を倒してきただろ。報奨金はどうなった? 俺……の功績とは言えないが少しは貰えるんだろう?」
「ああ、そういえばそんな話も……あったわね」
なぜそこで目を伏せる………………。結構当てにしていたのだから、そこはしっかりしてほしい。
「報奨金は家に帰らないと払えないわ。当然だけどね」
ホノカから報奨金が出るのではなくネイ−ラリューシユ家からでるのだから、それが普通であるだろう。ならば確実にもらえるということだろうか?
気を取り直してクロイツは改めて問いかける。
「ルシャとポルはどっか寄りたい場所は?」
ポルは無表情に首を傾けた。巨大な門に対してはあまり興味がなさそうな様子である。
クロイツと同じくスーセキノークなんて初めてだろうし、行きたい場所なんて分からないのだろう。
とりあえず、近くの川で取れた魚の塩焼きでも買えば喜んでくれるような気がする。
「私は武舞大会の会場と、出来れば“ローア”にも行きたい」
ローアと聞いて、ホノカが元気を取り戻しルシャに向き合った。
「ローア! いいわね! 村へのお土産?」
「それもあるが、子供の頃に感動した場所でもあるからな、クロイツにも一度は見せてやりたい」
「へぇ、村で楽しみにしておけと言っていたのはそこか、ローア?」
玄関口であるレグゾイと呼ばれる超巨大門でも、十分に驚いた訳なんだが……。
楽しそうに笑みを浮かべるルシャとホノカの姿を見て、クロイツの頭の中からは、グレオートの一件は既に遠い過去の出来事として消え去った。
○●○●○●
レグゾイの門。山の形を人工的に整えたと思われる超巨大建造物。
見上げても天辺がよく分からない巨大な門の下方には、ポッカリと黒い穴が開いており、ホノカ曰く山脈を隔てた向こう側へと繋がっているらしい。
正直にいえば、門っぽい装飾がなされた、トンネルの入り口であるというのが正しい認識だと思われる。
船着場から巨大な門までは、なだらかな上り坂の斜面となっている。人が往来する百メートルほどの幅がある中央道には荷車がひっきりなしに行きかい、赤い髪と瞳をもったクエイス公国人が多く見える。積荷には、キルクの毛を積んだものや新鮮な魚を積んだもの、鉱石などを積んだものなどさまざまだ。
ガンデスの旅商人の姿もちらほらとあり、クエイス公国にはない服や、食料、花の種や本などの雑貨を取引しているのが見られる。
門の前ですらちょっとした市場のようになっている場所もあるが、大体の人の流れは門の奥、トンネルヘと続いている。
人々の流れに沿うように、クロイツたちも巨大な門の下、巨大なアーチを描いたトンネルへと入り、数多の魔鉱石の明かりで照らされた石畳を歩いていった。
長い長いトンネルの、ようやく出口が見えたころ、光の中にポッカリと浮かぶそれが目に入った。
大きな岩山の上に、幾つもの鋭い塔が寄り集まったような巨大な城があった。
各塔の天辺には真紅の三角旗が揺らめき、壁には大小無数の窓と思われる窪みが見える。
無数の塔の足元にはドームのような建物が隙間を埋めるように立ち並び、城の存在感を際立たせていた。
城はトンネルの巨大なアーチによって切り取られ、光の中に浮かぶ絵画のように見えた。それがまるで立体的な三次元映像のように浮き上がり、手を伸ばせば届いてしまう錯覚を覚えてしまうほどである。
貫禄と優美さを兼ね備えた城は、トンネルを抜けることで完全な姿を現した。
熱気を含んだ空気が肌を通り抜けると、クロイツは肌が粟立つのを感じた。
首都スーセキノークを治める“ファジート城”を中心に、山脈に囲まれた盆地の中、円を描くように広がった巨大都市。
黒味を帯びた茶色の大地にはうっすらとした緑があり、その間に巨大な大地の裂け目がいくつか見えている。
遥か地の底へと続く割れ目の間には、建物を思わせる窓が取り付けられていた。
崖で隔たれた大地は幾つもの橋で無秩序につながれ、大地を無理やりつなぎ合わせているような印象を受ける。
例えるならば、地の底から生える、巨大なビル郡の上に建てた城、都市そのものが、スーセキノークの全景であった。
「クロイツ、感動したか?」
「ああ、正直鳥肌たった」
ルシャを見て、クロイツは素直にうなずいた。ルシャもどことなく満足そうな顔をしている。
周りを見れば立ち止まってスーセキノークの全景を見ている者も多い。
そしてその多くが、クロイツと同じく息を呑んだり、ため息をついたりしている。
都市を見下ろせるこの場所は、世界のひとつ、そのものであると思えた。
○●○●○●
トンネルの出口の高台から、なだらかなスロープを降りて都市へと入っていく。
ファジート城までまっすぐ続く石畳の道の両脇には、直線的な造りの三階建ての建物が、ところ狭しとひしめき合うように存在し、湾曲した丸みを帯びた窓や扉などには、赤い三角旗が一様に飾られていた。
重厚感のある落ち着いた建物に比べて、人々の熱気は熱く、通りは通勤ラッシュの地下鉄出入り口さながらの賑わいを見せている。
道の所々には武舞大会を彩るであろう、赤と白の文様が入った、葉っぱを思わせる三メートルほどのハリボテが置かれ、各種出店も出揃っていた。
人混みを書き分けながら石畳をしばらく歩けば、トンネルと城のちょうど中央にある巨大な噴水広場にたどり着いた。
クエイス公国人は大概の者が赤い髪に赤い瞳を持っており、火系統の魔法を得意としている。
国民性というべきか、土地や風貌に対して誇りを持っている者が多く、他国の人に対して少し冷たいといった気質もあるらしい。
ホノカ曰くそういった閉鎖的な気質を払拭するためにがんばっている貴族もいる……そうだが、いまこの場所ではそういった雰囲気はまったく感じられない。
毎回の恒例行事というべきか、風貌の目立つ四人組がうろうろしていれば、当然のごとく周囲の注目を浴びた。
一見して、街娘風を装っているホノカは一般的なクエイス公国人に見えなくも無いが、かつてサンドラベァグオン(世界を赤に染める者)と賞賛された髪色が少しばかり美しすぎた。整った美しい顔立ちと勝気そうな赤い瞳が合わさって、それらが無意識のうちに気品となって現れ、周囲の者の目を奪っていた。
ファルソ村の碧い花と謳われている、青く大きな瞳を持ったルシャは、いつもは後ろで軽く括っている銀色の髪を、珍しくおろしていた。旅人風の格好に短刀を持っている素朴な姿なのだが、衣装が少し違えば、聖女として見られてしまいそうなほどの神秘的なオーラを纏っているのだ。男女問わず熱い視線が注がれるのは無理からぬことだろう。
ポルは言うまでもなく亜人種ということで注目を浴びた。交易の街アソルや、渓谷の港アンプとは違の視線とは明らかに違うのは、差別を含んだ視線を感じることだろうか。少し前まで亜人はクエイス公国で人間として扱われなかった歴史があったようだから、自然とそうなってしまうのかもしれない。
最後に、とクロイツは思っていた。
少女達に対する好色な視線と、誰だてめぇは的な視線は、どこの街でも一緒だった。
少し厳格そうな雰囲気を受ける首都スーセキノークで、そうはなるまいと勝手に思い込んできたが、結局世界はどこも同じだった。
そして、それを放置していれば、次第に人だかりも出来るのも今までの流れと同じである。
「こんな場所で!?」
人ごみを掻き分けながら、驚いた声を上げてやってきたのは、銀色の甲冑に黄色いマントを羽織ったオウドであった。
その表情は、まさかこんな堂々と目立ちすぎる場所に、逃走したはずの人間がいるとは思っていなかった! と容易に気持ちが読み取れた。
「オウドさん、よくここが分かりましたね」
「………………」
クロイツ自身すぐに見つかって終わるんだろうなと思っていたわけだが、どういうわけかグレオートはやってこなかった。先に来たオウドの驚きからも考えれば大胆すぎる行動は逆に想像がつかなかったということなのだろう。
しばらく絶句していたオウドは少しだけ悩む仕草を見せた後、周囲の視線を気にしつつ、クロイツに小声で耳打ちした。
「クロイツ殿だけでも夕方までには“ユフィーシ城”に必ず来るように。ホノカ様と少女達には危険が無いようエスコートを。あと変装したほうがいい。北東エリア、向こうの方に服を取り扱った店が多くあるから、適当にどうにかしてくれ。絶対に問題は起こすなよ? いざとなったら……分かっているな?」
もみ消せという不安な一言を言いつつ、赤いバンダナをひとつ手渡してきたオウドは、少しだけ意地悪く笑うと野次馬を追っ払いながら立ち去ってしまった。
渡された赤色のバンダナをポルの頭に巻いてやる。クッキング教室に出てくる女の子みたいでかわいいが、緑のワンピースには少し似合わない。
人々の視線や人だかりを完全に無視していたルシャとホノカが、道路脇にある装飾雑貨の店からようやく出てきた。
ざざっと人混みが割れる。それが異常な光景であるとクロイツもようやく思い出した。
注目から逃れるように歩き出しながら話をする。
「オウドがいたわよね? なにか言ってた?」
「簡単に言えば、目立つから変装しろってさ。夕方までにユフィーシ城? に必ず来るようにって」
「さすがオウド。話が分かるわ。でも夕方まで必ず来いってことになると、ローアはちょっと難しいかもね。どうするルシャ? 見るだけでも行く?」
「いや、武舞大会も始まるまでまだ時間があるし、またの機会でもかまわないだろう」
ルシャは残念そうに首を振っていたが、せっかくの思い出の場所なのだからゆっくり見て回るほうがいいだろう。
「そうね、武舞大会までは………………いつだっけ?」
ホノカの質問にクロイツは首をひねった。
「一ヶ月ほどかかる行程を十日くらいでこれたからな。ケイハさんがファルソ村を出発する際に二十七日後と言っていたから、あと十七日あるはず。たぶん」
はっきりいえばクロイツにもよく分からなかった。
確かなことは時間がまだあるということだが、早めに確認しておいたほうがよいだろう。
「なぁクロイツ。武舞大会は予選などは無いんだろうか?」
「さぁ、クルクさんからはそんな話は聞いてないけど……」
ルシャからの質問に、クロイツはさらに首をひねる。
現地人であるホノカなら知っているんじゃないかと、クロイツはホノカを見た。
「私は武舞大会に興味ないから分からないわ。毎回決勝戦くらいは見にいってたけど」
まっさきに戦いに参戦したがるホノカにしては珍しいと、クロイツは素直に驚いた。
「貴族の娘が出れるような大会ではないということね。残念だけど」
「見るより出場したかったということか、今の赤い髪なら問題なく潜り込めると思うぞ」
クエイス公国人は大体赤い髪に赤い瞳を持っている。
ホノカがどれほど重要な存在かはよく分からないが、こうして街を歩いていても、注目は浴びても呼び止められることは無い。
おそらく、ホノカの特徴である黒い髪をしていないせいで、みんな気がつかないのだろう。
そもそもクゥサノ湿原で、赤の団にも見破られなかったのだ。十分いける気がした。
そんな話をしながら歩いていると、クロイツの服がクイクイと引っ張られた。ポルが服の裾をつかんでいた。
「……ポルも………………」
「ん?」
ポルの言葉にクロイツの歩みが止まる。
「どうした? 何か欲しいものでもあった?」
ポルはそれにコクコクと頷いた。ポルから何か欲しいというのは大変珍しい。クロイツはそれがたまらなくうれしかった。
歩いている途中で見つけた、ロースターで焼かれていた巨大な肉の塊。早速買ってみると、肉をソースや野菜と共にサンドイッチに挟んで手軽に食べることが出来るケバブであった。
日本の出店の定番といえば、たこ焼きにお好み焼きにたい焼きだが、残念ながらここにはなさそうだ。
パンや羊や鳥のから揚げ、野菜・果物バー、飲料水などが大半らしい。
「ポルに似合う帽子も買いに行かないとな。バルもおそろいの帽子にするか?」
バルがアクセサリーを思わせる飴玉大からバスケットボール大にまで大きくなると、クロイツはポンポンとバルを撫でた。
ポルもうれしそうにかわいらしい狐の尻尾を揺らしている。
ケバブを食べながらクロイツは考えた。
とりあえずクルクに会えたら、綿菓子製造機を作成しよう。
きっとポルも喜んでくるに違いない。