第四十話 魔法と魔工機械
惑星ルーティアに存在する精霊の寿命は限りなく長い。
風の精霊として、キュアラの自我が存在し始めたのが約4500年ほど前のことであるが、精霊の寿命から言えばまだ若い存在である。
精霊とは何か? とクロイツに問われて初めて、キュアラも自己の存在について考えるようになっていた。
精霊を大別すると始祖精霊、元素精霊、二界精霊に分けることができる。
宿主でもあるクロイツの言葉を借りれば、始祖精霊は精霊の神様で、元素精霊が火、水、土、風を司り、二界精霊は妖精とも呼ばれる動植物界の存在だ。
始祖精霊は座して沈黙した王様のような存在であり、キュアラの問いかけにも応えることはない。
ただ、漠然として感じるだけの存在を、始祖精霊であると認識することはできるが、それ以上詳しいことはキュアラにもよく分かっていなかった。
星そのものである意思であるといってもいいのかもしれない、少し近寄りがたい存在なのである。
次に、自身も属する元素精霊については、単純な意識で動く自然そのものということができる。
永い刻をかけて、少しずつ物事を考えるようにはなったが、そもそもの元素精霊は人のように深く物事を考えるようなことはしない。
むしろ、人の生活に興味を持ち、それらを観察してきたキュアラ自身が特異なケースともいえるだろう。
元素精霊は、基本的にしっかりとした系統によって分かれており火、水、土、風とある。
基本的に系統外である精霊とは接点を持たないものであり、風は比較的中立な立場であるとか、火と水の精霊はすこぶる仲が悪いとか、土の精霊は寡黙であるとか、その程度でしか理解していないのだ。
共通するものとしては、それぞれが系統に合う魔法を行使し、世界を巡り生きていることだろう。
最後に、二界精霊。
多種多様に存在する、精霊と呼べるか分からない意識体の集まりである。
多くが短時間のうちに消えてしまう儚い存在であり、言葉を発せぬような存在がその大半を占める。
稀に話をすることができるものもいるが、そのような者は多くの場合、大変おしゃべりという特徴を持っている。ファルソ村においても数十年に一度の頻度で発生していた。
キュアラ自身、花や人々の暮らしについて詳しかったのは、二界精霊によるところも大きいが、今は多くを語らずにおこう……。
○●○●○●
船内の中央部を貫く木造の板で覆われた廊下は、オレンジ色の魔鉱石の明かりに煌々と照らし出されていた。
左右の壁には、淡く金色に輝く扉の取っ手が並んでおり、下に敷かれた落ち着いた色の赤い絨毯が、単調な中にもどことなく品のよさそうなイメージを与えてくれる――。
ネイ−ラリューシユ家が所有している木造の高速魔工動力船。名を“フーネ”という。
全長30m、幅5m、高さ3mほどの大きさで、でっぷりとした外観どおりの広い船内に、これ以上ないというくらい簡素で単純なつくりが特徴だ。
船の内部は大まかに上下に別れている。下には食料などの物資や騎士たちの部屋が割り振られており、上にはホノカやルシャやポルが泊まっていた少し豪華な客室とグレオートの私室。他に、全員が集まれるほどの集会場、兼食事場という空間で、船内は構成されていた。
船の動力は魔力であり、船の上方には船室がある。
船室の中央にはボーリングの玉を思わせる球状の青い玉が木製の台座に置かれており、それに手を当てている騎士が、人のよさそうなにこやかな笑顔を作った。
「おはよう」
「おはようございます。“オウド”さん」
オウドと呼ばれた騎士は、クロイツの背中にへばりつくようにいたポルを見て、微笑ましそうにくすりと笑うと、次に苦笑しながら頭に巻いた真新しい包帯を撫で付けた。
クエイス公国の特徴である赤い髪。少し薄い赤色をした、30代前半の騎士であった。
「朝から災難でしたね」
巻かれた包帯を撫で付けるオウドを見て、クロイツは微妙な笑みを浮かべる。
つい今しがた、朝食の前にルシャとホノカからの攻撃を受けた彼は、健気にも勤務に就いていた。
「いや、からかう相手を間違えたのが悪いんだ」
だからそれ以上何も聞かないでくれと、オウドは少しおどけるように首をすくめる。
そんなオウドを見てクロイツは笑う。まったくもってそのとおりだと頷きを返しておいた。
早朝の稽古終了後、クロイツはグレオート騎士長の騎士になるため? の特別訓練を受けることになっていた。
いつもは荒事を避けたがっていたクロイツではあったが、今回は意外なことに乗り気である。
自身の身を守るためにも、武術の向上は必須だからだ。
しかし、グレオートは何かしらの準備に時間がかかるらしく、2時間ほど暇な時間を与えられてしまった。そこで、気晴らしにポルを引き連れて船内の探検を行っている最中であったのだが……。
箱舟の内部にある集会場には、食卓椅子である長机が六個ほど並び、椅子が壁際に綺麗に並べられ、整えられた部屋になっていたり、少女達が寝ていた客室は急ごしらえではあるが、貴族である少女にふさわしいと思えるほどに立派に飾られていたり。クロイツが寝ていた部屋が兵士たちが使っていたものを無理にあけてもらったもので、少し申し訳なく思ったり……。
広いといっても所詮は限られた船内。探検は瞬く間に終わってしまい、30分もしないうちにメインディッシュとなる船室に突入してしまった。
最後のフロンティアとしてはグレオートの私室もあるが、虎の巣に入って行く気はさらさらないとクロイツは軽く目を伏せた。
「船の操舵についてだったかな」
「えぇ、魔工機械に興味がありまして」
オウドは面白そうにフンフンと頷く。
「だよなぁ、俺もこういった機械が大好きで、気がついたら騎士をしているからなぁ」
「へ~、魔工機械を扱うには騎士になるんですか?」
純真な顔で質問するクロイツに、オウドは少し残念そうな表情で肩を落とす。
「……魔工機械を扱うために騎士になる必要はない。それは冗談だ。すまん。魔工機械が好きだというのは本当だが、この際だ、最初から説明するか」
先生のような口調をし始めたオウドに、クロイツはお願いしますと苦笑で返した。
「おっふぉん。魔工機械。その歴史は古く、はるか昔の遺跡からも存在が確認されている。これを見なさい」
オウドが真剣な表情で青の球体に魔力をこめると、周囲にフォーンという独特な音が響き、球体の内部で青色の炎のようなものが揺らめいて見えた。
ゆっくりと川を進んでいた船が、次第に速度を増していく。
「魔鉱石を含めた鉱石の採掘を主とするクエイス公国の産業上、人の力でなしえない仕事をする為に考案されたのが魔工機械であるわけだが、魔装具は知っているかね?」
「クエイス公国の魔法に用いるものですよね? 確か魔方陣を立体的に再現したものだったかと」
「そのとおりだ。魔法をなす為に使われるのが魔装具。では、俺がこの手で触れている球体は?」
「……魔装具ですか?」
「っ不正解!!!」
オウドがクアッと目を見開いたので、クロイツは一瞬たじろいで数歩下がった。
ポルが興味深そうに彼を凝視し始めると、満足するように頷き話を続ける。
「魔装具で魔力を魔法に変換させ、魔工機械の動力炉としていた時代も確かにあった。しかし、この“フーネ”は最新鋭の魔工動力船。真髄は、魔力をエネルギーとして使うところにある。つまりは魔力を力そのものに、魔力を船の推進力に直接変換しているんだ。今手にしているこの装置を“ラディオロイズ”と呼んでいる。魔工機械の司令塔といってもいい」
魔力をエネルギーに……? 風の物性強化や火の概念強化といった、付与効果に近い魔法なのであろうか。
「魔法とは区別したほうがいいな。混乱するから」
困惑した顔を悟られたのだろうか、オウドは面白そうにクツクツと笑う。
「“フーネ”の船底を見たか?」
オウドに問われ、クロイツは頷いた。
高速魔工動力船、フーネの船底からは青い結晶のような四枚のヒレが生えていた。
恐竜のヒレを思わせるそれらは船に固定されている代物である。それを動かして進むとは思っていなかったが……。
「“ラディオサイズ”と呼ばれる水中限定の推進力派生装置だ。元は魔鉱石を使用していて、それ自体が一定量の魔力を有している。ラディオロイズ、ラディオサイズをあわせて“ラディオ機関”とひっくるめて呼ぶことが多い。ちなみに、派生させた魔法自体を利用するのは“スルホ機関”といい、他にも波の力を用いて進む“エミニー機関”がなんてものもあるが、どちらにしてもラディオ機関に比べればエネルギーロスが多い代物なんだ」
メモを取りながら聞きたいと思いながら、クロイツは必死にオウドの話を脳内で反芻させた。
「つまり、ラディオ機関について話をすれば、司令塔であるロイズから魔力を押し込みながら制御を行い、それに呼応して四枚のサイズに蓄積された魔力と相まって推進力に変換され、船が進むんだ。単純な仕組みだ」
「推進力に変換……は魔法じゃないんでしょうか?」
魔力自体の扱いに長けたクロイツにとって、それが不思議でたまらない。
魔力で出来ることといえば、空間把握と魂の昇華くらいなものだ。人に向かって束にしてぶつけても、気功法のようにぶっ飛びはしない。
「俺も魔工機械を作るような学者じゃないから詳しくはいえないが、魔力というものは三つの成分でできているそうだ……クエイス公国十騎士は知ってるな?」
クロイツはコクコクと頷く。ホノカも属しているといわれる、名誉な称号……であったはずだ。
「“火の将軍フウ”様と、“水の将軍アトラ”様という方がいらっしゃってな。二人は双子であられるのだが、出生はアルノード共和国で、鉱石マイスターとも呼ばれている。このラディオ機関は彼女たちが近年開発した技術なんだ。普及し始めたのが5、6年前といったところか。蓄えられた魔力を運動エネルギーに変化させることが出来るそうなんだが。……詳しいことはわからん。現に船を進めることができると知っていれば騎士には十分だし、俺は操縦するのが好きなだけだからなぁ」
オウドはすまなそうな笑顔をクロイツに向けると、ラディオ機関に注ぎ続けていた魔力を少しだけ緩めた。船の速度が若干緩む。
どうやら魔工機械にも、近年の劇的な発明があったようだ。
仕組みはよく分からないが、魔力を推進力などのエネルギーとして使えるならばこれほど効率的なものはない。
スーセキノークについたらクルクに詳細を聞けばよいか………………。
オウドに船の運転をやらせてくれないかと少しお願いしてみたが、申請は却下されてしまった。
それ相応に訓練をつまねばダメらしい……。現実世界でも車も免許を取らなくてはならないし、仕方がないことなのかもしれない。
クロイツは素直にあきらめて、緩やかに後方に流れていく雪食地形を愛でると、ポルをつれて自室へと戻ることにした。
○●○●○●
「つまりなんとなくで出来る訳なんだよなぁ」
クロイツは部屋に戻り、質素なベットの上に胡坐を書いて座ると、一人渋い顔をしながらぶつぶつと呟いていた。
そのクロイツの様子を不思議そうに眺める亜人種の少女は、少しだけ愉しそうな表情を浮かべているようにも見える。
『クロイツさんは私に気を使っているから……』
キュアラの言葉にクロイツは苦笑した。
どうやら彼女は、クロイツが気を使い、魔法を使っていないと本気で解釈しているらしい。
精神的なリンクをしているはずなのに、どこでどう考えたらそうなるのか。はたまた自身の深層心理では、本当にキュアラに遠慮しているのだろうか。
確かに、自身で魔法を扱うことができたらキュアラの存在は限りなく背後霊に近くなる。いや、言語変換という機能は大切だが……。
そもそも、世界に最初に出会えたのがキュアラであり、クロイツは彼女をとても大切に思っている。
その恩精霊でもあり、友人であるものに対して、利害関係の有無を考えるがおかしいことだろう。用がないから出て行けなど死んでも言うはずもない。
まぁ結局のところ、クロイツの魔法は100%キュアラが行使している状態だ。
クロイツの意思をダイレクトでキュアラが感じ取り、発動させてくれているので、おそらくだが通常の魔法師と同じように魔法を行使しているのと変わらないだろう。
「本当に俺は魔法が使えないんだよ……たぶん」
魔力み右手に集中させていく。極限まで圧縮された魔力は風にも、水にも、炎にも……土にも変化することなく、空間をほんの少しだけゆがめながら集まっているのみであった。
「右手……?」
ポルが不思議そうに呟くと、魔力が圧縮されたクロイツの右手に小さな手を合わせる。ポルの手を素通りした魔力の塊にクロイツは苦笑しながら彼女の手を握り返した。
「つまりこの世界の魔法は、俺にはあっていないということだな」
何の感情を含まない表情をしたポルに対して、クロイツは説明を開始した。
「そもそも、俺の世界では魔力なんてエネルギーは存在しなかった。それはつまり世界の理が違うと考えられる。この世界の人たちは魔法を扱うことができる、が、逆を言えば魔力そのものを扱えないと聞く。俺は逆に魔法を扱うことはできないが、魔力を扱うことが出来るわけだ。これは大きなメリットのひとつといっていいだろう」
ポルはそれにコクコクと頷いた。
「例えば、通常魔法は魔法を行使する際には、術者から魔法を発しなければならないという特徴を持つ。体に蓄えられた魔力を、体の外郭たる部分で魔法に変換し、行使しなければならないからだ。一方で考えれば、俺の場合は魔力を外部へと伸ばし、そして魔力を伸ばした先での魔法の行使が可能だ。キュアの存在が必須でもあるが、これは背後からの奇襲にもつかえるし、空間把握能力が及ぶ場所すべてから全方位攻撃が可能ということを示唆している。これはあらためて考えればチートとよばれる能力だろう」
クロイツはなおも力強く語る。
「確かにキュアに気を使っている自分がいるのかもしれない。しかし、仮に意思の力だとして、変換効率が1%……いや0.001%でもあれば、俺の魔力があれば並みの威力の魔法が扱えるはずなんだ。それが出来ないということは、意思の云々の話とは別に、魔法を扱うために特別なファクターがあるはずと考えるべきだ」
「……?」
「質量保存の法則とか、作用反作用の法則とかも無視している場面があるし、そもそも風を操るといっても風は窒素、酸素、二酸化炭素、ネオン、キセノンほかいろいろで構成されているわけだ。どれを操っているのか俺にはわからない。水は純水か、炎ってそもそも何さという次元だ。プラズマの一種だろ?」
なぁ、ポル。と言い聞かせるように緑色の瞳を見つめると、少女はけなげにもコクンと頷いてくれた。
「魔力を魔法に……と考えるのがそもそもの間違いであるとは思うんだが………………なんとなくで出来る精霊が本当にうらやましくあるわけだ」
クロイツがフンフンと首を縦に振ると、ポルもそれに合わせて首を振る。状況はトランス気味である。
「つまりは考えすぎということなのだろう?」
持論に浸っていたクロイツの脳に、玲瓏な少女の声が響いた。
「おっ、ルシャ……か」
思考を現実に引き戻され、クロイツは目をぱちくりさせて、突如として現れた少女を見据える。
「私は何度も扉をたたいたぞ。なのにずっと独り言だけが聞こえていたからな」
ルシャは少しだけ不機嫌そうに、狭いベットの上に座り込んでくる。
場所を追いやられたポルは、これ幸いとクロイツの胸板に小さな背中を押し付けて、彼女なりのベストスポットに納まった。
狐を思わせる柔らかな耳が、クロイツの首筋をなで上げ、少しくすぐったい。
そんなポルとクロイツに、ルシャは小さなため息をついた。
「私は今、とても複雑な気分だ」
「なんか不機嫌?」
「あぁ、察してくれるとありがたい」
「原因は俺にあると……ふむ」
クロイツは思考をめぐらすが、これといった心当たりはない。
かなりの間、ルシャはクロイツの部屋の前で出てくるのを待っていたのだが……。
「分からないならいい。私は少し疲れただけだ。用件を伝えにきたが……まだ時間はある。あとで教えてやるから、もうしばらくぶつぶつと独り言をしてるがいい」
彼女らしくない、淡くも見下すような表情をクロイツに向けると、ルシャはそのままクロイツのベットにうつ伏せで寝そべってしまった。
そんな珍しいルシャの姿に、少しだけときめくものがあるが、まぁ口に出す必要はないだろう。
うつ伏せになったルシャの頭を少しだけでなでると、ルシャは小動物のようにビクリとはねて、あとはなされるがままになった。