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クロイツと風の精霊  作者: 志染
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第三十九話 波紋は広がり、そして××

 山々に囲まれた渓谷から見える空には、数多もの星々が輝いていた。

 東の空が少しだけ明るさを増してくると、最初は緩やかに、次第に早く、空の星々は姿を消していく。

 空の境界線が鮮やかな紫色になり、一等星が最後の悪あがきをする頃には、渓谷を流れるイナート川がぼんやりと姿を現し始めた。



 風もない朝。鏡のように空を映しだしている川には波一つ見られない――。



 白と紫と黒の、あいまいな空の境界線を含んだ穢れのない川面(かわづら)に、一つの波紋が巻き起こった。

 波紋は一つ二つと距離をおくように飛び飛びに巻き起こり、それらが互いに交じり合い、干渉し、ゆらゆらと美しい自然を歪める。

 波紋は川の中央のとある一点までいくと、川の流れに逆らうようにゆったりとしたV字を川面に落として、そこに留まった。



 一人の少女が川面に立っていた。



 銀色の美しい髪。すらりとのびたしなやかな肢体。

 弥生時代を思わせる旅衣装。合間から見える無垢な白い肌。

 引き締まった右腕の先には簡素な茶色の腕輪が一つ。


 腕輪の先に手にしている短刀には、碧い半透明の鉱石のような刃がついていた。 

 海の深い青を思わせる色合いをした短刀。少女はそれに視線を落とし、集中力を高める。



 短刀の刃と同じ色をした碧色の瞳を軽く閉じ、一言二言つぶやくと、少女は目を大きく見開いて、自らが見据えた敵へと駆け出した。



 少女が川面を蹴り上げるたびに、荒々しい波紋が起こり、映りこんだ景色を白い飛沫として空に舞い上がる。

 少女は敵に近づくにつれて歩幅を狭め、最後には両足を揃え、川面をスケートでもするかのごとく、身を屈めて滑った。

 そのままの体勢で、手にした短刀を川面に突き立てると、それを一気に上へと引き抜く。


 そこには一振りの刀が出来上がっていた。長さにして1mばかり。

 川を凝縮して作られた水の刀は、青黒く、すさまじい殺傷力を秘めていると予感させる。


 少女は尚も滑るように水上を移動しながら、刀で川面を横に薙いだ。

 (かんな)で木を削ったかのように、切られた川面はクルリと巻き上がり、意思を持ったように丸みを帯びて敵へと襲い掛かった。


 津波のようだが原理が違う。単純に水の表面を切り裂いて、切り裂いたその上の水を相手にたたきつけたのだ。


 敵は上方にジャンプしてそれを軽やかにかわす。


 あらかじめ行動を見越していた少女は、すでに敵の上方へとジャンプしていた。体を猫のように一回転させながら、思いっきり刀で相手を下方向に殴りつける。

 通常ならばこれで真っ二つになって終わり……であるはずだが、この敵に限ってはそうではないらしい。

 ガツンとした、大きめな岩を刀で殴った衝撃が少女の腕に残った。それでも刀が振り切れたところを見れば、相手は斬撃の瞬間に反対方向へと飛んだのだろう。斜め下に叩きつけられた敵は、川を跳ねるようにすっ飛んでいった。


 最近どんどん体術が上達しているなと少女は舌打ちしつつも、川面に落ちると同時に左腕を川に突っ込んで叫んだ。


「バトゥーケヒ・ミノ」

 

 着地と同時に派手に上がった水しぶき、それが邪魔をして相手はよく見えていなかった。しかし、少女は探知魔法により相手の位置を正確に把握していた。

 水の中を伝い、敵の足元からドリル状の回転を含んだ、鋭い水の槍で追撃をかける。


 敵を刺し貫き、粉砕する攻撃は、敵を上に打ち上げる効果しかなかったようだ。

 宙に舞い上がった敵を目視すると、冷静なはずの少女の心の中にちょっとした苛立ちが含まれ始めた。


『どうやったらあいつを倒せるのだろうか?』


 しかし、そのような思考は敵からの反撃でかき消された。


 自らが生み出した水の槍が、見えない鋭利な刃物で切られたようにぱっくりと口を開いていく。

 見た瞬間、考えるよりも先に少女の体は動き、それを避けた。


 体の脇を吹き抜ける鋭利な風が、川面に深々とした刻みを作り、ドッッという音と共に派手な水しぶきが体にかかった。

 少女は水しぶきを気にすることなく敵を見据えていた。

 

 二撃、三撃と見えにくい攻撃は続く。敵は、打ち上げられた高所から、落下しながら風の刃を放ってきていた。






 地の利を最大限に利用した少女は、いつもの数倍近い攻撃力を有していた。

 魔法により水を生み出すだけではなく、自然として存在している水を操る。

 魔力の消費量も抑えることにつながり、結果、いつもの直線速攻であるはずの攻撃に幅が生まれた。


 相手の気を引く攻撃を上から放ちつつ、足元から忍ばせた水で拘束し、動けなくなったところを本命の水球を叩きつける。

 敵の非常識な風による攻撃を、水中に退避してやり過ごす。

 水を霧状に展開し、相手の視界を奪い攻撃をする。


 水中からも攻撃できるメリットを生かし、新しい戦略が次々と誕生していた。

 

 しかしそれでもなお、少女は敵に対して優位に立つことが出来ないでいた。

 敵からの攻撃をかわしていた彼女は、途中で考えることを止めた。


 感覚が告げる。


 単純に『敵を水の中に叩き落せ』ということだけが、次の瞬間に体を支配していた。


 少女の体が自然と動く。


 最初の攻撃と同様に、川面から渦巻状の槍を突き上げる。

 今度は相手を出来るだけ高く打ち上げるように意識を変えた。


 通常ならばすべてを粉砕しながら、岩にも風穴を開ける攻撃を受けて、敵は再び宙に舞った。

 敵の姿が妙に楽しそうに打ち上げられているのを見て、少女は知らずと笑みを浮かべた。ありがたいことに、どうやら油断しているらしい。


 上空からは案の定。敵が作り出した風の刃による連続攻撃が降り注ぐ。


 彼女は敵からの風の刃をかわす合間に、敵が落ちてくる場所一帯を円で囲みながら移動した。

 手にした水の刀を川面に突き立てて、そこに大きな円を描いた。


 敵が落ちてくる瞬間を見計らって、少女は叫んだ。


「食らうがいい!!!」


 もはや呪文など無用。

 気分が高揚し、しかしそれとは反対に神経が研ぎ澄まされて、少女は目に見えるすべてを把握できていた。


 少女の目論見どおり、敵は川面から突き上げてくるであろう攻撃に身構えたようだ。

 突き上げてきた水流をタイミングよく蹴りかわし、自分に向かってくる腹なのだろう。


 しかし、それは大きな間違いである。


 水は確かに巨大なうねりとなって巻き上がったが、敵に向かって放たれたものではない。

 川の只中に、巨大な穴を作り上げた……その副産物に過ぎない。


 驚きの表情をした敵は、川面にぽっかりと開いた黒い穴に吸い込まれるように、驚くほどあっけなく落下していった。


 少女がすぐさま魔法を解くと、巨大な水壁が崩れ落ち、川の水が穴へと殺到した。

 穴から流れ出る空気、穴へと落ちる水の巨大なうねりで、周囲には驚くほどの音が起こり、川面には巨大な波紋が広がった。


 体が考えるよりも先に動き、少女は荒れ狂う水中に飛び込む。

 水中で漂っていた気泡に覆われた敵を把握すると、全力で攻撃を行った。


 最初の攻撃が気泡を歪め、攻撃の一部が敵を捉えると抵抗が激減し、そのまま敵は水に飲まれた……。


「やったか!!」


 少女の顔に思わず笑みが浮かぶ。

 念のために攻撃をいくつか加えてみたが、敵は水に流されるままで動かなくなっていた。


「………………」


 しばらくして、少女の顔が勝ち誇った笑みから少しだけ困惑した表情になった。

 敵は水の中で完全に沈黙していた。





 少女が強大な敵を初めて撃破した瞬間であった――。







○●○●○●







 朝方から不自然にゆれる船に違和感を覚えたグレオートは、起き上がるとすばやく支度を整えた。

 部屋に用意されていた水瓶で顔を洗い、短く刈り込まれた白髪交じりの赤髪を整え、地味なうろこを模した茶色の鎧を着込み、紺色のマントをすばやく羽織った。


 着替えている間にも増していく船の揺れに急かされ、グレオートは真っ先に、自らが最も守るべき者の安否を確かめに向かう。

 魔鉱石に照らし出された木造の船内を足早に歩いていき、少し立派な扉の前まで来ると、少し大きめに扉を叩いた。


 しかし、それに反応する気配はうかがえない。まだ寝ているのだろうか? とグレオートは思い、しばらく扉を叩き続けた。


 これだけ大きな音で、しかもこれだけの時間叩けば、さすがに誰でも起きるだろう。

 現に、異変を察知した騎士たちが数名、銀色の甲冑を中途半端に着込んだ状態で集まった。


「ホノカ様! ホノカ様!!」


 次第にグレオートは焦りを覚え、叫び始めた。そうこうしてる間にも、尚も船の揺れは激しさを増していく。


 グレオートは思わず部屋の取っ手に手をかけていた。


 貴族の、ましてや少女の部屋に無断で侵入するなど騎士として、部下として許される行為ではない。

 あと数分ほど時間を置いて同様のことを繰り返し、それでも返事がなければカギを使って静かに入るのが慣わしであった。


 扉にはカギがかかっていると思われたが、意外なことに取っ手はスルリと回り、少しだけ戸が開いた。

 兵士数名がその様子を見て、ぎょっと互いの顔を見合わせた。

 グレオートの顔が険しさと殺気をおびえる。


 なぜ、扉が………………。


 ホノカが寝ているのならば100%施錠してしかるべき場所が、開いている。

 まさかあの男がいるのでは! とグレオートは躊躇なく扉を押し開いた。



 オレンジの魔鉱石に照らし出された一室。

 それほど広くはない一室ではあるが、船の中では最高級のグレードであった。


 柔らかで薄いカーテンに覆われた、高級そうなベット。

 ベットの左脇には書棚と机があり、机の上には藍色と白が混ざった小さな花瓶に、心地のよい香りのする黄色い花が飾られている。

 ベットの手前にあるテーブルには、ホノカが着ていたであろうネグリジェが無造作に放り出され、左側にある洋服ダンスがあけ広げられていた。


「……ホノカ様」


 グレオートは呆然としながらも、部屋にホノカがいないことを確認した。

 つまりは……彼女は出かけた? それもかなり急いで。どこへ?


 グレオートは集まった騎士たちを押しのけるように、思いついた場所へと向かった。

 今現在、彼が最も注意を払っていた相手。

 ホノカの婚約者“候補”の男の部屋へ……。




 一応客人であるから、彼のために一室は用意してある。

 グレオートはノックをするでもなく、壊すつもりで扉を押し広げた。

 カギでも掛けられていると思ったが、そんなこともなくすんなりと開いてしまった。


 ホノカの部屋の半分にも満たない狭い一室。

 さびれた赤色の魔鉱石の光が照らし出す部屋には、粗末だが寝るのには十分なベットが一つだけ置いてあった。


 彼にあてがった部屋は一般の騎士たちが使っている部屋と同じである。

 騎士たちはそんな部屋に二名ずつ詰め込まれているのだから、それだけでも優遇されているというものだろう。


 しかし、そこにはグレオートが探していた少女はいなかった。

 それどころか部屋で寝ているはずの、婚約者候補の男の姿すらなかった。


 ベットには、なぜか亜人種の少女が一人、クゥクゥとかわいらしい寝息を立てて寝ているだけだ。


「なぜこの者がここに……」


 寒そうに包まっていた亜人種の少女に、グレオートはそっと布団を被せると、マントを翻しその部屋を後にした。




 尚も続く船の不自然な揺れ。




 グラリと揺れた船内で、壁に手をついたグレオートは、監視している騎士たちからの報告がない事に苛立ちを覚え始める。

 ホノカがいないことが気がかりでならないが、とりあえず甲板へと上がることにした。

 現状の把握から入らねば落ち着いて捜索することすらかなわないだろう。


 異変を察知して飛び起きてきた騎士たち十名ほどを率いて、急いで甲板へと向かった。




 山々に囲まれた渓谷の谷間。辺りはまだまだ薄暗い。

 甲板に躍り出たグレオートは、そこで捜し求めていた少女に出会い、少しだけ目を見開いた。


「あら、グレオート? 早起きじゃない」


 腕を組みながら少し驚いた表情をした黒髪の少女に、グレオートは安堵とともにその場で脱力した。


「部屋にもいらっしゃらなかったので心配いたしました。ホノカ様」


 後ろに続いてきていた騎士たち片膝をついて騎士の礼をとると、船が波を受けてまた大きく揺れた。


「この揺れは!?」


 動揺した声が騎士たちからも少しだけ上がった。 

 グレオートは悠然と構えたホノカの目の先を追う。すると、揺れの原因が目に映った。


 何かが川の水面にいた。


 5mほどの水しぶきが盛大に上がっているところであった。

 水しぶきから飛び出した銀色の白い筋が、川面を滑るように移動する。

 次の瞬間には、顔のない蛇のような水がのっそりと持ち上がり、川の少し上空にいた黒い人影に鋭い槍となって襲い掛かった。


「ホノカ様、あれはいったい――」


 完全に目を見開いたグレオートは言葉を続けることが出来なかった。


 水の槍が向かった先。黒い人影から放たれた何かが槍を粉砕すると、白い水の粒が上空に四散した。

 ついで、耳が何かに圧迫されると、ドフンという鈍い音が耳に届いた。


「言ったでしょ? ルシャは武舞大会に出るためにスーセキノークへ向かっているの。その早朝訓練よ」


 さも当然の風景であるといわんばかりのホノカに、グレオートは驚きのあまり混乱しそうになっていた。


「それは存じ上げておりますが、しかしこれは――川の上で戦っているのですか!?」


 そんな馬鹿なことが!? とグレオートは自分が見ている光景が信じられず、ホノカに確認を入れた。

 ホノカはグレオートと後ろにひかえた騎士たちの表情に満足しながら答える。 


「そうね。川の上で戦っているのよ」


 すました声で言ったが、思わず顔に笑みが浮かんでしまう。

 非常識な光景の目の当たりにした犠牲者は、こうして広がっていくものなんだとホノカは愉快でたまらなかった。







○●○●○●







 グレオートは真剣な眼差しで、水上での二人の戦いを見つめていた。

 

 水系統に優れた魔法師であれば、水の上を歩くことは確かに可能である。

 しかし、クエイス公国中を探しても、おそらく水上にいながらあれだけの水魔法を駆使して戦える人材は三人といないだろう。

 グレオート自身、水系統のほかの技を多少扱うことが出来ても、水上での戦闘など出来はしない。


「水の利がある場所では、私もあの子に勝てそうもないわね」


 感心した面持ちのホノカに、グレオートは思わず彼女を見つめ返した。

 楽しげに戦いを見つめる少女。

 いつの間にこのような殊勝な態度を身につけたのだろうか?


「失礼なこと思ってない? いつの間にこんな殊勝になったのだろう? とか」


 毒を含んだホノカの鋭い視線に、グレオートは無表情に戦いに視線を戻した。


「図星のときは無言になるのよね」


 呆れた調子のホノカも再び戦いに視線を戻す。


 今度は水が霧状に辺りを包み込み、二人の姿は見えなくなっていた。

 そんな霧を切り裂くように、幾重もの風の刃が周囲に放たれていたが、しばらくすると沈黙し、ドゴンという鈍い音と共に黒い人影が霧から叩き出されて、川面を転がった。


「あの旅人は風と水を極めているのです?」

「まさか、いまだに風だけよ。どんなにがんばってもそれしか使えないんだから」 


 妙に小バカにしたホノカの態度に、グレオートは首を捻った。いや、それならばおかしいことがある。


「水面を転がっているように見えるのですが……あれは見間違いですかな? 風だけであのような真似が出来るなど」 


 さも当然と黒い人影は川面を走っている。いや、正確には水面のぎりぎり上を走っているのだろうか? グレオートにはそう見えた。


「“エアークッション”って風系統魔法の応用らしいわ。固化した空気の上を移動出来るみたい」

「空気の上を……移動?」

「頑張れば空も走れるんだって。非常識よね」 

 

 呆然としたグレオートと驚きで言葉を失ってしまった騎士たちを見て、ホノカは意地の悪い笑みを浮かべた。


『驚くわよね。私はもう慣れてしまったのだけど……』 



 川面から巻き起こった三本の小さな竜巻が銀色の少女へと襲い掛かる。

 すさまじい水量を含んだそれは、少女を三方向から囲むように移動し、少女に叩きつけられた。

 三本の竜巻が合流すると威力を失い、巻き上げられた水が勢いよく落ちてきた。

 もはや小さな滝といっていいだろう。


 中級程度の竜巻魔法。威力はすでに常識では考えられないレベルに達している。非常識だ。ありえない。


 もうもうと立ち昇る水の霧の下から、すさまじい波が船に押し寄せて、ギシギシと船体が上下に揺れた。立っている事すら困難なほどであった。


 少女は!? とグレオートは銀髪の少女を探した。さすがにあれだけの攻撃を受けて無事でいられるはずはない。はずはないのだが……少女はピンピンとして水面に浮かび上がってきた。どうやら湖の中へと逃げていたらしい。


「いや、さすがホノカ様のお友達であられますね。あれほどの力量をお持ちとは!」

「少年も武舞大会では脅威でしょうな。体裁きは少女には及びませんが、風魔法はすごい!!」

「しかし、彼とは昨晩話したが、武舞大会には出ないといっていたぞ?」

「ほぅ。俺だったら絶対参加するんだがなぁ……」


 気がつけば、グレオートが率いていた騎士27名全員が船上から二人の戦いを観戦していた。

 一瞬、持ち場を離れて何をしとるかーと怒鳴りそうになったが、グレオートは言葉を飲み込んだ。


 ネイ−ラリューシユ家に仕える騎士として、彼らも二人の戦いを見ることが今後の勉強につながると思い直したからだ。

 それだけ、二人の戦いと魔法は素晴らしかった。



 その日、一番であろう水の槍が、黒い人影を高々と打ち上げた。通常ならばその攻撃で死んでいるだろう。



 川面に立つ銀髪の少女が、黒髪の男が降り立つ地点に円を描いた。

 勝負を仕掛けて巨大な水柱でもぶつけるのだろうか。 

 さすがの少女でもあれだけの大水量を持ち上げて、相手を包み込むことなど不可能だろうとグレオートは冷静に見ていたが、どうやら狙いは違ったようだ。予想に反して穴の周囲の方がゆらりと持ち上がった。


 黒髪の男の姿が、盛り上がった水の中心に吸い込まれるように落ちていった。

 ボチャンという水しぶきが上がっていないことを考えれば、おそらく中央に穴のようなものが開いていたのだろう。

 盛り上がった水は、中央の水を押しのけて出来上がったものだったようだ。


 すさまじい波の揺れが時間をおいて船を襲ったが、気にならなかった。


 それよりも、少女が魔法を解いたことで鋭い水柱と空気が打ちあがり、一瞬にして二人の姿が水に飲み込まれるようにして川面から消えたことが重要であった。


 第二波がさらに大きく船を揺らす。もはやそれは荒れ狂う天候の中を進んでいるようになっていた。

 あまりのゆれに、川の水が船の上にも覆いかぶさり、騎士の何名かは流れに捉われ川へと落ちた。


 炎の肉体強化魔法を展開させて上空へ飛び上がったホノカ。炎壁によって水を食い止めたグレオート。幾人の騎士たちは独自の魔法で波を防いでいるものもいたが、大部分は船にしがみついて乗り越えたようだ。流れ落ちた者の救助に騎士の数人が素早く動いた。



 荒れ狂う波はしばらく続いたが、回数を重ねるごとに威力は弱まり、元の穏やかな流れに戻り始めた。


「浮いてこないわね……」

「そうですな……」

 

 ホノカは困惑した面持ちで首を捻り、グレオートは普通なら死んでいるはずだと思いながら淡々とそれに答えた。


 ゆっくりと水面が持ち上がり、銀髪の少女が黒髪の男を抱えながら水の中から這い上がってきた。

 ずぶ濡れになってはいるが、どうやら両方とも生きているようだ。


 グレオートは騎士の中から水の上を歩けるものを救助に向かわせ、同時に何か拭くものと暖かい食事の準備を残った者たちに命令した。








○●○●○●  







「死ぬかと思いました」


 クロイツは暖かな毛布に包まれながら、自らを囲んだ騎士たちに恐怖体験を聞かせていた。

 熾烈を極めた水による執拗な攻撃。人を人とも思わない刀による殴打。川へと引きずり込もうとする水の触手……。


 生き残るために上達した体術と風魔法(キュアラの存在は内緒)のおかげで本当に何とか生き延びた。


「水の中まで攻撃が襲ってきて、それが後頭部を強打して、ハンマーで殴られたような衝撃で、気が少しだけ遠くなったと思ったら水に囲まれていて、薄れゆく意識の中でさらに水が襲い掛かってきて……」


 沈黙の三分間。暗黒の世界で起こった出来事を思い出し、クロイツは体が小刻みに震えた。


「悪かったと言っているだろう。やられたフリかもしれないと思ったんだ」


 クロイツから少しはなれたところで、澄ました表情のルシャは少し顔を赤らめて抗議してきた。


「そうね。あんたが泳げないなんて意外よね?」


 ルシャと同じ場所にいるホノカが、的外れな意見を述べる。


「まて、俺はバタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、クロールで400mを泳げる。タイムは忘れたが一般的な水泳力は絶対ある。だがな! 人は激流を泳ぐ魚みたいになれるわけないだろ!! しかも気絶したならなおさらだ!!」


 クロイツは全力でホノカに反論した。異世界にそれだけの種類の泳ぎ方があるとは思えないが、とりあえずカナヅチでは無いと伝えたい。


「まぁまぁ、あんたを助けるためにルシャさんもホノカ様も頑張ってッ――」


 人の良さそうな騎士が一名、弾丸を思わせる炎と水の弾丸に弾き飛ばされ、木造の船の壁にめり込むように激突した。

 クロイツも驚いて攻撃の主をさがすと、それはもちろんルシャとホノカであり、二人とも顔を赤らめてクロイツから全力で視線を逸らしていた。


 クロイツは目を細めて何か言おうとしたが、ほかの騎士たちからアイコンタクトで『それ以上何も言うな』と伝えて来た。

 起きたときから感じていた妙な雰囲気は感じていた。気絶している間に何かあったのだろう。


 哀れにも犠牲者となった騎士は生きてはいるようだが、正直クロイツよりも致命打になっている気がしてならない。


「まぁ、なんだな。グレオート騎士長もあんたを認めたみたいだ。よかったな!!」


 そうだそうだ、と他の騎士たちからもクロイツは賞賛され、肩を叩かれた。はて? 何だろう?

 クロイツはキョトンとしながらルシャとホノカを見たが、二人とも全力で視線を逸らしていた。


「魔法と剣術をじきじきに教えてくださるそうだ。良かったな」

「えっ?」

「グレオート騎士長はかつて武舞大会で優勝したこともあるお方だ」

「ほぅ」

「ルシャさんにも指導されると聞いたよ。あんたも出場するんだろ? 武舞大会楽しみだな」

「俺は出ませんけどね!」


 武舞大会にルシャ以上の猛者が現れるなどと想像できないが、剣術指南は正直にいうと受けてみたかった。

 そろそろ真剣に自分自身の力の底上げが必要だ。ルシャがこれ以上強くなったらやばい。



『クロイツさんもそろそろ真剣に他系統の魔法を学ばれたらどうですか?』


 風の精霊からの問いかけに、クロイツは渋い顔をした。

 どうやらキュアラは、ひとつ勘違いをしているらしい。

 

『……根本的な違いだと思うのだが』


 暖かなスープを口に運びながら、クロイツは精霊と語り合うことにした。




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