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クロイツと風の精霊  作者: 志染
40/47

間話 クエイス公国

「派手に呼び寄せたなぁ……」

「み、みみみ見てないでさっさと助けろぉぉぉッ! サァルバ! グリエール!」


 グリフォンに跨り到着した二人と赤の団の騎士たち数名は、目の前の惨劇に思わず眉を顰めた。


 深い霧に包まれ、焼け爛れた黒の大地。周囲には錆びた鉄の匂いが充満し、体長50cm程度の赤い狼、森の守役とさえ謳われている魔狼トゥーゲンが無残にも切り裂かれ、そこかしこにごろごろと転がり、赤黒く変色した血を大地に曝け出していた。


 それに混ざるように、他の生物の死骸、シーラカンスを模した森の遊魚と呼ばれる魔魚サラザ。白い毛並みの疾風魔狼トルトラファ。

 他にも、湿原でも滅多に出合うことがない危険な魔獣が一同に会したその場所は、惨劇という一言に尽きる有様となっていた。


 魔獣の死骸に混ざり、銀色の甲冑も垣間見れる。


 真紅のマントが墓標代わりとは……サァルバはクツクツと笑みを漏らした。



「アラクぼっちゃん様を襲ってるあの紅の獣は俺が狩る。それ以外は任せたぜグリエール」



 サァルバはグリフォンからヒラリと大地に降り立ち、そのまま自らの敵に突進した。

 男の気分に呼応するように、内包したすさまじい魔力が赤みを帯びた風となって体からあふれ出し、それと同時に白銀色の鎧が金色へと色を変えた。

 彼の赤い髪が風になびき、瞳は炎が揺らめくような狂喜に打ち震える。


 手にした武器はレイピア。細身で先端の鋭く尖った刺突用の片手剣だ。

 彼の体に纏わりついた赤い風は、武器へと収束、凝縮し、白銀のレイピアの切っ先を灼熱を思わせる赤へと変化させる。


 サァルバが狂喜の笑みとともに繰り出した刺突は、赤い風の弾丸となって漆黒の大地と削り取り、巨大な紅の獣へと向かっていった。


 獣は、それ予期していたごとくさらりとかわす。

 しかし、獣と対峙していた赤の団の騎士の数名がそれに巻き込まれ、巻き込まれると同時に発火し、黒い灰となって消え失せた。


 獣は大きな金色の瞳で、新しく現れた敵二人を注視していた。

 紅の毛並みを持った獣はもはや目の前の雑魚に注意を払うことは無かった。

 登場した強敵。野生の本能で察知したかの獣は、それだけをただ見据えていた。



「お前があれか? “クドーク”って魔獣だろ? いい毛並みをしてるねぇ」



 サァルバは嬉しそうな笑みを浮かべた。

 赤身を帯びた風に包まれたサァルバの姿は、歪んだ彼の内面を映し出すがごとく、危うい雰囲気を周囲に与えていた。


「た、助かりました、サァルバ様!!」


 仲間の騎士が巻き込まれたことを無かったことにして、生き残った騎士たち数名が直立不動の敬礼を返す。



「ああ? もういいから。お前たちはアラク様を守ってればいいよ」



 サァルバはつまらなそうに手をヒラヒラと振ると、どっかにいけと言外に命じた。



 アラクは目の前で起こった出来事に声も無く、ただ目を見開いてひっくり返っていた。 

 赤の団の優秀な騎士がいれば大丈夫。そうと信じついてきた盗賊討伐。


 クエイス公国十騎士でもある“赤風のサァルバ”と“土天将グリエール”。誉れ高き二人を引き連れた布陣は完璧なものだった……。


 自分の裁量を見せねばと、無駄に主戦力でもある二人に盗賊の掃討命令を出したのが失敗であった。

 現れた魔獣トゥーゲン、それと他の魔獣によって、アラク率いる残りの赤の団は壊滅的とも言える損害を受けてしまった。


 損害のほぼすべてが一匹の獣、湿原の覇者、トゥーゲンの親玉と言われる“クドーク”によるものであったのだが、目の前で優秀な騎士たちが一人、また一人と倒れていく様を見ていたアラクは、正常な思考能力が麻痺し始めていた。

 仲間の騎士たちをサァルバが一撃で消し炭になったことさえ、アラクは夢のように思えていた。

 ただ、驚愕して動けず、抱き起こしてくれる騎士の肩を借りて、茫然自失でその場を逃げ出した。



「まったく……しかしそれにしてもいい毛並みだなぁ。おまえ」



 あきれたようにアラクと数名の騎士たちを送り出すと、サァルバは獣と対峙して再び笑みをこぼした。



 黒のたてがみを持ったジャガーは油断無く、大きな金色の瞳で男を見下ろしていた。

 紅と表現するにふさわしい美しい毛並み。体には黒い蛇が巻きついたような紋様。

 少し横平になった大きな口の両脇から下に向かって生える鋭い二本の牙。



「いいねぇ。姿も性格も俺好みじゃねーか?」

 


 男がクツクツと笑いながら獰猛な笑みを浮かべると、クドークは距離をとり、力の限り空へと吼えた。



 ――ボボボボボォォォォォォォッ!



 獣の体にある大蛇を思わせる黒のセモゾ紋様。そこから湧き上がるがごとく、地獄の業火を思わせる炎がゆっくりと首をあげる。

 荷車に匹敵する大きさを持ったクドークの体に、巨大な炎の蛇が巻き付いていた。



 その熱がチリチリと周囲を焦がす。

 


「優雅だねぇ優雅だねぇ優雅だねぇ」



 サァルバは感嘆の言葉を獣へ返す。

 彼の声は、瞳は、顔は狂喜を超越した笑みに打ち震えていた。

 絶頂寸前のサァルバは、もはや目の前の獣しか見えていない。



 周囲では土天将グリエールが創り出した複数の黒い無機質な影が、いまだに集まり続ける魔獣たちを、黒い体で押しつぶすように淘汰していたが、それすらもサァルバの目に入らなかった。



 クドークが大地に食い込ませた鋭い前足の爪。それを力強く蹴り上げると、大地が巻き上げられた。



「ああ、完璧だなおまえは……完璧だ」



 すれ違いざまに聞いたこの一言が、クドークが聞いた最期の言葉となった………………。








○●○●○●







「《ねぇクルク。なぜあなたはホノカとあの坊やを? 私にくらい話してくれてもいいと思うわ》」

「あはは」


 遥か上空を翔る神の獣リヤンジュは、自らの背に乗せた赤髪の可愛らしい少年に語りかけた。

 山々の遥か上、雲に近しい高所を二人は進んでいた。


――ガァガァッググッ


 呻る獣の上で、少年は笑った。


「何度も言っているでしょ? 僕はあなたの声がわかりません。ただ……いわんとしていることは察することが出来ますけどね。簡単なことですよ。ホノカがクロイツさんを好きになった……それだけですぅ」

「《本当にそれだけなの》」


――ググルルッ


 首をもたげてこちらに視線を送ってくる神獣にクルクは苦笑した。


「僕は僕のしたいことをしています。それだけです」

「《……》」

「ワゾク長老も言っていました。世界はそれぞれの思いの強さを飲み込みながらめぐっている、と。 夢、希望、願望、欲望、野望、絶望……それらはすべて思いです。その強さが強ければ強いほど、周囲を巻き込み、時に災厄を、時に幸せを、周囲に与えてくれます」

「《あの子の境遇は……あなたが一番よく解っていると思っていたのだけど》」


――ガガガァッググッグルゥ


「だから言ったでしょう? すべては思いの強さだと。自らの運命として受け入れ生きてきたホノカが、アソルの街で自分で決めた新しい道を歩み始めました。兄としてそれを応援したい。そう思っただけです。出来ることは限られるかもしれませんが、それでも出来ることをします」


 クルクは遠く空の果てを見据えた。可愛らしい容姿からは少しばかりの威厳が滲み出していた。


「だからニア。あなたも思うように生きてください。いつの日か大切なものを守るために――」







○●○●○●







「とっとっ、“トウザ親方”大変ですーーー!?」

「なんだぁ?」

「新開発中の魔工レーダーに敵影反応であります! 前方十二時の方角、距離ニニ三五の地点から敵が向かってきています」

「そっか、それはきっと壊れてる。安心しろ。そしてさっさと仕事に集中しろーい、“ボス”」


 戦車を思わせる無機質なラインをした魔工機械の下に、仰向けで潜りこんだ男は特に気にすることなく返事を返した。


「我輩の新魔工レーダーに嫉妬ですか? トウザ親方」

「弟子のクセに我輩なんて使ってんじゃねーよー」


 作業の合間のスキンシップとしては、少しばかりしつこい弟子、ボスに対してトウザは苛立ち始めた。

 しかし、すぐに自らを戒める。鉱物の砕岩用のイジーターと呼ばれる大きな鉄杭。出力調整用ギア整備の真っ最中なのだ。デリケートな作業は些細な感情の高ぶりで、あっけないほど簡単なミスへとつながる。


「魔工レーダーが壊れているわけではありません! ほら、目と鼻の先に巨大な獣がきています。目視でもしっかりと確認できているじゃありませんか!?」

「はぁっ?」


――グゥゥル


 とうとうこき使いまくった挙句にこわれたか? 

 ついに獣じみたうなり声を上げた弟子に少しあきれながら、トウザは一時作業を中断することにした。


 小屋の出入り口を何かが塞いだせいで影が入り、手元がよく見えなくなってしまったのだ。

 

 そろそろと仰向けのまま機械の下から這い出したトウザはそこで自らを見下ろすライオン(のような生物)を見て叫び声をあげた。




「あ? あぁ!? あぁぁぁッ!!?」





 叫び声をあげ、目を見開いて固まってしまったトウザを気にすることなく、獣はゆるりと方向を帰ると優雅に緑の芝生まで歩み、そこにごろんと寝転がった。


「なんだ! あれはなんだ」


 はねるように飛び上がったトウザは、機械の上にいたボスの首元をつかみ、ニワトリのようにぞんざいに引き寄せてライオンを指差した。

 不精に生えたトウザの髭が顔にあたり、ボスは明らかな不快を声に含めていった。


「だから我輩が発明した魔工レーダーに反応があったと報告したじゃありませんか?」

「その我輩とやらが発明した魔工レーダーとの効果範囲を、メートル単位でしっかり言ってみやがれ」

「最大効果範囲5m。実地テストでは2.235mから反応が見られました。成功です!!」


 何が成功だ! とトウザはボスの頭を引っぱたく。思わず手にしたスパナでひっぱたいでしまったが、これでこいつのバカが直るなら安いものだろう。ピクピク痙攣するように倒れているから死んでない。だから問題ない。そもそも最大効果範囲を5mだというのに、実際は2.235mからしか探知できていないのだ。そこは最大効果範囲を2.235mに訂正するべきだろう。



 いやまてまて、この状況はなんだ。ギィミドパシィ魔法学校の掃き溜め、お荷物の集まる最果ての地と称されるこの場所に――あの獣は何だ?



 完全にリラックスモードに入った緑の鎧を着たライオンは、何も臆することがないように寝入っていた……。


『んーどっかで見たことある獣なんだが……わからねーなー』


 不思議なライオンを眺めながら、トウザは目にしていたゴーグルをはずした。

 赤と白が縦に交互に入るような奇抜な髪形。茂った無精ひげ。

 着ている不恰好な渋めのオレンジ色の作業服は、草臥れて薄汚れていた。

 見た目は50歳くらいだが実際は35歳のトウザは、彼の容姿としては唯一ほめられるべき、透き通るような赤い瞳でライオンを遠巻きに眺めながら思考をめぐらせていた。



 そんな獣の脇からひょっこり現れた子供の影を見つけて、トウザは若さを思わせる笑みを、機械油で汚れた顔に浮かべた。


「おぉっと、おまえだったかぁ!! クルク!!」

「お久しぶりです……“トウザ教授”!!」


 久しぶりに出会った生徒は、自分を見つけると嬉しそうに駆け寄ってきた。

 相変わらずの可愛らしい低身長と少女のような声。茜色の髪と赤いクリクリとした可愛らしい瞳。小動物のような仕草。

 昔と何一つ変わらない……といってもまだ三年ちょいの付き合いだが。


 トウザは走り寄ってきた男の子を抱き上げて高い高いをしてあげた。


「やめてくださいよぅ」


 泣きが入りそうな表情のクルクに、冗談だ! と地面に下ろすと、未だにピクピクと倒れている弟子のボスを跨いで、小屋の奥へとクルクを招いた。


「それで? 突然現れたってことは、何か用事でもできたのか? たしか外の見聞ってやつを広めにいってたと俺は思っていたんだがな」

「“ライリス教授”から定期的な論文の提出を求められていまして、その提出です。っとこれは新開発の削岩機ですか?」


 戦車を思わせるフォルムからは、三本の大きな鉄の杭が伸びていた。


「新しく砕岩用に試作してるもんだ。この三本の杭が前方を突くんだよ! 固い岩盤も一撃だ!」

「無駄に三本もいらない気もするんですけどねぇ?」

「バカヤロウ! 三点同時攻撃は男のロマンだ。ロ・マ・ン・!」


 相変わらず意味不明な奇抜な思想に基づいてロマンを追い求めているのか……クルクは安堵の笑みを浮かべる。





「さて、なんだ?」


 薄汚れた小屋の中、煤けたイスに腰掛けて、クルクはトウザを見つめた。


「トウザ教授……ついに例の“アレ”の出番が来ました」


 神妙な面持ちをしたクルクの一言に、茶を入れていたトウザの腕がピクンとはねた。

 湯飲みから視線をはずし、無表情に自身を見据える可愛らしい瞳をゆっくりと見返した。


「求める機動力から逆算し、設計されたアレは確かにすばらしい……すばらしいが一番の問題はおまえがよく解っているはずだが?」

「確かにそうです」


 可愛らしい少年は顔をぶらすことなくトウザを見据え続けていた。どうやら正気ではあるようだ。


「しかし、そのための“実験用の動力源”は確保しました。イレギュラーの中でしかまだアレのポテンシャルは発揮できないでしょうが……それでも、トウザ教授が思い描いた理論の構築のためには役に立つと僕は考えています」

「人工的な拡散魔力の収集による魔工機械……いや、ロボットの稼動限界時間の上限突破……か。長年馬鹿にされて久しいなぁ」


 乾いた笑みを浮かべながら、トウザは再び湯飲みに視線を移した。


「魔力回復速度が0.02eN/s、24時間で1728eN。2000eNが一般的な魔法師の内包魔力だ。それは中型の魔鉱石10個分エネルギーに過ぎない。俺が開発した人工的な装置による魔力収集速度はいくつだ……言ってみろ」

「0.00053eN/sですぅ」

「俺の夢には桁違いの壁があるってことだなぁ。そして? お前のアレの消費魔力は2eN/s。通常の魔法師が1000秒程度しか持たないガラクタだ。しかも歩行だけでそれだけのエネルギー消費ときたもんだ。人間らしい動きを可能にするなら更に10倍は軽く必要だろうな。仮に単純に計算してみたとして、クエイス公国でもっとも魔力を有している孤高の黒魔騎士“バルド”でさえ、魔力の保有量は一般魔法師の150倍……30万eNに過ぎない。つまり歩くなら15000秒、人間らしい動作なら1500秒、つまり25分だ。たいしたもんだが、それくらいならば奴を単騎で突っ込ませたほうが話は早いわな」


 茶をクルクに手渡しながら、トウザは笑った。


「教授の新改良開発した魔力量、魔力収集能力、適合スペクトル測定装置。すばらしい出来でしたよ」

「まぁな。伊達に教授はしてないからなぁ」


「魔力量500万eN、回復速度8.5eN/s」


「――なんだそれは?」


 表情が引きつったトウザを見て、楽しげにクルクは笑う。

 にこやかな笑い声にはこちらをからかう様なものは含まれていなかった。


 いや、わざわざクルクがそんなウソをつきにくる必要性がまったく無い。

 

「本当……なのか? そんな数値を示す研究対象(モノ)が本当にあったのか?」

「僕はウソをつきません。そして彼には“始りの加護”がありませんでした」

「はぁ? なんだ生物なのか? 魔力の結晶石ではなく?」


 そんな馬鹿なと顔をしかめたトウザにクルクは苦笑する。


「人間ですよ」

「人間かぁ……ってことはつまりだ? そいつには“抗魔法変換装置”がいらねーってことか?」

「おそらく……としかいえません」

「そうだな、試してみねぇと解らないからな。おー本気でマジかぁ」

「分かっていると思いますが他言無用です」

「かっ、俺の言うことなんざ誰が信じるんだよ。ったく!!」


 トウザの表情に少年時を思わせる笑みが戻った。

 トウザは久しく忘れていた激しい衝動がこみ上げてくるのを感じていた。


「男のロマンだガッツを見せろ~♪ 」


 トウザは嬉しさのあまり鼻歌を口ずさんでいた。


「空前絶後の秘密兵器~忘れちゃいけねぇ魔道砲~♪」


 トウザは試作している戦車の形をした掘削機械を、スパナでガンガンとリズムよく叩きながら小屋の奥へと歩んでいく。


「さぁ、いけ!! ラスドロス・ウィン!!!」


 小屋の奥の扉まで歩いていくと、そこを勢いよく開け放ち、ソレに被された厚手の布を乱暴にひっぺはがした。


「さぁ、クルク!! 忙しくなるぜ!!!」


 彼らの戦いは始まった。








○●○●○●









「ニーセトル公爵、クルク様がお帰りになられました」

「ここに通せ」


 重厚な書斎の一室。明るい魔鉱石で彩られた部屋は質素だが、高級感あふれる家具と、重厚な背表紙を持った本で埋め尽くされていた。


「お父様、ただいま戻りました」


 少しして現れたのは、久方ぶりに見る息子。

 ニーセトルは息子を鋭い眼差しで刺し貫いた。

 いや、ただ単に彼は目を向けただけなのだが、彼の鋭い鷹のような瞳は相手に目を向けただけでそうなってしまうのだ。


「クルク。無事で何よりだ」


 ニーセトルは笑みも無くそういうと、再び書きかけていた書類に目を落とし、サインを加える。そしてゆっくりと立ち上がった。


「ついて来い。ここでは仕事が頭を離れん」

「はい」


 自分と同じ茜色をした短い髪に息を呑むほど美しい顔立ちをした父、ニーセトルに続いてクルクは一度書斎を出た。

 広い屋敷に敷かれた赤い絨毯の上を歩き、とある部屋へと入っていく。


 するとそこには今まさに自決寸前といった様相の、片膝をつき、頭を垂れた初老の男を見つけ、クルクは少しだけ口をあんぐりとあけた。

 が、すぐに気を引き締めて父が座るイスの前に立ち、父に向き合った。


 深々とイスに腰掛けたネイ−ラリューシユ家の長、ニーセトル公爵。

 脚を組んだ姿はどこかの若い皇帝を思わせるが、実年齢は100歳に近い。

 体からにじみ出る雰囲気は、すでに人としてのそれを超越し、周囲に多大な負荷となって降り注いでいた。



 このような空気の中に戻るのは久しぶりだ。とクルクはのんきなことを考えていた。彼もまた大物であった。


「お父様。事の成り行きはすべて把握しておられますね?」


 臆することなく話し始めた息子に、ニーセトルは少しだけ笑みを浮かべる。


「お前がしでかした行動に何か策略は含まれているのか?」


 クックッと笑うニーセトルは非常に稀である。それこそクルクの母である“ディーノルト”と会っているとき以外ではほぼ皆無であるといって良い。


「正直に申し上げれば何も考えておりません。自身の欲のために、ホノカを呼び出しました」

「……なるほど」


 ニーセトルは静かに考え込むように目を閉じた。


「バラク宰相が手を回して赤の団がなにやら暴走したようだ、それは知っていたか?」

「こちらについて程なく。異変についてはアソルの伯爵より直接聞いていました」

「あわよくば……アソルを落としたかったようだが、阻まれたそうだぞ。これもひとえに、お前がホノカをアソルへと連れ出したおかげだそうだ。アソルの伯爵からそのような礼状がこっそりと送られてきた。ついでに何かの建築費用の請求もな。――本当に“ルクンス”の奴が見込んだだけあって肝が据わっている」


 ニーセトルの声に、初老の男はビクリと震えた。


「すでに街には屋敷の者を遣わして監視していたのでしょう?」


 クルクは初老の男の前に立ち、背に男を匿った。


「“グレオート”には非はない。非があるとすれば仕事に追われ、静止することが出来なかった私の責任であろう。いや、問題はそこではないな……結果的に見れば、お前たちの愚鈍なる行動で救われた命があった、ということが重要。そして……ホノカの婚約の件だ」


 ニーセトルは鋭い視線をクルクに叩き付けた。鷹のように鋭い瞳には先ほどの笑顔などない。部屋の空気が幾重にも張り詰める。

 しかし、クルクはニーセトルの焼け付くような視線に顔色ひとつ変えなかった。母親譲りの可愛らしい瞳で、真っ直ぐそれを見返して、力強い声で言った。


「クロイツさんがリヤンジュと会話したのは事実です。バラク宰相の息子、アラク様とは婚約破棄を!」


 ニーセトルは目を細めた。


「件の縁談の重要性について、お前は理解しているのか?」

「掟が優先されましょう。ホノカの気持ちも汲めば、私は迷いません」

「国の前にそのような掟も情は無用だ」


「それは、赤の団の暴走を加味した上での判断でしょうか」

「ふむ」


 尚も眼光に力を湛えたクルクを見ながら、ニーセトルは思考をめぐらせた。

 彼の思考には、親子の情などというものはない。いや、クルクが指摘したとおり、すぐさま監視をつけてホノカを見守っていたことが彼の愛であるのかもしれないが……それすらも政治的思惑を調べるために遣わしたといえばそれまでだ。


 つまりは、国益にどうつながるかが重要で、それ以外は重要ではないのだ。


「その者はホノカを任せるに足りうるか?」


 もらす様につぶやいたニーセトルに、クルクは驚いて彼を見返した。

 一瞬、淡い笑顔のようなものが見えた気がしたのだが……どうやら気のせいだったようだ。


 ニーセトルはいつもと変わらぬ、鋭い瞳でこちらを睨み付けていた。


「お父様ご自身の目で見られるほうがよろしいかと」

「……となればグレオート。お前に一任する。速やかにその者とホノカを俺の前につれて来い。以上だ」


 ニーセトルはゆるりと立ち上がると、すれ違いざまにクルクの頭をポンポンと叩いた。

 そして、無表情に部屋から出て行ってしまった。




「さぁ、グレオートさん。立ち上がれますか?」


 額に汗を噴きだしていた初老の男をいたわるように、クルクは彼を覗き込んだ。


「クルク様、お気遣い痛み入ります」


 ようやく正常な呼吸を取り戻し、男の顔に少し赤みがさしていた。


「ニーセトル様が作り出すあの空気は慣れませんな。寿命が数年縮まりました」


 本当に縮まっているように感じるので、クルクはそれになんともいえない笑顔で返した。


「事を大きくしないように手立てを打っておいたのですが、足りなかったようですね?」


 クルクは首をひねる。少なくない資金を回しておいたはずなのだが?


『まさか街の採算に合わない出費を全部上乗せしたんじゃ……』


 クルクは優しげな笑みを浮かべていたハノンを想い、少しだけ苦悩した。




「まったく、上流貴族に請求書などと!! いえ、……今回の問題は私の監督不行き届きゆえですな」

「ホノカの件の原因は僕にあるわけですし、それにそれらを含めて父も不問に処す、と」

「婚約はまだお許しになられておりません!!」


 強い語気で言い切った初老の男は、先ほどの汗と震えが嘘のように消えて、歴戦の騎士を思わせる姿に変化していた。 


「失礼。ホノカ様の捕獲に向かわせていただく!!」

「まってください。クロイツさんたちは今こちらに向かってきています。少し待てば必ず到着しますよ」

「ニーセトル様は速やかにと申された。こちらから捕獲に向かわせていただく」

「それは力ずくということでしょうか?」


 クルクはグレオートの紺色のマントを必死に引っ張り制止する。


「ホノカ様は私の言葉に……ニーセトル様の言葉には逆らいません!! 大人しくついてくるはずです。そやつがホノカ様を真に愛しておられるのなら、否が応でもそれに黙っていてもついてくるでしょう!! ついてこないというならば……………………」


 クルクを一人残し、悪鬼がごとき凄まじい形相で男はドシドシと歩いて部屋から出て行った。


 グレオートのマントを必死に引っ張っていたクルクは、そのまま引きづられて鼻の頭の皮を擦っていた。


 一人残された部屋の中、少しヒリヒリとした痛さを我慢してクルクはムクリと起き上がった。



『少しだけホノカが羨ましいですぅ。さて、お母様にもホノカの事を伝えなくてはなりませんね』



 彼は部屋から出ると、覚悟を決めて屋敷の最深部へと一人降りて行った……。





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