第三十六話 真紅なる魔女
木々の葉は互いを多い尽くすように生い茂り、その深い森の中に星の淡い光は届かない。
暗い森の中にあって、淡い青色の光の粒を浮かべる小さな湖がひとつあった。
湖の中からは湧き上がる光の粒で成長するがごとく、鍾乳洞を思わせる青い透明な鉱石のようなものが湖の湖畔から上に向かって伸びていた。鉱石の先からはポツリポツリと青い光の粒が一定の速度で空へとのぼり、四散し、暗い森の内部を淡い青の光で照らし出している。
そんな不思議な湖の畔にある緑のコケに覆われた木々の根には、金色の稲穂を思わせる植物も生えていた。
稲穂といっても似ているのは背丈と色合いだけで、少しばかり形が違う。
単子葉植物特有の平行脈の葉っぱが二本。そこ間からはスッと伸びる茎があり、その先には少し膨らんだ光袋のようなふくらみがあった。ふくらみからは黄金色の光の粒をあふれ出ており、そんな光袋の先端はワラビのように管を巻き、みょうちくりんな存在感を森の中で放つ。
木々の合間には、ホタルのような淡い緑色の光が舞踊り、そんな光に照らし出された木から垂れ下がった植物のつたは、淡い紫色の光を怪しく放っていた……。
深遠なる森の奥にある不思議な池のある場所は“ラーフ”のひとつ。
世界と世界が擦れ合い生まれる狭間のエネルギー。
この世界で魔力と呼ばれるエネルギーが噴き出す特別な場所。
淡い光に包まれた小さな湖を見下ろす人影がひとつあった。
手に持つ魔鉱石をいれたランタンのオレンジの光は、湖周辺の淡い光に混ざるようにやさしい光を放ちつつ、辺りを少しだけ明るく照らしている。
光に照らされた人影は、例えるなら古の魔法使いを思わせる風体をしていた。
小さな頭とは対照的な円を描いた鍔の大きな緑色の三角帽。その先端は少しばかり長く、それが重力に引かれて垂れ下がり、先端には赤い毛のようなものがもっさりとついていた。
手には木で作られた背丈ほどもある大きな杖。
杖の先はクルクルととぐろを巻いて、とぐろの中心には赤い宝玉のような物が埋まっていた。宝玉からはランタンと同じく淡いオレンジの光が溢れ出ていた。
光に照らし出された長く毒々しい赤い髪と血のように赤い瞳。
妙にふんわりとした髪の間からは、エルフのように少しだけ尖がった耳が見え隠れしている。
ゆったりとしたズボンは足元でキュッと括られ、まるで大きめなカボチャパンツ。先が尖ったブーツ赤いブーツが少しばかりミスマッチを起こしていた。
しわがれた老女の声が湖に響いた。
「なぁ“ヴォルム”や、世界の流れを感じるかい?」
「――ガルルルッ」
魔法使いの脇には一匹の獣がいた。
赤く燃える炎を思わせるオレンジの毛並み。
ライオンに近い毛並みと体躯をしているが、どちらかというと大きめな豹と呼ぶにふさわしいシュッとした顔立ちの獣。
緑色の鋭い瞳を湖に向けながら、獣はうなり声を尚も上げる。
「そうかい。世界がまた動き始めたんだね。さてさて――」
魔女は考え込むように湖の周囲を見渡すと自らの家路に付いた。
○●○●○●
サゥクノ湿原での二日目の朝。
東から昇った太陽が朝もやを払拭する頃合にそいつらは現れた。
ギリシア神話に登場する怪物。胴体はライオンで、頭と翼がワシという合成獣。
“グリフォン”
姿かたちはロムヤークによく似ているが、草食的なロムヤークに比べて肉食的な印象を受ける。
ロムヤークにはない猛禽類特有の覇気を、グリフォンは有していた。
空を完全に飛ぶわけではなく、走ってはとび、走ってはとび、まるで飛び魚のように大地を飛び進んでやってきた。
隊列を組んだ四匹のグリフォンに跨るのは、真紅のマントをなびかせた銀の甲冑を着た兵士達が六名。
“赤の団”
赤い髪をした男がヒラリとグリフォンから舞い降りると、人当たりのよさそうな笑みを顔に浮かべた。
「これはこれは、アソルの兵士の皆様ではありませんか」
助け出された人々を守るように展開したエムラド隊。
その前に悠然と降り立った男は、貴族に相応しい優雅な会釈をする。
男は名を“アラク”と名乗った。
20代前半の赤い髪に赤い瞳をした、顔立ちのよい色男で、騎士と呼ぶにふさわしい格好をしていた。
優しげな笑みを浮かべる男に、憮然とした顔のエムラドが挨拶を返す。
「これは赤の団の方々。なに用ですかな?」
「それほど邪険にしなくてもよろしいじゃありませんか? アソルの伯爵は本当に短気でいらっしゃる」
優雅な物言いのアラクに対して、エムラド――アソルの伯爵ゲンダウは表情を動かすことなくアラクを睨み付けていた。
兵士達の幾人かはエムラドが伯爵と呼ばれたことに少しだけ動揺したようだが、それもすぐに収まる。
「なんでも、掃討作戦を敢行された……と。アソルにそのような話を頂いておりませんが釈明はおありか?」
「今回の出来事は仕方がありませんでした。ほら言うでしょう? 敵を騙すにはまず味方からと……僕としても不本意ではあったのですよ」
アラクは無念そうな、悲壮感あふれる雰囲気を体から発していた。
「――“バラク”宰相の妙案でしたかな?」
バラクと聞いた瞬間、アラクのそれは揺らぐ。
「詳細についてはお教えできかねます。しかし、戦果だけ見ればすばらしいものでしょう? 多少の犠牲……周辺の村々に住む人々には申し訳ない思いもありましたが、おかげで長年我々を悩ませ続けた盗賊団のアジトはすべて壊滅させることが出来ました。あとは残存している盗賊を駆逐する段階に移行しています。これからの街道は平和になることでしょう!!!」
彼は軽やかにそういうと再び優しい笑みを浮かべた。
そして笑顔の合間から、スッとした瞳でエムラドを見据えて言葉を続ける。
「しかし、アソルの伯爵がこのような場所におられるとは……少しばかり驚きました」
「街道の平和を守るのはアソルの兵士も同様ですからな。当然でしょう」
「いやいや、近頃は亀のように縮こまっておられたように思えていたので心配しておりました」
エムラドは岩のように表情を動かさなかった。その内心は伺い知ることは出来ない。
それにかまうことなくアラクは少し演技がかった調子で話を続ける。
「ですが、それに伴い心配な出来事がひとつあります」
「なんですかな?」
「現在、我々赤の団はアンプから盗賊の掃討作戦を敷いていたのです。それによって盗賊が追い詰められ、いつアソルの街を襲わないか……と、心配しておりました」
心底心配そうな表情をするアラクに、伯爵は余裕の笑みを浮かべて笑った。
「はっはっは。心配されずともアソルは大丈夫ですぞ」
「いえいえ、窮鼠猫をかむといいましょう。アソルが今この瞬間に盗賊の襲撃を受け……乗っ取られるということもありえるのです。それがお分かりになりませんか?」
エムラドは尚も笑いアラクに挑戦的に言った。
「街には俺が鍛えた兵士や仲間がいるんだ! お前らごときに落とせるもんじゃない――」
○●○●○●
「街に潜んでいた賊はこの程度ですか……案外すくなかったですねぇ」
街の中央にある訓練場。
そこに集められ縛り上げられた人々、100名あまりを見下ろし賢者風の男はため息をこぼすようにそういった。
明るい紅色の髪と赤いルビーのような瞳をした、中性的な外見を持つ男の脇には、蒼く鋭い瞳を持った白く長い髪と髭が特徴の老兵が立っていた。
「まぁ、あらかじめ目星はつけていたからな」
意匠をこらしたつるはしのような武器を持ち、両手の指には髑髏やルビーといった宝石のようなリングがはめられ、両耳には派手なピアス、右目には黒の眼帯。腰に酒瓶とポーチを下げた老兵は、つまらなそうにキセルに火を入れてふかしはじめた。
「ハノン様! グレオ様! アソルの北より盗賊の大群が襲ってきております。その数、約800です!!」
兵士の一報を受けて、ハノンはさらにため息をこぼす。
彼はこういった荒事は苦手であったのだ。
グレオはそれを見て不敵な笑みをこぼした。
「問題ない。オレーツのやつが久しぶりにやる気をみせておったからな。魔女と呼ばれた者の孫娘だ。心配はいらん」
それを聞いてハノンは苦笑する。
今回の騒動の被害費用はどこで捻出したらいいだろう……と。
アソルの北門。そこから優雅な物腰の女性が一人、北に広がる金色の麦畑を歩いていた。
ひとつの絵のような中にあって、その女性は情景から浮き上がるような存在感を放っていた。
腰まで伸びた赤く長い髪と血のような瞳、真紅のドレス……。
毒を含むような赤の中にあって、女性の顔と手は白く優しく――超絶とした美貌をもたらしていた。
「私の黒猫カフェをつぶそうとしているのはあの方たちかしら?」
一人の女性の存在感に完全に覆い隠されてしまったアソルの兵士精鋭100名は、自分たちの先を悠然と歩く女性に付き従い、肯定する返事した。
「そう――」
優美なる女性が、身の丈ほどもある長い漆黒の杖を前方にかざす。
それだけの仕草だけで周囲の空間にドンッという衝撃が起こったとアソルの兵士は錯覚してしまった。
行動の一つ一つが、既にひとつの芸術。
女性はそのすべてを支配していた。
「キーヨスーゼリ・ディディメルゾ」
真紅なる女性の周りに、真紅なる炎の鋭い筋が帯びていき、幾重にも幾重にもそれらが重ねられていく。
それが女性を覆い尽くしていくと、周囲は灼熱ともよべる熱気に支配された。
賢いアソルの兵士たちは女性の後方へと速やかに退避する。
真紅なる炎に包まれた女性が、手にした黒い杖で地面を軽くたたくと、瞬く間に地面にひび割れが生じ、パキパキという音の規模を増しつつ畑から森へと放射線状に広がっていく。
盗賊団は群れだってアソルへと迫ってくる。
数にして800名超。
それぞれに武器を持ち、炎や水、風といった魔法を打ち込もうと準備している者の姿もあった。
アソルの兵士は街の警備に100名、北門に600名、盗賊の討伐に100名の布陣である。
戦闘に特化した者は、盗賊を迎え撃つ部隊に組み込まれていた。
なぜ城壁で迎え撃たなかったかといえば、一人の女性が悠然と歩いていってしまったからである。
久しぶりにやる気を見せた、アソルの黒猫カフェのインテリアデザイナー
“オレーツ”
アソルに存在する“戦略級魔法師の一人”である。
ギルド、ガウルの尻尾のマスターであるグレオの孫娘であり、湿原に棲む魔女の子孫。
オレーツの肩書きを知る者は意外にも少ない。
彼女は極めて変わり者の気分屋であり、あらゆる物事に興味を示さない性格であったからだ。
世界が滅ぶその時になってようやく腰を上げるような人物は、今回は意外なことに乗り気であった。
やる気の理由を真に理解するものは少ないが、彼女は黒猫カフェを愛してやまない。
コーヒー、カフェオレ、ケーキにチョコレート。ついでにココアは彼女の世界のすべてであった。
「サンスターム・ソノ」
漆黒の杖を地面につけたまま、オレーツが優美なる笑みを浮かべると、広大なる大地に配された放射線状にひび割れた大地の隙間から、シュザーというすさまじい轟音と共に真紅の炎が噴出した。
湧き上がった鋭い炎は、その上に侵入した盗賊団をたやすくも切り刻む。
真紅の炎に散る盗賊たちの姿は、まるで優雅なダンスを踊るがごとく。
アソルの兵士は戦略級魔法師という者の意味をあらためて認識する。
オレーツは魔女である、と。
盗賊団はオレーツの魔法とアソルの兵士達の力により驚くほどあっけなく駆逐された。
アソルを誇る精鋭なる屈強な兵士は一騎当十。
それほどの器量を持っていた。
しかし、彼らの真の強さは別にある。
彼らはオレーツの力に悲観することはない。
圧倒的な力の前にも決して屈しない。
守るべき者を強くその胸に抱いているからだ。
彼らの心の強さは、アソルがアソルとして存在するためにそこにあるのだ。
○●○●○●
「あなたがそれほどまでに守ろうとしているアソル。その現状を我々も見に行くことにいたしましょう」
「それはありがたい。ちょうど荷車を引いてくれる獣を探していたところだ」
「……誇り高きグリフォンに荷車を引かせようというのか!?」
「赤の団は人々を助けるためにあるはずだが?」
「……」
会話が進むたびに青筋を立て始めたアラクは、既に小物臭を発し始めていた。
笑顔のわりに、眉間が先ほどからピクピクと動いている。
それに対してエムラドは実に楽しそうだ。イジリ甲斐のあるおもちゃを手に入れたようにも見える。
「仕方がありません。しかし我々も忙しい身です。グリフォンを一頭だけ預けましょう。まぁ、手懐けることが出来ればの話ですが……」
アラクはそういうと自らが乗っていたグリフォンをエムラドにけしかけた。
攻撃しろと受け取ったグリフォンがその身を起こすと、エムラドに向かって突進を開始する。
一瞬、エムラドを助けるべきかと動こうとしたクロイツは、エムラドの余裕たる笑みを確認すると加勢することをやめた。
エムラドはひらりとグリフォンの嘴をかわすと、首根っこを強引に突っ込み、そのまま一本背負いのように投げ、地面にたたきつけた!
――ドンッ!!!
鮮やかな弧を描いたグリフォンは鈍い音を立てて仰向けに倒れる。
しかし、すぐさま起き上がると「クルルッッ」と鳴いてエムラドに戦闘態勢をしいた。
エムラドはそれに怯まず堂々とした様子で向かいあった。
エムラドは強い意志を湛えた瞳でグリフォンをただにらみつける……。
数秒後。勝負は決した。
甘える猫のように頭をたれて、誇り高きグリフォンはエムラドに擦り寄った。
「何をしている!」
アラクが怒気を含ませた声で言い寄ろうとすると、仲間の騎士に強引に止められる。
アラクの体の脇を、グリフォンの鋭い後ろ爪が通り過ぎた。
「ヒッ!!!?」
悲鳴を上げたその主は、そこそこかっこいいはずの顔を赤らめると、盛大にわめき始めた。
「僕を裏切ったらどうなるかわかっているんだろうな! いいや、アソルの伯爵! 貴様もただで済むと思うなよ!!」
結局何をしに来たのか不明の男は、そんな言葉を残して仲間の騎士のグリフォンに跨ると、あっという間に元来た道を戻っていってしまった。
あまりにあっという間に帰ってしまったので、グリフォンをあとでどう返せばいいのか聞くのをエムラドは忘れてしまっていた。
「まぁ、いらんというなら貰っておこう。お前の名前は何にしようか……」
残されたグリフォンはうれしそうにいななくと、エムラドに忠誠を誓った。
一連の出来事の影で、クロイツの背にぴったりと張り付き事を静観していた人物が一人……。
騎士たちから隠れるようにクロイツの後ろに隠れたホノカは、話の最中ずっと張り付いていた。
クロイツの髪の色を見つけたアラクが「愛する者を思い出すよ」きざったらしく言葉をかけてきた際には殊更小さく隠れていた。
「……もしかしてホノカの許婚って? アレだったのか!??」
「だからあんたのほうがマシといったのよ――」
憮然としながらもホノカは少しその頬を赤らめていた。
元々嫌味な感じが抜けきらず、どうしても好きになれなかったアラクという男。
バラク宰相の息子でもあり、ホノカのネイ−ラリューシユ家と同じく上流貴族の筆頭でもある家柄だ。
だから無碍な態度をとることが出来ず、とりあえず婚約が決まった後も出来うる限り距離を置いていた。
あの様子からすれば、婚約破棄という話は伝わっていないらしい……。
自分がいいなと思った男の子と結婚できる段取りになったときには驚きよりもうれしさに満ちていた。
今もそうだ。こうして傍に寄り添っているだけでもどきどきする。
そして決定的に小物臭の抜けないアラクを見たせいだろう、よけいにアレから開放されたのがうれしくて仕方がない。
だけどそれをクロイツに悟られるのだけは絶対に彼女のプライドが許さなかった。
だからホノカはクロイツに寄り添いながら押し黙った。
この気持ちはホノカだけのモノであるのだから……。
○●○●○●
「申し訳ありません。“オルーナイ”様。力をお貸しください」
深い森の中の家の前に変な二人組みを見つけた魔女の風体をした老女は、嫌そうな顔をした。
一人は灰色の短い髪に生気を失ったような淡い青色の瞳をした色白い肌を持った少女。
華奢な体躯に白い旅衣装と鋼の鱗を模した黒色の籠手を両腕にしていた。
そしてそんな少女の腕に抱かれた男。
スキンヘッドの熊のような体躯をした男で、無骨な濃緑色のごわごわした服に、色黒い肌、左耳に金の三連リングのピアスをしていた。
男のほうは深い傷を負っているようで、家の前に血を流して倒れていた……。
「ふぅ……。盗賊団最強と言われた男がざまぁないねぇ」
返事をしない男の両の目はくりぬかれたように凹んでいた。
「昔に私がやった眼までなくすなんてね。お前を見込んでいたが、これは予想外だ」
昔を思い出すように話している老女に、少女は諦めずに懇願する。
「オルーナイ様、事は一刻を争います。どうか助けてください」
少女の声は妙に抑揚がなく、人間らしいものを感じさせない声であった。
「助ける義理はあるのかい? お前は殺されたんだろう? お前の両親を、その男にさ……」
「私はこの人に育てられました。だから助けます。過去ではなく未来を。そう言ったのはあなたです」
少女の生気のない青い瞳が老女を見据えていた。
オルーナイと呼ばれた魔女は、真紅の瞳で少女を威圧するようにいった。
「そいつの眼を取り戻してきな。一応傷はなおしてやるが、眼がなければおっちぬだけさ……ユレイ――」
「やめろ! ユレイ、あいつらにかかわらルナ」
ゴボッと血の泡がスキンヘッドの男の口から湧き出た。
しかし少女は怯まない。
「必ず眼は取り戻してきます」
少女は倒れた男の制止を振り切り、一人森へと消えていった……。