第三十五話 赤の団
「“赤の団”。今回の事件はやつらが引き金だ……」
湿原に朝の光が降り注ぎ、闇夜の支配者スルーザーは身を潜めた。
いつもと変わらぬ朝。
昨夜助け出した人々は柵壁に区切られた空間の中で、ケイトが提供した簡素な布の上に寝転がり、それぞれ眠りについている。
クロイツ自身の疲れはピークに達していた。
前日から寝ていないこともあるが旅路での風の鎧、スルーザー飛ばし、その後の退治に治癒魔法……。
通常ならば助からなかった人々が、こうして無事に朝の眠りにつくことができているのは、クロイツの魔力と風の精霊のおかげである。
しかし、魔法師一万人にも値する無限とも言われた魔力は、それでもやはり有限であり、クロイツは朝方には魔力をほぼ使い切ってしまうほど疲弊していた。
治癒にはそれほどの魔力が必要だったのだ。
「魔力酔いの症状が出てるわ」
青ざめた表情のクロイツを見つめて、ホノカは眉をひそめた。
まるで二日酔いで燃え尽きてしまったような、そんな感覚がクロイツを襲っていた。
休んだほうがいいとさんざん言われたが、クロイツは断固としてそれを拒否した。
なぜこのようなことが起こってしまったのかそれを知りたいと思った。
座っている分には問題ない……。
ヤブンスの周りには、ポルを除く全員が集まり、腰を下ろしてその話を待っていた。
ヤブンスはクロイツを少し心配そうな表情を見つめていたが、かまわず話を始めてくれた。
「アソルからスーセキノーク。この街道に本来ならばここまでの盗賊ははびこってはいなかった。赤の団と盗賊団のアジト……湿原をもう少し行った先にある場所を中心に、一定の秩序によって成り立っていたんだ。その均衡が破られたのは――赤の団……やつらのせいだと俺は思っている」
ヤブンスは盗賊団のアジトで知った情報と、遭遇した出来事を淡々と語り始めた。
「赤の団はクエイス公国の貴族を中心とした組織で、その規模はでかい。主な仕事はクエイス公国の治安維持を目的としているはずだが……」
ホノカがそれに少し硬い表情で「そうね」と短く頷いた。
ヤブンスは手を組み、手の上にアゴをのせると少し目を閉じて考えるように言葉を続ける。
「……アソルとスーセキノークの街道は主要な貿易路だ。赤の団も……盗賊が出れば当然それらを排除し治安維持活動を展開していた。しかし、アジトは殲滅しなかった。なぜだか分かるか?」
「――必要悪だからよ」
ホノカが少し目を伏せてポツリと答える。
ヤブンスはそれにゆっくりと頷いてみせた。
「街道を行く人々は盗賊に襲われる。しかし、そこへ現れ盗賊を始末してくれる赤の団。民衆はそれを正義として支持する」
《盗賊共は狡猾なやつらな故に、そのアジトをうまくつかむ事が出来ない。しかし、我々は全力で街道の安全を守るために日夜努力する!!!》
「赤の団の言い分は陳腐だが効果は絶大だ。それにより支持を集め、国にとって不可欠な存在として君臨している。正義というのは……俺にとっては馬鹿馬鹿しい事だが、陰と陽――持ちつ持たれつの関係なんだろうな。まぁそのおかげで盗賊団というものもうまく管理されていたんだ……少し前まではな」
ヤブンスは乾いた笑みを浮かべた。
「夏至の一ヶ月前に差し掛かった時期に変な噂が囁かれ始めた。それは根も葉もない話だったが“風の終わり”というお宝が、アソルからスーセキノークまでの街道を渡って運ばれるというものだった。肝心なのは……だ、俺もポルを託した後に知った事だが、どうやらそれと呼応するように赤の団のやつらが治安維持に手を抜き始めていたらしいということだ」
ホノカはそれに怪訝な表情を浮かべ、皆のかわりに少しきつめの口調でヤブンスを問い詰めた。
「伝説に出てくる魔装具の名前よね? 手にしたものは七日で世界を滅ぼせるとかっていう……あるわけないじゃないそんなもの! それに手を抜き始めたってどういうこと!?」
「噂の真相は俺にも分からん。噂によって他の地方の盗賊も集まってきたこと。赤の団が街道から姿を消し始めたこと。これらが事実だ」
「姿を……消した!?」
驚くように立ち上がったホノカを諌めるように、ヤブンスは冷ややかな瞳でホノカを睨み付けた。
「アソルの街からこちら側への街道は封鎖されていたはずだ。理由は盗賊団の増加だけじゃない。赤の団の撤退によるものもあった」
「そんなこと……聞いてないわ!?」
「アソルは無駄に治安が良かっただろう? 事が深刻になる前にアソルの伯爵が近しい街道警備の兵を引き上げつつ、外部に住んでいた民衆を無条件で街に招きいれた。街には兵を配し、警戒態勢をしいたと俺はそう聞いている」
そんな詳しい事情を聞かされていたかったホノカは驚くように目を見開く。
クロイツもルシャも、また同様に驚いていた。
しかしケイハ、ケイト、サムズは知っていたのか憮然とした表情でそれを聞いていた。
ヤブンスはクロイツたちに問いかけるようにように言った。
「……この先はさらにきな臭い話になるが聞きたいか?」
クロイツは少し躊躇いつつも頷いた。
○●○●○●
アソルから深夜に出発し、馬を走らせたヤブンスたちはロウス平原のとある場所を目指していた。
そこには、昔からその周辺を縄張りとしているヤブンスと親しい盗賊団があり、当初はそこである程度情報を仕入れてエムラドに伝えようという腹であったらしい。
しかし、道中に現れた尋常ならざる数の盗賊団たちにヤブンス一行は驚くことになる……。
出会う盗賊の約一割ほどは顔見知りである盗賊たちであったが、それ以外のやつらが圧倒的に多かったのだ。
持ち前の逃げ足の速さを用いて、なんとか親しい盗賊団の縄張りとなる場所に着いてはみたが、そこに探していた盗賊団の姿はなかった。
『今更アフとニクルだけを街に戻させるわけにもいかねーか』
ヤブンスは非力な部下である二人を一緒に連れてきてしまったを後悔する。と、同時に三人であればアジトまで無事に辿り着ける確率が高いと気がついた。
そこで、エムラドとの約束が反故になってしまったのを内心で謝りつつ、ヤブンスたちは盗賊団のアジトの現状をより正確に把握するために、直接アジトまで向かうことに決めたそうだ。
それからはロウス平原、チキサナップ湖、サゥクノ湿原を新勢力の盗賊団から隠れるようにコソコソと移動し、二日かけてヤブンスは盗賊団のアジトに到着した。
ちょうどクロイツたちがアソルを出発し、小さな湖まで辿り着いていた昨日の昼下がりに、ヤブンスは盗賊団のアジトの主に会っていた。
ヤブンスがいざ部屋を訪れてみれば、残念なことにサブルはピンピンとしてそこにいたそうだ。
挨拶代わりの刀投げも昔と変わらず、醜悪で不気味なガラス球の瞳を持つ男は生きていたのを確認する。
そこで、サブルという盗賊団の主は馬鹿な盗賊が多すぎて手に負えねぇと言っていたそうだ。
アジト周辺の盗賊たちの死体の数はもはや語るに多すぎたそうだが、それがサブルのせいならば仕方がないとヤブンスは低く笑う。
最強の力をもって盗賊団のアジトたる頭を担っているのがサブルという男。
力に従え。
それがアジトの絶対的ルールだそうだ。
幸いなことにもアジト周辺の治安はそれなりにいつもの様子で、幸運にもエムラドに頼まれていた人質の場所も分かったららしい。
あいにく極悪商人の行方はまったく分からなくなっていたが……混迷を極めた状況なので巻き込まれて死んでいたとしても不思議ではないとのことだ。
その後、サブルの下っ端の一人が血相を変えて勢いよく部屋に飛び込んできた辺りから事件は始まる――――――。
「大変だ! お頭! 赤の団のやつらが戻ってきやがった!!!」
サブルから無造作に放たれた刀をひらりとかわしながら、下っ端はあわてた様子でサブルに告げた。
「いきなり入ってきてうるせーなぁ……」
面倒くさそうにしながらも、サブルは眉間にしわを寄せた。
下っ端の話を聞けば、姿を消して撤退したと言われていたはずの赤の団が突如として街道へ戻ってきたというのだ。
渓谷の港町アンプから街道を進みつつ、周辺の盗賊、あるいは盗賊らしきものたちの掃討を開始した……という話であった。
「何だぁ? いまさら思い出したか赤の団の馬鹿どもがぁ」
つまらなそうにサブルはそうはき捨てた。
だが、下っ端の次に続いた言葉にヤブンスもサブルも目を見開く。
「それが、“カザキ”の村もやつらに殲滅されたらしいんです!!」
「カザキが?」
ヤブンスは驚いた声で口を挟む。
カザキの村は、盗賊団のアジトから少しばかり離れた場所にある街道沿いの小さな村だ。
赤の団の庇護を受けていた最も警戒厳重な場所であり、そこを“非道なる盗賊団から守り続けることが赤の団の誉れ”とさえ言われていた村である。
赤の団もそこにいる兵までは引き上げることはしないだろうとは思っていたが……それが殲滅されたとはどういうことだろうか?
ヤブンスもサブルも考え込むように沈黙した。
自分たちの知らないような凶暴な盗賊団にでも占拠でもされてしまっていたのだろうか?
ちなみにサブルと赤の団はアジトとカザキの不可侵条約を秘密裏に結んでいる。これはヤブンスも知らないことではあるが……。
サブルはぶっきらぼうに呟いた。
「村を占拠したって話は聞いてねぇなぁ。まぁ、カザキがどうなろうと知ったこっちゃねぇがな」
サブルはたいして興味が無さそうに、あご下をさすりあげながらタバコを再びふかし始める。
しかし、それに対してヤブンスの表情は硬かった……。
「だが、ここまでくるような気もするな……」
ポツリと溢したヤブンスの言葉にサブルは笑い声を上げた。
「がははは」
熊のような男はガサツに笑い続けていたが、しかし……それはその夜、現実となってしまった。
○●○●○●
「地下に捕らえられていたのは女子供ばかりだけだ。サブルの奴はある時からそれらを差し出すように盗賊団に命令していてな。詳しくは知らんが、女子供に手をださんという矜持をいつのまにか持つようになったらしい……」
「それがあの人たちですか?」
「盗賊にさらわれてきた者とアジトにいた奴らの妻子が混ざってはいるがな」
少しばかりヤブンスの長い話を聞いている間に、クロイツはある程度回復していた。
魔力の回復速度もチート性能と言うのは伊達ではないようだ。
助けられた人々を少し見つめてクロイツは思う。
盗賊団のアジトと呼ばれる場所にいる人にしてはあきらかに数が少ない……他の人はどうなったのだろう……と。
「赤の団の作戦だったんじゃねーかと俺は思ってる」
「作戦!?」
まるで他人事のように話し出したヤブンスにクロイツは少々面食う思いで見つめ返した。
しかし、それにかまうことなくヤブンスは自らの考えを淡々とした表情で語りだす。
「結果的に見れば付近一帯の盗賊とアジトの壊滅。武舞大会にあわせての治安掃討作戦、軍事力の誇示。そうとるほうが自然だろう? 盗賊は盗賊だからな。人のものを無理やり盗むのは悪いことだろう。悪いことは悪いんだ。どっかで正義を振り回す馬鹿が現れて殲滅させられたとしても……文句が言えないようなことを俺たちはして生きていたんだ」
ヤブンスはそういうと少しだけ悲しげな、乾いた笑みを再び浮かべた。
確かにヤブンスの言い分は正しい。そのとおりでもある。
しかし、心情的にはヤブンスを応援したかったクロイツにとっては少しばかり複雑な気持ちだ。
中にはヤブンスのような義賊もいたはずなのだ……。
それらを利用するだけ利用して切り捨てる。
そのやり口の強引さが気に入らなかった。
……今回の出来事は正しかったといえるのだろうか?
それまで静観して話を聞いていたルシャが、碧く冷たい瞳でヤブンスを見据えて言った。
「ならばなぜお前たちは逃げてきたんだ」
凍てつくようなルシャの低く透き通った声に、クロイツはハッと顔を上げてルシャを、そしてヤブンスを見つめた。
赤の団が正義であるならば、人質の救出は最優先事項であるだろう。ならば逃げる必要などなかったはずなのだ。
「クク、さすがに鋭いな……結論から言えば、赤の団は文字通りの殲滅をはかったんだ。盗賊も、村も、アジトも……女子供もない。すべて掃討しようとしたんだ」
苦笑しながらヤブンスはそう言った。
クロイツは言葉の意味を、赤の団の行為を理解することが出来なかった。
「だから俺たちはここまで逃げてきたんだよ」
ヤブンスは疲れたようにそう言葉を吐き捨てた……。
○●○●○●
それからクロイツは深い眠りに襲われ、気がつくとすでに日が傾き、沈み始めていた。
どうやらかなり爆睡してしまったらしい。
思わぬ事態に日程は少し狂ったが、武舞大会までには開始までには十分に間に合うだろう。
この先の街道が平和である……という話が前提ではあるが……。
クロイツは起きて早々、気が重かった。
「そんな馬鹿なことを奴らはしたのか!!!」
クロイツが起きたのはアソルの伯爵ゲンダウ、もといエムラドの怒りを含んだ声が聞こえたからだ。
赤黒い髪を後ろに束ね、防御力の低そうな甲冑を着たアソルの伯爵は、それなりに疲れているように見えたがそれでも肩を震わせて今は怒り狂っていた。
「隊長、落ち着いてください」
低い声でそういさめる兵士は、クロイツとルシャに火を帯びた剣を実演してくれた新米の兵士だ。
しかし、その顔にはあのアソルでの早朝鍛錬時に見せていた笑顔はない。
クロイツたちの手紙を受け取ったエムラドは、自らが選抜した兵士、三十名あまりを連れてここまで駆けて来たようだ。
早馬に乗り、休憩もそこそこにここまで盗賊を蹴散らしながら向かってきてくれたらしい。
それなりの距離があるのだから、かなり無茶をしてきたようにも思える。
エムラドは起きた自分に気がついてこちらに向かってきた。
「エムラドさん早い到着ですね」
「なに、たいしたことはない」
道の途中で盗賊団を五つばかり潰してきただけだ! と少し自慢げに語るエムラドに、クロイツはアソルでの平和な日々を少し思い出した。
いつだったが、いざとなると頼りになるとハノンが言っていたが……今はそれが本当だと思える。
彼が近くにいるだけで安心出来るような気がするのは不思議なものだった。
「クロイツ殿が重傷者の手当てをしてくれたそうだな。礼を言う。――今はもうしばしゆっくりと休みなさい」
エムラドは驚くほど優しげな笑みを浮かべた。口調もエムラドらしくない柔らかな、気品あふれる伯爵のものだった。
しかも顔は無駄にいい部類に入るので、それが妙にさまになって見えた……。
仮に自分が女の子であったのなら100%恋愛フラグが立っているであろう微笑み。
クロイツはそれが妙に可笑しくなって笑ってしまった。
エムラドは何が可笑しいのか分からずひどく心外そうな素振りをしつつ「ゆっくり休めよ」とまたそう言うと手をひらひらと振りながら去っていった。
クロイツがもう一度目を閉じると、安心感からだろうか――驚くほどの睡魔がまたまた襲ってきて再び眠ってしまった。