第三十三話 月夜の二人
ハトス盗賊団はクエイス公国近辺で暗躍している盗賊とは名ばかりの盗人の集まりである。
三人だけの盗賊団は、力は非力ではあったがコソコソ行動するのがとかくうまかった。
盗賊団の頭であるヤブンスは中肉中背の40歳前半の醜悪な顔をした男で、赤茶色の髪に同じく赤茶色の瞳をしていた。
物心ついたときからすでに盗賊として生きており、主に倒れた死体から品を剥ぎ取るのが幼少の仕事であった。
出自が判然としなかったヤブンスにとってそれが世界のすべてであり、自分が襲う立場で相手が襲われる立場の人間で、それ以上に深く考えることは無かった。
生きるために奪い、仲間と笑うために他人を殺す。
そんな世界に思うところが出来たのは、盗賊団のアジトで出会った多くの盗賊からいろいろな話を聞かされたせいであろう。
奪うことが好きなもの。殺すことが好きなもの。自らが生きる為に。それが当たり前の世界だと思っていたもの……。
誰もが自分を中心としていて、それぞれの世界があった。
今まで自分が生きてきた世界とは何だろうと疑問を持ったとき、ヤブンスは気がついてしまった。
自分の体に纏わりつく重い重い黒い闇に……。
それが何かは分からない。それを見ないフリをしながらつるんだ仲間と仕事を続けていたが、ヤブンスの心は冷めるばかりで沈んでいった。
それが何故かは分からない。どうしたらいいのかもわからない。
贖罪というものは無いし、情けなどかける心などは持ち合わせていない。
わけも分からず一人荒み――酒を飲む。
「盗賊にも矜持というものがあるんだ」
馬鹿な男はそういった。盗賊で一番早死にしそうな男は、飲みつぶれていた自分にそう言った。
「うるせー馬鹿が!!!」
どこからかそんな怒声と共に放たれた刃が男の背を深々と貫き、男はその場であっさりと死んだ。
本当に……本当に馬鹿な男だ……。
ここはそういう世界だ……。
誰もが自分に正直で、己のままに生きている……。
ヤブンスはテーブルに突っ伏してそのまま眠むった……。
目を覚ましたときヤブンスは加わっていた盗賊団をやめた――――。
○●○●○●
スーセキノークへと向かう、北への街道沿い。
クロイツはたちはとある広大な湿原へと到着していた。
北から東にかけて遥か遠くに黒茶色の山脈が見えるその湿原は、山脈の裾から続いているようで、そのまま西の大地へと領地を押し広げ、地平線の彼方まで支配下におさめていた。
湿原には遥か北東の山間から南西の方角へと緩やかな川が流れ、それらは幾筋にも分岐し、あるいは合流しながら広大な湿原を縫うように走っている。
川の左右には緑の草原が広がり、ところどころに色づいた白い花が単調な草原に淡いアクセントを加えていた。
広大な湿原の中には濃い緑の木々がところどころに存在し、その小高い丘の上に存在する木々は、まるで草原の海に浮かぶ島であった。
木々の島々を結ぶように作られた、十メートルほどの道幅がある石積みの街道は、直線的に島々の点を結びながら、ジグザグとはるか湿原の向こう側へと続いている。
そんな街道の脇には、流木を適当に拾い寄せ集め作られたような柵が両側に組み上げられており、柵の下には鋭利な刃物を思わせる葉を持った植物が敷き詰められるように植えられていた。それらはとても大切な植物であるらしい。
深い濃霧に覆われやすい広大な大湿原。
“サゥクノ湿原”
珍しく霧の無い夕焼けは大自然の神秘だ。
西に太陽が沈む頃になると、空に浮かぶ雲の波に鮮やかな赤と朱と紅色のコントラストが作り出される。
灰色の、羽の下面と腹周りだけが白い羽毛に覆われた数羽の水鳥が飛び立つと、それは次第に数を増してあっという間にひとつの生物へと成長を遂げた。
圧巻の大湿原の上を、数百、数千の水鳥が羽ばたき、赤夕闇の空に黒いうねりを作っていた。
「“サグツチ”って鳥だよ。湿原に夜が来るからこれから近くの森に帰るんだろう」
その姿をぼんやりと眺めていたクロイツにサムズはそう告げた。
夜のサゥクノ湿原には魔物が棲むといわれていた。
西の空に太陽が沈み、空が深い紫色の頃合になると奴らは現れる……。
40cm程度の大きさをした大きな白い芋虫。
モスラの幼虫を思わせる体躯に、奇妙な緑の小さな目が散らばるように十数個ついている。
空けられた口はぽっかりと赤く、ぬめりを含んだ口の内側には緑色をした鋭いつめのような牙を持っていた。
“スルーザー”と呼ばれる生物は、夜の湿原の支配者であった。
魔物とは呼ばれているが、スルーザーは魔獣では無い。
なぜなら魔獣が特有に持っているセモゾ紋様を持っていない、ただの生物だからだ。
基本的に昼間は湿地の底の泥炭に潜んでおり、夜になると地上に出てきて他の生物を捕食する生物である。
薄暗い闇の中を顔についた緑色の瞳のようなもので獲物を感知し、襲っていると言われていた。
力こそ非力だが、数に任せてありとあらゆる生物に襲い掛かり、埋め尽くして倒す。
それゆえに夜の狩人と恐れられ、魔物として表現されていた。
クロイツたちがその日の宿を取ったのは、湿原の中に浮かぶとある島の中である。
うっそうとした木々が切り開かれた、ぽっかり開いた空間には、数多の旅行者が長い年月をかけて築きあげたであろう堅牢な木で作られた柵壁があった。
念のために柵壁の外周りに緑色の粉を巻き終えて、クロイツは一息ついた。
緑の粉は“ビドロズパムド”と呼ばれる、ガンデスに生育している植物から精製した毒だそうだ。
毒といっても生物に対してそれほど効果があるものではないらしく、どちらかというと人間には感知できない臭いで敵を追っ払う代物らしい。
湿原にはスルーザー以外にも生物がいる。それらは夜になると草原の島である場所に逃げ込んでくるのだ。
それらの生物の中には人を襲うものもたまにだが含まれているらしい……。
それでも、ガンデス地方に比べればまだまだ生易しい方だというので少し驚いてしまう。
モスラの幼虫を思わせるスルーザーには残念ながら嗅覚というものが無いらしい……。
夜を徹して二人以上で見張りを行おうと決まった食事時。
まだ夜も浅い時間帯にかかわらず、もそもそともぞもぞと壁をよじ登り向かってくるものがあった。
「いーーーーやーーーーーーーーー!!!」
ホノカが女の子らしい叫び声と共に、壁をよじ登りひょっこり顔を覗かせたモスラの幼虫もどきの白いスルーザーを見つけると、炎をぶっ放し丸焼きにしつつ森の彼方へと吹き飛ばした。
あたりにはゴム人形と生臭い何かを同時に焼いたようなかなり不快な臭いが鼻に届く……。
「ホノカ……食事の時に炎の攻撃はやめてくれ」
クロイツは眉間にしわを寄せつつ黙々と食事を腹に詰め込んだ。
「ほんと気持ち悪い! なんなのあの芋虫!!!」
「旅にはつきものだからねぇ……」
喧々と吠えるホノカをケイトが諌める。
ホノカはスルーザーが嫌いだった。
その姿、その目、涎を含んだようなぽっかり開いた赤い口に、緑の牙……
どこをどうとってもホノカにとって好きになれる要素がなかったらしい。
ホノカ自身、実物を見るまではたいしたことはないと思っていたようだが、見たときの悪寒は想像をはるかに超えるものであったようだ。
食事時の団らんとした時間でさえ、ホノカは周囲をくまなく警戒し、スルーザーの姿が、蠢く様相が視界の隅に入らないように祈りながら最大限の注意を払っていたのだ。
いきり立つ黒髪の少女をケイトがやさしく抱きしめ、炎で攻撃しようとする動きを封じてくれた。
ホノカが制止されている隙にクロイツは魔力を広げ、壁の周囲に集まってきていたのっそりとした動きのスルーザーを数匹確認すると、遥か彼方へと風で吹っ飛ばした。
またホノカに燃やされてはかなわない……。
貴族として育ったホノカは旅というものが初めての経験であったようだ。
昼間のうちは妙にテンションが高く、あれやこれや質問してきたり、大自然を眺めてきれい……とか浸っていたのだが、スルーザーに出会ってからは一転してテンションが下がったようだ。
「ホノカを少し落ち着かせてくる」
ルシャはそういうと、ホノカを連れて早々に荷車の中で寝るようにと勧めた。
ホノカはポルを抱きしめるように引き寄せると「先に寝るわ」と疲れた様子で短めにつぶやいて荷車に篭ってしまった……。
クロイツはルシャと顔を合わせて苦笑する。
貴族であるホノカはよくがんばっていると思う。
移動にしても食事にしても初めての経験だったそうだが、不満を言うことなく旅に馴染んでいる。
本人がそれに憧れていたのも大きいようだが、それでも実際の旅とはまた別の意味で過酷な部分があるだろう。
好きとしたいと出来るはイコールではない。
旅をするのも、また能力なのだ。
「見張りは二人きりになってしまったな……」
ルシャはやれやれといった風にそうつぶやいた。
○●○●○●
島の中に作られた木の柵壁によってつくられた空間は、三十メートル四方の正方形ほどの大きさで、高さはニメートルほど。
ちょうどファルソ村にもあった木の柵によく似ているものであった。
スルーザーは明るい光のもとでは獲物が見えなくなる性質らしく、対策として柵壁の内部はいつも以上に明るいオレンジ色をした魔鉱石の明かりで満ちている。
その中でクロイツとルシャは二人で見張りをしていた。
「クロイツ……異世界とはどんなどころだったのか教えてくれないか?」
眩しい明かりの中にあって、輝くような銀の髪を今はさらりとしたおろしたルシャがそう訊ねてきた。
いつもは後ろに束ねられているポニーテールを下ろしたルシャの姿は、いつもよりも少しだけ大人びた印象を与えてくる。
「そうだなぁ……何から話せば良いのか……」
こちらの世界とは違いがありすぎて逆に説明がしにくいものだ。
車とかビルとか説明しても面白くないし……。そもそも分かってくれるまでに時間がかかりそうだ。
「おまえの家族というものはどのようなものなのだろうか?」
「家族?」
クロイツは思わず聞き返した。いや、家族であるなら説明しやすい。
「俺は四人家族なんだ。父さんと母さんと妹が一人……」
「妹がいるのか?」
妙に驚いた様子でルシャが聞き返してくる。
「ああ、だいぶ年が離れてるけどな。おかげでおしめ代えたりミルクをあげたり……」
クロイツ――黒沢樹が小学校六年生の時に生まれた妹は12歳ほどの年の開きがある。
予定外でつくられ、この世に生を受けた樹が少しばかり早かったせいかもしれない。なにせ母はそのときに20歳だ。
落ち着いた生真面目な父と天然系の母。この組み合わせでなぜ予定外が起きたのか……出生の秘密はあえて訊かないことにしていた。
父はよくも悪くも会社員だ。何の仕事をしているかはよく知らないが、中小企業に勤めて働いているらしい。
天然の母は専業主婦で、感動屋でもある性格も災いしていつもなんだかんだと騒がしかった。
「親も心配しているだろうな」
少し考え込んだ様子のルシャは、どこに視線を合わせるわけでもなくそうつぶやいた。
「どうだろね。心配はしてると思うけど……」
「ん?」
「信頼されてるからね。俺は――」
突如いなくなった息子に、両親はきっと心配しているだろう。しかし、両親が嘆き悲しむ姿などクロイツは想像が出来なかった。
「強い絆があるのだな」
感心したようなルシャの声に、クロイツは力強く頷いた。
「……いつか――おまえの両親にも会いたいものだな」
「ルシャ?」
明るい空間に目がくらんだのだろうか、くしゃりと笑ったルシャの顔がやけに近くに感じた。
男とは厄介なものだ。どれほど理性で抑えても流されてしまうことがある。
それがいまだ……。
クロイツはルシャの腰に手を回しそのまま抱き寄せた。
「ぉ」
小さな抵抗を見せた少女はすこし驚いたように目を見開いたが、クロイツはそれを気にした風もなくさも当たり前のように振舞った。
ルシャの体温と香りと……やわらかい感覚が脳の思考を奪っていく……。
この愛おしい感情に身を任せて――――――
向かいあった二人の頭上を火の玉が通る。それが地面ではぜて、スルーザーを一匹、柵壁の向こうへ弾き飛ばした。
――半ば抱き合った体勢に移行しつつあった二人はハッと我に返ると互いの距離をとって火が来た方向を見た。
「ごめん。交代の時間なんだけどどうする?」
「ちょっとスク。ここは黙って隠れるのが大人だと思います」
旅に出てから出番のなかった、眼鏡をかけた金髪金瞳の優男と紫髪紫瞳をした女性が荷車から顔だけをだしてこちらを覗いてそういった。
本当に申し訳なさそうなスクテレスに、少し照れた様子のロトザーニ。
スルーザーを燃やすことなく弾き飛ばしたのは、おそらくスクテレスの魔法だろう。
残念ながら、彼でさえ透明な炎というものを作り出すことは出来なかったようだ……。
問題は――そう、見られていたということだ!
体の血液が顔に集まる感覚はいつ以来だろう。クロイツもルシャも動けなかった。
「交代しますからここお願いします。俺は少し頭冷やしてきます」
「わ、私もだ」
早口でそういうと、スクテレスたちの返事も聞かず二人は互いに反対方向に走り出し、二メートルの柵壁を飛び越えて夜の森へと消えた。
「若いっていいねぇ」
「そうねぇ」
スクテレスはニヤリとそれらを見送ると荷車の中でロトザーニを抱き寄せて軽くキスをした。
「しっかり見張り頑張ろうか」
ロトザーニはそれに微笑みで返した――。
クロイツは目に留まるスルーザーを片っ端からぶっ飛ばした!
とにかくぶっ飛ばした!
ぶっ飛ばしていると不思議と心が落ち着いてきた。そんな気がした。
スルーザーは鳴いた。飛ばすたびにキュピキュイ鳴いた。それが妙に心地よかった――。
クロイツは木々の島から北へと続く草原の中にある街道へと躍り出る。
獲物を探すその眼は漆黒の魔王。
地球の月の400倍ほどの大きさを誇る惑星ルーティアの月。下弦の月に近づいてきたといっても辺りは明るかった。
そんな月明かりに照らし出された湿原の中に、スルーザーが湿原を埋め尽くすようにうごうごと蠢いているのが見えた。
草の代わりに蠢くそれは、月明かりを浴びて白く気持ち悪い。
モスラの白い幼虫のような緑の目をしたスルーザーは、街道の上にいたクロイツを見つけると、街道に上ろうともぞもぞとこちらに寄ってきた。
一メートルほどの高さを有した石積みの道の側面は、垂直になるように作られており、その上には“シリスル”と呼ばれる植物が植えられている。
垂直の壁をもぞもぞと頑張って登ってきたスルーザーは、ねずみ返しのような刃物のように鋭い植物の葉に阻まれて、体に切り傷を刻むと緑色の体液を溢しながらぼろぼろと落っこちていた。
しかしごく稀に、仲間の屍骸を乗り越えるように運良く到達したものだけが街道への侵入を果たし、クロイツによって月まで投射された。
……百匹を越えたあたりでスルーザーはクロイツに近寄らなくなっていた。
あれだけ街道によじ登ろうとしていたスルーザーは姿を隠すように湿原のほうへと消えていた。
さすがに面白半分で投射していたのが芋虫にも伝わってしまったのだろうか?
月夜の湿原に一筋の風が抜けた。
ざわりとした予感――――――――
『風が逃げてきました』
キュアラの重い言葉の後で、月明かりで照らされた街道の向こうにあるとある木々の島から、サグツチと呼ばれる水鳥の群れが一斉に飛び上がり、月明かりの湿原の中をクロイツの脇を通り抜けるように南へと飛び抜けていった……。
まだ遠い街道の上に明かりが見えた。
クロイツは身を翻すと急いでケイハたちの元へと戻った――。