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クロイツと風の精霊  作者: 志染
31/47

第三十話 エピソード ホノカ

 

 12歳の頃だっただろうか、ネイ−ラリューシユ家に棲むといわれるリヤンジュ――ニアと出会ったのは。



 その日、ホノカは朝から父に呼び出しを受けていた。

 黒く染め上げた髪の色を元に戻せ、晩餐会へ出席しろ、貴族としての礼節を身につけろ……

 その回数も減ってきていたというのに、午前の公務を休んでまで時間を作ったからには今度こそ本気の本気なのだろうと朝から憂鬱であった。



 はぁとため息を付きながら邸の書斎へと向かうとそこに父がいた。

 名を“ニーセトル”。クルク兄様と同じ茜色をした短い髪に 息を呑むほど美しい顔立ち。

 ルビーのような瞳は鷹の目のように鋭く、普通の人ならば睨まれただけで竦みあがってしまうだろう。


「お父様、ホノカ参りました」


 ドレスの裾を軽く持ち上げ軽く会釈をする。顔を上げた時に少しだけ笑顔を入れると効果的。これは最近身につけた処世術だ。

 父は視線を動かすことなく、まっすぐ見据えて私に言った。


「よく勉学に励んでいるようだな。“グレオート”からも話は聞いている」

 

 グレオートはホノカの家、つまりネイ−ラリューシユ家が雇っている先生だ。主に魔法指南をしてくれるA+ランクの魔法師でもある。


「ありがとうございます」


 ホノカは優美な笑みを浮かべる。


 実の親子であるホノカと父の距離は遠い。……物心ついてから父子としての会話は皆無だと記憶している。

 断っておくがホノカは父のことが嫌いなわけではない。典型的な貴族として存在する父はいつも感情よりもすべてを合理的に考えて判断を下す。ただそれだけだ。

 父としてのあり方としては疑問を覚えても、彼の生き方には疑問を持たない。国のために生きると決めた結果がこれなのだから、逆に強いと畏敬の念すら覚えていた。


「今日呼んだのは――そろそろ時期であると判断したからだ」


 ついてきなさい。同意を求めるわけでもなく父は書斎の奥にある扉へと向かった。

 彼は珍しく緊張した人間らしい空気を発している。



 そう、書斎の奥、扉の先にはネイ−ラリューシユ家に棲む神の獣、神獣リヤンジュがいるからだ。

 そこまできて、今日の目的が怒られるわけではないと悟り、ホノカはほっと一息ついた。と同時に別の緊張で体が強張る。





 神獣リヤンジュ……伝説の書籍などに登場する彼の獣は確かに存在する。それがネイ−ラリューシユ家の奥の奥の奥……

 扉の奥は動く洞窟と呼ばれる暗黒の空間。


 当主である父だけがそこを迷わず進み、リヤンジュが棲む場所まで行き着くことが出来る特殊な魔法がかけられている。

 父に手を引かれるのは本当に久しぶりだ。それがうれしいと思えてしまうのは、自分がまだまだ子供だからだろう。

 


 眩しい空間に出て、目を閉じ、ゆっくりとあけるとホノカはそこにいた。


 四方を切り立った岸壁に囲まれた、いかにも古の獣が棲むであろうようなその空間に……



 ホノカは寝そべる大きな獣を見て息を呑んだ。

 滑らかな黄金色の毛並みに、美しいエメラルドのような鱗に覆われた体。切り立った崖に反射された光の集まる空間にあって、獣の体は光り輝いて見えた。


 こちらに気がつき瞳をあけてこちらを見据える。

 サファイヤのように青く丸い目が綺麗だった。


「《あら、女の子とは珍しい》」


 リヤンジュの唸り声と共に、荘厳な女性の声が聞こえた。

 ホノカは慌てて返事をする。


「ネイ−ラリューシユ家のホノカです」


 獣は特に何をするでもなく、こちらを見据えたまま動かなかった。


「《あなたもただ立って私を見据えるだけ? それとも私の言葉が分かるのかしら?》」


 リヤンジュは眠そうに牙の見える口を開けて、あくびをしながらそう言うと再び目を閉じようとした。

 神獣というものはこういうものなのだろうか……やる気が感じられない態度にホノカは本調子を取り戻す。


「ちょっとあんた失礼じゃない! 私は名前をしっかり名乗ったわ。名乗り返すでもなく寝るなんて」

「――ホノカっ!」


 食って掛かる勢いのホノカをニーセトルは慌てて止めた。

 神獣とよばれるリヤンジュに対して娘が怯えるどころか勝気な態度を崩さなかったことに彼は驚嘆した。いや、それ以上に驚くべきは……


「《あら、私はリヤンジュ。そう呼ばれているわ》」


 リヤンジュが再び顔を上げてホノカを……娘を凝視した。ニートセルは珍しく額に汗を浮かべた。


「リヤンジュ……。名前は無いの?」


 娘は困惑した顔を浮かべてそういった。間違いないと確信する。娘はリヤンジュと話しているのだ。

 まさか娘が選ばれるとは……その予感があった、予感があったからこそ彼はその事実に動揺を隠せなかった。


「《私の言葉が分かるだけじゃだめよ。力を示しなさい。認めたらあなたに力を貸しましょう》」

「力?」

「《あなたの全力の魔法で攻撃してきなさい。大丈夫手加減はいらないわ》」


 何かを語り合う娘の神獣を前にしてニーセトルは思う。


 そうか娘が選ばれたのか……選ばれてしまったのか。

 無邪気な娘を前に、彼は少しだけ表情を曇らせた――。






○●○●○●






 ホノカは父から指輪をひとつもらった。

 書斎の奥、動く洞窟と呼ばれる暗黒の空間に入り、リヤンジュの姿を思い浮かべながら秘密の呪文を心の中でつぶやく。

 すると暗黒の空間から彼の獣の棲み処へと移動できる。特別な指輪であった。



 リヤンジュに力を認めさせるには二年ほど掛かってしまったが、それでも異例の若さよと褒められた。

 リヤンジュは強かった。自分が得意とする炎による攻撃が無効化されてしまったのは驚いたし、必殺の殺人光線もどこ吹く風なのだから……反則だ。



 ホノカはリヤンジュに“ニア”と名付けた。ホノカが名前を決めそれを神獣が承認するのが契約らしい。



 力を認めてもらった頃に、なぜリヤンジュがネイ−ラリューシユ家に仕えているではなく、棲んでいると表現されていたのかその意味がよく分かるようになっていた。

 リヤンジュはネイ−ラリューシユ家……いや、国の魔法師をすべて集めてようやく戦える。そういった次元の生物だと気がついたからだ。


 ホノカはリヤンジュのマスターである。しかし、ホノカよりもリヤンジュの方がはるかに強い。

 なぜ私の言うことを聞いてくれるの? と尋ねたことがある。不思議であった。


「《秘密よ》」 


 意地悪くそういったニアは幸せそうな顔をしていた(ように見えた)。良い思いででもあったのだろうか。ホノカはそれ以上聞けなかった。


 ニアが自分の言うことを聞いてくれる理由はよく分からない。だけど、ホノカはニアを友達だと心から思っている。戦友といってもいいかもしれない。

 だから二人の関係はそれでいいのだ。そう思えた。







 リヤンジュとの契約を知った父の行動は早かった。


「ホノカ、将来の夫だ」


 連れられてきたのは、どこかの有名貴族の男の子であった。


「彼の獣を手なずけた方とめぐり合い光栄に思います」


 悪くない容姿の男の子はそう言って自分の手の甲にキスをした。


 その後、クエイス公国を治める公爵様に呼び出され、公国十騎士の称号を与えられた。

 まるで予め決められていたかのような根回しのよさ……これは父であるニーセトルが段取りをしたものであろう。



 ホノカはリヤンジュと友達になる見返りに将来の夫と名誉ある称号を同時に手に入れた。


「疲れたわ……」


 ニアと二人だけの空間。ニアの柔らかな毛並みに体を預けてホノカはそう呟いた。


「《いつの時代も人間はそういうものよ。あなたの父は賢明だと思うわ》」

「出会う人間はどいつもこいつも……あなたを力としてしかとらえない。私はそれがたまらなく不愉快よ」


 早々と夫を決めたのは、ホノカを巡る争いが無いように判断したものだろう。ホノカの為……と考えたいが、実際は政略結婚の要素も強い。素直に喜べるわけもない。

 称号もうれしくない。これでクエイス公国の軍事力は安泰ですな。といったどこぞの貴族を真剣に焼き殺してやりたいと思った。


「《あなたはどう生きたいの?》」


 唐突なニアの質問。ホノカはふわふわの毛並みで遊びながら考えた。


「そうね……世界を見てみたい。ニアと一緒に世界を見て回るの」

「《あら、私も一緒?》」

「当然よ」

「《私を連れて行けば国が動くでしょう? 一人の方がよいと思うけど――》」

「ふふ、国がどうしたというの? いざとなったら蹴散らしてやるわ」


 ホノカは空想の世界に身を委ねていた。


「でもそうか、やっぱり不安ね。ニアくらい強い護衛でも雇おうかしら。そうすれば国も手を出してこないでしょう」

「《そうね。誰も手を出そうなんて考えないでしょうね》」

 

 二人はそういうと笑った。ニアくらい強い護衛などこの世にいるはずは無い。一対一でニアに敵う人間などいるはずは無いのだから……。






○●○●○●






 数年後……


 ホノカの最大の理解者であり拠り所でもあったクルクが失踪する。

 書き残された手紙


《少し世界を見てきます》


 短い文面のみ残して兄はホノカの元から消えた。


 世界を見聞してくるのは悪くない、とあの父が認めていたのには多少は驚いたが、自分も行ってきていいかと尋ねたらダメだと釘を刺された。

 予想以上に自分の立場というものが国に与える影響は大きいらしい。主にリヤンジュの影響力なのだが。


 それから半年と少しして音信不通であった兄からホノカの元に手紙が届く。


《ホノカ久しぶり。元気に――――――――――――僕は元気にしています。――――――リヤンジュで迎えお願いします。場所はアソル。日時は――――》


 ホノカは手紙の要点だけを読むとそれを投げ捨て、お出かけ鞄に必要なものを適当に放り込みニアの元へと走った。


「《どうしたの? そんなに慌てて》」

「クルク兄様が迎えに来て欲しいんだって」


 久しく忘れていた弾んだ笑顔をニアに向けてホノカはそう言った。


「大丈夫。父様は武舞大会の準備で忙しいから気づかないわ。気づいたら気づいたでクルク兄様が悪いのよ。迎えに来てくれって書いたんだもの」

「《そう》」


 ホノカがリヤンジュに飛び乗ると、リヤンジュは棲み処を勢いよく飛び出しスーセキノークを後にした。





 アソルまでリヤンジュの足で一昼夜。最低限の食べ物と魔装具は用意してきたのだが肝心のお金を忘れていたホノカは、自身の無計画を反省をしていた。

 ニアは平気と言っていたが、早く休ませてやりたいものだ。


 アソルの中央には広場と城があったので、リヤンジュを引き連れて挨拶に向かった。貴族として最低限の礼儀……というより金の無心である。


「なんだ。その獣は?」


 さっそく城の近くで声をかけられた。

 赤黒い髪を後ろで束ねた兵士の男。30歳くらいで比較的整った顔立ちをしている。赤い瞳はクエイス公国の系統である特徴だ。


「クエイス公国より参りましたホノカです。ネイ−ラリューシユ・バー・ティレン子爵クルクの迎えでこちらへ来ました」  

「ああ、なるほど。ハノンから話は聞いている。クエイス公国十騎士と謳われる方に出会えて光栄だな。俺はローフ・カミュ・スドキトス伯爵ゲンダウ。このような姿で申し訳ない」

 

 男はあまりに自然にそう言った。ローフ・カミュ・スドキトス伯爵ゲンダウ……?

 それはこのアソルを統治している名君の名前だ。スーセキノークにもそのうわさは時折届いている。


 伯爵と名乗った男はまっすぐな赤い瞳でこちらを見据えていた。


「ホノカ様?」


 明るい紅色の髪を腰まで伸ばした賢者風の男が小走りで近寄ってきた。

 どちらかといえばこちらのほうがホノカが想像していた伯爵のそれに近かったと言える。


「ハノンか。ホノカ殿を案内してくれ、っとリヤンジュの宿も作らねばな」


 ゲンダウは賢者風の男に命令口調でそう言った。神の獣は何を食べるのだろうか? と真剣に質問してきた姿が少し笑えた。


 急に訪れたホノカに対してゲンダウもハノンも良くしてくれた。

 ホノカに苦言をもらすでもなく、せっかくだから街を案内しようと楽しそうな伯爵とそれを諫めるハノンのやり取りが微笑ましかった。




 ホノカが感じたことの無い、自由な貴族の姿がそこにあった。






○●○●○●






 翌日、ホノカは暇を持て余していた。ハノンに聞いたところクルクは10日後くらいに到着するらしい。

 突如として失踪したホノカの足取りは、おそらく部屋に投げ捨ててきてしまった手紙から容易に予想されているだろう。


 父であるニーセトルが怒り狂った姿など見たことは無いが、帰ったら罰がまっているに違いない。クルク兄様と二人で貴族の嗜み教育40日といったところだろうか。

 しかしそれも武舞大会が近いこともあり、父の目が常に見張ることも無いはず。うまくグレオートを操作すれば問題ないと考えていた。

 


 となればやることはひとつ。城で執務をしていたハノンにその旨を伝えると早速街へと繰り出すことにした。

 護衛がつけられることを覚悟していたのだが、ハノンは一言「気をつけていってきてくださいね」と返事をしてくれただけであった。ちょっとびっくりした。


 護衛もなく、監視もなく。これほど誰かの目を気にすることなく出かけることは大変久しぶりのことで、ホノカは胸が高鳴った。




 アソルの街は交易の街。街にはホノカが見たことが無いものがたくさんあった。

 黒髪のせいだろうか? それともオリジナルのこの服装だろうか? 街を歩けば注目を浴びたが、普段から好奇な目で見られていたのでそれほど気にならなかった。

 一日目は大通りをすべて走破し、珍しい物品や建物を軽く満喫した。

 



 ――アソル二日目。

 昨日は通り過ぎただけだった、異国の物を多く扱うクレミオン通りへと来ていた。

 人が多く行きかう交易の街特有の活気溢れる雰囲気と商品を楽しんでいると、ホノカの耳に狼狽した少女の声が聞こえた……。


「私が買ったのは銅粒10のはずです。それが銅粒30?」 


 少女がチンピラ商人につかまっているようだ。治安の良いアソルではあるが、探せばこういった輩も残念ながらいるようだ。

 二日目にしてそういう現場に遭遇してしまうのはとても期待を裏切られた気分だ。ホノカは素直に瞳に怒りを宿す。


 華奢な腕を店の店主らしき男に掴まれた少女は青ざめた顔をしていた。


「あんた確かに買ったんだろ? しょうがねぇ、銅粒15にしといてやるよ。それか半分返せ、な!」


 少女に小声でそう話を持ちかけた店主は、早く事態を終わらせ収拾させる気だろう。なるほど、巡回の厳しいアソルにおいて姑息だが有効な手の一つである。


 ホノカは感心しつつも店主の腕に軽く手を添えて熱をこめる。ジュゥという音と共に男の絶叫があたりに響いた。

 男が女の子の手を離したのを確認すると、今度はにっこりと男に笑いかけ問答無用でこんがりと焼き上げる。

 こういった輩には実力で示したほうが話が早い。というより話し合う余地と暇は無いと考えていた。


 街中で起きた惨劇に兵士達がすぐさま近寄ってくる。


「何事だ!」


 ホノカはどう説明したものかと思案していたのだが、兵士達が自分を見た瞬間「ご苦労様です」と直立不動の姿勢をするので驚いてしまった。

 ゲンダウかハノンか、どちらかわからないがわずか一晩でホノカの容姿は兵士達に周知徹底されていたようだ。

 聞きしに勝る凄まじい統率力である。


 さして事情を聞かれることも無く、男は兵士達に運ばれていき事件は一件落着した。







 赤い髪に赤い瞳。どこをとっても平均的なクエイス公国系統の少女。名前はジズというらしい。

 ホノカよりも少し年上らしいが、女の子と気さくに話せるのがうれしかった。腹黒い思惑もなく話しをしてくれる相手は貴族にはいないのだ。


「なるほど。スーセキノークからね。やっぱり都会は進んでいるわね。服も髪も少し変わっているけどかわいいと思う」

「ありがとう」

 

 二人はすぐに仲良しになった。

 ジズはこの街にある宿屋の下働きをしながら住んでいる女の子であった。

 今日は仕事が休みらしく、趣味である掘り出し物の探索をしていたところ、不運にも絡まれてしまったそうだ。




「私は将来ここでお店を経営してみたいと思っているの」

「お店?」

 

 ジズは自らが手にした紙袋の中身を見せてくれる。先ほどのぼったくり業者から買い取った物だ。

 中にはホノカが見たことが無い黒い豆が入っていた。


「ホノカは知ってるかな? 近頃流通し始めたコーヒーという飲み物なんだけど……」


 ジズの宿でだされた黒色の水……でもなんともよい香りのする飲み物を生まれて初めて口にした。とても苦かった。


「薬としても用いられている飲み物なんだって。体にも良いしお店のメニューとして悪くないかなぁと思って」


 ジズはそう言って笑う。いずれ始めるであろう店の為に、交易品のチェックを日課としているそうなのだ。



 ホノカはジズの笑顔を見た後、再びコーヒーへと挑戦する。何度やっても苦いが、不思議と頭が冴えてくるのを感じていた。コーヒーの効果だろうか。


 将来ホノカは家を出たいと思っていた。そうだ、ならばその拠点と資金が必要だ。それが本当にかなう夢かは怪しいが、本気でそう思うなら実行するべきだろう。

 初めての自由、初めての街……それに気分が高揚しているのだろう。夢で思っていたことが現実に出来そうな予感で胸がわくわくとした。

 目の前の少女はすでに自分の夢を持っていた。飲食店か雑貨屋かまだ決めていないらしいが……。



 交易品を熟知した少女にコーヒー、これは何故だかいけるような気がしてならない。そして、自分にはそれに見合う伝手(ハノン)がある。


 ホノカの中で何かが弾けた。



「ジズ! あなたお店開きたいのよね? それは本気!?」

「えっと、はい!」


 ホノカはジズに美しく微笑むと、コーヒーを淹れる道具を一式準備するようにといった。

 ジズの準備が出来ると手を引っつかまえて外へと連れ出す。


 手を叩くと待ち構えていたように黒塗りの馬車が現れた。それが当然と言わんばかりに乗り込みハノンの元へと向かった。






○●○●○●





 突如現れた黒塗りの馬車に驚く暇も無く、気がつくと中央エリアにある伯爵様の居城、クート城の内部にジズはいた。



「コーヒーを淹れてくれる?」


 まるでどこかのお嬢様が侍女に言うかのごとく、透き通る声と美しい瞳でホノカはそういった。ジズはホノカの雰囲気に驚きながらも慣れた手つきでコーヒーを淹れた。


『ほ、本物のお嬢様なのかな』


 心の中で激しく動揺していた。


 動揺するジズの目の前にいる男性。腰まで届くほどの明るい紅色の髪に赤いルビーのような瞳をもったこの人はどう考えても偉い人としか思えない。絶対偉い人なのだ。

 雰囲気だけで高貴だと思えてしまう柔らかで暖かな存在感を――その人は放っていた。


「お出かけされたと聞いておりましたが? その方は?」


 柔らかな声にジズはビクリと体を強張らせた。どう考えても街娘の一人にしか過ぎない自分がこのような場所にいるのは本当に不自然だ。


「ジズ、緊張しなくていいわよ。ハノンさん、彼女は街で見つけた原石よ。まずは……これを飲んでもらえるかしら」


 ホノカは自分が淹れたコーヒーをその人に差し出した。ハノン……どこかで聞いたすっごい偉い人の名前のような気がする。興奮して上がっているせいか思考がうまく回らない。


「説明してあげて」

「えっと、はい! あの、ですね。それはコーヒーといいまして近頃街で流通し始めるようになりました飲み物です。体に良いお薬として売り出されていますです」


 緊張で語尾がおかしくなってしまったが、それを気にする風でもなくハノンは柔らかに微笑むと、自分にもソファーに座るように勧めてきた。

 大人しく勧められた席に座る。これが貴族……少し頬が赤くなったのは仕方が無いと思う。




 コーヒーを一口飲んでハノンが一言。


「苦い……ですね。これは何とかならないのでしょうか?」


 ホノカがどうなの? という視線を向けてくる。そんなに期待されても、自分もそれほど詳しいわけではないのだ。


「えっと、お店の人は混ぜものをせずに飲む物だと言っていました。それ以上は私も分かりません」


 なぜか悪いことをしてしまったかのような気持ちがこみ上げて頭を下げた。


「ちょっと、謝ってどうするのよ。これは売り込みなの! こういう交渉は堂々としないとだめよ」


 ジズは目を見開いて驚き、ホノカの迷いのない綺麗な瞳を見た。売り込み? 交渉? そういう意図でホノカはわざわざ城まで乗り込んだのだろうか?

 確かに、ホノカの堂々たる態度はたいした物だ。自分とは格が違う何かを持っている。それが良いことなのかどうなのかジズには分からないが……。


「頭がすっきりしますね。これも苦味のおかげなのでしょうか? ふむ面白いですね」


 目の前の賢者風の偉い人はそういうと何かを考えるように目を軽く閉じた。



「このコーヒーを主力に喫茶店をやりたいの、どうにかできないかしら?」

「それはまた………………いきなりですね」


 驚くように男性は目を見開いた。当然だろう。ジズ自身も本当にびっくりしている。 


「場所は――エムラドに聞けば何とかなるかも知れません。しかし人数が二人というのは少なすぎますね。ホノカ様は帰られるわけですし……」

「大丈夫、明日にでも人数はそろえて見せるわ。メニューの開発だってジズがいれば二、三日で事足りるでしょう」

「えええ!!!」


 自分の自信の無い抗議の声を無視して、お嬢様と賢者様は経営権やら土地利用料金やら訳の分からない話を進め始めた。


 どうしよう。ホノカに出会って僅か数時間でジズの運命は大きく変わってきている。その流れが急すぎて目眩を起しそうだった。

 しかし、自身の傍らで一生懸命話をしているホノカの姿を見て、真剣さがダイレクトに伝わってきた。

 だからジズは自分に出来ることをしようと、半ば現実逃避のように店のメニューを必死に考えることにした。




 早々と話が終わり、ここはクート城前。馬車に乗り込み再び宿へ帰ろうとするジズにホノカは言った。


「ジズ、明日は人集めね。店舗の場所はまだ決まってないけど……そうね、5名くらい最低でも欲しいわ。今日はここで解散してしまいましょう。仕事も辞めないとダメでしょ? しっかり話をつけてきて頂戴。集合場所はあなたが働いている宿の前でいいかしら? 午前中には行くから準備しておいてね」

「あのホノカ……さま?」


 おずおずと切り出した自分の頭に、黒髪赤眼の少女から振り下ろされた手がぺチンとあたった。


「私とジズは何?」

「へっ?」

「友達でしょ! 友達に様付けなんていやよ」


 赤く美しい瞳がまっすぐに私を見ていた。貴族というものはもっと威張っている人たちだとばかり思っていた。だからそのギャップにジズは戸惑いが隠せなかった。


「ごめん。ホノカ……ありがとう」


 ジズは微笑んでホノカを抱きしめていた。


「ちょっと、ジズ。やめて子供じゃないわ」


 腕の中で暴れる少女は子猫のようにかわいらしかった。些細な抵抗を胸の中で楽しむと、ジズの気持ちも吹っ切れた。


「がんばろうね。ホノカ!」

 

 







○●○●○●








 ホノカはジズと出会ったその日のうちにエムラド(伯爵)を捕まえ、喫茶店がだせそうな物件をしらみつぶしにあたった。

 オシャレな通りに面した物件を見つけてエムラドにお願いをする。

 オープンテラスの増築をよろしく、と。


 クエイス公国の重鎮のみに配られる、幻の銘酒“ビブロ”を用意すると言ったらあっさり了承してくれた。お金は? と聞けば、酒をもらうからいらないと言われた。どう考えても割に合わないはずなのだが、その辺りはホノカが考えることでもないだろう。好意として受け取っておくことにする。

 



 翌朝、馬車に乗ってジズを迎えに行くとそこにはジズともう一人女の子が立っていた。


「おはよう。ホノカ」

「おはよう。ジズ……と?」


 ホノカはジズの脇に佇む女の子を凝視していた。


「彼女はクルヨート。私と同じ宿で働いていた子です。昨日宿の仕事を辞めて喫茶店をやると言ったら、一緒にやりたいと」 

「なるほど」

「よろしくお願いします。――クルヨートです」


 桜色の髪をした妖美な少女は、毒を含んだような赤い瞳を優美に揺らめかせて挨拶をした。


「おっ……よろしくね。ホノカよ」


 おっ……大きいわね。と思わず言いそうになってしまった。重力を無視したかのように存在するクルヨート胸は、一般的な女性……ジズと比べて明らかに常軌を逸した破壊力を秘めている。残念ながらホノカの平均未満の胸と比べれば……何かに打ちのめされた気持ちになりながらもそれを眺めてしまう。


「大丈夫よ。これから大きくなるから」


 クルヨートの言葉にホノカはドキリとしたが、まだ成長の余地が残されているのは事実なので、そうだと考え直すことにする。


「ありがとう。手伝ってくれる人が増えたのは喜ばしいわ。がんばりましょう」


 笑顔でクルヨートの手をとって挨拶をする。幸先の良いスタートだ。





 まず始めに、三人で街を歩いて訪れたのはアソルにあるギルドガウルの尻尾。

 ギルドは様々な依頼を受け付ける場所なので、人材を探すにはうってつけの場所である。とハノンの助言もあり訪れたのだが……


 ホノカ自身も初めて訪れたのだが、内部は少しばかり暗くて怖い場所だと思えた。


 とりあえず受付で話でも、と受付カウンターにいた幼女をみてホノカだけでなくジズも驚く。クルヨートはまぁと感嘆の声を上げた。


「かわいらしいお嬢さん方ですね~何か依頼ですかぁ?」

 

 巨大なカエルの目玉を付けたような肌色の帽子をかぶった金髪金目の幼女は元気よくそういった。


「あなたが受付なの?」


 ホノカはとりあえず確認を入れた。


「むぅ。私のどこをどう見ても受付のお姉さんです」


 幼女は怒っていた。愛らしい頬に赤みがさすと、まったくどう見ても子供にしか見えない。


「そうね、ごめんなさい。今度喫茶店をオープンしようと考えているのよ。インテリアに長けた人材とおいしいパンを作れる人材。その情報をあなたなら持っていると思って探していたの。あなたにしか出来ないの。よろしく頼めるかしら?」


 ホノカはゆったりと力を込める口調でそういった。


「く~あなたはとっても見る目があるかもです。私にどんと任せてください~」


 見ていて微笑ましいほど素直に喜ぶ幼女を見て、ホノカはニヤリと微笑んだ。

 



 その様子を見ていたのか、ジズが小声で確認してくる。


(「ホノカ、あの人って実はやり手なの?」)

(「分からないわ。ハノンさんがうまくのせるといいですよ。って言っていたのよ」)

(「な、なるほど……」)


 非常に複雑そうな笑みを浮かべたジズを見て、大丈夫私に任せてとホノカは胸を張った。

 案の定、うまくのせられた幼女は嬉々として姿をくらますと、数分してとある女性の腕を引っ張ってきた。


「ちょっとサエル? どうしたの?」


 腰まで伸びた赤く長い髪と血のような瞳を持った、古の魔女と呼ぶに相応しい荘厳な雰囲気をまとった女性を幼女が体いっぱいを使って引っ張ってきていた。


「店のインテリアはオレーツがいれば完璧です!」


 サエルと呼ばれた幼女は、ホノカ達に満面の笑みでそういった。



「ごめんなさい。説明お願いできるかしら?」


 困惑した顔の女性の名前はオレーツというらしい。事情をまったく聞いていないらしいオレーツに、ホノカは一から説明を行った。

 ジズにお願いして主力のコーヒーを淹れてもらう。


「これがコーヒーね。悪くないわね」


 女性がコーヒーを手に取り、口に含みそれを置く。その仕草一つ一つが優美で、まるで一つの絵のように見えた。

 

「それで? 喫茶店の名前はなんというの?」


 オレーツは微笑みながら聞いてきた。


「――ジズ? なんという名前がいいの?」


 ホノカはジズを見た。そういえば喫茶店の名前を考えていなかった。もともとはジズの夢が原動力だったのだ。だからジズにつけてもらいたいとホノカは思った。


「わ、私がつけるんですか?」


 普段から目立つ要素がないジズは、集まった注目に狼狽を見せた。が、昨日ホノカを抱きしめたときに思った、黒猫のようにかわいい少女を見てジズは答えた


「く、黒猫カフェです!」

「なるほどね。かわいい名前ね。黒猫――私好きよ」


 オレーツは優美に微笑む。


「店の内装は私が担当するわ。メニューの評価もしようかしら? メニュー担当は?」

「わ、私が担当します」


 背筋を伸ばしてジズが答えた。


「今日から忙しくなるわよ」


 オレーツの言葉にジズは力強く頷いた。







○●○●○●





 ジズはオレーツに連れて行かれてしまった。

 残された二人はギルドの看板幼女、自称お姉さんであるサエルとお茶をしている。


「あとはおいしいパンね……」

「ホノカさん、このコーヒーは本当にヒットするのかお姉さんは少し疑問ですよぉ」

「大丈夫。大きくなれば分かるわ」


 クルヨートの天然系のきわどいツッコミをBGMに、ホノカはギルド内で人心地つきながら一人考え事をしていた。

 おいしいパンを作れる人材……は優秀なサエルを持ってしても心当たりが無いと言うのだ。

 ジズも簡単な料理なら作れるそうだが、パンは専門外だという。むろんホノカにパン作りのスキルはないし、クルヨートも無理だそうだ。


 パン屋から引っ張ってこれれば話も早いが、名も無い喫茶店を手伝おうという人はいなかった。


「誰か都合よくいないかしらね」


 独り言のようにホノカがつぶやくと、はきはきとした妙齢の女性の声が耳に届いた。


「すいません。この辺りでパン屋を始めたいんだけどねぇ」


 ホノカは勢いよくテーブルを叩きながら立ち上がった。

 声の方角を見れば、青い髪と瞳をした妙齢の女性と、二人の少女の姿が見えた。

 これをご都合展開と言わずして何と言おう。


「話を詳しく聞かせてもらっていいかしら?」


 ホノカは勝ち誇った顔で話しかけた………………。









○●○●○●







「というわけで、黒猫カフェはジズに出会ってから僅か二日で結成され三日目には運営されることになったのよ!」

「お前がしたの――人集めだけじゃ……?」


 黒猫カフェのオープンテラス。時刻は昼を少し過ぎたころ、日がようやく建物の影に入り再び外に出てきたところであった。

 目の前のテープルには、今は様々なケーキが並び置かれている。

 オレーツ監修の元、すでにクロイツが作るレベルを超越したお菓子は、短時間で奇跡的な発展を遂げていた。

 チョコレートのレシピもメモにしてもらい渡しておいた。オレーツならばきっと大丈夫だろう。



 そんなわけで暇になってしまったクロイツは、試食係と称してホノカが黒猫カフェを作るに至った経緯を聞いていたのだが……。


「失礼ね、アソルの新しいコーヒー産業の真の開拓者は私よ! コーヒーの流通を磐石にしたり、宣伝したり」


 いきり立って説明をするホノカを見て、ジズが苦笑しながらクロイツにそっと耳打ちをする。


「丸焼けにされたあの時の商人を許す代わりに契約を結んだそうなんですよ。今ここで出されているコーヒーは彼が持ってきてくれた豆なんです」

「なるほど、狂猫として店を守る番人ということか!」

「殴るわ!」


 怒ったホノカをクロイツは両腕で抱え込むように取り押さえた。



「まったく、あの時は酒に釣られてひどい思いをしたものだ。このオープンテラスもオレーツ監修の元大変だったんだぞ」


 センスの良い黒猫カフェのオープンテラスを手に持った木製のフォークで指差しながら、アソルを任されている伯爵は苦い顔をしながらそういった。

 試食会……あまりの人だかりに兵士も何事かと集まり、結果、エムラド隊長も参加し、当然のごとくケーキを試食していた。ケーキは次から次へと試行錯誤が進んでいるらしく、目下食べ放題である。


「オープンテラスの建設費用は私のところに後日請求が来ました。あの時は本当に大変でした」


 情報はアソル中に轟き、アソルの街の実質的な管理者でもあるハノンにまで伝わったそうだ。

 ケーキなる食べ物に興味が引かれ執務を休み馳せ参じていた。



 大丈夫かアソルの中枢!



 オープンテラスには兵士が配置され、通りの正常なる通行を目的とし、一般人が立ち止まらないように警戒がなされていた。午前に比べてある意味ものものしい雰囲気となっている。

 アソルのツートップとクエイス公国の貴族が一名いるのだから、これが本来の姿なのだと思えばいいのかもしれないが、それに慣れない者達にとっては落ち着かないものであった。



「エムラド? あなたまさかハノン様に迷惑をかけたんじゃないでしょうね?」


 珍しく強気のジズの言葉に、クロイツは唖然とした。ハノン様? いやいやエムラドを呼び捨てのほうが重要だろう。


「あの時の礼もかねて俺としてはがんばったんだぞ。寝る暇も無く部下を激励し、このオープンテラスをたった一日もたたず作り上げたんだ」

「そのことは感謝してるんだけどねぇ」


「――二人は知り合い?」


 もがく黒猫を抑えつつ、クロイツはなるべく平静を装いながら聞いてみた。


「私が初めてコーヒーを飲ませたお客さん? かな」

「飲み倒れていた俺にコーヒーを振舞った挙句に金品を要求した街娘。そんな仲だ」


 コーヒーだってただじゃないのよ! と姿勢を変えないジズを見てクロイツは思う。エムラドが伯爵って知らないんだろうな……と。

 エムラドが少し楽しそうにしていたので黙っていることにする。二人の仲が何であれ、エムラドがそういった距離感を街民と持ちたいならばそれも悪くないだろう。



 暴れてもがく黒猫がクロイツの腕に噛み付いた。

 グッと痛みを押し殺して黒猫を放り出すように開放すると、黒猫は少し満足したようにクロイツを見下ろした。


「ま、あんたの功績もしっかり吟味するわ。コーヒー! カフェオレ! ケーキ! チョコレート! アソルの街から新しい波が起こるのよ!」


 ジズと手を取り合って何やら盛り上がっているホノカはやる気に満ち溢れているように見える。

 まぁ、新メニューの開発は昭和35年2月1日発行《家庭で出来るお菓子》のおかげで大成功だったといえるのだ当然だろう。

 


「まぁ何だかんだと運営出来てるのはすごいことか」



 手にしたコーヒーを口にしながらクロイツは人心地ついた。かまれた腕がズキズキと痛かった。


 



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