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クロイツと風の精霊  作者: 志染
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第二十九話 黒猫カフェの試食会

 赤いレンガで作られたその宿は、北海道にあるサイロのような円柱状の建物を基点として左右に城壁が広がっているようなものだった。

 外壁は垂直に伸びるまっすぐな壁で、登れるような取っ掛かりもなく、まして意匠を凝らした絵が描かれているわけでもない。アソルにおいては逆に珍しいタイプであるといえる。


 部屋に取り付けられている30cm四方程度の窓はガラスではなく木を上に押し上げるタイプであり、辛うじて光を取り入れられるレベルだ。窓を開けても部屋の中は薄暗い印象が付きまとう。

 淡い光に照らし出された、四人程度が限界だと思われるクロイツの部屋にはベットが一つと壁に魔鉱石による照明が一つあるのみ。暖炉もない質素すぎる部屋で、冬はどのように過ごすのか皆目見当がつかない。

 妙に部屋数が多いと思われるこの建物は、いうなれば赤いレンガで造られた狭い狭いビジネスホテルのようであり、人を詰め込むには最適だとは思われるが宿というより監獄に近いイメージが強く、少しばかり面白みにかけるものだった。



 宿は三階建てで、各階の移動には中央の円柱部にあるスロープを利用する。


 スロープはかなりきつい勾配があり、上りも下りも危険極まりないと思えた。

 何かに掴まることが出来れば少しは楽になるであろうが、手すりなどという親切なものは存在しておらず、赤いレンガの壁が左右にあるだけである。

 スロープは建物に沿うよう円を描きつつ伸びており、かろうじての救いといえば床が滑りにくいように加工がしていることだろうか。



 夜中にたどり着いたときはふらふらだったので深くは考えなかったのだが、なぜ階段を作らなかったのか……と今更ながら思ってしまう。




「下りは気をつけないとな」 

 

 すべりフラグともいうべき言葉を口にしたクロイツがその勾配に足を踏み入れた。

 寝起きでふらついた足元は三歩目に勢いを増し案の定大きく滑る。不意に訪れた不幸に、体は即座に反応し、残った足で体を支えようと踏ん張ったのが失敗だった。そのまま体は後ろへと傾き、尻や背中よりも先に後頭部を鈍い感覚が襲う。激痛と共に頭を抱えると、気がついた時には、勢いに乗った体は斜面を滑るのではなく、転がるように落ちていった……。


 二階から一階へと壁と斜面に打ちつけながら転がった先。


「うっ……」

「朝から何がしたいの? あんた」


 勢いが止まり、体の痛みを確認するように呻いたクロイツに呆れたような少女の声がかかる。


「それほどに急な勾配だということを身を持って示したんだよ……」


 本当に急な勾配なのだ! と心の中でしつこいが繰り返す。


 擦り傷に打撲と、外傷は軽度なものだったが、朝から転がり落ちるとはまったくついてないとため息をつく。そして気がついた。



「えっと? ホノカ……さんですよね?」

「なぜ敬語なのよ!」

 

 立ち上がりながらとりあえず確認をいれたのは、目の前に赤い髪をした少女が立っていたからだ。

 声はよく聞き覚えのあるホノカのそれに違いない。整った美しい顔立ち、いつものようにつり上がった眉根もホノカだ。薄青色のネグリジェのような寝巻き姿なのはこの際無視するとして……夕日が最後に魅せるような燃え上がる赤い髪は無視出来ない。

 

「その髪? 地毛なのか?」 


 思わず手を差し出してホノカの髪に触れてみる。セミショートくらいの長さの髪はさらりとしていた。

 改めてみれば赤い髪も良いものだ。しかし、黒で見慣れていたからだろうか、少しばかり違和感を覚えてしまうはしょうがないことだろう。


「あんた不思議なものを見ると思わず触ってしまうクセでもあるのかしら? 直したほうがいいわ。特に私以外の貴族の女性に触れでもしたら大問題なんだから」


 クロイツはあわてて手を引っ込めた。ホノカは別に気にした様子もなく平然としていたので、ちょっとだけほっとする。貴族の女性の髪に触れたら大問題。覚えておくことにしよう。


「クルク兄様の髪染め薬を城に置いてきてしまったの。寝るときは落としたほうがいいから毎回朝に染めてるんだけど……」


 睨み殺さんばかりの視線をホノカが向けてくる。


「誰かさんが大見得をきった挙句に帰ってこないからこ・こ・に・泊まることになったのよ!」

「だったら黒猫カフェに顔出せばよかったんじゃ……?」

「あんたのプライドってものを考えてあげたんじゃない。そんなことも分からないの? まったく、ルシャだって心配してたんだからね!」


 まくし立てるように怒るホノカは今日も元気だ。ルシャはホノカが心配していたと言っていたのを思い出し少しおかしかった。

 いずれにしろ……心配をかけてしまったのは変わりない。もしかしたらポルも心配して潜り込んできたのかもしれない。



 お菓子作りに熱中しすぎてしまったのは少し申し訳なかった……。

 しかし、その分の成果はしっかりと出せたと思う。


「新商品は出来たんでしょうね!」

「ああ、もちろんだ。アトルニさんスーノさんメースさんクルヨートさんジズさんオレーツさんもお墨付き!」

「……雇っている子の名前全部覚えたのねぇ。頭いいわねあなた」

 

 どこか毒を含んだような調子でホノカはそういった。蔑むような目を向けられてクロイツは冷や汗をかく。




 アトルニは黒猫カフェで最年長の店長さん。年はおそらく30後半くらい。青い髪と瞳をした人で力強いはきはきとしたリーダーシップが持ち味。頼れる存在である。

 そのアトルニの二人の娘。双子のスーノとメース。年は15歳くらい。姉のスーノは白みを帯びた青い髪で、妹のメースは濃い青をした髪をしている。アルトニと同じ青い瞳はさすが親子と思わせる。控えめな姉に比べて活発な妹。競うようにケーキを食べにきたのはこの二人だったのをよく覚えている。


 クルヨートは桜のような薄いピンクの髪と濃い紅色のような瞳をもった少し妖艶な女の子で、年はスーノ、メースより少し上? 胸が大きいのが特徴だった。ケーキの作製を途中から手伝ってくれたように性格の良い子なのだが、少し不器用らしく、そのけしからん胸の上に攪拌を頼んだクリームを器用にも乗せていた。

 そんなクルヨートに対して、クロイツの代わりに意見を代弁してくれたのがジズだ。年は18歳くらいの赤い瞳に赤い髪をした至って普通の女の子で、すべてにおいて平均的という可哀想なくらい特徴が無い女の子だった。至極一般的な見識を持っているようで、クロイツの代わりにいろいろ代弁してくれるのはいいのだが、クルヨートがただ曖昧に微笑みを返すだけなのでジズが頑張って力説するほどに、実は苦労人気質があるのでは? とクロイツに思わせた。ちなみにハノンと最初に訪れたときに応対してくれたのが彼女、ジズであったりする。


 オレーツは近寄るのが少しおこがましいほどの気品を持った20歳後半の女性で、腰まで伸びた赤く長い髪と血のような瞳を持った女性であった。見目麗しい容姿よろしく店内のインテリアや黒猫カフェのメニュー開発を主に行っているそうだ。クロイツが作ったケーキを最初に試食した人物でもある。オレーツがケーキを食べたときの上気した表情や腰が砕けた艶っぽい様子は正直言って忘れられない。ある意味、至高の芸術作品のようであった。




 とまぁ、ホノカの経営している黒猫カフェは女性のみ六名で運営されている。六名くらいの女性の名前など覚えるのはたやすいと思うのだが……

 それほど蔑みの目で見られることなのだろうか? 

 


「まぁいいわ。アトルニとオレーツが認めたのなら私が言うことも特にないけど、とりあえず私も試食させてもらおうかしら。どれくらいで製作出来るの? レシピは作った? 材料の確保先はメモしたんでしょうね」

「え、あぁもちろんだ」

 

 そういえばホノカが黒猫カフェのオーナーだということに今更ながらに驚く。

 アルバイト気分でやっていたが、これは店の命運を分けることだったんだよな……。

 そういえばメモが日本語なんだが――その辺は正直に言わなくても大丈夫だろうか?


 それにしても目の前のネグリジェ赤髪赤眼の少女がすでに店のオーナー?

 貴族ということを差し引いても、親に頼らず独自で始めたとなれば評価に値するだろう。

 この世界は自立志向が強くないと生き残っていけないのかもしれない。その行動力を見習いたいものだ。


「まぁ昼前くらいに店に顔出してくれれば全部用意できると思う。ついでに作り方も皆に教えておきたいんだけどな」

「そうね……でもそれだとお店にも支障がでるわよね?」

「かなり出ると思う」


 試食と称して食べにくるお子様二人、頼んでいないのにお手伝いをしてくれる天然系妖艶少女とそのツッコミ役。支障原因は満載だ。

 ホノカは腕を組んで考え込んでしまった。表情は真剣そのもの。


「今日は臨時で休みとして扱うわ。試食会にしてしまいましょう。アトルニさんにも手紙を書いておくから渡しておいて」


 こういう大胆な発想はオーナー特権というのだろうか、はたまたホノカだからこその思いつきなのかはクロイツには分からない。

 だが、とてもいい判断だと思う。

 厨房スタッフを新しく雇うことも提案しておいた。



 ホノカは会話が終わるとそそくさと部屋に戻ってしまった。ネグリジェ姿にツッコミを入れるのを忘れていたと激しく後悔する。貴族らしからぬ、というより女の子として恥ずかしくなかったのだろうか。妙に所帯じみたところはクルクとよく似ているのかもしれない。









「派手に転がったようだね」


 朝食が用意された部屋にあるテーブルに、先に腰掛けていたのはスクテレスであった。

 擦り傷から予想されたのだろうか、クロイツは苦笑しながら向かいの席へと座った。


「朝のフィールドワークは終わったんですか?」

「ああ、今日の分は済ませたよ。まぁもっとも、泊まってみなければその良さは分からないというものだけどね」


 満面の笑みを浮かべてスクテレスは赤レンガの建物に触れる。


「クロイツ君はこの建物について何か気づいたかい?」

「んー防衛に重点が置かれた建物? ってところでしょうか」


 狭い窓、堅牢なつくり。それらはが指すのは外敵からの進入を防ぐという目的で作られたからに違いない。

 スクテレスはやわらかい笑みを浮かべながら説明を始めた。


「かつて“ガルガッタ”と呼ばれる小国がこの地を治めたことがあったようだ。この建物はその時に建造されたものなんだ。外敵からの進入を防ぐ建物というのは正解。さらに説明すれば、ここは一般人、特に力のない女性や子供、老人を匿う施設として作られたものなんだよ」

「ふむふむ」

「今日の朝クロイツ君が転がったスロープ。なぜ階段になっていないか分かるかい?」


 ……あの急斜面。車椅子のようなもので上がれるように……とは考えにくい。逆に階段にして抱えて上ったほうが安全だからだ。


「“ルプリ草”というのは知っているかい?」

「ルプリ草?」

 

 急に話が変わった。草とスロープに何か関係があるのだろうか?


「ルプリ草を日光で乾燥させて粉にする。そしてそれを水に溶かすことでなんとも粘り気のある液体になるんだよ。昔はあのスロープにそれをばら撒いて、敵兵が進んでくるのを食い止めたんだ。矢や魔法が届かないようにスロープが円形になっているのも大きな特徴だね」


 スクテレスはテーブルに片肘をつきながら頭を支え感心するようにそう言った。

 なるほど。言われてみれば確かにそれは有効だ。ただでさえ急な斜面に潤滑な液体などばら撒かれてしまえば、登る事自体が不可能となる。後は建物を破壊するくらいが手になるが、この堅牢な赤レンガ。下手に壊せば生き埋めも考えられる。時間の浪費をするくらいならば他の所を攻めに行くのが得策というものだろう。


「それでこの宿を選んだんですか」


 スクテレスがなぜこの宿を選んだのか分かり、少しすっきりした。


「昔のまま保存されている史跡に泊まることが出来るなんて粋だよね。ハノンさんに感謝しないと」

「ハノンさんに?」

「あれ知らなかった? ここは宿としては危険だから普通は泊まれない場所なんだよ」


 含み笑いをするスクテレスに、クロイツは驚きで返した。

 なるほど! 危険なスロープを移動する宿屋の人たちは大変だろうと思っていたがどうやら違うようだ。

 スクテレスがハノンに掛け合って無理やり? 承諾させたのだろう。だとすれば納得がいく。


 クロイツ達が泊まるために清掃や宿の準備に回された人材……おそらく兵士たちの苦労はいかほどのものだったのだろうか。

 監獄か牢獄みたいに陰気くさくて最悪な宿だなぁと思ってしまったのが少し申し訳なく思う。




 宿代は例のごとく無料らしくVIP待遇は続いていた。





 朝食を全員でそろって食べた後、クロイツはルシャとポルと一緒に黒猫カフェへと向かった。ホノカは後で合流するらしい。


 旅最終日の宿は後のお楽しみということでスクテレスは教えてくれなかったが期待してもいいそうだ。少し不安が残ったといえば失礼だろうか……?









○●○●○●








 幾重もの城壁に囲まれたアソルは意外なことに歩きやすい街である。

 観光地としても力を入れていると聞いている通り、大通りには道案内の看板がしっかりと立っているし、特色のある街並みがブロック単位であるのだから裏路地へ突き進まない限り迷うことが逆に難しいのだ。


 いざとなれば街を隔てている城壁までたどり着き、壁伝いに歩いていけば必ず門にたどり着く。そこには大概の場合兵士がいるので、街中で交番を探すよりも楽だろう。


 

 そんな中、ホノカが運営する黒猫カフェはアソルの中層エリアに位置していた。

 薄い茶色をしたレンガ積みの四階建ての建物が立ち並ぶ、アソルにおいて比較的広い通りに店を構えている。

 イタリアのフィレンツェを思わせる赤い屋根は、竹を半分に割ったような瓦がのせられており、オシャレな雰囲気を作り出していた。


 

「今日は店をお休みにして新作メニューの試食会を行います、か」

 

 アトルニが手紙を読んで笑っている。突発的なホノカの提案がなにやら面白かったらしい。


「急ですが、とりあえずケーキの作り方だけでも教えさせてもらいます」

「いやいや、こちらからお願いしたいくらいだよ。よろしく」

「材料は言われた通り買ってきましたぁ」「食べるのは任せて」


 アトルニの子供、妹のメースと姉のスーノが買い物から帰ってきた。スーノ……食べるのは任せてってどうよ?

 話が進まないのでツッコミは我慢して厨房へと向かう。



「とりあえず分量に注意してくれればちゃんと出来ますので基礎を覚えてください」


 実演しながら一緒にスポンジケーキを作ることにした。

 ルシャ、アトルニ、メース、クルヨート、ジズ、オレーツが生徒。

 スーノとポルはなにやら波長が合ったようで仲良く並んで、大人しくジュースを飲みながらこちらを遠くから見ている。



 ルシャ、アトルニ、ジズ、オレーツは飲み込みが早く分量も正確で優等生だ。

 特にオレーツは料理のセンスが良いのか独自の配合を提案してきた。焼き上がりもしっとりほろ甘。黒猫カフェの未来は明るいだろう。


 一方、メースとクルヨートはお菓子作りに苦戦する女の子の大多数に入るようだ。分量が間違っていたのか妙に液状の生地が出来たり、ボールからこぼしたり……しっかり見張っていただけに、どこでどうなってそうなったのか神がかり的に不思議でならない。材料も全員同じであったはずなのだから、これはある意味天才だといえるだろう。こういったタイプは生地を焼こうとするとなぜか大爆発を引き起こすというジンクスがある。なので生クリーム製造を任命することにした。この英断を誰かに褒めてもらいたい。



 

 この世界にもイチゴはイチゴとして存在していた。少しばかり酸っぱいが、使えないことも無い。そのまま採用し、クロイツはショートケーキを完成させる。

 ルシャ達には好きなフルーツで彩るように指示しておいた。こちらの世界の人たちの趣向というものがあるだろうから、そこは彼女たちに任せたほうが良いだろうという判断だ。





 なんだかんだと出来上がったケーキをオープンテラスに運んでいくと、そこにはなんと、オープンテラスを取り囲むように人だかりが出来ていた。


「ホノカなんだこれは?」


 オープンテラスの中央にどっしりと構えて座っていたホノカに苦言をもらす。

 ホノカの髪はいつもの見慣れた黒に染まっていた。おそらく城によって染めてきたのだろう。

 そんなホノカの脇にはギルドであったグレオじいさんとサエルさんがいた。


「なんかね、昨日あんたが魔法でおっきな音を立てたじゃない? あれの調査依頼がギルドへきたらしいわ」


 ホノカはどことなく楽しげにそう言った。


「それだけじゃありません。中央エリアで立ち上った謎の巨大火炎についても依頼が来ています! なのでさっさと白状して新メニューの試食早く始めませんか?」


 巨大なカエルの目玉を付けたような肌色の帽子をかぶった金髪金目の珍妙な幼女は瞳を輝かせそう言った。明らかに彼女の目的がずれている気がしてならない。


「火炎は私。音はそいつよ。他に何かある?」

「はい、犯人は分かりましたので問題ないです! 早く試食始めましょう」

「それでいいのか!」


 思わずツッコミを入れてしまった。

 なんだろう、黙っていればおそらくグレオじいさんがツッコミを入れてくれていたはずなのに……。どうしても黙っていられなかった。



 長く白い髪と髭をたたえた鋭い蒼い瞳をしたグレオじいさんは黙ってその様子を見ていた。意匠をこらしたつるはしのような武器を今日は持っておらず、両手の指に嵌められた髑髏やルビーといった宝石のようなリングや両耳の派手なピアス、右目には黒の眼帯、腰に下がった酒瓶とポーチはこの前見たとおり。筋肉質な体には無数の切り傷があった。老人とは思えない、いい体をしている。


「あら、おじいさん今日も来てくれたの?」


 腰まで伸びた赤く長い髪と血のような瞳を持った女性、黒猫カフェのインテリア兼食アレンジのカリスマ。オレーツがグレオじいさんを見つけて声を掛けていた。


「まぁな。いつものやつを頼む」

「はい」


 優雅に返事をして厨房に向かうオレーツ。なんだろうやけに親しげに感じたが、常連なのだろうか?


「オレーツはグレオじいさんの孫娘よ、手を出すんなら気をつけなさいね」


 冗談交じりの笑顔で語るホノカの言葉であったが、グレオじいさんの無言の殺気がクロイツを襲う。なるほど、あれだけの美女が未だに特定の相手を作っていないのは非常にやっかいな障害があるからか。


 グレオじいさんは蒼い鋭い瞳をしているのに、オレーツは赤い瞳だ。少しばかり遺伝子の神秘を感じる。





「で、この人だかりは何だ?」


 グレオじいさんの殺気を避けるようにホノカに再度話を振る。

 

「私は良く知らないんだけど、あんた今街で一番注目されてるらしいわよ?」

「へっ?」


 注目? どういうことだろう極力目立たないようにしていたはずなんだが……。容姿以外で注目を浴びる要素が思い浮かばない。

 この人だかりが、グレオじいさんやサエルやホノカを見に来たものではなく自分を見に来た集まりだということに新鮮な驚きが隠せない。



「それは私から説明してあげましょう。貴族の名家、ネイ−ラリューシユ家のクルク様と共に現れた謎の怪しい黒髪青年、その脇にはファルソ村の碧い花と謳われるルシャさんに、アソルでも大変珍しい存在である獣人の可愛い女の子。ハノン様による冒険者ランク偽造申請に加え、連日の中央エリアでの不穏な騒ぎ! さらにここへきてホノカさんとの三角関係とくれば誰だって飛びつきます!!!」



 ……絶句。とはまさにこのことを言うのだろう。少しだけ血の気が引いた。偽造申請と三角関係がどうしても受け入れがたいし、そもそもファルソ村の碧い花ってなんだ? そんな設定はどこで作られた?



 かなり横暴な考えで悪いが、情報の発信源はおそらく100%サエルだろう。妙に滑らかな口調、言い慣れた節があるからだ。あれだけのセリフをカンペも無しに言い切った時点でクロイツの疑念は確信に変わっていた。



 いや待て、冷静になるんだ。ここでサエルに八つ当たりして、昨日のリヤンジュよろしく地の彼方へ飛ばしてなんになるというのだ。



 ここは少しでもうわさが誤解であったと振舞うべきではないのか。そうだ、これだけの人だかりだ。普通に対応していれば、噂が尾ひれを含んだものだと人々も悟るはずだ。そうだ、ここでは冷静に、普通にすればいいのだ。



 まず最初の爆弾、顔を赤く染めて俯いてしまったホノカをどうするべきか……だ。まさか自分もそのような立場として見られていたとは露ほどに思っていなかったのだろう。見ていて少しばかり可哀想だ。年頃の娘であるからどうしても過敏に反応してしまうところがあるだろう。



 しかしここでのコマンドは決まっている。


 クロイツは厨房へとさっさと逃げた。





「我ながら完璧な選択だった」

「何がだ?」


 ファルソ村の碧い花と謳われているらしい少女が怪訝な表情をクロイツに向けながら作られたケーキを運び出していた。


「ホノカとギルドの怖いじいさんとサエルさんが来てたからその分の皿をな。試食は先にしててくれるとありがたい。俺も少ししたら行くから」


 クロイツはルシャに丸投げした。ルシャなら囲まれた人だかりの中でもいつもどおり振舞えるだろう。ホノカもそれを見れば少しは沈静化するはずだ。


 それに……

 今日のメインはケーキではない。

 ひっそりと作製を続けたチョコレートの完成が近いのだ。

 ついでに副産物としてココアも出来ている。砂糖と粉乳を混ぜておく。森永レベルには遠いが、まぁ飲めないほどではなさそうだ。


「ポルとスーノ。ちょっとおいで」


 ためしにお子様二人にココアを飲ませてみることにした。


「どうだ?」


 ポルの尻尾がしきりに上下に振られている。これはかなりいい感じだ。


「コーヒーとかカフェオレよりもおいしいかも」


 少し遅れて満面の笑みを浮かべるスーノ。この世界でもココアは通用した。それが少しうれしかった。




 


 チョコを冷やすための氷……


「これくらいでいい?」


 スーノが魔法で作り出してくれた。水系統の応用魔法として氷を作り出すことが出来るらしい。


「これは私にしか出来ない仕事」


 フフンと青い瞳をキランと輝かせたスーノがなぜか偉く見えた。いや、実際たいしたものだと思う。ルシャも氷を作り出すという芸当は出来ないのだから。

 最後においしいところだけ持っていかれた感がぬぐえないが、素直にチョコレート完成は喜ばしい。

 お礼にスーノに最初の一欠けら食べさせてみる。毒見とも言うが……。


「ほぅぅ」


 スーノの満足そうな微笑みに、クロイツは笑みを返した。毒見成功だ。






 ……オープンテラスに向かってみるとすでに試食会という名の戦争は始まっていた。

 あわてて参戦するスーノには少し申し訳なかったかもしれない。


 ポルは俺の横で大人しく、かりこりとチョコレートを食べていた。



「悪くないわ。コーヒーにも合いそうね」

「ホノカさん食べすぎです。私の分ですよーそれはぁ」

「サエルさん、そう言いながら私の分をとらないでー」

「……ココアにも合うかも」

「喧嘩しなくても全員分あるから大丈夫だよ」

「ジズの作るもの。ケーキもどことなく平均的だね」

「材料が同じなのになぜなんだろう……ぅぅ」

「盛り付けのフルーツが違うからな。その差だろうか?」

「焼き上がりの生地の感触に合わせて、デザートを選んだほうがいいかもしれませんね」

「コーヒーを頼む」


 なにやら楽しそうだ。



 ホノカもどうやら立ち直ったらしい。

 周りの人だかりがさらに増えているのは試食会が物珍しかったからだろうか? 

 その中心にあって騒がしいこの人たちはどうやらケーキしか目に入っていないようだ。皆良い性格をしていると思う。




「オーナーホノカ。ケーキはいかがでしょうか?」


 余裕の笑みを浮かべてクロイツは言った。


「悔しいけどこれはいけるわ……」


 ぐっと押し黙るように悔しそうな表情をしたホノカが面白い。


「ちなみに……カフェオレも俺が提案したんだぞ」


 ホノカの耳元でクロイツがそうささやくと、ホノカが青ざめた。


「ち、違うわよ。あれはジズがお客さんからミルクを注文されて、それで……それが……?」

「そうだよ。そのお客さんが俺なんだよねぇ」


 朗らかな顔で微笑むとホノカが混乱した表情を浮かべていた。

 黒猫カフェのヒット商品、カフェオレの開発はかなり大きかった。現在収益の約40%を占めているらしい。この上さらにケーキやチョコレートまで入ればクロイツが残した功績は多大なるものだ。


 ホノカが感謝し、ひれ伏すと思っていたのだ。が、予想外の反応をホノカは見せた。



「そっか、そうよ。あんたは私の夫なんだからその功績は私のものでもあるわけじゃない」

「はい?」

「やっぱり私はすごいっていってるのよ」


 夫という事を認めることで、あえてクロイツの功績を認めない作戦にでたようだ。

 しかもその実、真剣にそう思っているようで真顔でそういい切った。


「まだ隠し玉があるんでしょ? 隠してないでだしていいわ」


 ホノカが笑顔を向けてくる。……アルバイト料が功績に比例して払われる約束だったはずだから、それを思うとホノカの笑顔の意図が怖い。


 若干引きつった笑みになりながらもクロイツは渾身のチョコレートを差し出した。


「チョコレートって言ってな、俺の国のお菓子のひとつだ」

「へぇ、可愛い形が多いのね」

 

 ハート型とひとで型はデフォだろう。あとはひし形も入れておいた。型枠は力技で無理やり作ってみました。


「確か健康にもいい菓子でな、集中力を高めたり出来るってことでよく勉強する前に食べたんだ……が」


 説明をしようとする前には、チョコレートは手元からきれいさっぱり無くなっていた。我先にと食いついてきたようだ。


「チョコレートの作り方も指導よろしく」


 再びケーキへと向かったホノカの顔が少し憎い。満足そうな笑みを浮かべてくれるのは料理人冥利につきるというものだが……。





 とりあえず、食べ過ぎると太るからな。という真実は、全て食べ終えてから投下してやろうとクロイツは微笑んだ。




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