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クロイツと風の精霊  作者: 志染
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第二十八話 スイーツジャブ

「最低だな」

「なっ!!!」


 白い、ぼんやりとした世界の中で銀髪碧眼の少女が一人立っていた。

 少女の碧く大きい瞳がまっすぐとこちらに向けられている。

 卵形の調った顔立ちに色白い肌、バランスの取れた肢体。

 10人に聞けば10人が美少女と答えるであろう少女………………


「最低だな」


 繰り返し吐き捨てられる言葉が、心に重く突き刺さる。

 少女はただひたすら無表情に……クロイツを見つめていた。


「待ってくれ! 俺は知らなかったんだ」


 叫ぶ。叫ぶ。声を張り裂け叫んでいるはずなのに声は響かない。

 口から風が漏れ出るように、ただうめく様な、呟くような、そんな声がかろうじて出ただけだった。



「お前が考えている以上に掟は重い……知らなかったなら――――何をしても許されるのか」



 少女の声が、辺りに響く――そして訪れた沈黙がクロイツの命を削り取っていく。

 声が出せない。命を守るだけで精一杯であった。



 そして少女は表情を変えることなく、振り向き去っていく。

 縋るように少女に懸命に手を伸ばすと、今度は別の少女が行く手を遮るように現れた。




 さらりとした黄金色の髪。キツネのような耳と尻尾を持つ亜人の少女。

 耳と尻尾は先端に行くほど自然と白みを増し、耳の先っぽにだけ少し混ざった黒の毛並みをしている。

 宝石のエメラルドのような緑色の瞳で、無表情にこちらを見つめている。


「……すけべ」

「どこでそんな言葉覚えたの!!!?」


 かなり予想外の言葉に、クロイツの口から出たツッコミが白く霧がかかった世界に響き渡る。

 物静かな亜人の少女はこちらを見据えたままピクリとも動かない。いつも揺れているはずの尻尾すら動いていない。

 自身が発したツッコミが、嫌なくらい静かな世界で反響し自分に降り注いだ。


 ――バンッ! 


 右頬が何かに打たれ、クロイツはよろけた。

 亜人の少女ではない……赤く伸びた大きな舌が、少女の前に見えた。

 丸く黒い体に猫の耳、悪魔の尻尾。大きな一つ目と長い舌が特徴的なポルの友達、バルだ。


「ようよう兄さん。女囲っていいご身分やのぅ」

「……ワッツ?」

「なんや日本語わからんのかいな? これだからへたれは困るんや。このへたれが!!!」


 カオスだ。

 バルからおやじの声がする。

 むろん父親を指しているわけではない。

 例えるならそう、花見の席で酒に酔っ払い、近くのカップルに絡みだすどうしようもなくダメなおやじの声が……。

 

「バル……お前はなせたのか」

「神の獣が話せるんや、魔の獣が話せたらおかしいんかい? ぁぁ? ちらちらちらちら女々しいわ。寝とる女遠くから観察しくさって喜んで? 何か? 思春期の青少年ですか? 主義主張でも始めるんか?」


 流暢に話すバルに絶句し顔が限界まで引きつるのが分かった。

 何もかも終わりだ……

 クロイツが膝を突くようにへたり込むと、気がついたらポルもバルも消えていた。



 気がつくと、うずくまる様にその少女はいた。

 日本人のような黒い髪をした少女。なにやらシーツのようなものに包まれながらそこに座っている。

 少女の体が小刻みに震えている。寒いのだろうか。


「うっ、うっ」


 うめく様な声は……泣き声だ。必死に何かを我慢するように少女は泣いていた。

 声をかけようと手を伸ばすと、少女がこちらを見上げる。真紅のきれいな瞳がクロイツの時間を止める。


「私! 相手はお金持ちが良かったのに」


 少女は怒鳴り散らした。美しい顔立ちをした少女は整った眉を上げながら確かにそう言った。


「――真理だが……おまえの家金持ちなんじゃ?」

「甲斐性も無い男なんて嫌よ!」


 なぜだろう。まったく反論出来ないからだろうか、心が痛みを通り越して腐敗していく気がする…………。




「あああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!!!!!!!!!!!」



 クロイツの絶叫とも言うべき叫びと共に世界は崩壊した――








○●○●○●








 目を開けると赤いレンガで出来た壁が見えた。

 柔らかいベット、窓から差し込む光。


 チェチェ、チェチェという鳥のさえずりが外の世界から聞こえる………………夢だよな。


 世界を確認するために、自らが横たわるベットを見下ろす。

 白いシーツで覆われたベットはこの上なく白く柔らかで、自分の横にはきつね耳を持った少女が寝息をたてていた。


「ポル……また潜り込んできたか」


 ぼんやりとした意識の中で、一つ一つ昨日からの出来事を確認していく事にした。









 


 第一の出来事。

 昨日はリヤンジュを見た後、なぜかホノカの夫にもなることが決まった事だろう。

 力を見せたおかげで、リヤンジュのニアにも気に入られたのは良かったことか悪かったことか……。


「ダメ、あんたは絶対乗っちゃダメ!」


 ホノカの断固としたツンのおかげで自分はリヤンジュに乗ることが叶わなかった。


「《今はそっとしてあげるのが男ってものよ》」


 神獣に恋愛のイロハをアドバイスされた人間、まして異世界人などかつていただろうか? と苦笑したっけ。

 ルシャとポルと、スクテレスとロトザーニがホノカと共にリヤンジュに乗って空を翔ける姿が羨ましかった。


「兄としては複雑な気分ですが、ホノカもクロイツさんをとても気にしていたんですよ。家での難しい話し合いは僕がしっかりやっておきますから……クロイツさん! ホノカをよろしくお願いしますね」


 満面の笑顔でクルクにそう言われた……

 ホノカが自分を意識してくれたというのがちょっとうれしかったが、どこにそんなラブ要素があったのか不明だった。

 



 それからリヤンジュが戻ってくるとクルクと別れた。


「ニア! スーセキノークまでクルク兄様をよろしくね。浮遊島(ルンドブース)経由で荷物も運んで欲しいらしいわ」

「《あなたも頑張りなさいね。でも羽目を外しちゃダメよ》」


 頬を上気させたホノカを置いて去っていくリヤンジュ(ニア)


「スーセキノークでまたですぅ!」


 クロイツ達はリヤンジュが見えなくなるまで手を振り続けてクルクを見送った。



 午後。そのままの流れでハノンと城での食事をした。

 不必要なほど長い食卓テーブルはさすが貴族というべきかと感動したものだ。

 豪華な料理が言わんとしているのは婚約祝いか、それともいつもの食事なのかとツッコミが入れにくかった。

 人数分用意されていることを考えれば、予め用意されていたと考えるべきだが……


 自由奔放な伯爵は幸運にも就寝中だったらしく、食卓の席には姿を現さなかった。寝ていてくれたのはありがたかった。きっと面白がって場をかき回すことが容易に想像できたから………………。





 第二の出来事。

 どことない気まずさを覚えつつ食事を終えると、今度はホノカに拉致された。

 奥まった場所にある城の一室まで連れて行かれ、ホノカが泊まっていた部屋だろうか? ルシャとポル・バルも連れてこられてホノカと対峙した。


「ふー、まったく」


 切り出したホノカはいつものホノカに戻っていた。


「あんたが変なことを言うからややこしいことになったじゃない!」


 なぜだろう、怒っているホノカを見ると非常に安堵するのは。


「私としては……そうね。あの嫌味な許婚と結婚するよりはあんたのほうがマシかも知れないわね。最悪、国を敵にまわしてもあんた達なら生き残れそうだし。でもいいの?」

「許婚なんていたのか?」

「あんたは黙ってて。ルシャよ、あなたの夫なんでしょ?」



「本当にいいの……かな、と私は思うのだけど」


 しおらしい姿をホノカは見せたホノカはルシャにそう切り出した。自分勝手な性格だけじゃなく、周囲への配慮も持ち合わせているらしい。

 それはクロイツにだけ! 向けられることが無いのは不思議だったが。許婚ってなんだよ? という質問は完全にスルーされた。


「私は確かにクロイツの妻だが、その……なんだ。父上と母上のように愛し合っているわけじゃないんだ」


 ルシャの言葉に心が締め付けられるような息苦しさを覚えたのは、自分がルシャを好きだからなのだろうか。


「だが、ホノカがクロイツの妻になると聞いてムっときたのは確かだ」


 えっ、それは! とクロイツの頭の上にひまわりが咲いてしまった。

 ルシャが自分にやきもちを焼いてくれたと思うと素直に少し喜ばしい。


「ルシャ……あなたはこいつが好きじゃないの?」

「それは……今はただ傍にいても不快じゃない。……そう思えるくらいだな」

「なるほど。私と同じね……」


「……本人の前でする話じゃなくないか?」


 真剣な表情で語り合う美少女二人に、呆れてしまった。

 傍にいても不快じゃないというセリフが心に痛かった。これは明らかに恋愛ではなく友情レベルの話だったからだ。

 少しでもルシャに好かれているかもーなんて浮かれていたその時の自分が少し恥ずかしい。


「紳士協定ね、ルシャ」

「そうだな」


 手を取り合い握手する二人。さっぱり意味が分からない内に、話は終わったっけ……。








 第三の出来事。

 その後城から街へと場所を移し、黒猫カフェのお手伝いへと話は移る。



「そうね、黒猫カフェについて説明するわ」


 街の商店街エリアを歩きながらホノカが語っていた。

 石畳が敷かれた商店街はクレミオン通りというらしく、左右には灰色をした石積みの家屋が立ち並んでいる場所であった。

 少し高級そうな武器屋、魔装具屋、薬草屋、本屋、八百屋、カフェレストランなどが乱立している場所で、人通りも多くにぎやかな場所だった。

 広い道の中央には木で作られた簡易の露店がずらりと並んでいて、ここでは異国の珍しい品が多く取引されているらしいと聞いた。



 まぁ、なぜそのような場所に行ったかといえば、市場のリサーチをクレミオン通りで行い、黒猫カフェの新しいメニューの開発をするためであったのだが……。

 黒猫カフェの主力商品となっているカフェオレの元、コーヒーはここでホノカが発掘し採用を決めたそうだ。悔しいが見る目があると思った。


「あのお店は私の野望の第一歩なの!」

「野望?」


 人通りの多さに萎えながら力なく歩く自分に対して、ホノカは無駄に元気に夢を語っていた。


「私ね、本当は家が嫌で嫌でたまらなかったの。上流階級なんて偏屈なやつらの集まりよ。それに耐えながら暮らしていくなんて考えられないわ。だから、ここアソルを拠点に事業を拡大させていって、親に頼らない自分だけの世界を開拓したかったの。そしてお金がたまったら世界を回るの!」


 目を輝かせて語るホノカはとても生き生きとしているのを感じた。手を大きく広げて、人がいなければそのまま回りだしそうな勢いでそう言ったからだ。


「金なら親が持ってるんじゃないのか? 奪うだけ奪えば話が早くないか?」


 至極当然な意見を述べて見たが、ホノカに侮蔑を含んだ目を向けられる。今思えば確かに配慮に欠けたツッコミだったと反省する。



「クロイツ、お前は自ら働くことを学ぶべきだ。ホノカの気持ちは私には分かる。全力で協力させてもらう。何でも言ってくれ」


 ルシャ……と手を取り合う少女達を見ていると、いつの間にか商店街の視線が自分たちに激しく集中したっけな。

 どう考えてもこのメンバーは目立つということを忘れていたからだが……。



 道行く男たちが送る美女達への好色な視線と、クロイツに向けられる誰だてめぇは的な視線を退けながら……


「おら、二人ともさっさとリサーチに行くんだろ? 早く店行くぞ」


 ポルの手を握り人垣を押しのけて書店へと逃げこんだんだんだ。


「何で書店なんか入るのよ!」


 ホノカは追いかけてきながら怒っていたが、今思えば当時のその行動は僥倖であったと言うべきだと思う。

 古本屋に入ったような本の香りがする店内。自分がいた世界と変わりないそれは少し自分を落ち着かせてくれたのを覚えている。


「新メニューなんだろ? 本屋で料理本でも見つければ話は早いじゃないか」

「それだと人の真似にしかならないじゃない! 私は新しい発見がしたいのよ!」

「創作なんて人のものをパクって自分なりにアレンジしたものなんだよ」


 喧々としたホノカを置いて本屋を物色。


 この世界の文字……は当然読めるべくも無く、見たことも無い英語にも見えない文字の羅列を眺めた。古代文字に近いかもしれない思った。

 だが目を通せば意味が分かってしまうのは風の精霊キュアラのおかげなのだろう。本当にこういう場面ではキュアラと出会えて良かったと思えた。


「んー哲学書に恋愛、推理、ファンタジーに風俗……教育物もあるのか」


 異世界でも本のジャンルは大体一緒のようだった。

 何気なく全体に目を通していると、うずたかく積まれた本の中に見つけてしまったんだ……。


「――エロ本でも見つけたの?」

「違うって」


 しょうもない男を見るような顔で覗き込んできたホノカに否定してみたが……

 そういえば、ホノカがエロ本なるものの存在を知っていたとは今にして思えば驚きだ。貴族の教育として……出回ったりしているのだろうか?


 いや、もしあったとしたら結構興味ある事柄なんじゃないだろうか……学術的に考えて!

 


 話を戻そう。その時に手に入れた本は……


「お前この本何なのか分かるか?」


 クロイツは抜き取った本をホノカとルシャに見せると単刀直入に訊いた、


「んー私古代文字は専門外。残念だけど読めないわ」

「私も分からないな」

 

 ポルも分からないようだ。

 それは当然だろう!


《家庭で出来るお菓子》


 青いハードカバーの本にそう書いてあったのだ……………………しかも日本語で。



 手にした本は、なにやら焼け焦げたように薄汚れていたが、開くと中はそれなりにきれいで、バーコードは無く白黒の写真が辛うじて載せられており、昭和35年2月1日発行と書いてある年代物の本であった。




 どういう訳でこの本がここにあるかは分からかったが……これはお宝なんじゃないだろうか? と発見したときは思わず手が震えてしまった。




 試しに中身をルシャ達に見せて見せて確認も入れてみた。

 各種ケーキに、ブラニウース、ビスケット、クッキー、きんつば、まんじゅう……この世界ではまだ見たことが無いものばかりだろう。はたまた流通しているのだろうか?


「料理の本なのかしら」

「作り方が良く分からないな」


 首をかしげたホノカと眉ねを寄せて悩むルシャを見て、心の中でガッツポーズを決めたっけ。

 幸いにも、この世界の人間にはこの本に何が書かれているか解読できなかったようだったからだ。



 これはチャンス! と黒猫カフェの新メニュー開発が飛躍的に楽に進みそうで一人興奮したあのときの自分が少し恥ずかしい。



 ブスっと愛想の無い本屋のじいさんに銅粒を10個(3000円相当のボッタクリ値段)を渡すと急いで店を飛び出て、材料集めに走ったっけ。


 卵、砂糖、粉、バター、エッセンス。とりあえず必須なものから中心に考えを巡らせた。

 無ければ無いでやってみて、ダメそうなら適当に試行錯誤すればいいとその時の自分は妙にポジティブであった。


 本の残念なところは、材料名がかなりいい加減で、粉とかアバウトに書いてあるところだったのをよく覚えている。

 小麦粉でいいのだろうか。それすら分からなかったからだ。

 エッセンスとやらもまったく意味がわからなかったし、少しばかり手こずる予感がしていたっけ……。



 だが、同時にこの世界でケーキが作れるとなればわくわくしてしまうのがあったのも確かだ。

 普段そんなもの作ろうとは思ったことは無いが、異世界で自分の国の食べ物を再現できるか否か。

 そこはかとなく挑戦心が刺激されるのだから。




「うぉーなんか燃えてきたー!」




 急に活発に行動をし始めた自分を見て、驚いた面持ちで見つめるルシャとホノカが少し面白かった。


「ルシャ、ホノカ。ぼさっとしてないで材料探しに行くぞ! 卵、砂糖、バターはあるだろう? 小麦粉……でいいのかな? エッセンスって何だ?」

「ちょっと! 何いきなり一人で! 説明しなさいよー」


 本を読みながらポルだけを連れてスタスタと歩くクロイツを追って、ルシャとホノカはついてきてくれた。




 その後、材料は意外にも揃えることが出来た。さすが交易の街だと思えた。


「買いすぎよ! 何に使うのよこんなもの!」


 黒猫カフェの厨房の一角。ホノカが呆れた声を出すのも無理もなかったことだろう。

 畳一枚分にも値するテーブルの上に所狭しと並べられた材料の山々は、商店街で買いあさってきたもの。

 ケーキ以外にも作ろうと欲を出し、本に書いてある材料は揃えるだけそろえてみた結果こうなってしまったからだ。



 もう少し詳しく釈明するならば、この世界の材料は名前や形が独特なものが存在している。だからどれがどれだか良く分からなかったのだった。

 考える時間も惜しかったのですべて買ってきた。

 ホノカのメニュー新開発資金からお金が出ているので、自分からの出費は本代のみだ。


 だからこそ無駄に大人買いしたのだと告白すれば、ホノカに焼き尽くされることは自明の理なので黙っておくことにした。

 何か喧しくホノカが癇癪を起す度に、必須なのだと真剣な表情で押し通した。



「俺に任せろ。明日の朝までに必ず新開発のメニューを作ってみせる!」



 しゃもじをバットのように構えてそう言ったっけ。自分でも分からないが無駄にやる気に燃えていたのは確かだ。 

 力強く語ると、ホノカとルシャが顔を見合わせて苦笑していた。何かおかしなことでも言ったのだろうか?


 一人自分を残して、二人はポルも連れて買い物へ出かけていった。女の子同士でしか買えないものもあるのだろう。ルシャにお金を投げ渡した。

 その日の宿は赤いレンガで建てられた建物……つまり現在自分が寝ていたこの建物で、その時は夕食のときに合流しようと告げて別れた。



 そうそう、挑戦してみるとお菓子作りは思いのほか調子に乗ってしまった。

 試作品がどれもかなりいいレベルの出来だったからだ。


 スポンジケーキ、ロールケーキ、クッキー、生クリーム。


 少なくともこれらは完璧に作れるようになった自分は偉いと思う。


 黒猫カフェで働いている女の子達をナンパして砂糖や粉の材料、その割合を変えながら試作した10パターンを試食してもらった。

 たいがい惚けた瞳をしてうっとりしてくれるので、反応は上々だろう。そのままお店に出しても問題ありませんとお墨付きをもらった。


 材料の仕入先と粉の割合は詳細にメモを残しておき、今後の参考に残しておいた。




 とまぁ、異世界……つまり自身の世界から来たと思われるお菓子本によって、この世界にケーキなる食べ物を生み出したのだ。

 この出来事はおそらく、歴史的瞬間であったのだと思えてならない。

 結果、勲章として寝起きの自分の体からはケーキの甘い匂いが少ししていた。

 

 しかし、そんな偉業を成し遂げた自分が寝不足で、かつ疲れきった体で風呂にも入らず寝ていたかというと……






 第四の出来事がその後起こったからに他ならない。

 

 



 

 完璧だ。これだけでも黒猫カフェの未来は明るいだろう。

 

 だが、まだだ。まだいける!


 ふははははははは。っと調子に乗り始めてしまった自分はその程度で終わりはしなかった。今思えばステータスアイコンに異常表記が出ていたのだろう……。


 そもそものきっかけは、薬草屋で見つけた乾燥した茶色の豆だった……


 店の店主は粉にしてお湯などに溶かし飲むと、滋養強壮に効果があると言っていたそれは、


 カカオ豆。


 そう、チョコレートやココアの材料になるあれが売っていたのだ。名前もそのまんまカカオ豆と聞こえたから間違いないなかった。



 くく、自嘲な笑みを浮かべていた自分はおそらく四分の三くらい壊れていたのだろう。

 バレンタイン。女の子から年に一度チョコレートを貰えるという……彼女のいなかった自分には拷問に近かったイベント。


 しかし、それも大学に入ることで奇跡の一大イベントとなっていた。


 そう、忘れもしない大学一年の冬。

 むさい男たちが集まるプレハブ小屋、バイクサークルの部室。


 ただ悲しむくらいなら食らい尽くしてやろうぜ! とカカオ豆を持参した先輩はバイクサークルの部長。彼はその行動力が自慢の男であった。

 大学に忍び込み、80万円超の実験用遊星ボールミルを使い……チョコを完成させた。食の安全度は度外視だった。


 大学の教授に見つかり、哀れみの笑みを投げかけられたのは生涯忘れることができないが……しかし、その時の記憶がここにきて活きるとは。これは運命としか言いようがないだろう!



 クロイツは間違ったベクトルで頑張ってしまった男たちとの熱い夜を思い出し、チョコレート作りに取り組んだのだ。

 あいつ等は心配せずとも無駄に元気でやっているだろう、心からそう思えた異世界での夜……。



 異世界初であろうチョコレートの試作に食事も忘れて没頭し、夜が更けていった………………。








○●○●○●






 三匹の子豚の三匹目が作ったような赤いレンガの宿のベットの上……

 長い回想ではあったが、つまるところ、飯も食わずハッスルしてしまったクロイツは、宿に着くなり倒れるように寝てしまったのだった。


 そして見たおぞましい夢の断片を思い出す……ルシャには最低といわれ、ポルにはスケベと言われ、ホノカには甲斐性無しと言われた夢を……。最悪だ。 



 チョコレート作りに没頭して、狂気にも似たあの男たちとの無謀にも切なかった夜の感覚が夢にも尾を引いてしまったのだろうか。



 

 寝息をたてている黄金色の髪をした少女の頭を軽くなでる。

 親にも似た気持ちをクロイツはこの少女に持っている。スケベとは笑わせてくれる。今思えば夢もなかなかにインパクトがあって楽しかったようにも思う。

 バルもいつものようにプクプクした体で少女の傍らに寄り添っている。こいつが話すなどあり得ない。そう強く自分に言い聞かせた。

 


 クロイツはポルを起こさない様にそっと部屋を出た。

 宿はビジネスホテルのようにこじんまりしており、ベットは各部屋にひとつずつしかないようだ。


 ルシャとの早朝訓練を思い出して慌てて部屋を出たはいいが、そういえば部屋を聞いていなかった……。



 同じような扉が続くレンガで出来た通路を見渡して足を止める。

 通路は赤い魔鉱石の灯りが照らしていた。


 

 すると横の扉がゆっくりと開き、目当ての少女が顔を出した。


「おはよう。ルシャ」


 出来るだけ明るい挨拶を心がけてみる。夢の記憶が少し不安だったのだ。


「お、おはよう。クロイツ」


 怪訝そうな表情のルシャにクロイツの笑みが引きつる。彼女が怪訝そうに自分を見る理由が思い当たらない。正夢を恐怖しクロイツは凍りついた。


「昨日は食事も取らず……頑張っていたようだな」


 何か遠慮するように、ルシャは言う。


「ああ、悪い。まだ完成できなくてな」


 チョコレートはまだ完成することが出来なかった。粉にする工程が非常に重労働で、一日料理し続けた自分にはきつかったのだ。


「何も気にすることは無い! やはりご飯というものは皆で食べるものだろう。――ホノカも心配していたぞ」


 なんだろう。勇気付けられるようなルシャの眼差しは。それほどまでにチョコレートが出来るのを期待していてくれたのだろうか。


「大丈夫だ。少し時間はかかるが黒猫カフェにふさわしい物を作り上げて見せる」


 なんてたってチョコレートは黒い色をしてますからね。黒猫カフェの名物料理としてこれ以上のものは無いだろう。


「そうか……ならば止めはしない。気が済むまで頑張ってくれ」


 ふわり。と柔らかい風が頬に届くと、クロイツはルシャに抱きしめられていた。一瞬何が起こったかわからなかったが、ルシャの体からポカポカとした温もりが伝わってくる。


「今日は早朝練習はやめておこう。朝ごはんを食べたらまた頑張ってくれ」


 抱きついたままのルシャは顔を上げる。ルシャはやさしい笑みを浮かべていた。いつの間にこんなにも柔らかく微笑むようになったのだろう。

 驚きで言葉が出せなかったクロイツからルシャはスルリと離れると、何事も無かったかのように歩いていってしまった。夢なのだろうか……。



 試しに赤いレンガを殴ってみたら涙が出るほどに痛かった、アソル二日目の朝の出来事であった。




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