第二十三話 夏戦inアソルⅢ ルシャとホノカの戦い
放たれた炎は、あたりを明るく照らしながらまっすぐと進んでいく。
ちりちりと黒い影がその下にできているのは、地面が焼け焦げているからだ。
ホノカが感情に任せて打ち込んだ魔法の威力は訓練で許されるレベルを超えていた。
しかしそれも、反対側からの水による攻撃で驚くほどあっけなく相殺されてしまう。
『あの子を怪我をさせないように倒せですって?』
もうもうと立ち昇った残炎と水蒸気を見ながら、ホノカはふぅと大きな息を吐いた。
両腕にはめられた黄金色の腕輪をカシャリとクロスさせて精神を統一させる。
これを使うことになるとは。
「メェイ-トルィシィロー」
ホノカの腕にはめられている腕輪はただの腕輪ではない。
魔装具とクエイス公国では呼ばれている魔具の一種だ。
複雑な魔方陣や難解な詠唱を各種鉱石と対応させて立体的に配置し、その機能を代用させているものである。
腕輪から伸びた黄色い光の文字がホノカの体の回りを取り囲むように円を描いたと思うと、それと同時に、ホノカの体の周囲がほのかに赤い色を帯びる。火系統の概念強化を用いた戦闘力強化魔法。高等魔法に位置する火の鎧であった。
ホノカは魔法の発動と共に、炎を四方へ撒き散らしながら銀髪の少女へと疾走した。
ルシャに向かって一人の少女が突進してきた。
加減した火球を周囲にしこたま撒き散らしながら、人を超えた動きで向かってくる。
その姿は先ほどまで対峙していた少女とはルシャにはとても思えない。
いや、そもそも人かどうかも怪しいところだ。
ぼんやりとした赤色に染まりながら、火を撒き散らして進んでくる姿に、少女が火の精霊であるように見えていた。
向かってくる黒髪の少女を確認してルシャは足を止めた。
あえて自分に向かってきてくれるなら好都合。炎に巻かれて苦戦している仲間の兵士たちにこれ以上迷惑をかけるわけにはいかないと思っていたところだ。
静かに、自分の間合いより少し外。10mくらいのところで少女はピタリと立ち止まる。
少女の体の周りは赤い色味を帯びており、不気味な雰囲気をまとっている。大きな野生動物と対峙したときのような緊張感がルシャを襲った。
ルシャが警戒を強めながら見返すと、一際赤く強い発色を示す瞳をこちらに向けながら少女は口を開いた。
「ルシャさんだったわよね? 最初に話しておきたいことがあるの」
遠慮がちに言葉を発した少女に驚いて言葉を待った。
「よくよく考えると私のほうが悪かったわ。あなたの夫にも失礼なことをいってしまった。ごめんなさいね」
淡々と謝ってくる少女。あくまで上から目線なのが気になるが、目を少し伏せて外したのは彼女なりに本心でそう思っているからだろう。
「――どうして今それを?」
謝罪は素直にありがたいが、今この戦闘前というタイミングはさすがに戦意をそがれてしまう。
「今日の訓練で予想以上に関係ない人たちが巻き込まれたわ。だからよ。あんたたちがここまでデタラメだと知っていたら訓練で決着をつけようとは思わなかったわ」
何故か少しだけ怒りを込めた声色でホノカはそういった。
ルシャは困惑する。何がデタラメだったのかさっぱり分からない。こんな軟弱な兵士たちで街の警備が出来るのかと赤軍を倒しているときに思っていたのは確かだが。
「ちょっと、何かいいなさいよ!」
「あ、あぁ」
声を掛けられてルシャは考え込んで眉間にしわを寄せながら答えた。
「まず兵士たちは魔法に頼りすぎだな。相殺できない場合はよければいいんだ。恐怖で体が竦むなど戦う者にあるま「ちっがーうっ!!!」」
冷静に思った感想を口に述べていたルシャの言葉をさえぎりホノカが叫んだ。
「あなたの意見ももっともよ? でもね、ものには限度ってものがあるの。例え私でもAランクの魔獣に囲まれたらさすがに身が竦むわ。あなたはどうか分からないけれどそれが普通の人間なの。あなたはあなたが思っている以上に強い存在であるということを自覚したほうがいいわ」
ルシャはホノカの言葉に驚きを隠せない。戦いの最中に強いと自覚しろといわれるなんて思いもしなかった。父であるルドキュとは剣の技術は比べるまでもなく負けているし、魔法を用いてようやく互角といったところ。ヤドやスラン。他の戦士に学んでいることも多かった。驕りは身を滅ぼすことだと教えられてきたし、ルシャはその通りだと素直に思い研鑽を欠かさなかった。
毎日の戦闘訓練をクロイツとやりあうようになってからよりいっそう自身の力不足を認識していたところだったのだ。そんな自分がそれほどまでに強いのか甚だ疑問でならない。
「もういいわ。あんたには後で街を見せてあげる。そこで常識というものを教えてあげるわ」
納得していないルシャにいいわね?とすごんでくるホノカ。ルシャはそれにおされて思わずうなずいてしまった。
はっ、と気がつけば目の前の少女と一緒に街を見る約束をしてしまっていた。しかも戦いの最中にである。
ルシャの性格上約束を違えることは出来ないので今更撤回したいと思うわけではないが……。
有無を言わさぬ押しの強さがクルクに似ているなと思い、それが少しだけ面白いと思ってしまったのは不謹慎だろうか。
「何を笑っているのよ」
いつの間にか笑っていたようだ。
「決着はしっかりつけるのだろう?」
ごまかす様にルシャは平静を取り繕った。
「そうね、戦いで犠牲になった人たちのためにも決着をつけなくてはいけないわ」
互いに見つめあった後、水と炎が二人の間で交差した。
○●○●○●
広い広場の中央で二人の少女の戦いが始まった。
遠目から見ても訓練とは別格の、桁違いな威力の炎と水の柱や玉が飛び交っている。かと思えば、いつのまにか接近戦となり、ルシャの幾重にも纏われた水の帯をかいくぐり攻撃しようとするホノカの姿があったりと、人とは思えない動きを双方ともしていた。付近の大地が焼け焦げ、窪み、戦いの爪あとを刻んでいる。
いつもルシャの相手をしているクロイツであったが、ルシャが自分以外とあれほど激しく戦っているのを見るのは初めてだった。
スピードはホノカに分があるようだが、ルシャは攻撃と防御でうまく立ち回りホノカの攻撃をしのいでいた。
剣を棒状にして、水の帯で守りながら攻撃を行うルシャに対して、ホノカの攻撃は素手による打撃と魔法による攻撃のコラボのようだ。素手による攻撃が水の帯に触れた瞬間に爆散していることを考えれば、その破壊力は相当なものであると分かる。水蒸気爆発?
『ようやく本命同士の対決になりましたね』
『最初から二人を戦わせてそれを見守っていたほうが良かったんじゃないかと。黒焦げになった兵士たちが気の毒でならないよ』
クロイツは二人の戦いを見下ろしながら苦笑する。
それはそうと
『火と水の戦いを一人高みの見物というのは贅沢だけど暇だね』
『最初以来沈黙してますからね』
最初の攻撃以降、スクテレスとロトザーニは沈黙を守っていた。
赤軍の残り兵数20名ほどが丘から四方に防御線を張りつつ、魔法攻撃で防御応戦。
青軍の生き残りエムラド含む11名ほどがその防御線をこじ開けようと奮闘しているが、数で圧倒的に負けているので攻めあぐねているようだ。
『俺がエムラドの立場ならスクテレスさんとロトザーニさんが何か仕掛けてると警戒するね』
『風で吹き飛ばしますか?』
クロイツは笑う。
風の精霊なのに空気が読めないのもご愛嬌。
『それは最後の手段で。今は二人の戦いを見守っておくほうが良さそうだ』
肝心なのは勝負に勝つことではなく、ルシャとホノカが和解することなのだから。
○●○●○●
ホノカの水の刃は棒にも変換が可能であった。これは相手を怪我させないように倒す為に変化させたものだ。クロイツ相手ならば刃でも大丈夫だが、さすがに同年代と思われる少女相手に刃を使うのが躊躇われた為でもある。
「くっ!!!」
爆散した水の帯を再生しつつ、ルシャは苦しそうな声を上げた。
と同時に手にした水の棒で思いっきりホノカを殴りつける。
殴りつけられたホノカは派手に吹っ飛んでいくが、こちらには軽い手ごたえしか残っていない。どうやら攻撃が当たる瞬間に攻撃の反対方向へと跳び逃げているようなのだ。
ホノカからの攻撃を、何とか水の帯で守ることが出来ているが繰り出される炎はよけるしかない。殴り飛ばされながらもホノカからこちらに放たれて来た炎をよけると、ルシャは水球をホノカへと打ち込んだ。
ルシャはホノカのスピードに追いつけていなかった。朝の鍛錬でクロイツに指摘されたことを生かし、水の帯を防御に集中。隙を埋めつつおびき寄せ殴り仕留めるといった戦法を実施しているのだが、肝心の攻撃が相手にとって致命打にならない。仮にこれが水の刃であったのならスピードで勝る彼女は絶対に間合いに入ってこないだろう。
一方であちらからは遠距離での魔法攻撃がある。水の帯で防ぐことはできるが、水が瞬間的に爆散する程度の攻撃をいくらルシャとはいえ受け続けるわけにはいかない。
『いうだけあるな』
すでにかなりの魔力と体力を消費しているルシャは心の中で賞賛を送った。
繰り出された水の棒に対してすばやく反応しガードしながら反対方向へと飛び逃げる。実は結構痛い攻撃なのだ。
弾き飛ばされると同時にホノカは土産代わりに炎を打ち込む。体勢を立て直す時間稼ぎ。それがあっさりよけられ水の玉がこちらへと向かってくるのは想定内。
『痛いのはいやよ!!!』
向かってくる水をよけるようにホノカはさらに後方へと飛び逃げた。
はぁ。とため息をつきながらホノカは考え込む。隙がない!攻撃が届かないのである。
スピードに分があるので最初は楽勝だと思っていたが、相手は予想以上に堅実な戦い方をしてくる。悪く言えば守備一辺倒。しかしそれも、先ほどのように鋭い牙(水の棒)を持っているだけに性質が悪い。
遠距離の炎攻撃は相殺されてしまうか避けられてしまっているし、かといって接近戦ではこちらも分が悪い。となれば相手が疲労するまでちまちま攻撃するのもひとつの手だが、運動量の多いこちらが先に倒れることも十分に想像できる。
『相手が火に無知であることを祈ろうかしらね』
どっちみち無傷で倒すとなればもうあまり手は残されていなかった。
○●○●○●
現在攻め込まれている赤軍の陣地内。慌しい兵士たちとは対照的にくつろいでいる二人がいた。
「さすがルシャさんだね。クエイク公国十騎士でもあるホノカさんと互角に戦うなんて」
「私の教え子ですもの。当然です」
「なるほどね」
もっぱら雑談中である。
「巻き起こった水蒸気は視界を妨げる。見えない場所からの攻撃を避けきってしまうのは探知系魔法の効果かい?」
「もう実戦で使うところまで……と驚きを隠せないのはこちらですけどね」
ロトザーニはうれしそうに微笑んだ。つられてスクテレスも微笑む。
「だとしてもそろそろ決着をつける頃合かな」
通常よりかなり遠い間合いまで逃げたホノカを見やってスクテレスは眼鏡を押し上げた。
ホノカの体から周囲の地面へと赤い文字が展開され形を成していく。
「クエイス公国の魔法陣資料で見覚えがある。多重魔法デヒシオクペ。嘆きの炎壁と呼ばれる魔法だね」
「スクどんな魔法なの?」
「見てればわかるよ」
ホノカを中心に4m程度の巨大魔方陣が展開された。大きな円の内接するように三つの円が描かれており、直線や文字が規則正しく配置されていた。それらの線や文字は怪しい紅色をしており、毒々しい色合いを放っている。
魔方陣を警戒したルシャが攻撃しようか逡巡する程度の短い間に、魔方陣の展開は既に終わっていた。
ホノカがしゃがみ込み地面に手を付けると巨大な紅色の火柱がホノカを巻き込みつつ魔方陣から立ち上る。
向かってくる火柱を前に、水をまとったルシャは完全に防御に徹することにした。炎熱を作り出した水で受け流すしか方法がないと察知したからだ。
ルシャに襲い掛かった炎は、ルシャを撫でるように周囲へと拡散し、炎壁となって周囲に立ち上る。
遠くから見ているスクテレスとロトザーニの目には、巨大な紅色の花弁の中に半透明のきれいな真珠が植え込まれているような。そんな光景になっていた。
兵士たちも攻撃をやめて、敵、味方なくその美しい光景に見入っている。
「これで終わりじゃないわよ」
ホノカの魔方陣から地を這うように伸びた炎の壁は、ルシャを完全に取り囲み、その壁を厚く、高くしていく。
何かさらに攻撃が来るのでは? と炎に囲まれながら警戒していたルシャは水の幕に覆われながら打開策を思案していたが、少したっても相手が攻めてくる様子がないのでこちらから攻めるかと考えを改める。と同時に、水の幕を解いたのが失敗だった。
「なに………………が……」
目の前が白く揺らいで、ルシャはそのまま意識を失った――。