第二十一話 夏戦inアソル 序章
太陽の日差しも少し和らいだ昼下がり。ほほを吹き抜ける生暖かい風が、クロイツとルシャの背後にある青い三角旗を揺らしていた。
小高い丘の上に立てらた50cmの小さな旗には、扇状の白い三枚の葉の絵が刺繍されている。アソルでは平和と安全の象徴らしい。
そんな旗の前には、昼頃に演習をしていた兵士達、57名程が武装をほどこして集まっており、準備運動や談笑をしながら緊張をほぐしているところであった。
対して……
クロイツの立つ場所から約500m向こう、同じく土を盛り上げてある場所には赤い三角旗が立てられている。刺繍された模様までは見えないが金色の刻印がしてあるようだ。
相手方の兵士達に混じって、嫌でも目立つ三人組みが見える。
異世界では珍しい黒髪の少女に、外人風味の金髪であるスクテレスと紫色の髪をしたロトザーニ。表情まではうかがい知ることは出来ないがおそらくスクテレスとロトザーニが楽しんでいるのは間違いないだろうなと思う。
大方『クロイツ君とルシャさんが入るとなればパワーバランスが崩れてしまうからね』とか『軍にいた頃を思い出すわ』とかのほほんと会話しているに違いない。
どうしてこうなった。
まずはそこから説明させて下さい。
○●○●○●
「どうぞこちらへ」
先導するハノンに導かれるままクロイツ達はクート城へと入っていく。
大きく開かれた入り口から最初に見えるのは、パーティなどが行われるであろう大広間。
中央奥には白い階段が左上へと滑らかな曲線を描きつつ続いており、視線を高く広い天井へとずらすと、広間の中央に据えられた豪華なシャンデリアが目に留まる。斜め上へと鋭い剣が数限りなく生えたようなそのシャンデリアは、魔鉱石を加工しつくられたものであろう。落ちてくれば串刺し&死亡間違いなしだと思えてならないが、光が灯ればさぞすばらしく美しいだろうと思う。そんな広間には、動物や魔獣をかたどったであろう白い彫刻がバランスよく配置されていた。
正直、ルシャには悪いがファルソ村は随分田舎の村だったようだと世界の認識を改める。あそこが弥生時代だとすると、ここは中世ヨーロッパクラスであったからだ。
大広間を観察するために足を止めていたクロイツとやはり少し驚いた様子のルシャを置いて、ハノンは広間を説明するわけでも自慢するでもなくすたすたと城の奥へと歩んでいく。クロイツ達も急いで後を追った。
階段の右脇にある大きな扉を進み、左右にあるいくつもの部屋を無視しながら直進。その後左手に見えた螺旋階段を上ること5周ほど。少し目が回ってきた頃にようやく通路に出ることができた。そして、重厚な扉で作られた部屋へとハノンは足を進めていく。
ハノンが入った扉の奥は書斎となっており、その中央には黒い革張りのソファーと奥には重厚な机が見えた。ハノンの部屋だろうか。
「ソファーへどうぞ」
クロイツ達はハノンになされるがままソファーへと腰を下ろした。ちょっと硬い座り心地だった。
クロイツ達へ席を勧めたハノンは、手際よく働き少し甘い香りのする飲み物を用意してくれる。
「ティルノムと呼ばれる葉で淹れた飲み物です。お口に合えばいいのですが」
クロイツは試しに少しだけ飲んでみると、桃ジュースとお茶を混ぜたような斬新な味がした。クロイツの味覚ではおいしいと感じる。
「おいしい飲み物ですね。ありがとうございます」
クロイツが礼を述るとハノンは気さくにいえいえと言って笑みを返してくれる。
ほっと一息ついたところでクロイツは思う。
いい人なのはおいといて、クート城にはスドキトス伯爵がいるわけで。ここでのんびりお茶をしていていいものかとクロイツは首をかしげた。忙しい人なのかもしれないがもしかしたら……。気になって仕方がない。
クロイツは思い切って訊いてみる事にした。
「あの、ハノンさん」
「どうされました?」
向かいのソファーに座って同じくくつろぎモードに入ったハノンが穏やかな表情で答えてくる。
「あの、スドキトス伯爵は?」
スドキトス伯爵と聞いて、ハノンが今しがた思い出したかのように話し出す。
「ああ、彼は今兵士たちと訓練中のようです。しばらく終わるまでは戻ってこれないでしょうね」
「へっ?」
クロイツは間の抜けた声をだした。実はひそかにハノンが伯爵だと思っていた。流れ的に。
「“ローフ・カミュ・スドキトス伯爵ゲンダウ”。ここ五年ほどは彼がこの街を取り仕切っています。武人としての腕は優れているのですが……若さなのでしょう、街の内政は私が丸投げされているありさまで、暇を見つけては兵士たちと腕を磨いているのです」
やれやれといった風にハノンは目を細めた。
ハノンはクルクを見ながら申し訳なさそうに切り出した。
「クルク様を城までご案内するようにと命じられていたのですが、クルク様にはお待ちいただくことになりそうです。申し訳ありません」
「いえ、僕が街で食事をしたいといったからですので」
クルクはそういって笑うと、懐から丸めた書状を一枚引っ張り出しす。
「ハノンさんが内政を行っているならばこれをお渡ししてもよろしいですね」
「これは?」
「今回リヤンジュの駐留要請を通していただきましたからね。それなりに……」
クルクはいたずらっぽい笑みを浮かべるとハノンも苦笑した。
「正直に申し上げればリヤンジュよりも一緒にこられた“ホノカ”様のほうが大変でした」
「やはり……そうですかぁ」
今度はクルクが申し訳なさそうに反省して小さくなった。
二人のやり取りに完全に取り残されていたクロイツとルシャがその成り行きを見守っているとハノンが気を利かせて説明してくれる。
「ホノカ様はクルク様の妹君です。クルク様のご実家であるネイ−ラリューシユ家が独自に保有している神獣リヤンジュを操れるのは彼女だけなのですよ」
「妹!!?」
クロイツは食いついた。
「僕の妹にあたるホノカは公国十騎士の一人でもあるんですぅ。クロイツさんも知っている戦略級魔法師の、特に攻撃特化した者がもらう称号を持っています。僕とは違って長命種としての生態調整魔法を受けていませんから、見た目は僕よりも年上なのですけどね」
クルクの言葉を聞いてクロイツは心の中でガッツポーズを決める。クルクのような姿をした愛らしい少女など好物……じゃなかった一見の価値ありだろ。
「ネイ−ラリューシユ家って結構すごい家なんですか?」
内に秘める邪な思いを払うようにクロイツは言葉をつなぐ。
「そうですね」
ハノンがゆっくりと答える。
「クエイス公国において、ネイ−ラリューシユ家は昔から数多くの貴族を輩出している家柄です。優れた魔法を駆使して過去あまたの戦火で先陣を切って戦ってきた血筋ともいいましょうか」
なるほど。そういえば……クルクは四系統もの魔法が一応は使えると言っていたな、とクロイツはぼんやりと思い出していた。
「神獣リヤンジュは僕の家に代々仕えてくれているのですが、これも時代の流れがあり、ネイ−ラリューシユ家の歴史の中でもリヤンジュを操れるのは者は稀な存在なのです。ホノカにはその才能と強さがあったということでしょうか」
一呼吸おいて、クルクは話す。
「それはそれでいいのですが本人の性格に少々問題がありまして、思いついたら猪突猛進という性格なのですよぉ。そのおかげで周りに迷惑をかけることが多くて」
クルクはやれやれといった風に兄貴風を吹かせているが、クロイツをいきなりモノ(研究対象)としようとしたクルクが言えたセリフなのかと甚だ疑問である。
兄妹って似るんだなぁと納得した。
「私としてはスーセキノークへいくならば公国のグリフォン部隊をとも思うのですが……クルク様はなぜリヤンジュとホノカ様をご指名されたのですか?」
ハノンは思う。リヤンジュはクエイス公国の主戦力の一つであり、おいそれと動かせる様なものではないと。
「簡単に言えば学校に立ち寄ってそのままスーセキノークへといく為ですね。学校へと向かう山脈は越えはグリフォンではできませんから」
「そうですか……」
クルクのきっぱりとした答えを少しかみ締めるようにハノンは考えた。ギィミドパシィ魔法学校はルンドブースと呼ばれる浮遊島にあるその学校である。しかし、名こそ有名であるがクエイス公国が秘匿するワイナレスシモンの一つであり、正確なその所在地はそこに通う学生、並びに職員にも秘匿されていると聞く。ハノンもむろん知りはしない。唯一知っていることとすれば、学校へ行くためにはクエイス公国から運行される特殊輸送便に乗っていくのが常であること。無論その行き先は分からないように厳重に秘匿されていることだった。
ハノンにとっては、今のクルクの答えを聞いても納得するには至らないが、あえて答えようとしないならばそれなりの理由があるのだろうと考えを帰着させた。
「それで? そのホノカ様は今どこに?」
少しそわそわした調子のクロイツは尋ねた。
「おそらく……我が主とともに訓練に参加されていることでしょう。妙にお二人とも馬が合うようですから」
コホンと言葉を切ってハノンは報告するように告げた。
「ホノカ様はクルク様が指定された日時よりも早くご到着された後、連日街を散策されながら特産品を見ていたかと思うと、たった数日で自身の店舗を開き商売を始められました。また、商売の傍らにも兵士を鍛えるといって訓練にも積極的に参加されそれはもう……」
「大変ご迷惑をかけたようですね」
クルクが本当に申し訳なさそうに顔をしかめていた。ハノンはいえいえと面白そうに笑う。
「先ほど皆様が飲まれたコーヒーの流通ルートを開拓したり、兵士達も訓練のよい刺激になっているようです。なにより焚きつけて面白がっているのは我が主ゲンダウですからね」
ハノンが本当に手を焼いているのはどうやらゲンダウと呼ばれるこの街の主らしい。伯爵といえばお堅いイメージがしていたが案外おちゃめな人なのかもしれない。まぁ、なんだかんだとハノンがその後始末で奔走したであろうことは容易に想像できる。
「彼女のいいところでもあるのですが」
クルクはハノンの苦悩を思い、援助の額をさらに増やしておこうと人知れず心に決めた。
○●○●○●
しばらくして部屋の扉が開き、見知った二人が入ってきた。
「クルク様のご友人ですね。お待ちしておりました」
ハノンは緩やかに立ち上がると、スクテレスとロトザーニに挨拶をする。
「いやぁ、すごいお城ですね。クエイス公国領でありながらも、白を基調とした滑らかな曲線と特徴とする“ビアウ”の様式を取り入れているとは。たしか、古くはルーティア王国の白く直線的な建物がその源流であったものですよね? いやはや、交易の街にふさわしい」
スクテレスは興奮した面持ちでハノンと話し始めた。
そんな二人を尻目に。
「ルシャさんクロイツさんポルさん」
ちょいちょいと手招きをしながらロトザーニが話しかけてくる。
「宿なんだけどね。あの人違う宿渡り歩きたいって聞かなくて……」
「日替わりですか?」
「なの。移動は大変だけど楽しんでもらえると思うわ」
ロトザーニは少し申し訳なさそうにいった。
クロイツからしてみればまったく問題なしで、むしろありがたいと返事を返す。
「私も大丈夫です」
ルシャも同じ気持ちのようだ。
ポルは少し眠そうに頷いた。どうでもいいようだ。
そんな書斎にタイミング良く、さらに人が入ってくる。さすがに部屋が狭く感じる。
赤黒く長い髪を後ろに束ねた甲冑姿のそれなりに若い兵士と、黒髪に赤瞳の少女………………。
思わずクロイツはその少女の髪色をみて動けなくなった。
黒髪の少女も同様であった。
しばらく互いに見つめあう。
先に口を開いたのは少女であった。
「あんたその髪は染めてるの?」
少し眉毛を吊り上げながらその少女はクロイツに問いかける。年のころはルシャと同じくらいだろか。怒っているわけではなさそうだが、気が強い娘であると瞬間的に理解できた。
「地毛だよ。俺はもともと黒いんだ」
「へーそうなの」
自分から質問してきたくせにどーでもよさそうな調子でクロイツの答えは受け流された。
「あら、お兄様」
ホノカのその一声に、クロイツはまさかと固まる。
「ホノカ。元気そうですね」
「クルク兄様も元気そうでなによりですわ」
笑顔を浮かべるホノカの脇でクロイツは密かに肩を落とした。
くそぅなんなんだよ! とクロイツは舌打ちする。
過剰な期待を寄せてしまったのは自分であるが、それにしてもこの裏切りは落差がある。
心の癒し。かわいらしい少女。ああ、妖精さん? を期待していたのに………………。断っておくが俺に幼児趣味はない。かわいいものが好きなだけだ。
そんな事を心の中で力説(弁解)していたクロイツの目の前に、なぜかホノカが立っていた。
「あなた、瞳の色も黒なのね? 珍しい……」
ホノカの透き通った綺麗な赤色の瞳で凝視され、さすがのクロイツも少し照れて目を背けた。
愛らしいクルクとは違い、ホノカの端整な顔立ちはどちらかと言うと美人系であった。
黙っていれば言い寄る男もさぞ多かろうとも思える。事実クロイツはホノカの赤い瞳がとても綺麗だなぁと思ってしまった。
「ふーん」
といいながらホノカはクロイツから目を離さない。
「服が似合わないわね。田舎くさいわ」
「えっ」
「せっかくの髪と瞳の色が勿体無いって言ってるの。分かる? 全身白で統一するなんてありえないわ」
ホノカはクロイツに言い聞かせるようにそう言った。
弥生時代より少し進んだ程度のこの服装は、この街でも見た限りそれほど悪いとクロイツは思わない。なぜなら旅商人達は色こそ違えど自分達と同じ服装だったからだ。旅の定番衣装であるのだろう。軽い装飾品でも付けていればオシャレに見えたのだろうか。
しかし、そういえばとクロイツは街の様子を反芻する。
ポルは緑を基調にした白い清楚なワンピースであるし、街の人たちはもう少し現代的な服装をしていたような気もする。
目の前にいるホノカはクロイツ的にに評価すれば白と黒を基調にした女子高生風ブレザー服を着用している。胸元の赤いリボンとその下の縦に伸びる三連ボタンはいかにも上品な学校に通っているお嬢様とも思わせるわけだが……。
いや、あえて言えば異世界らしくないのはホノカであろう。
そもそも、クルクやハノンは文様の入った長い紺色のローブのようなものを着ている。まるで魔法使いか神官に近い服装だ。
それが貴族としての服装であるのだろうと思っていたのだがおかしいものである。
「そうね。元は良さそうだから私が選んであげるわ」
ホノカは仕方なさそうにそういうとクロイツの手をとって部屋から出て行こうとする。まさしく思い立ったら吉日という行動の早さである。
成されるがままに手を引っ張られたクロイツをとめたのは……
「なんなのあんた」
ルシャとホノカが睨みあった。
ルシャはなんとホノカの手をはたいて退けたのだ。
「クロイツが服を変えたいといった訳じゃないだろう?」
静けさの支配した書斎で、ルシャは敵意のこもった視線をホノカに向けたまま、クロイツに同意を迫る。クロイツはその迫力にただ頷き呻くことしかできなかった。
そんなクロイツの様子をみてホノカはあきれた声をだした。
「軟弱な男」
それを聞いたルシャがなぜか唸る。
「なんだと」
半オクターブ低くなったルシャの声など初めて聞いた。恐ろしくドスが効いている。クロイツはそれをただ見守ることしかできない。
ホノカはそれにまったく怯まず、再度同じ質問をルシャに投げかける。
「そ・れ・で、なんなのあんたは」
お互い気が強いとどうも反発しあうようだ。
○●○●○●
少し時間を置いてルシャが答える。
「私はクロイツの妻だ」
怒りでうまく考えがまとまらなかったのだろう。クロイツはそれを流した。
それを肯定の合図と受け取ったのか、ホノカの瞳が少し揺れる。
「へーそうなの」
その声からは何の感情も読み取れなかった………………怖い。
「でも、それはお兄様のモノなんでしょ?」
「はい?」
驚いた声を上げたクロイツは、何でそれを知ってという表情でクルクに視線を向ける。するとクルクは首を横に振って否定している。どうやらそんなこと一言も書いてないと主張しているようだ。
「私はお兄様の妹なのよ。お兄様が好むモノなんていわれなくても分かるわ。そもそもここは城の中なの。貴族でもないあなたがここにいる時点ですでにおかしいの。なにか特別な事情があるって馬鹿でも分かるわ」
火に油を注ぐとはよく言うが、あえて言い直せば油に火を投げ入れる少女であるようだ。
ルシャの綺麗な碧い瞳が炎のように燃えている気がする。何がルシャを怒らせているのか心当たりが多すぎて分からない。体から発せられた魔力が水へと変換されているのだろうか、白い霧もやのようなものが周囲にまとわりついている。気のせいか周囲の温度も下がった気がする。
「あなた水の魔法を使うのね。私は火の魔法が得意なのよ」
今度はホノカの周囲が熱気を帯びる。薄く鋭い炎がその体を覆う。
一触即発。いざというときはポルだけは守ろうと心に決めていたクロイツも緊張を高めた。
そんな様子をみていた赤黒い髪をした兵士。
自分の目で確かめてみるんだな。と言われた昨晩の言葉を思い出していた。面白い……が、さすがにそろそろやばそうだ。
「ちょ、ちょっとまて!!!」
覇気をはらんだ声で二人を牽制する。その声で少女達の周囲の魔力の放出が少しだけ抑えられた。
「おいおい、こんなところで暴れるつもりじゃないだろうな? ここは俺の城だぞ。そもそも一応は名目上として俺はこの城の主であるからして、その存在を無視して話を進めないでくれ」
いかにも平凡な兵士の格好をした男は、非常に苦い顔をしながらそういった。
「ハノン。俺はそんなに威厳がないんだろうか?」
「普段の素行がすべて集約されていると感じます。威厳を出したいと思うならもっと早く止めに入るべきでしたね」
ハノンはため息をつきながら男に返した。
「俺の名前はゲンダウ。この街で一応一番偉い。よろしく頼む」
ゲンダウはなおもにらみ合っているルシャのホノカを完全に無視されながらも話を進めた。
「クルク殿はハノンと話は付けられましたかな?」
「はい。一通りお話を聞きました。特別のご配慮ありがとうございます。伯爵」
「なに、こちらとしてはありがたいお話だった」
ゲンダウは微笑む。微笑むとやけに若い印象がする伯爵であった。30代前半くらいだろうか。知的なハノンとは違い、自らが率先して動くことで人も惹きつけるタイプなのだろうと思わせる。
「クルク殿はお急ぎとお聞きしていたが……」
肝心のホノカはルシャとにらみ合い微動だにしない。クルクはその顔にあきらめの色を浮かべていた。
「せっかくですので、一晩お世話になりたいのですが」
ゲンダウは頷くとハノンに目配せをする。
「良い部屋をご用意いたします」
クルクはその言葉に感謝して頭を下げた。
「さて問題はだな」
なおもにらみ合う二人の少女達。最初ほどの表立った険悪さはないが、陰湿さは増している。和解できるとは誰の目にも到底思えない。
「はぁ」とゲンダウはため息をついた。
ハノンに目を向けるとハノンは私には無理ですと微笑んだ。
クルクの声ならばとゲンダウは期待するが、引きつった笑みを浮かべているから望み薄だろう。
金髪と紫髪の二人はすでに蚊帳の外で観戦中。
そして……
最後にゲンダウはクロイツに目を向ける。
なるほどこいつかと観察する。確かに、胡散臭いが悪いやつではない……かと思えた。
ゲンダウに見られていると気がついたクロイツは曖昧な笑みを浮かべた。
先に宿に戻っていいですかといってしまって早々に退散しようと思っていた。ポルも眠そうだし。
ゲンダウはしょうがないなと言わんばかりの尊大な声を上げながら言った。
「これから、また訓練の続きがあるのだがな。どうだろうそこで決着をつけてみては?」
にらみ合っていたルシャとホノカの視線がゲンダウに向けられる。
「なに、問題はそこの男の服が問題なんだろう? 勝負で勝ったほうが好きな服を選ぶことができるというのはどうだろう? 簡単だろう」
ゲンダウはそう言って笑ってみせる。
「何をいっ……」という言葉を飲み込んだのはクロイツが二人の少女に睨まれたからであった。もう好きにしてください。
意地っ張り同士好きにやってくれてかまわないが、二人にすれば殺し合いもしかねない。だからこそ、訓練参加という形にしたのかもしれない。ゲンダウなりの心使いというやつなのだろうとクロイツは思うことにした。
「じゃぁ俺は先に宿に戻らせてもらいます。ポルも眠そうですから」
とソファーで寝そべっているポルを抱き起こして部屋をでようとするクロイツに二人の少女が立ちふさがる。
「ク・ロ・イ・ツ、お前の服でもめたんだぞ?」
「あんたが帰ったら服装をコーディネートできないじゃない。少し考えたら分かるでしょ?馬鹿モノ」
超こわもての不良と自分より遥かに頭のいい優等生に因縁をつけられた気分だぜ……。さすがにへこむ。
周りを見渡せど助け舟は出なかった。
「で、黒髪殿はどちらにつきたい?」
「へっ?」
今日何度目だろうクロイツは間の抜けた声を上げた。黒髪殿? 初めて言われた。
「自身の自由を勝ち取るのは自分自身であるべきだと俺は思うが? まさか観戦するだけのつもりだったのか」
ゲンダウは驚いた声を上げる。
だめだ。ここで何を言っても何をしても事態は好転できない、する気がしない。
クロイツはしばしの逡巡の後、どーせ服のコーディネートなどしったこっちゃないなと思って「ルシャ側で」と言葉少なめに語った。
その言葉を聞いたルシャの勝ち誇った表情と、親切で言ってあげてるのにというホノカのひどく心外そうな顔はしばらく忘れられそうになさそうだ。
○●○●○●
と、そんなこんながありましてクロイツはここにいるわけです。はい。
もれなく相手側にスクテレスとロトザーニがついた経緯はもう話したくないです。はい。
クロイツは肩を落とす。
訓練は旗取り合戦
ルールは簡単で、相手陣地に乗り込み旗を奪う。もしくは大将を討ち取ることで勝敗が決するそうだ。
青軍の大将はなぜかクロイツ。ここはルシャであるべきだろうと抵抗したが、自由を勝ち取るのは自分自身という名目を盾に、強制的に自分に決められた。そのおかげでさらにテンションが下がっているクロイツである。
対して赤軍の大将はホノカが引き受けていた。なんともそれだけで彼女の自信が伝わってくる。
ちなみに
「おいお前ら。今回は武器の使用を許可してあるが、相手を死に至らしめるのは厳禁だからな」
ゲンダウが集めた兵士に指示を飛ばす。
「エムラド隊長気合はいってるぅ~!」
それぞれ武器や魔具を装備中の兵士達から野次まじりで返ってきた。
それにしてもエムラドとは?
ゲンダウはクロイツとルシャにこそっと耳打ちをしてきた。
「兵士達には伯爵だって言ってないんだ。ここではエムラドって呼んでくれると助かる」
どうやら本当にやりたい放題やっているようだ。
ゲンダウ改めエムラドは兵士達の野次に鬼気迫る真剣な声で返した。
「馬鹿いえ、お前達の身を守るために決まってんだろ? 手加減なく来るぞ。お嬢は本気だ」
それを聞いた兵士達が結構真剣な感じで青ざめていく。
「隊長ーお嬢に何を言ったんですかー」
今にも泣きそうな顔をしている兵士達もいる。よほど怖い目にあったのだろうか。
「俺は知らん。実戦で泣き言を言うな」
いや訓練ですよこれ? とクロイツは遠いツッコミを心の奥で入れた。
「大丈夫だ。お嬢の攻撃はすべて逃げろ。脇を縫って俺達は旗を目指す。それだけでいい」
ではお嬢からの守りはどうするんだと兵士から声があがる。
「大丈夫だ。お嬢の攻撃はクルク様のご友人であるルシャ殿がすべて引き受けてくれるそうだ」
ルシャは兵士達の前に歩みでる。
兵士達は年端もいかぬ若い少女をみて本当に大丈夫かと疑問をもった。たまらなく美少女であるのは確かだが……。
ルシャは兵士達をゆっくり眺めた後、遠く丘向こうに見える黒髪の少女を見据えた。ルシャの中で蓄積された怒りがオーラとなって周囲を包むと兵士達は固まった。
「やつは私に任せておけ」
獰猛な笑みと冷徹な声が兵士達を貫いた。先ほどまでの野次が嘘のように掻き消えていた。その少女の言葉は兵士達を凍りつかせた。
「というわけだ。お前達は二人の戦闘に巻き込まれないように立ち回れ。死にたくなければ真剣に逃げろ。以上」
「まってください」
素晴らしい檄を飛ばして満足げのエムラドにクロイツは水を差した。
「俺の守りはどうなっているのかだけ確認させてください」
とても重要なことだ。
兵士達もそういえばそうだな。と思い出したようにクロイツに視線を向けてくる。そもそもこいつはどこのだれだといった表情だ。
「クロイツ殿もクルク様のご友人だ。今回は大将を引き受けてくださった」
エムラドが紹介してくれると兵士達から歓声があがった。
「が、相手にも強力な戦力が二名はいっている。ともにクルク様のご友人だ」
兵士達はちゃかすように驚いた声を上げる。
どの程度危険なのか知らないって幸せだなとクロイツは思っていた。二人が本気になればこの程度の距離を飛び越えて必殺の竜が飛んでくることも容易に想像がいく。加減をしてくれるとは信じているが……。
「クロイツ殿はその二名を討ち取ってくださる」
兵士達が今回一番の歓声を上げた。
「以上」
エムラドはクロイツの肩をぽんぽんとたたきながら確かにそう言った。
ミーティング終了~?
どうやらエムラドの思考には死守防衛という言葉はないらしい。
特攻玉砕。
波乱の旗取り合戦は混迷の予感を残し無情にも開始された。