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クロイツと風の精霊  作者: 志染
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第二話 異世界と風の精霊

 空間把握の範囲を3km程広げたところで、樹は異変に気がついた。

 石碑から南の方角に何か揺らめいたものがあると感じたのだ。



 窪んだ盆地を、まるで包み込むようにあるそれは、今まで感じたことがなかったものだ。

 急いで範囲を絞り南へ意識を集中させると、蜃気楼のように浮かんでいたそれは次第に鮮明になっていき、やがて大きな湖となった。


「んっ!?」


 樹は堪らず声を漏らしながら目を開ける。すると、盆地があったはずの場所に大きな湖が見えた。


 しばし意識が湖から空を漂ったあと、落ち着いて状況を把握し始めることにした。


 まず、自分が手を置いていた石碑はやはりそのままの姿で佇んでいた。


 しかし、天空の花回廊として咲き乱れていた花々は無くなり、辺りは20㎝ほどの細長い草が、吹き抜ける風を受けて綺麗な波をつくっている。

 いつもバイクで走った峠道は消えさり、駐車場と愛車ZZR400も無くなっていた。



 ただ草原が目の前に広がるばかりであった………………。


 

 樹は把握した光景と自分が置かれた状況が信じられず思考を停止させる。

 どことなく雰囲気を残しつつ一変した世界を前に、これが白昼夢というものなのか! と思いつき、それが妙にリアルなものだと頷いた。




 ひと時、太陽が天をゆっくり折り返した頃になっても、世界は存在し、目の前に見える大きな湖から駆け上がってくる風は清々しかった……。

 




『クルーグ サ』


 樹は硬直した。それは明らかに何かの声で、それが心に直接響いてくる。そんな感じがした。

 しかし、素早く目を動かし声の主を探してみても、それらしい人影は草原にはない。

 樹の臆病な心が心地よく吹き抜ける風音をそう解釈してしまったのだと。そう思う以外にないはずだ。


『フ フェクル』


 二度目。風音にしてはどう考えてもありえない。

 声はするが姿が見えず、どこから発せられているのかも分からなかった。

 体験したことはないが、これが心に直接話し掛けられているのだろうか。

 とりあえず、話しかけてくるということは、何かを聞いているんだろうと思うが、さっぱり言葉の意味が分からなかった。

 なので出来るだけ丁寧に応対してみることにする。


「こんにちは、黒沢樹と申します。残念ながら、貴方の言葉を理解することが出来ません。可能ならば、分かる方法でお願いします」


 まるで劇の一人稽古をするつもりで樹は話しかけた。

 突如として現れた巨大な湖。一変した周囲の風景。謎の声。

 パニックになっていない自分を褒めてやりたい。




 少し間を空けたのち、周囲の風が渦巻いて樹を包み込んだ。

 何が起こったのかと少しパニックになりつつも、目を見開いて事の経過を見守る。


 風が弱まった時、渦巻いた風に押し潰されるように、草原の一部がへこんでいるのに気がついた。

 へこんだ草の上を、目を凝らして見ると、向こうに見える風景が歪んで見えた。


 限りなく透明な飴細工を見るように視点を宙に合わせると、それは透明な人のような形となりつつあった。

 透明なものへの考察をする間もなく、飴細工の歪みから手のようなものが伸びてきた。

 未知との遭遇。

 樹は有名なSF映画、宇宙人とのワンシーンを思い出して、それに指を合わせた。



『こんにちは。わかりますか?』


 どこからか、言葉が聞こえ、理解できた。なんと女性の声だ。


「分かります」


 樹はなんとか声を押し出し答えたが、言葉の先を見つけることが出来なかった。

 いやいや、何を話し出せばいいものか、まったく分からない。状況を受け入れるので手一杯だ。


『こちらの世界にいらして混乱なさった事でしょう。私に答えられるものならば質問にお答えします』


 女性の声は親切な対応だった。とりあえず危険なものではないと分かっただけでも儲けもの。樹は少しだけ落ち着いた。



 渦巻く空気の飴細工を見ながら思う。

 相手は人ではない。人ではないが、危険はなさそうだ。親切にも質問に答えてくれるという。

 この存在が宇宙人にしろ、神様にしろ……手の込んだイタズラという可能性は限りなくゼロに近いだろう。全方位立体型の映像装置なぞ聞いたことがない。



 さらに考えればだが、こちらの世界に。という言葉が引っかかった。

 ここは樹がいた世界とは異なるということだろうか。

 だとしたらここは



『異世界』



 自身の結論に少しアホらしく思いながらも、樹はとりあえず相手の正体から聞くことにした。


『私はこの世界で“風の精霊”と呼ばれているものです』


 質問する前に答えが返ってきた。おぉ、どうやら心が読めるらしい。ETもびっくりのシンクロ率だ。シンクロしたことないけど。


 いやいや、まてまて。風の精霊……?

 幽霊は実在しますといわれ、幽霊に説得された気分だ。

 風の精霊は見たまま風だし、透明な飴細工のような姿で語りかけてくる以上はそれは人ではないし信じるしかないだろうが……。


 樹は次に進むことにした。心が読めるようなので、思った事をそのまま口に出してみる。


「この世界には私のような人はいますか?」


 風の精霊と呼ばれていると目の前の飴細工のような風は言った。つまり、そう呼んでいるものが他にいるはずなのだ。

 百歩譲ってここが異世界だとして、ここがエイリアンのような知的生命体がいて自分が捕食される立場に……なんてのはかなり笑えない。



 風の精霊は穏やかに答えた。



『こちらの世界にも人はいますが、貴方のように異なる世界から来た人は、現在この世界にあなた以外は聞いておりません。異なる世界から、人に限らず何かが渡ってくることは、大変珍しいことなのです。私自身が異なる世界から来た人に直接お会いしたのは黒沢樹さんが初めてです』



 どうやら樹と同じ異世界人はいるか? という質問も込みで返答してくれたらしい。 

 返答の素晴らしい親切さに頭が下がる。

 やはり質問はよく考えてからしたほうが良いなと反省つつ、精霊の言葉を分析する。


 やはりここは異世界らしい。

 幸いにも人はいるようだ。

 人という定義は、おそらく自分の気持ちからも精霊に伝わっているだろうから、同じような姿形をしているだろう。それが少し心強い。


 異なる世界の人に、直接出会ったのは初めてだ。と精霊が言っていることから過去にも人が来た例があったということだろうか?



 そうこう考えているうちに、不安と疑問が洪水のように沸いて来た。

 ここが異世界ならば、先人達は元いた世界に戻れたのだろうか。

 なんでこんな異世界に来たのか。

 あの石碑はなんだったのか。

 この異世界はどんな世界なのか。

 今後どうすればいいのか。

 帰れないとなれば友人も、親もどう思うのだろう。

 

 

 樹は心が不安に支配されていくのを感じた。先の見えない状況に恐怖を感じたのだった。絶望といっていいのかもしれない。

 

 その時、目の前から突風が吹いて、はっと目をあげると、精霊が微笑んだように見えた。そしてゆっくり語りかけてくる。


『“惑星ルーティア”。その一角に存在する“オシル大陸”の北東に位置する“クエイス公国”。“タトバ山”と“クレイ湖”を望むこの地は、私が棲んでいる場所です。黒沢樹さんの近くにある石碑は、2500年ほど前に、クレイ湖の畔に住まう村人が、この地の自然を敬い建てたものになります』


 少し間をおき語り続ける。


『石碑が建てられた空間一帯は、この世界と他の世界が互いにぶつかり擦れ合う場所となっていて、“ラーフ”と呼ばれる場所です。この世界では、異なる世界同士が接触することによって生まれたエネルギーが魔力として世界に噴出し、広がっています。こちらの世界にはそのようなラーフが、所々に点在しています』


 精霊が分かり易くこの世界のことを説明してくれた。

 何も知らない世界に放り出されて不安に感じるばかりだったが、ここがルーティアという星のどこぞの国のとある一つの地方であると思えば、ちょっと変わった外国に来たようなものだと、樹は幾分と冷静になることが出来た。


 そして、疑問に思っていた石碑は、どうやら過去にこの世界の人たちが建てたものらしい。

 偶然か故意か、ラーフと呼ばれる世界の間のような場所に建てたものだから、二つの世界を結び扉のような役割を果たしてしまったのだろう。

 自分の世界にも同じようなものがあったのは、異なる世界が接触というくだりから考えると石碑は二つの世界を移ろいながら存在しているということか?


 もう既に、樹の理解の範疇を超えている出来事ばかりなので、ただそういうものなんだと割り切り始めていた。


 そもそも、


 自分がいた世界では空間把握能力なんて摩訶不思議能力は存在しない。

 だがしかしこの異世界で魔力と呼ばれるエネルギーを樹が引き出して使用していたのだとしたら、空間把握能力が発現した理由としては妥当と考えられる。

 まぁ、魔力を引き出す過程でこちらにリンクしたきっかけはあの蜃気楼だろう。

 そして、魔力自体はこちらの世界へ噴出するということから、自分がいた世界よりもこちらの異世界の方が安定しやすい性質を持っていたと考えられる。

 おそらく、魔力の流れに引きずり込まれてこちらの世界へきてしまったと、そういう訳だろう。


 となると、元の世界へ戻れる可能性はある。


 なぜなら、世界の間であの石碑は佇んでいたのだ。あちらの世界にも確かに存在していたという事だ。そこに何かしらの光明を見出せそうな気がする。



 精霊の説明のおかげで冷静になった樹は、この世界に対して興味が移っていた。

 ラーフから噴出した魔力と呼ばれるエネルギーや、目の前にいる風の精霊といった存在は、明らかに自分がいた世界の理とは異なっている。

 魔力というからには、元の世界で空想の産物であった魔法というものが使えるのかもしれないし、風の精霊がいるからには他にも精霊がいるに違いないと確信していた。

 先ほどまでの呆然としていた気持ちが嘘のように晴れ上がり、樹はこの世界への好奇心に満ちた。





○●○●○●





 樹は今までの出来事を、ゆっくりと順を追って精霊に説明した。

 自分のいた世界では、魔力や精霊などは架空の存在であったこと。

 石碑と発現した空間把握能力。

 そしてこちらの世界に来たこと。

 補足は心からのイメージで読み取ってもらった。



 樹が自分の世界の事を先に説明したのは、自分の持つ情報をこちらの世界の理で考える必要があると思ったからだった。

 この世界に来た仕組みについての仮説が正しいかどうかも気になるところ。


 この風の精霊ならば、こちらの世界と照らし合わせて、樹が何を求め、知りたいのか察してくれるだろう。


 そして、本当に元の世界に戻れるかどうかも分かるかもしれない。


 精霊は時折、風でつくられた飴細工のような体から渦巻いた風を出しつつ、ただ静かに話に耳を傾けていた。

 話が終わる頃になると、風の精霊は50㎝くらいの小さな竜巻のようになっており、巻き上げられた細長い草の葉っぱが澄んだ空にゆっくりと舞い上がり、揺らめくわけでもなく無造作に重力に引かれて降りてきた。

 考え事でもしているのだろうかと風の精霊を観察しているのも中々に面白かった。


 しばらくしてら元の透明な飴細工の人型に戻る。


『黒沢樹さんの世界はこちらと随分違うようですね。お話しありがとうございました』


 精霊の声には、どこか嬉しそうな調子を含んでいるように思えた。

 精霊にとっても異世界は興味深いところだったのだろう。自我を持つ存在としては、樹も精霊も同じなのだから。


 風の精霊は、確認させて貰いたいことがあると告げ、樹にこう切りだした。


『空間把握能力をこちらの世界でも試していただけませんか?』


 なるほど! そういえば気が動転して試すのを忘れていた。この世界が半ば夢だと思っていたというのもあるが……。


 樹はいつものように石碑に触れて集中した。


 目を閉じ、空間把握範囲を広げていく。



 こちらの世界で出来るかどうか不安だったが、どうやらそれは杞憂だった。目を閉じた空間に、世界が広がっていく。

 あちらの世界と少しばかり違うのは、広げようとすればするほど、先の方から四散してしまい、1kmくらいが限界であったことだった。

 ちなみに、風の精霊は濃密な何かの塊であると感じた。


 黒沢が目を開けると、精霊は少し驚いた風にこちらを見て、呟くように声を漏らした。


『凄まじい魔力』






○●○●○●





 精霊は、世界に満ちた魔力が集まり、自我を持ったもの。

 精霊は個であり群である存在。

 人より遥かに長い時の流れの中、彼らは思うままに生き、その傍らでは命が生まれ消えていく――。


 風の精霊は、風を纏いながら世界を移動する。それが彼らの生き方だった。

 たまに、気に入る場所があれば滞在することもあった。数千年という時間も彼らにとっては小休止である。


 ある日、山と小さな湖を望む、小高い丘一帯をを通った風の精霊は、そこにあったラーフからの魔力の噴出が止まったことに気が付いた。

 精霊が様子を見に行くと、そこには一つの石碑が建ち、人々が集まっていた。

 精霊はなんとなく思う。この石碑が朽ちるまで、この場所にいようと……。


 風の精霊は脈々とした時間。石碑が建てられた土地を見守り続けた。

 長い長い時の流れの中で、近くの山が噴火し、流れ出した溶岩が湖畔の村を飲み込んだこともあった。

 人は、既にどこかへ移住したようであったが、森の緑は広い範囲で失われた。



 噴火の後、小さな湖が大きな湖に変わり、失われた緑が少しずつ戻ってきた。

 以前にも増して、この土地に緑が増えた。


 そんなある日、強大な魔力の塊が湖を覆い、そしてすぐに四散したのを感じて風の精霊は急いでラーフへと向かった。

 精霊が石碑に到着すると、この世界では見慣れない服装の人間が呆然と立っていた。

 精霊は過去の記憶から、それが異世界からきたのだと理解した。現れた存在がなんであれ、精霊は興味を覚えた。先ほどの魔力が何だったのか分かるかもしれないと。


 この世界で、精霊を感じ取れる存在は稀有だった。

 こちらから話かけるにしても、それ相応の知覚が相手に必要となる。とある国の作った階級でいけば、大魔法師クラス。

 だから、風の精霊は異世界人に気付いて貰えるか不安があった。

 

 仮に、知覚されなかったら出来ることはない。そう考えていた。


 異世界人は自分からの問い掛けに反応してくれた。

 言葉は解らなかったが、異世界人の声からは敵意は感じなかった。

 精霊は心を直接繋げ、そして話を聞くことにした。




 話を聞きながら風の精霊は黒沢樹なる異世界人を観察していた。

 話を聞く限りこの世界に敵意や悪意は無く、むしろ友好的だった。


 この世界や自分に初めは怯ていたが、今は落ち着いてしっかり説明しようと努めてくれている。

 異世界の事柄に触れる経験は精霊といえど稀であったし、自らの興味を満足させた。

 また、それ以上に黒沢樹が自分を信頼して、語ろうとする姿や心が、とても嬉しく感じていた。


 精霊は、黒沢樹の空間把握能力が、黒沢樹が考えていたように魔力によるものだと同意していた。

 こちらの世界に来た流れも黒沢樹が考えているものが妥当だろう。詳しくは自分も分からなかった。


 しかし、精霊は思う。あれだけの魔力はこの世界では異常だと。



 試しに精霊は、黒沢樹に空間把握能力を見せて貰おうと頼んだ。

 黒沢樹が石碑に手を置いて目を閉じた、その瞬間、黒沢樹から湖を覆った時と同じ、異常な魔力が膨れ上がり辺りを包み込んだ。


 濃密な魔力がこれほどの範囲まで広がるのか、と精霊は驚きつつも感嘆の声が漏らす。



 そして、異世界から来た黒沢樹に自分が分かることを話した。



 この時、風の精霊は思っていた。

 黒沢樹が許すなら、この場所を離れ、しばらく行動を共にしてみようと――。






○●○●○●





 初夏の日差しが降り注ぐ昼下がり、草原から見下ろす森と湖の上を、まばらな雲の影がのんびりと通りすぎていた。時間にして、二時を過ぎた頃合いだろうか。

 異世界から来た黒沢樹は、昨日までは空想の産物であった、風の精霊の話を真剣に聞いていた。


「では、空間把握能力は魔力を広げたものなんですね」

『はい、ただしこの世界では少々規格外の強さと大きさになります』


 結論から言えば、例の能力は魔力によるものらしい。

 やはりそうか。と納得しながら樹は問う。


「それはどれくらい凄い魔力なのでしょうか? 精霊である貴方よりも強いのですか?」 

『精霊は、魔力が自我を持ったもの。存在自体に必要な魔力はありますが、それはごくごく少ないものです。魔力内包量の大きさでいけば、私よりも圧倒的に黒沢樹さんの方が上となります』


 ふむふむと頷く樹。どうやらこの世界の精霊もびっくりするくらいの魔力を放出できていたらしい。

 魔力が自我を持った存在。それが精霊とは面白いものだ。いうなればエネルギー生命体という区分になるのか?

 ん……? そこで樹は引っかかりを覚えた。


「内包?石碑に蓄えられた魔力では無いのですか?」

『黒沢樹さんから発した力だと思いますが?』


 現実世界では石碑周辺でしか使えなかったこの力。てっきり石碑から受け取った魔力(エネルギー)を広げただけと思っていた。

 内包ということはつまり、自身の中にも魔力があるということなのだろうか?


 そういえば……、こちらの世界では石碑に触れていても何かが流れ込んでくる感覚は無かったように思う。

 すなわちそれは、樹の中に魔力(ちから)がいつの間にか宿ってしまったということだろうか。


 精霊は何事もなかったように続けて話しだした。


『内包した魔力の有無で、精霊と比べてもあまり意味がありません。なぜなら、精霊が魔法を行使する際、力の源は自然の中にある魔力だからです。精霊は周囲の魔力を使い、魔法を行使します。一方で、精霊以外のものは体内や鉱石などに内包した魔力を使い、魔法を行使します。人の世では性質の違いから、精霊が使う魔法を特に精霊魔法と区別して呼ぶことがあります』


「なるほど、精霊は外魔力、人は内魔力か」


『黒沢樹さんの内包する魔力は、この星では他に例がなく大きいです』


 という精霊に、「出来れば数値で」と樹は懇願した。


『この世界にある一般的な魔法を使う魔法師の魔力を1とします。大魔法師と呼ばれる者になれば100程度。黒沢樹さんは1万を超えます。少なめに見積もってです』

「なるほど」


 明らかに破格の数値に、樹は精霊が困惑した理由を理解した。確かにそれは規格外とか、大きいしか言いようがないなと笑った。


「使った魔力は回復しますか?」

『普通は一日程度で回復します。ただし、黒沢樹さんの膨大な量を回復となると、分かりかねます』


 この世界は魔力が薄く渦巻いている世界であるようで、この世界にいる限りは自然と魔力が回復していくらしい。

 となれば、少し魔法を覚えれば使いたい放題と言う訳だ。この世界を生きていくのに十分だろう。


 いや、その前に大切なことを忘れていた。元の世界に戻れるかどうかは結構重要なポイントだ。


「膨大な魔力が、世界を渡らせる力になるとか、そういう話はありませんか?」

『私には世界を渡る方法は分かりません。異世界から来るものの話は聞くことはありますが、自ら来た例は初めてですし、帰ったという話も聞いたことがありません。黒沢樹さんの話を聞く限りでは魔力が関係していたのは間違いないと思われますが……』


 樹は膝が落ちそうになった。精霊ならばと実はすごく期待していたのだ。

 それが、きっぱり知らないと断言した。


 さらに、自分はこの出来事に巻き込まれたと思っていたが、冷静に考えれば自分で魔力を習得しこちらの世界に来たといえる立場だ。

 空間把握能力向上=魔力の習得だったんだなぁと思いつつ、自業自得だと考えていた。



 精霊との話を終えて、黒沢はあらかた思い付く限りの事を石碑でやった。元の世界に帰る為に。それは全て不毛となった訳だが……

 石碑はただの石の塊でしかなくなってしまっていた。

 



 そして、



『では、旅に出掛けられるのですか?』

「異世界を旅する機会はなかなかありませんから」


 あらかた試してダメだったのだ。仕方がないと言い聞かせていた。

 樹はイメージしていた。

 あちらの世界とこちらの世界は、河川にあるダムの上と下なのだと。ダムの上から水と共に樹はこの世界に来た。

 だから、上に帰るのはかなり難しいことなのだ。

 偶然流れだした水を鯉のように昇るか、階段でも見つけるか、はたまた触媒的なものを使用しない限り無理だろうと。だから旅をしながらこの世界を楽しむ事にした。



 自分の性格をよく理解してくれている親ならば……おそらくのんびりと待っていてくれるだろう。

 逆にちょっと遅めの反抗期が来たと喜んでくれるかもしれない。やんちゃさが足りないとよく言われていたし。


 バイクはバイク仲間の悪友が見つけてくれるだろう。幸いキーはつけっぱなしだ。自分の生存云々を差し置いて、嬉々として乗り回す姿が容易に想像できる。


 コカしたら殺す。


 そう思えるくらいの心のゆとりがあった。

 


 旅に出るにあたり樹は単刀直入に風の精霊に力を貸して欲しいと頼んでみた。

 駄目なら仕方がないというノリだったが、予想外に精霊はそれに簡単な条件をつけることで快諾してくれた。



『互いに名前を付け合うこと。黒沢樹さんの魔力を少し分けてもらうこと』

 

『よろしいですか?』


 問う精霊に、樹はすぐさま了解の意を示した。



 聞けば、名前は契約だという。

 名前によって互いに繋がりを作り、魔力をやり取り出来るようになるそうだ。


 そして、風の精霊というものは、風の流れから周囲に溶け込んでいる魔力を吸収しているらしく、風が弱まるような場所では生きていけない存在だそうだ。

 よって樹の魔力を糧としなければならないらしい。

 どのくらいの魔力が必要なのか判断出来なかったが、規格外であるということなので問題ないと判断した。



 しばし間をおいて、黒沢は風の精霊に「キュアラ」と名付けた。

 精霊に名前の意味は? と聞かれて内心ドキリとしたが、正直に「お姫様(的なニュアンス)です」と答えた。


 気軽にキュアと呼んで貰えればいい。と風の精霊は言うので、嫌ではなさそうだとホッと胸を撫で下ろす。



 キュアラから黒沢に名付けられた名前は『クロイツ』だった。

 クロサワイツキ、略してクロイツ……。


 自分の世界で親友や悪友から、今もなお愛用されているあだ名だ。


『この世界で“旅するもの”という意味もありまして』


 なかなかに光栄なあだ名を付けてもらえたものだと樹は微笑んだ。




 名前をつけあった事で、樹と風の精霊の契約は完了した。

 クロイツとキュアラ。これからは互いにそう呼び合う。随分と簡単な契約もあるもんだ。

 そういえば、魔力の供給はどうやるんだろ? と一人思うクロイツ。すると、キュアラが渦巻きクロイツの体に入って消えていった。


「うわっ!?」


 思わず後ずさりながら声をあげたクロイツ。ヌルっとした感じがするかと思ったが、正直何も感じなかった。ミスト状の水蒸気が体を通り過ぎていった感覚が近いかもしれない。


『どうかされましたか?』


 先程まで語り合っていた時と同じような調子の精霊。


 なるほど、魔力の共有はこういうことなのかと思いながら、クロイツはキュアラに苦笑した。



「よろしく! キュアラ」

『よろしくお願いします。クロイツさん』



 黒沢樹と風の精霊。

 もとい、クロイツとキュアラのあてのない旅が始まった。




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