第十七話 新しい仲間と新たなる問題
夕暮れの過ぎた森は、瞬く間に深い闇に飲み込まれてその身を潜めた。
木々に覆われた森の中へは、星達のきらめきすら届かない。その真と呼ぶべき闇の中にあって、松明(魔鉱石製)のほのかな赤い光だけが辺りを照らしだしている。進むべき道の先ははっきりとは見えない。しかし、それでも踏みしめていける大地を照らし出してくれている。
一歩一歩。自身が闇に融けてなくなりそうな錯覚を覚える森の中で、そのリズムが自分に生を教えてくれる。
横を歩く少女と魔獣。
ポルとバル。
さらりとした黄金色の髪。歩くたびに風に吹かれるその髪は、薄暗い中にあってまるで野に咲く黄色の花のように光り、異彩を放って見える。そんな髪からは、キツネを思わせるピンと立った耳が生えており、お尻にも同じく、キツネのようなふわもふとした尻尾が生えていた。毛並みは、先端に行くほど自然と白みを増して、先っぽは完全無垢な白毛をしていた。耳の先っぽにだけ少し混ざった黒の毛並みが、全体のバランスを整えて野生的な印象を与えてくれる。そしてそれは彼女が只人では無いことを物語っていた。
宝石のエメラルドのような緑色の瞳は、他に例えるならば深遠の森の――鮮やかというより厳かな、深く渋い老竹色といった色合いをしていた。
そんな、少しだけ生彩を欠いた、あるいみ眠そうなポルの横顔は、生まれつきか、それとも誘拐されたことによるものか、ただ単純に眠いだけか……安易な判断は出来かねるものだった。
そんなポルの腰には、魔獣である不思議生物のバルが、まるでベルトのようにその尻尾を巻きつけてふわふわとしている。まるで、浮力を失いかけた黒い風船を連れている少女という図だ。
「……」
クロイツの視線に気付いたポルが無表情に首を傾ける。
クロイツはそれに苦笑して「なんでもないよ」と告げた。
そして、すっと差し出したクロイツの手に、少し間を置いて小さな暖かな温もりが加わった。
「あともう少しで着くから」
ポルはそれにコクンと頷いた。
「ただいま戻りました」
日も落ち、辺りが闇に覆われた森の中を足早にキャラバンに戻ったクロイツ達。
暗い森の中にあって、その場所はひと際明るかった。荷車の幌の四方に取り付けられたオレンジ色に明るく光る魔鉱石は、アウトドア等で用いる中型ランプの、その最大光量に近い光を放ち、辺り一帯をむやみやたらと照らし出している。松明用の魔鉱石とは比べ物にならない明るさだった。
そして、その脇には火にかけられている大きめの鍋と、それを囲むようにして用意された、倒木を利用したイス。
初めに出迎えたのは、食事の準備を始めていたケイトとロトザーニの二人だった。
「おかえり!」「おかえりなさい」
「その子は――誰だい?」
少し不思議そうに首を傾げたケイト。その横で佇むロトザーニはポルを見て柔らかい笑みを浮かべた。
どうやって事情を切り出そうかと考えていたクロイツが口をひらこうとすると
「帰ったか」
「お帰りなさいです」
森の闇の中からケイハとクルクの声がした。その方向に目を向けると、両者ともその手や体に、黄緑色にチカチカと光る細かい粉が付着していた。
そのクロイツの視線にケイハはいつもの憮然とした調子で答える。
「ああ、これは獣避けの粉だ。効果は一晩くらいしか持たないがな」
そう言って指差した森の淵は、チカチカと黄緑色の粉末が撒かれて淡く光っているように見えた。
そんなケイハの横から、クルクが目を輝かせて訊いてくる。
「その子は誰ですかぁ?」
「ふむ、亜人種の少女ですか、これは珍しい……その魔獣も興味深いね」
視野の死角からすっと現れるように、穏やかな調子のスクテレスが口を挟んできた。
「な、なるほど……」
突如として目の前に現れた優男のスクテレスは、なかなかに油断できない男である。
「こちらがポル、で、この黒くて丸いのが魔獣のバルです。少しだけ話が長くなりそうなので、夕ご飯を食べながらお話したいのですが……」
クロイツは少しだけ申し訳なさそうにしながらも提案してみると、それにケイハとロトザーニが賛成の意を示してくれた。
「立ち話もなんだし、ご飯でも食べながらゆっくりと話を聞かせておくれ」
「多めに作っておいて良かったわ」
手招きするケイトと、両手の手のひらを合わせながら上品に微笑むトロザーニに席を勧められて、クロイツとルシャはポルとバルを真ん中に挟むようにしてゆっくりと席(倒木)に座った。
席に着く直前に、サムズがそっとケイハに耳打ちしたのをクロイツは目の端で見ていた。
それに頷いたケイハはいつもどおり憮然とした面持ちではあったが、クロイツには浅い笑みを浮かべたように感じた。
クロイツとルシャは、ポルを託されるまでに至った経緯を一部始終報告した。
自分達を襲ったガインツ盗賊団について、闇商人について、ポルについて、ヤブンスについて
――そして
しばしの沈黙の後、ルシャが意を決して口を開いた。
「この少女と魔獣を託されました。願うならば今後旅を共に続けたく思います」
真っ直ぐとケイハを見つめるルシャの碧い瞳。その瞳には一抹の迷いも無いようだ。
ポルを預かることにしたのは戦士としての行動というより、ルシャの性分なのだろうとクロイツは思う。
仮に、ここでケイハが難色を示した場合の覚悟も同時にしているのだろう。強い意志を称えたその瞳がクロイツは好きだった。
ケイハがゆっくりと口を開く。
「クロイツ。ルシャ。少女については概ね理解した」
言葉には不思議な重さがあった。この先の言葉は、おそらく熟慮の上に出された答えであるのだろう。
クロイツとルシャは緊張した面持ちで、鍋越しにケイハの金色の瞳を見据えた。
しかし、次の瞬間その緊張は払拭されることとなる。
「それにしても、俺達だって人を助けることぐらいあるぞ」
あのケイハが笑みをこぼしながらそう言ったのだ。
少なからず皆を危険に巻き込んでしまうような火種を、何の相談もなしに勝手に抱え込んできたことに対しては叱責があるものと覚悟していた二人。
そんな二人にとって、ケイハのそれはやや予想外の答えであった。
しかし、鍋越しに座るケイハの笑顔は儚いものであったが、クロイツとルシャの不安を消すのには十分な効果を発揮した。
そして続けていう。
「面倒はお前達二人に任せる。しっかり見守ってやれ」
ケイハの力強い言葉は、二人にとって何かを覚悟を決めさせるのに十分だった。
それに対して、皆も笑顔で頷いてくれた。
クロイツとルシャは互いに顔を見合わせて安堵の笑みをこぼし、そして、自分達の傍らで鍋料理を懸命に頬張るポルとバルを見て苦笑した。
「詳しい事情は分からないけどね。まぁ昔から、旅は道連れ世は情けっていうんだよ。多いほうが楽しそうでいいと思うねぇ」
「そうですね。多いほうが楽しいですからね。こんな可愛い女の子を残してくるようなら、私はクロイツさん達を軽蔑しちゃいましたよ」
ロトザーニの言葉に、お椀を持ったサムズの腕がピクンと動いた。
「さすがクロイツさんですぅ。僕としても亜人種の方とお話できる機会が持ててとってもうれしいです。魔獣と直接心を通わせることが出来るのは、この世界で亜人種の彼らだけと言われていますからね。………………クエイス公国周辺には亜人種の方はあまり近寄りませんから」
そっと目を落としたクルクは少しさびしげな表情を浮かべる。
「そうですねぇ、クエイス公国が亜人種に対して規制を緩和したのがほんの100年くらい前、ルクンス公爵が治めるようになってからだからね」
「へぇ。100年以上もルクンス公爵が治めているんですか……って100年ですか!!?」
スクテレスの言葉に、クロイツは目を見開いた。
「あれ? クロイツさんは長命種族って知らないんですか?」
スクテレスは優しげな笑みを浮かべながら言った。
「まぁ、ここにいる存在がそうですよ。たぶんですけど」
と指差したのは…………、
「ぼ、僕がそうなんですぅ」
恥ずかしそうに笑うクルク。
クロイツはそこまで聞いてはっと思い至った。
年上なのに童顔、童女のような少年(青年?)の秘密!!!
「はい。はーい。それは私が気付いたんです」
と可愛らしく手を挙げたのはロトザーニ。スクテレスはその脇で優しげに笑った。
「お昼の会話のときにひょっとしたらばれたのかなぁと思っていましたが……」
もじもじとしながらそう切り出したクルクは、ただでさえ小さい体を萎縮させてしまったので、本当の小動物のように見えた。
もしかしたら、自分の境遇を言い出せなかったことに対して、後ろめたいと感じてしまっているのかもしれない。
まぁ、驚きはしたがそういった流れや背景に別段頓着をしないクロイツは口を開く。
「んと。長命種族でしたっけ? 一体何歳まで生きられるものなんですか?」
「そうだね」
前置きしてその問いに答えたのはスクテレスだった。
「個体差はあるけど、大体250~300歳だといわれているよ。といってもクルク君のような赤毛に赤い瞳を持つ誰もが長命種族というわけじゃないんだ。そもそも種族という言い方はしているけれど、それは生まれによって決まるものじゃないんだよ。実際には高度な秘魔法を用いた人為的な手法なんだ。ある地方じゃ人の命を玩んだ邪な魔法と忌み嫌われた歴史もあるね」
それに頷いたクルクが言葉を繋げる。
「クエイス公国は今でこそ鉱石の採掘、流通を行うことで、オシル大陸でも三指に入る大国へと成長しました。しかし、その歴史は平坦なものではなく、鉱山を狙う者達の侵略、徘徊。そんな戦乱の歴史を繰り返し歩む国でした。栄枯盛衰。多くの小国が出来ては消え、乱立する土地。それがクエイス公国の前身となります。クエイス公国を興した祖サースロは、そんな国を纏め上げるには長い長い時間がかかると考えました。その為、自らと側近に延命措置を行ったのが、この世界での延命魔法の始まりといわれています。当時の延命魔法はまだ未成熟な部分が多く、それこそサースロが思う結果には至らなかったと記録には残っています。しかし、その技術は熟成し、伝えられ、時代は流れ現在に至ってもなお、クエイス公国ではその習慣が残っています。全員とは言いませんが、クエイス公国に住む高官は、祖サースロの思想に基づいてその身に延命魔法を宿しています。むろん、命が延びる代わりにそれ相応の代償があります。一つは一度発動させたら二度と元には戻れないこと。もう一つは、自身の魔法弱体化となります。延命魔法は本人の魔力を消耗し続けるという諸刃の剣でもあるということですね。延命魔法を行ったものは魔法を扱うことが出来ても、それは本来の威力を出せないことになります。僕は火、水、土、風の四系統を使いこなすことが出来ますが、その威力は例えるならば、マッチ程度に限定されるものになってしまいました」
そういってクルクは指先に小さな火を灯した。
長いクルクの話をまとめれば、長命魔法とやらを昔のお偉いさんが開発して、今もなお習慣として残っているらしい。
その代償は魔法が扱えなくなるということらしく、命か力かの選択なのだろう。
「この代償は戦乱の世においては自らが戦えないというデメリットも含んでいるわけですけどね」
浅く笑うクルクが何故か妙に年老いて見えた。
「…………という事は、クルクさんは結構偉い人なんですか!?」
クロイツは驚きを込めて訊いた。
「んと、そうですね、あまり……その言いたくは無いのですが、位としては高いほうです。でも今は、自身ではあくまで学生であると思っています。クロイツさんと同じです」
苦笑い顔のクルクには、いつもの可愛らしさはあまり見られない。だからこそ、
「なるほど」
と答えたクロイツの声にはどこかかしこまったものが入ってしまっていた。
ぜんぜん同じ立場とは思えなかった。
それを気にする風でもなくクルク言う。
「しかし、実は、今回の旅に関しては、その、権力というものを使おうと考えていました」
その表情は、まるで小さな子供がイタズラをしたときのような笑顔であった。
しかし、それに対してはてなと首を捻る。何のことだろうかと考える。
「今日の朝、ケイハさんとクロイツさんが話してましたよね? 日数的に武舞大会へ間に合わないと」
「あー確かに……」
いや、実際には武舞大会へはそれを見に行くプランだけだったはずだ。
それが、ルシャが戦いに参加するという条件がついたので少々焦る旅になった筈だが……ややこしくなるのでここでは黙っておこう。
ん。そうなると疑問が!
クルクはファルソ村から歩いて向かうつもりだったのだろうか?
いやいやそれはありえない。クルクは旅に不向きだ。子供だし。
とすれば、権力とは何かしらの移動の手段を用意していたということだろうか。
「出発日のかなり前に、スドキトス伯爵に対して書簡を送りまして、“リヤンジュ”を手配してもらうようにお願いしておきました」
「リヤンジュ!!! それは本当ですか?」
弾けるように立ち上がったのはスクテレスだった。
その問いに肯定するように首を立てに振ったクルクにスクテレスのテンションが更に上がる。
「リヤンジュ?」
その名を知らぬクロイツはその様子から、それがただならぬ物であることを予想した。
スクテレスは軽快に、古代の詩を朗読するかのごとく語り出した。
「リヤンジュ。それは人が扱うことの出来る生物として最高峰のものなんだよ。体長は5mほどの巨大な体躯をした四足歩行の生物で、翼を持たないのに空を駆け抜ける力を持っている。その体は、緑のうろこのようなものに覆われていて、いかなる攻撃をも防ぐ鉄壁の防御。獅子に似た顔に生える牙は、鍛えられた剣すら紙のごとく噛み千切り、流れる金色の鬣は暗い夜道をもその輝きで照らし出すと聞く。頭に生える二本の赤い角は天候を操り、同時に不老不死の妙薬とも言われている。山三つ先まで轟く咆哮は衝撃波となり、他を圧倒せしめるという」
クロイツは上機嫌なスクテレスの口上を苦い顔をしながら聞いていた。
「それは…………怪物か、それか魔獣の類に入るのでは?」
冷静に考えながら思う。そんな生物に俺は勝てるのだろうか?と。
それに対してクルクが答える。
「正確に称するならば、リヤンジュは神獣という分類がなされています。確かに魔獣とも呼べなくは無いですが、魔獣に見られるような“セモゾ紋様”がありませんからね。あ、セモゾ紋様というのは魔獣の体に刻印されているタトゥーのようなものなんですけど。クロイツさんは直接見たことはないですか?」
クロイツは魔獣を直接見たことが無いと答えた。しかし、どうやらこの世界、まだまだ未知なものが多そうで……というより自分がいた世界とのギャップが意外にも大きそうである。
今になって思うと、緋猿と呼ばれた魔獣を一目見ておくのも悪くなかったかもしれないと後悔していた。まぁ怪我するよりはマシと思うことにする。
「リヤンジュはとても希少な存在でね、特定の場所にしか生息していないといわれているんだ。むろん、それは一部の者たちにしか知らされていないが……」
熱のこもった視線でクルクを見つめたスクテレスに、クルクは苦笑しながら答えた。
「残念ながら僕はその場所を知りません。リヤンジュにしても持ってる方にお借りしてるに過ぎませんからね」
『そんなものを貸し借りできるような立場ってどないやねん!!!』
クロイツの内に秘めたツッコミはその日使われることは無かった。
「ということは、そのセモゾ紋様を持っているのが魔獣? となるわけなんですよね? バルにはどこに……」
クロイツは手に取ったバルを撫で付ける。ゆっくり丁寧に扱うようにとルシャに念を押されていたので、今はそのようにしている。クロイツの腕の中で、バルは気持ち良さそうに収縮を繰り返して、野球ボールの大きさから、バスケットボールの大きさまでふわふわと大きさを変えている。
黒く、滑らかな毛並みは高貴な猫を思わせる。ひょっとしたらこの毛並みの奥に紋様があるのかもしれない。
そう思って覗こうとしたら、ポルの手がクロイツに触れた。
「……ダメ。バルそれ嫌い」
どうやら毛を掻き分けるのはバルの逆鱗に触れてしまうらしい。非常に無念な思いをしながらも、クロイツはバルをポンポンと風船のようにして打ち上げてみた。ちなみにこれはバル的にOKらしかった。魔獣の扱いというのも難しいものである。
「そうだね、バルの正式な魔獣区分けは、変幻種、第一級危険指定魔獣、種族名ポルヴォーラと呼ばれているものになるよ」
今宵はスクテレスがその博識ぶりを遺憾なく発揮している。旅をしながら様々なものに触れているという経験は伊達じゃないというところか?
「ランクでいえばAランクの魔獣だね。ファルソ村にいた緋猿がA+といったランクになるから、結構危険な魔獣になるかな」
優しく微笑むスクテレスは、午後のティータイムを優雅に過ごしているといった口ぶりでそういった。
しかし、それを聞いたクロイツとルシャの動きがぴたっと止まる。
クロイツの手で打ち上げられていたバルは、再びクロイツのその手の上にポムンと舞い降りた。そしてクロイツは怯えながら目を落としてそれを見つめる。
この黒くて丸くてポムポムしてた生物が…………変幻種、第一級危険指定魔獣。種族名ポルヴォーラ?
なにやらそれだけ聞くと、とてもやばそうな響きがするものだ。
それに対して、ロトザーニは優しく諭すように語る。
「大丈夫です。ポルさんと心を通わせたバルさんなら、むやみやたらと人を襲ったりしませんよ」
それにはケイハとケイトとサムズが同じ意見を持っているようで、鍋を啜りながら頷いていた。
しかし、魔獣というのに遭遇したことがないクロイツと、村以外のことには意外にも疎いルシャの緊張は未だ解けきらない。それに対してクルクが説明を続けた。
「ポルヴォーラは確かに第一級危険指定魔獣とされていますが、野生にいるものでさえ人を襲うことはめったにありません。ポルヴォーラ自体はそれほど攻撃的な種族ではないのです。ただし、ポルヴォーラは人の心によってその姿かたちを変えることが知られています。ので、ポルヴォーラが怖いと思えばそれ相応の恐怖の形に変化してしまうということですね。ちなみに襲ってくるというビジョンを持てば、攻撃性を有し襲ってきますよ」
クロイツは手の上のバルが余計に怖くなった。しかし、先ほどと同じくのほほんとしているバルを見ているとそれ程危険な生物には思うことが出来ないもの事実だった。
「ポルさんと心を通わせていますからね、おそらくそれがポルさんの心の形なのかもしれませんよぉ」
そういわれたクロイツはハッとした。この生物が……この形がポルの心の形なのだと。
しかし、それに対してスクテレスが水を差す。
「いやいやクルクさん。その姿はポルヴォーラの真の姿ですよ」
何時の間にら持ってきた本の挿絵を指しながら見せてくれた。
≪オシル大陸魔獣大図鑑 スクテレス・ロトザーニ著≫
背表紙の名前を見てクロイツがスクテレスとロトザーニに視線を向けると
「二人で旅をしながら本を書いてるって言ったでしょ? そういうものもまとめたりしてるの」
二人は照れ笑いをしながらそういった。自筆の本を自慢したい心理というのは異世界でも共通らしい。
「なるほどぉ」
クロイツから図鑑を譲り受け、感心した面持ちのクルクはその図鑑を食い入るように見つめていた。
クルクさんは知識に対して素直で、貪欲だと思う。
「彼らは群れで生活しているんですか?」
挿絵を見ながらクルクが問うと
「ああ、そうだね。自分達が遭遇したときは、それこそ数え切れないくらい蠢くポルヴォーラに出会ったからね。ロトザーニが踊って欲しいと思ったせいで、目の前で華麗な舞を披露されてしまったよ」
「そうですね。あれはとても可愛らしかったわ」
二人はそういって自分達の思い出の世界に入っていってしまった。
ふと脇をみれば、コクリコクリと舟をこぎ始めたポルがいた。そろそろ子供は寝る時間のようだ。
「ポルはおねむだね」
それを見つめるケイトの瞳は優しかった。
「クロイツ、ルシャ? 今後の予定だけちゃちゃっと話したいんだけどいいかねぇ?」
どぞどぞとクロイツは進めた。
「私達はこれからスドキトス公爵の治める交易の街アソルへと行くんだけど、この先の平原を抜けるだけなら、おそらくゆっくり歩いても日を少しまたぐぐらいで到着するんだよ。クロイツの魔法のおかげここまでの距離をかなり稼げてしまったからね。今日みたいな魔法を使えば一時間もかからずついちまうだろうけど、クロイツも連日はさすがに大変だろ?」
魔法自体はクロイツにとって大したものではなかったが、ケイトの心使いがとても嬉しく感じた。
それ以上に魔法に依存して堕落しないようにと自身を戒めるのも忘れがちになっていたので、あえてここは言葉に甘えて休ませてもらうことするつもりで、クロイツはケイトに頷いた。
「明日はゆっくりと向かうことにする。でそこで相談なんだけどね……」
ケイトの瞳が商売気質を帯びた。
「日数的にかなり余裕が出来たから、私達はそこで三日間くらい商売をしたいと思うんだけど、どうだろね?」
「ああ、それはいいですね。交易の街というだけあっていろんなものがあると思っていたんです。自分もゆっくりまわってみたいと思っていました」
クロイツの言葉を弾ませてそういった。
実はとても興味があったのだ。異世界に来て、ちゃんとした街は初めてなのだから。
「そうかい? そういってもらえるとうれしいねぇ。まぁ、見てまわってたらきっと三日なんてあっと言う間だと思うんだけどねぇ。あそこは無駄ににぎやかだからね」
ケイトはにこやかに微笑んだ。
続けてケイハが口を開いた。
「そういえば、リヤンジュはどうするんだ? 俺達と旅をするならそれはそれでかまわないが? スーセキノークへ早くつきたいならば使用しない手は無いぞ?」
忘れていた。クルクが手配してくれた神獣リヤンジュ。用無しということで、ただで帰らせるような存在でも無いはずだ。
「どうしたものか」
悩むクロイツ。
「それでしたら、どちらでもかまいません。ただし、僕は一足先にルンドブースにも立ち寄ろうと思っていますので、リヤンジュに乗って先にスーセキノークへと向かおうと思います」
なるほど。とクロイツはルシャを見ると。
「私はどちらでもかまわない。大会に間に合えばそれでいいからな。しかしポルのことを考えれば、出来るだけ多くの景色や村、人に合わせてやりたいところだな」
ふむ。と頷いたクロイツ。
「では、俺達はスーセキノークまでケイトさん達にお世話になりたいと思います。クルクさんわざわざ手配してくださったのにすいません」
「いいんですよぉ。元はといえば僕がお願いしたことですし、スーセキノークにつくまでにクロイツさん、ルシャさんの成長を期待して待っています」
この時のクルクの笑顔は輝いていた。その真の意味を知るのはクロイツがスーセキノークについてからのことになる。
「「クルクさん、リヤンジュは見せてくださいね」」
クロイツとスクテレスの言葉が重なった。
二人は顔を見合わせて熱い男の握手を交わす。
クルクはそれに苦笑しならがも了承してくれた。街が楽しみである。
その晩……
「クロイツ、夕べはありがとう」
荷車から離れた、星を見上げることが出来る丘の上にクロイツとルシャはいた。
憂いを湛えた碧く澄んだ大きな瞳がクロイツを見つめる。
自らの手を覆うようにそっと置かれたルシャの手から温かく柔らかなぬくもり。
「それとこれを」
小さな袋が一つ、クロイツの手に残された。
その袋の中には銀粒が3つと、銅粒が30個、真鍮粒が32粒。それは二人が所持していたお金の全てであった。
「街へは久しぶりに行くが、おそらくスーセキノークまでは持たない。ポルとバルの分が増えたからな」
「といってもこれ以上ケイトさん達に頼りっぱなしはまずい、か」
「ここは街で働くしかないと私は思うんだが?」
「すぐに見つかればいいんだけどなぁ、この世界にギルドとか無いのかな?」
異世界といえば、魔獣退治とかが定番であるはずだ。
「ギルドか、話には聞いたことがあるが詳しくは知らない。それとあまりケイト達には心配を掛けたくない」
つまり、ケイト達にはコッソリと気づかれないようにお金稼ぎはしたいということだ。
「ふむ。スクテレスさん辺りに少し訊いておこうか」
二人はたわいも無い会話、もとい今後の金策相談はしばらく続いた。
最後に、
「交易の街アソル、楽しみだな」「そうだな」
「私はもう寝る。おやすみ」「おやすみ」
そう言ってルシャは小さな荷車へと向かっていった。
ちなみに野郎どもは地べたに簡易的なテントを張って寝ている。
夜の闇の中、自分達を囲む緑色の粉が蛍のように瞬いていた。