第十四話 ロムヤークが跳んだ日
時刻は夕刻。
一足早く雲の合間に消えた太陽は、少し明るみ残しながら次第に薄く赤い色を帯び始め、西の空へと沈んでいった。
木々覆われた鬱蒼とした森の中では、そのかすかな光はさえぎられ、かろうじて辺りが見渡せる程度の明るさほどしかない。
そんな薄暗い森の中、周りよりも少しばかり大きな木の下に人影がまばらにあった。
森が、夜の闇へと消えていくにもかかわらず、彼らは火を熾すことなくその木に寄り添うように集っていった。
人影が寄り添っていたのは、正確には木ではなく、その木に背を預けるようにして座り込んだ男であった。
木にもたれて座り込んでいた男は息も絶え絶えに言葉を発する。
「ぐぅ、はぁはぁはぁ。アフ、ニクル、お前ら無事だったか」
男の息使いは荒く、今しがたまで、森を全速力で駆け抜けていたのであろう。男の体からは汗が噴出し、着ている服は汗を吸って黒く染まり、男の体に張り付いていた。しかし、その着物をよくよく見れば、鋭い刃物で切られたと思われる裂け傷がまばらに存在し、所々焼け焦げたと思われる大穴が開いていた。その姿を観察すれば、黒く染まった服が、ただの汗だけで濡れているだけではないと察することが出来る。
そんな男を見下ろす、アフとニクルと呼ばれた二人の気の弱そうな男達は声を潜めてその問いかけに答えた。
「へい、あっしらは無事でした。――――――俺達の為に!」
「ヤブンス親分、大怪我じゃないですか」
アフは言葉を噤み、ニクルはその声色に少しばかりの苛立ちを含ませて言い放つ。
ヤブンスと呼ばれた男はそれに答えようとしたが、安堵からか体に力が入らず、淡い笑顔を返すのみにとどまった。
何とか気力をより戻し口を開く。
「俺達のような貧弱な盗賊が、分相応って言葉を無視して手を出したんだ。少しくらいの無茶は覚悟してたさ。例の嬢ちゃんとあれは……無事なんだろ?」
それにアフが答える。
「しっかり守りきりやした。今は少しばかり離れた場所で眠ってますぜ」
「そうか……」
男はそう言葉を残して静かに瞳を閉じた。
「「親分!!! っ」」
アフとニクル。
二人の声が薄暗い森の中に響くと同時に、そこから少しばかり遠い森から鮮やかな桜色をした火柱が突如として三本昇り、桜色の光と静かなる轟音が辺りの森を包み込んだ。
○●○●○●
明るみを増したどんよりとした空からは、細い筋をした小雨が降り始めていた。
そんな雨に頓着しない風のクロイツは荷車から少しばかり距離を置き、声をかけた。
「ではやります」
クロイツはそう言って意識を集中させた。
といっても魔法を実際に行使するのはクロイツではない。
『キュア。よろしく頼む』
『はい』
快活なキュアラの声が返ってくると同時に、クロイツは自らの内にざわざわとしたざわめきを感じた。
この精霊魔法はどうやらキュアラ自身を震わせることで発動しているらしい。
実際ざわめいて思えるのはクロイツの魔力を使用しているからだそうだ。
クロイツには、何か言葉のようなものが聞こえるが、それは声ではないという。
キュアラ自身よく分からないが出来る魔法。
人間であるクロイツには扱えない魔法。
それが精霊魔法なのだ。
クロイツの体から風で出来た透明な触手が伸びていき、大小二つの荷車とロムヤークを瞬く間に覆い尽くす。
するとその中で、ロムヤークだけは体を少しばかり強張らせ、興奮し嘶いた。
『ロムヤーク? さすが、周囲の異変に敏感な生物の筆頭と言うべきか?』
それを眺めていたクロイツは少しばかり感心しながらそれを観察していた。
『見えるというより感じ取っているといった風ですね。賢い子達だと思います』
ふむふむと頷きながら、キュアラとそんなことを会話しているうちに、風の鎧はかけ終わっていた。
「終わったのか?」
「あ、はい。かけ終わりました」
この風の鎧の難点は分かりにくいことだ。利点とも言えるだろうが……。
ぼんやりと立ったままのクロイツを見てケイハが質問してくるのがその証拠だ。
ふむ。と黙り込んだケイハが何を考えているのかクロイツには少々理解しかねた。
「試しに思いっきりジャンプしてみてください」
ケイハは言われたとおり飛び上がった。
それを見ていたクロイツが抱いた感想は、ケイハが飛び上がったのではなく、消えた。だった。
空を見上げればどんよりした雨雲が広がる空に、黒い大きな点が見えた。それはしばらくすると大きくなり、凄まじい勢いと音と共に舞い戻った。
ズシャァッ
一体どれほど飛んだのか、地面に足をめり込ませながら戻ってきたケイハの表情は驚きに満ちているものだった。まぁ、それ以上にケイハの運動能力を目の当たりにしたクロイツは目を見開いて驚いたわけだが…………。
風の鎧は肉体強化にあたる精霊術だ。
個人的なスペックが高ければ高いほどその威力は増加する。
むろん強化度や持続時間など操ればその強さは多少変えることが出来るので一概に言い切ることは出来ないが、ケイハの身体能力がかなりずば抜けてすごいというのは間違いないだろう。
「なるほどな、これなら到着は大分早くすることが出来そうだ」
ケイハはそう言って一瞬だが柔らかく微笑んだ。新鮮な体験ですこし楽しかったのだろうか?
「早速だが出発する。ケイト達にそう伝えてくれ」
クロイツはケイハのそんな表情に少し驚きつつも、返事をして荷車の中へと戻った。
○●○●○●
荷車の後ろから、垂れた幌を掻き分けて入ると、中にはルシャ、クルク、ケイト。そして何故かロトザーニがいた。
「皆様とお話がしたくてこちらに移らせていただきました」
そう柔和に笑いながらいうロトザーニ。大人の女性特有の良い香りがクロイツの鼻をくすぐり、若干の動揺を覚えたが何とか何事も無かったようにやりすごして言った。
「そうですか。にぎやかなほうが楽しいですからね」
そろそろ出発するみたいですとクロイツがルシャ達に伝えると、荷車はするすると動き出し、午前中より早い速度で疾走を始める。
少々揺れはきつかったが、それでも風の鎧の効果もあり痛みはまったく無かった。
「これもクロイツさんの魔法なのですか? すごいわ。わたくしもスクも長年旅をしてきておりますが、このような魔法師を見たのは初めてです」
はい。正確には精霊魔法です。といいそうになるのを我慢してクロイツはニヘラと微笑んだ。
武道派の見た目とは違い、ロトザーニは丁寧な話し方をする女性だった。それは彼女の生い立ちにも関係しているのかもしれないが、そのギャップがクロイツのストライクゾーンを打ち抜いてくる。大人びた女性であった。
道中も長いし、ゆっくりと聞いてみようかなと考えていたクロイツであったが毎度のごとく、その平和は長くは続かなかった。
ドドンッ!!!
自分達を下から突き上げる感覚に、クロイツ達の体は浮き上がり、そして座った体勢のまま、勢い良く、荷車に再び打ち下ろされた。
風の鎧の効果で痛みは薄いが、尋常ならざる自体が自分達に起こっていると想像させた。
何事だ!!!? とクロイツとルシャがあわてて荷車の後ろから顔をだすと、荷車は、か細い森の道を、ありえない速度で疾走していた。
状況が把握できず、顔を見合わせて驚いていたクロイツとルシャの耳に、サムズの声が響いた。
「いけー。ヤン!!お前の力を見せ付けてやるんだ」「ピエェェィィィ」
声高らかに笑うサムズとそれに応えるロムヤーク、ヤン。
二人とも嬉々としているのが分かる。
そしてその声に呼応するように、もう一人男の声が耳に届く。
「やりますね。サムズさんさすがです。ですがうちのマーも我々と共に世界を回ってきた力の持ち主ですよ。甘く見ないでください。マーいくんだ!」「ピィエエエェイ」
持った手綱を握り締める優男スクテレスの眼鏡の淵がきらりと光り、マーが吼えた。
それを見たルシャは唖然としてその様子に目をしばたかせ、一方クロイツは空間把握能力を周囲へと広げ、現状を理解しようと努めた。
小雨の降る森の中を二つの荷車が疾走している。
大きな荷車を引くロムヤークはヤンという名前で、その手綱はサムズが握っていた。
一方小さな荷車を引くロムヤークはマーという名前で、その手綱はスクテレスが握っていた。
どうやら先ほどの衝撃は二人が競争を始めてしまったのが原因のようだった。
ちなみに非常に残念ながら二人合わせてヤンマ~だ♪ というギャグは使えない。
ここは異世界だから!!!
しかし、とクロイツは思う。
温厚な性格であるロムヤークならば、そんな無謀な命令を聞くとは思えないのだが……。
だが実際に、嬉々として翼を羽ばたかせながら疾走し、時に風を起こし、時に翼を窄めながら、その鈍重だった姿が嘘のように軽やかに駆けている二匹のロムヤークを感じ取ると、クロイツは現実世界で、バイクや車にのって性格が豹変してしまう人種を痛烈に思い出していた。
『いるんだよなそういうやつら。ヤンとマーもそういうも属性だったか』
どうやら動物にもそういった性格的なノリがあるらしい。新しい発見だ。
そしてふと、普段ならば荷車の先頭に立って歩き、周囲を索敵していたケイハはどうしているのだろうと探してみると、さすがにこの速度では前方の注意だけでよいと判断したのだろう。雨に打たれながら、クロイツ達が乗っている荷車の上、強化された幌の上にどっかりと座り込み、憮然とした面持ちで前を向いているのが感じられた。
そうこうしてる間にも、手綱を握っている二人の声がクロイツ達の耳に届く。
「ふふふ。荷車の大きさが違うんです。無理はなさらないほうがいいですよサムズさん」
少しばかり急なカーブで、横滑りを起こし、大きく円を描いてしまったサムズを見ながら、最小のターンで抜いたスクテレスは不敵に微笑んだ。
抜かれたサムズは口惜しそうにしながらも
「スクテレスさんの言うとおり、ですが、直進安定性と最高速度ではこちらに分があるんですよ」
そうスクテレスに言い放った。お互いに一歩も譲らなかった。
クロイツは呆れながらも精一杯声を張り上げた。
「サムズさん、スクテレスさん。落ち着いてください! 速度上げすぎですよ! 何事ですか!!?」
それに対してサムズが真剣な声で答える。
「クロイツさん。男にはやらねば為らない時があるんです」
「そうです。森を抜けるまでで結構です。しばらく辛いでしょうが我慢してください!」
そうスクテレスが叫んだ。
二つの大小荷車が森を疾走する。風を切り、周りの風景を置き去りにしながら。
しばらく人の通っていない街道は荒れており、所々に倒れている倒木や木の枝が落ちていた。そして、雨を含んだ道は少しぬかるんでいる。それらを排除しながらゆっくりと進むのが普通だろうが、今はそんな悪条件をものともしないように、二匹のロムヤークは跳ぶように森を駆け抜けていた。
通常ならば直径30cmにも及ぶ倒木に、荷車がこの速度で突っ込むことはありえないだろう。
しかし、手綱を握る二人は、それを気にする風でもなくかまわず突っ込む。
ロムヤークはその逞しい太い足で大地を踏みしめると、軽やかに跳んでその倒木を避ける。すると次に荷車の車輪が倒木に乗りあがった。
上へと突き上げる衝撃が荷車を襲う。しかし、踏みしめられた倒木は、まるで、鋼鉄の車輪で、ガラス細工が粉々に砕かれるように、粉々に飛び散り四方へと散った。
風の鎧によって強化された荷車こその芸当だろう。
しばらくそんな様子を呆然と見守っていたクロイツは「ダメだ。この二人……」と諦めた。
レースは白熱し、直線になればサムズが抜き、コーナーが続けばスクテレスが距離をつめ、巧みに前に進み出るといった展開となっていった。
そんな状況に巻き込まれていると知ったケイト、クルク、ルシャ、ロトザーニは顔を少しばかりしかめながら言った。
「クロイツ、あんた、何とか出来ないのかい?」
「ちょっとだけ速すぎます。このままだとシセノフク領まで一日で着いてしまいますよ」
「勝負となれば多少は熱くなるのも仕方が無いと思うが、人に迷惑をかけてまで行うものではないだろう?」
「うちのスクが迷惑をおかけして申し訳ありません」
暗にロトザーニ以外は何とかしろよ! 的なオーラをクロイツに向けていた。
いや、風の鎧の効果を弱めるという手もあるが、ここでいきなり弱めたらこのスピードは危険以外のなにものでもないだろう。
そんなクロイツの苦悩をよそに、遠くから楽しそうなスクテレスの声が聞こえた。
「すごいよ、ロニ。あのときの老婆の話は本当かもしれない。新しい章のタイトルはこれでいこう!!!」
時折飛び上がる荷物と、横から来るG。
この揺れは風の鎧が無ければ怪我をしてもいいレベルまで加熱していった。
しばらくして、ケイトから怒りのようなものが出始めたのを感じ取ったクロイツは、慌てて円満な解決策を考え始めた。
『キュア? こういう魔法ってあるかな? 出来る?』
自らのイメージを頭で描きつつ、キュアラに伝えてみる。
『はい、出来ますよ。それでしたらケイトさんが持っている布地を少々お借りして、このようにしたらどうでしょうか?』
『あぁ、なるほど。それはいいね』
突然黙り込み、不意に笑顔になったりするクロイツを心配してロトザーニから声がかかる。
「クロイツさん大丈夫ですか? もしお困りでしたら私がスクを…………」
「大丈夫です。案があります」
クロイツは自信満々にそう告げた。
クロイツは魔法を未だに使うことが出来ない。
しかしキュアラのおかげで風系統に関しては人知を超える力を手にしていた。
そしてその使い方も日々、窮地に追い込まれれば進化する!
クロイツはケイトから寝具にも使う五枚の布地を借り受けて一枚を床に広げた。
なんだ? と見守られながら、クロイツはもくもくと作業を続ける。
皆が不思議そうに見つめる中、床に敷いてあった布地はもこもこと盛り上がり、ゆったりとしたロッキングチェアのように広がってその場に留まった。
「これは、」と驚くケイト
「座ってみてください。空気で作った椅子ですよ」
クロイツは笑顔でそう言った。
空気椅子。現実に指す言葉は自身の筋力を使ったツライ行為をさすものだが、クロイツの作ったものは、文字通り、空気によって出来た椅子だった。
クロイツ本人にしても、まさかそんなことが出来るとは思っていなかったのだが、出来てしまった。
一定空間内に空気を押しとどめ、たとえるならば風船のゴムの外郭が無いようなものを作り上げたのだ。そして、それに布を敷いたシンプルなもの。
空気圧の調整によりその硬度は変幻自在という優れものだった。
おっかなびっくりといった風に、ゆっくりとその椅子に腰掛けたケイトから笑みがこぼれる。
「これはすごいねぇ」
下からの振動も、横からのGも、うまいこと吸収されるように設計された空気椅子に、ケイトはご満悦だった。
それを見たクロイツは急いで残りの四つの布地を使い、同様の椅子を作り上げた。
「これは……すごいですね」
「うん、上々だ」
「こんなにふわふわしっとりした椅子なんて初めてです。なんだか眠ってしまいそう」
上からクルク、ルシャ、ロトザーニ。
ロトザーニが言うように、既にケイトは寝始めていた。
それに安堵したクロイツはほっと一息つきながら、自身で作り上げた(正確にはキュアラが作った)椅子に腰掛けた。
ふんわりと包み込むようでいて、しっとりと体を支える椅子は、高級な羽毛布団に低反発素材が融合したかのようだった。
「クロイツさんこんな魔法も使えたんですね~」
「いや、この魔法は今さきほど思いついたんです。まさかここまでうまくいくとは思いませんでした」
感心した面持ちのクルクに、素直に返事を返す。
いや、魔法って何でも出来るものだなと笑えてしまう。
そんなクロイツに、ロトザーニが驚きの声を上げる。
「クロイツさんは余程ご高名な魔法師様なんですね。わたくしもスクも、長いこと旅をしておりますが、このような魔法を見たのは初めてです。世界は広いものですね、まだまだ知らないことが沢山ありそうですわ」
そういってうれしそうににっこりと微笑んだ。
なにやらめちゃくちゃ褒められた気がする。
「クロイツ、良い仕事だったぞ」
何処となく誇らしそうな顔をしたルシャは、尊大な台詞を残してケイトと同じく気持ち良さそうに寝入り始めた。
低反発のフィット感はルシャもお気に召したようだ。
その後、時折聞こえる轟音を無視しつつ、クロイツとクルクはロトザーニとの話に花を咲かせた。
スクテレスとロトザーニはオシル大陸南西にあるアルノード共和国で幼馴染だったそうだ。
互いに旅をするのが大好きで、小さな頃から夢として語り合っていたらしい。
旅には危険がつき物であるから、それ相応の強さが必要だと感じた二人は、それぞれにあったやり方で修行をつんだそうだ。
スクテレスは頭がよく、また魔法にも精通していたので、アルノード共和国で魔法芸術の都と名高い、“魔法都市ヘイジイル”にある、“ヘイジイル魔法学校”に通っていたそうだ。
魔法都市ヘイジイルでは魔法を芸術の延長と見立て、その威力や機能だけでなく美しさを高く評価しているらしい。色鮮やかなその都市は、その独特の芸術的センスの価値観もあいまって、周辺諸国にも絶大な影響を与えていると聞いた。
一説には、まともな人間には耐えられない場所であり、魔法都市ヘイジイルを治める王を、魔法の王と呼ぶこともあるが、揶揄して魔王と呼ぶものもいるらしい。
そんな中、スクテレスは、可も無く、不可もなくといった一般的な成績の生徒であったそうだが、持ち前の探究心であらゆる学問に精通し、治療系から攻撃系まで幅広い魔法に通じていたそうだ。また、教授からの信頼も厚く、魔法都市の管理魔法員として推薦されたほどだったそうだ。
一方ロトザーニは、スクテレスと同じ学校へ行くことは叶わなかったようだ。正確にはスクテレスが酷く拒んだのだといって苦笑した。
だが、それであきらめるロトザーニではなく、アルノード共和国にある軍に自ら所属し、どこかで聞いたワイナレスシモン、戦艦ディーディブローズを護衛する、“弓魔法兵士”として修行を積んだそうだ。
弓魔法兵士とは、自身、ならびに他者の魔法を弓矢として投射するのに優れた者のことである。魔法は自身から離れるほど威力が極端に弱まるといった性質がある。それは、術者の精神的なイメージが強く結びつく結果から引き起こされるとされているが、詳しくは不明慮な部分が多いらしい。
通常はせいぜい頑張って50m程度の魔法攻撃を、ロトザーニは500m近く飛ばすことが可能だという。そしてそれは、魔法であればなんでもOKなので、スクテレスと合わせれば、癒しから攻撃まで可能という頼もしい魔法砲台となるそうだ。
そんな二人は、お金と力を蓄えたのち、自らが望んだ旅を二人で始めたのだそうだ。
二人は旅をしながらそれを旅行記としてまとめ、いく先々の国で出版し、その収入で旅を続けているらしい。先ほどのスクテレスの叫びはそういうことだったようだ。
しかし、そんな二人もガンデス地方の獰猛な動物達には多勢に無勢だったそうで、追い込まれ、危機に瀕していたところをケイハ達、シトに助けられたらしい。そして、それ以来行動を共にするようになったとか。
「そういう理由で、ケイハさんたちはわたくし達の命の恩人でもあるんです」
ロトザーニはその声に深い感謝を滲ませながらクロイツ達にそう語った。
そして言葉を繋げる。
「そういえば、クル――」
といいかけたロトザーニを一つの声がさえぎった。
「わぉ、ロニ? これはどうなってるんだい???」
瞳を輝かせた男が荷車の後ろから顔をだし、覗き込んでいた。
いつの間にか荷車は止まっていたようだ。
空中に浮いた布地に、まったりと寝転んでいる五人を見つけたスクテレスは興奮しながらロトザーニと話し込み始めた。
そんな二人を尻目に、ケイハが言った。
「今日はここら辺りで野宿する。すまないがケイトを起こしてくれないか」
クロイツは完全に熟睡していたケイトをゆすりながら声をかけた。
「ケイトさん。起きてください。ケイトさん?」
その声に朦朧としながらケイトは起き上がり声を発した。
「おや、もうシセノフク領に着いたのかい?」
それに問いに答えたのはケイハだった。
「シセノフク領にはもう入っているが、ここから目的地の街まではまだ距離がある。今日はここで休みを取ることにした。ケイト、食事の準備を頼む」
そういい残してケイハは颯爽と森の中へと消えていった。
ロムヤークのヤンとマーが共にかすかに嘶いた。
「よっこらせっと」
体を起こしたケイトは、馴れた手つきで荷車内の道具箱をあけると食事用の道具をいろいろと取り出し始めた。
それを見たロトザーニが手伝いに加わった。
クロイツは背伸びをしながら荷車の外へと出た。
空は赤く夕焼けに染まり、進むべき先には赤く夕日にぼんやりと染められた草原が広がっている。美しい……。
嵐になる領域とやらはとうに走り過ぎてしまったようで、空には疎らな雲がのんびりと浮かんでいた。
森と草原の境界線。それを見下ろすような小高い丘の上の少し開けた場所にクロイツ達はいた。
「よう。お疲れ様」
のんきなサムズの声が聞こえてクロイツは振り向いた。その顔は晴れ晴れとして、清々しかった。
「その様子だと?勝ったようですね?」
「おや? すこしお怒りかい? まぁ、あんな揺らしてしまったらしょうがないか」
少しばかり皮肉をこめた口調の中の怒りに気がついてくれたようだ。
そんなクロイツにサムズは苦笑いをしながら言う。
「残念ながら勝負は負けてしまったよ。だけど精一杯やったから悔いはないけどね」
清々しい様子のサムズにクロイツは完全に毒気を抜かれてしまっていた。少し叱ってやろうと思っていたのに…………。
なんとなくげんなりとして肩を落としたクロイツに、森の中から出てきたケイハが険しい表情で告げた。
「この森の近くに人の気配があった」
「さすがロムヤーク。で、盗賊ですか?」
「さてな。人数は十二人以上。それと魔獣の気配もかすかにだがした」
「魔獣ですか。穏やかじゃないですね。でも、盗賊にしては待ち伏せの仕方がおかしいですね」
そういいかけたサムズは会話をやめた。いつもとは違う真剣な表情だ。
サムズも自分達を囲む人の気配を感じ取ったのだ。荷車の脇に設置してあった自身の槍をおもむろに手に取る。
それを見たクロイツは、念のために荷車と全員に風の鎧をかけておいた。
張り詰めた空気を感じ取ったケイトとクルクはするすると無言で荷車の中へと収まり、スクテレスとロトザーニは会話をやめて荷車の幌の上へと登った。
サムズと共にいたクロイツの脇には、いつの間にかフードを被ったルシャが立っており、クロイツにもフードを手渡す。クロイツはお礼を言いながらフードを被り、空間把握能力を広げていった。
自分達から300mほど。森の中に四方に散らばり、囲むようにしてこちらを伺う人間達。
その装いは、盗賊のそれのように感じたが、妙にこぎれいな印象を受けた。
そして、1kmほど行った南東の辺りに三人の男と一人の少女と謎の生物を感じた。男の内の一人は瀕死であるところまでクロイツは理解した。
「状況がよく分かりませんが、自分達を囲んでいる敵と思われる者達は、南に6名、西の草原に2名、北に8名。東に4名。武器は刀に魔法杖。長槍も少々。妙にこぎれいな盗賊風の男達ですね。それとは別で森の中で集まっている一団もありました」
ケイハは頷く。
「相手の出方が分からん。かといって、このまま待っていれば状況は悪くなりそうだな」
打って出るか。と言い出しそうなシトを見やって、クロイツは朝の話が蘇った。
シトは自分達を襲った敵を必ず殺す……………………。
そんなことを考えているうちに、西の方角にいた男が右腕を高く掲げ、真っ赤な炎の塊を空高く照射した。
それはまるで花火のようであった。
遠くでそれを感知していたクロイツは、その炎が合図となって自分達を取り囲んでいた男達がいっせいにこちらに向かってくることを知った。
「男達が向かってきます!!!!」
クロイツが驚き叫ぶと、ケイハが押し殺したような低い声で応える。
「スクテレス、ロトザーニ」
ケイハは囲んでいた相手を全て敵と認識したようだ。
ケイハはすばやくサムズに目配せすると、一人西へと走り出していた。
「フ・ネンシストルー・オーラジズ・ラグ」
スクテレスが呪文を唱える。ルシャとは異なる発音の魔法詠唱。
その瞬間、スクテレスの頭上に三匹の桜色の炎をした寸胴な竜が出現していた。全長10m程度、胴の太さはクロイツが両手を広げたよりも太く、開けられた口は容易にクロイツを飲み込むだろう。意匠が凝らされた竜の造形美は鱗の一つ一つまでも美しく、それらは滑らかな動きで悠々と空を旋回し、薄暗い森をピンク色に照らし出した。
荷車の下まで届く竜の熱気に、クロイツは肌がちりちりとするのを感じた。
そして次に、ロトザーニが詠唱を始める。
「ロブストゾランプラ」
右足を折り曲げ片足立ちしたロトザーニは、右腕で南を指差し、それを左腕でささえるような格好をしていた。まるで大砲をもって撃つときのような構えだった。
指先までピンと伸ばしたロトザーニの右腕から、真っ直ぐと後ろへと白い光が伸びると、その光の上へ寝そべるように一匹の竜が納まってしまった。
それを確認したロトザーニは腕を伸ばしたまま指だけを握りこむ。すると、それを合図にして、桜色の炎の竜は瞬く間に、南へと凄まじい速度で飛んで行った。
そしてすぐさま東へと向きをかえたロトザーニが再び叫ぶ。
「デヒキナムランプラ」
二匹目の竜がセットされた。そして再び伸ばした手を握ると今度は東へと瞬く間に竜は消えていった。
そして最後に北へと向きを変えると叫んだ。
「ランゾラディメランプラ」
最後の竜が照射されたのち、最初に照射された南の方角では、大きなピンク色の火柱が舞い昇っていた。そしてその後同様の火柱が東と北でも立ち昇る。
周囲をピンク色に照らし出した火柱は、しばらくして赤い炎へと変化していき、そして次第に勢い衰えて消えていった。火柱が立ち上っていた場所には、もくもくとした煙が見えた。
クロイツはその攻撃で、自分達を襲ってきていた男達が一人残らず、蒸発するようにこの世から消え去ったのを感じていた。まるで、テレビや映画を見ているような感覚にクロイツは半ば夢の中のようにいるように感じていたが、それは事実として人が消えてなくなったのだと頭の奥では理解していた。
ケイハが向かった西では、二人の男達が必死に草原の中を逃げていた。しかし、風の鎧を纏ったケイハの動きは凄まじく、瞬く間に追いつき躊躇無く一人目を切り裂く。そして残った男を捕まえて、二言三言、言葉を交わしたのちに、痛みを感じる間もないようにしとめた。
クロイツはただ呆然としてその様子を感じていた。
「やらなきゃやられてたんだ」
隣で呟いたルシャの低い声が、クロイツの耳に何度も響いた………………。
しばらくして戻ってきた無表情のケイハの元にクロイツ、ルシャ、サムズ、スクテレスとロトザーニが集まった。
「で、やつらは何者だったんですかね? 盗賊でした?」
「やつらは雇われ盗賊だった。ある商人に雇われたらしい。この森に逃げ込んで来た別の盗賊を追いかけてきたそうだ」
「なるほど」
サムズの問いに、ケイハはゆっくりと頷いた。
まるで何かを探索をするように、散らばって森の中へ布陣していた盗賊達に納得しながらサムズが頷いた。
「三人の男達と、一人の少女。それと謎の生物。追いかけていたのはそれですかね?」
「おそらくな」
クロイツは索敵に引っかかった奴らを思い出しだしていた。
「で、どうするんだ?」
沈黙を守っていたルシャが口を開く。
逃げていた盗賊たちは、おそらくクロイツ達に気がついたはずだ。ただし、こちらが追いかけてきた追ってを殲滅するほどの手練れであることは十分承知しただろう。だとすると、無謀にも攻撃をしかけてくるということは考えられなかった。
だが、万が一で寝込みを襲われても寝覚めが悪い。
ケイハはしばし考えたのち、言った。
「かすかに感じた魔獣の気配も気になる。サムズ……それとクロイツ、ルシャ。悪いが偵察してきてくれくれぐれも慎重にな」
「了解しました」
サムズが軽い調子でそれに答えてさっさと行動し始めたのを確認して、クロイツはようやく驚いた声を上げた。
「え、俺も行くんですか?」
別に瀕死の盗賊が怖いというわけではないが、てっきりスクテレスとロトザーニ辺りが選ばれるだろうと思っていた。そもそも盗賊をどうすればいいかなど分かるわけもない。
「ルシャが行きたそうな顔をしていたからな、当然お前もいかねばならんだろう」
それに探索能力があるクロイツならばこの場面では最も適役だ。
そう、ケイハは告げた。
「では日が完全に落ちる前にとっとと行きましょう。クロイツさんルシャさん」
まるでピクニックに行くかのように軽やかな調子のサムズに少しげんなりしながら、クロイツは魔鉱石製の松明を受け取った。迷いなく先陣をきって深い闇が支配する森の中へと歩みだしたサムズを追って、ルシャとそれに続いた。