第54話 王都への道とそれぞれの決意
ポルト・マーレの温かい人々に見送られ、一行を乗せた馬車は、再び街道を走り始めた。しかし、馬車の中の空気は、王子からの招待状を巡って、これまでにないほど張り詰めていた。
「俺は反対だ」
最初に口火を切ったのは、腕を組んで窓の外を睨みつけていたルーカスだった。
「王子だか何だか知らねえが、どうせ俺たちを利用するだけだ。フィオナは、あいつらの政治の道具じゃねえ!」
その言葉には、フィオナを案じる気持ちが、棘のように尖って含まれていた。
「そんなことないよー!」
エリィが、ぷうっと頬を膨らませる。
「カリム王子様は、ザルバードの時からフィオナのこと、ちゃんと見ててくれたんだよ? 悪い人に決まってないもん! それに、本物の王子様に会えるなんて、すっごく素敵じゃない!」
「お前は呑気でいいな……」
「まあ、二人とも落ち着いて」
マルセルが、冷静に議論を仲裁する。
「感情論は一旦置いておこう。客観的に見て、この招待を受けるメリットは大きい。我々の活動の背後に、改革派として知られるカリム王子がいると公になれば、美食家同盟も迂闊には手を出せなくなるはずだ。彼らと本格的に対峙する上で、王子の後ろ盾は強力なカードになる」
三人の視線が、膝の上で招待状を握りしめているフィオナに集まった。
「……でも」フィオナは、小さな声で呟いた。「『国賓』だなんて……。私は、ただのパン屋です。公爵令嬢だった頃のように、きらびやかな宮廷でうまく振る舞える自信は……ありません。あの場所は、私から笑顔を奪った場所ですから……」
その言葉に、ルーカスは唇を噛みしめ、エリィも心配そうにフィオナの肩に手を置いた。
その夜、一行は黄金色に輝く麦畑のそばで野営をしていた。パチパチと音を立てる焚き火を囲みながら、自然とこれまでの旅の思い出話になる。
「しかし、ザルバードの時はどうなることかと思ったぜ。まさか、あの頑固ジジイと腕相撲で話がつくとはな」
ルーカスが、豪快に笑う。
「シウラは本当に寒かったけど……私の歌で、みんなの心が一つになれたのは、本当に嬉しかったなあ!」
エリィが、胸の前で手を組んでうっとりと思い返す。
「ポルト・マーレでは、皆がそれぞれの役割を見事に果たしたからこそ、隠された真実を暴くことができた。我々は、最高のチームだね」
マルセルの言葉に、皆が頷いた。
仲間たちの話に静かに耳を傾けていたフィオナは、焚き火の揺らめく炎を見つめながら、ぽつりと言った。
「私……最初の頃は、パンさえあれば、どんな人の心も開けると、どこかで思い上がっていました。でも、旅をして分かりました。パンだけでは、ダメなんです」
彼女は、仲間たちの顔を一人ずつ見回した。
「ルーカスの強さがなければ、私たちは話を聞いてもらうことさえできなかった。エリィの太陽のような笑顔がなければ、凍えた心は溶けなかった。マルセルの知恵がなければ、本当の敵に気づくことさえできなかった。そして……パンを差し出す私自身に、人々と向き合う勇気がなければ、何も始まらなかった」
フィオナは、すっと立ち上がった。その瞳には、もう迷いの色はなかった。
「だから、行きます。王都へ。公爵令嬢としてではなく、ただのパン屋フィオナとして。逃げるのは、もうやめます。私のパンが、本当にこの国を良くするために役立つのか……この目で、確かめたいんです」
その力強い決意に、ルーカスは何も言えず、ただ黙って頷くしかなかった。
旅は続き、王都が近づくにつれて、土の街道は美しい石畳へと変わっていった。行き交う人々の身なりも、質素な旅人から、絹の服をまとった貴族や裕福な商人へと変わっていく。
「わあ、すごい! みんなお洒落で、馬車もピカピカだね!」
エリィが窓の外に目を輝かせている。だが、マルセルは険しい顔でその光景を眺めていた。
「……だが、気になることもある。あの馬車を見てごらん。美食家同盟の紋章だ。この王都への道に入ってから、もう何台も見かけている」
「チッ、いよいよ敵の巣窟に乗り込むってわけか」
「王都の高級レストランや食料品店は、ここ数年で、そのほとんどが美食家同盟の傘下に入ったと聞く。王宮への影響力も、我々の想像以上だと覚悟しておくべきだろうね」
マルセルの言葉に、馬車の中の空気が再び引き締まった。
そして、ついに一行の目の前に、白亜の城壁に囲まれた壮麗なヴェストリア王都が、その姿を現した。
城門では、王家の旗を掲げた華やかな一団が、一行を待ち受けていた。
「ようこそお越しくださいました、フィオナ様御一行。我が主、カリム王子が、皆様のご到着を心よりお待ち申し上げております」
騎士隊長の丁寧な挨拶に、フィオナは緊張で背筋を伸ばした。
歓迎の雰囲気に包まれ、エリィが「すごい、すごい!」と目を輝かせている。
その時、ふとフィオナの視線が、歓迎の群衆の中に立つ、一人の男を捉えた。
銀色の髪、純白の絹の手袋、そして、全てを見下すかのような、凍てついた笑み。
美食家同盟海外支部長、ジュリアン・ド・ヴァロワだった。
(あの人が、なぜ、こんな場所に……?)
歓迎の熱気とは裏腹に、フィオナの背筋を冷たい汗が走り抜ける。ここが、旅の終着点であり、そして、本当の戦場なのだと、彼女は直感した。
フィオナの視線に気づいたジュリアンは、わざとらしくワイングラスを掲げるような仕草をすると、その唇だけで、こう形作った。
――オメデトウ
その目は、これから始まる晩餐会で、皿に乗せられた獲物を品定めするかのように、残酷で愉悦に満ちた光をたたえていた。




