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笑顔が苦手な元公爵令嬢ですが、路地裏のパン屋さんで人生やり直し中です。~「悪役」なんて、もう言わせない!~  作者: 虹湖
笑顔が苦手な元公爵令嬢ですが、異国のパンで世界を繋ぎます! ~路地裏から広がる平和のレシピ~
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第51話 潮騒の街と二つの誇り

 雪原の静寂を背に馬車を走らせること数日。凍てつく風は、いつしか潮の香りを運ぶ生暖かい風へと変わっていた。白一色だった世界は、目に痛いほどの抜けるような青い空と、陽光を弾いてきらめく海の色彩に満たされていく。


「わー! すごい! 全然違う! 暖かくて、人がいっぱいいて、生きてるって感じがする!」


 エリィが馬車の窓から身を乗り出して歓声を上げた。港町ポルト・マーレ。そこは、シウラの沈黙とは正反対の、生命力に満ちた喧騒の街だった。カモメの甲高い鳴き声、水揚げされた魚を競りにかける威勢のいい怒鳴り声、網を修繕する男たちの陽気な歌声。潮と魚の匂いが混じり合った風が、一行の頬を心地よく撫でていく。


「ああ、威勢のいい連中が多そうだ。こっちのほうが性に合ってるぜ」

 ルーカスは、楽しそうに喉を鳴らした。

 フィオナも、その活気に満ちた空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

「潮の香り……。でも、なんだか少し、ぴりぴりとした空気も感じます」


 フィオナの予感は、街の中心である魚市場で、すぐに現実のものとなった。

 市場の一角で、人だかりができていた。その中心で、顔に深い皺を刻んだ頑固そうな老漁師が、羽振りの良さそうな若い商人に詰め寄っている。


「レオーネ! てめえらのその、海の底までかっさらうようなバカでかい網のせいで、沿岸の稚魚が根こそぎいなくなっちまった! このままじゃ、この海の恵みが枯れちまう! 海を殺す気か!」

 老漁師――バルトロと呼ばれた男の周りには、同じように日焼けしたベテラン漁師たちが、険しい顔で立っている。


 対する若い商人レオーネは、腕を組んで、まるで意に介さないといった様子だ。

「時代遅れなことを言わないでくださいよ、バルトロさん。効率的に漁をして、この街全体を豊かにするのが俺たちのやり方だ。いつまでもアンタらの根性論みたいな昔話に、付き合ってはいられないんでね」

「豊かにだと? てめえらの懐が豊かになるだけだろうが! 海への敬意も知らん若造が!」

「敬意じゃ腹は膨れませんよ」

 レオーネは肩をすくめると、小瓶を取り出して見せた。

「それより、うちの新商品『オイルサーディン』でもいかがです? これなら長期保存も効くし、王都の金持ちには高く売れる。これこそが、この街の未来ですよ」


 その夜、港が見える宿屋の一室で、一行は作戦会議を開いていた。

「これは根が深いね」マルセルが腕を組む。「伝統と革新、環境保護と経済発展……どちらの主張にも、一理あるのが厄介だ」

「ああ、まったくだ。どっちも、自分の正義を信じて譲らねえタイプと来た」

 ルーカスの言葉に、エリィが頷く。

「でも、なんだか悲しいわ。同じ街に住んでるのに……」


 シウラでの学びを胸に、フィオナは仲間たちを見渡した。

「手分けをしませんか。まずは、この街の人々の心を、もっと深く知りたいんです」


 その提案に、仲間たちは力強く頷いた。

「よし、俺はあの頑固ジジイどもに話を聞いてくる」とルーカス。「ああいう手合いは、酒でも酌み交わしゃ本音を喋るもんだ」

「では、僕は商人たちの組合を調べてみよう」とマルセル。「資金の流れに何か不審な点があるかもしれませんからね」

「じゃあ私は、女の人たちとお喋りしてくる!」とエリィ。「漁師のおかみさんたち、きっと色々大変なことがあると思うの!」

「私は……」フィオナは静かに言った。「両方の『味』を知りたいです。バルトロさんたちの伝統の魚料理と、レオーオーネさんたちの新しい商品。どちらも、この街が生んだ大切な味のはずですから」


 翌日、一行はそれぞれの場所へと散っていった。

 港の酒場では、ルーカスが早速、漁師たちと腕相撲で盛り上がっていた。見事に勝利を収め、ジョッキを呷る。

「がはは! てめえら、見た目より骨がねえな!」

「うるせえ! 王国騎士崩れが! もう一杯だ!」

 荒々しいやり取りの中で、漁師たちはぽつりぽつりと本音を漏らし始めた。

「あのレオーネの奴、昔は俺たちの後をついて回る、ただの気のいいアンちゃんだったんだがな……」

「ああ。最近、よそから来た胡散臭いコンサルタントみたいな奴にそそのかされてから、すっかり変わっちまった……」


 井戸端では、エリィが持ち前の明るさで、漁師の妻たちの輪にすっかり溶け込んでいた。

「まあ、大変! そんなに漁獲量が減ってるの?」

「そうなのよ。うちの主人は意地を張ってるけど、本当は日々の暮らしも苦しくてね……。レオーネさんの工場で働けば、安定したお給金がもらえるって分かってるんだけど、今までのご近所付き合いもあって、板挟みでねえ……」


 一方、マルセルは商人組合で帳簿を閲覧し、その眉をひそめていた。

「……奇妙だ。レオーネ氏の事業には、この港町の経済規模から考えると、不自然に大きな資本が外部から流入している。まるで、事業そのものを乗っ取るための先行投資のようだ。そして、その資金の出所が巧妙に隠蔽されている……。これは、美食家同盟の手口に酷似しているな」


 その頃、フィオナは、まずバルトロに何度も頭を下げ、彼の獲ったばかりの魚で、伝統の漁師飯をご馳走になっていた。大鍋で魚介を丸ごと煮込んだだけの、豪快なブイヤベース。だが、その一口には、海の幸の力強い旨味が凝縮されていた。

「どうだ、嬢ちゃん。これが海の味だ。小細工なんざいらねえ。海がくれた恵みを、そのままいただく。これが俺たちの誇りだ」


 次に、フィオナはレオーネの洒落た店を訪れ、話題の「オイルサーディン」を買った。小さな瓶に、美しいイワシが油に漬かっている。一口食べると、凝縮された魚の旨味とハーブの香りが口に広がった。

「どうです?」レオーネが誇らしげに言った。「これなら、海の恵みを遠い内陸の街まで届けることができる。素晴らしいことだと思いませんか?」


 伝統の味は、この港でしか味わえない、命の味。

 新しい味は、この港の恵みを遠くまで届ける、未来の味。

(どちらか一つを選ぶなんて、できない。だって、どちらも、この海を愛する心から生まれているのだから。両方が手を取り合うことができれば、きっと……)


 フィオナの脳裏に、一つのパンが浮かび上がった。

 バルトロのブイヤベースの旨味を凝縮したソース。レオーネのオイルサーディン。そして、この港町の潮風に揺れるハーブ。その全てを、一枚のパンの上で融合させる。


 その夜、宿屋に全員が集合し、それぞれの調査結果を報告し合った。

「どうやら、またしても黒幕がいるようだな」とルーカスが言った。

「ああ、美食家同盟の可能性が極めて高い」とマルセルが続けた。

 全ての情報を聞いたフィオナが、静かに、しかし決意に満ちた声で仲間たちに告げた。

「皆さん、ありがとうございます。明日、私はパンを焼きます。対立する二つの心を、一つの食卓へ招くための、パンを」

 その瞳には、確かな光が宿っていた。仲間たちは、その光に、力強く頷き返した。

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