第46話 砂漠のパンと拒絶の壁
ザルバードの城門前は、乾いた熱気と人々の怒声で渦を巻いていた。
「おいおい、穏やかじゃねえな。子供も見てるぜ、みっともねえ真似はやめな」
口論の間に割って入ったのは、大剣を背負ったルーカスだった。その巨躯と、戦い慣れた者だけが放つ威圧感に、猛り立っていた男たちが一瞬たじろぐ。
「よそ者は黙っていろ! これは我々の誇りの問題だ!」
定住民のリーダー格らしき、日に焼けた男が吼える。名をザヒドというらしい。
「助太刀感謝するぜ、旦那方。こいつら、古いしきたりがどうとか、話が通じなくてね」
王国の商人が、待ってましたとばかりに泣きついた。
その間にも、エリィは輪の隅で怯える子供たちの元へと駆け寄っていた。
「大丈夫よ、もう怖くないからね。ほら、深呼吸しましょ」
彼女がにっこり笑いかけると、強張っていた子供たちの表情が、わずかに和らいだ。
ひとまず騒ぎは収まり、一行はグレイグの案内で街の中へと足を踏み入れた。土と日干し煉瓦で作られた家々。行き交う人々の鮮やかな民族衣装。しかし、その活気の裏には、見えない亀裂が走っていた。
宿屋の一室で、マルセルが早速買ってきた街の地図を広げた。
「グレイグ殿の話の通りですね。街は用水路を境に、王国との交易で潤う新市街と、古くからの民が住む旧市街に分かれている。単なる感情論ではない。経済的な格差が、対立を根深いものにしているようです」
マルセルの冷静な分析に、ルーカスが腕を組む。
「要するに、儲けてる奴と、そうじゃねえ奴でいがみ合ってるってことか。どこの世界でも同じだな」
フィオナは窓の外に目をやっていた。旧市街の子供たちが、新市街の子供たちを睨みつけ、石を拾おうとしている。心が、きりりと痛んだ。
「……あの子たちに、罪はないのに」
その呟きに、仲間たちの視線が集まる。
「決めました」とフィオナは振り返った。「まずは、子供たちから笑顔を取り戻したいです。大人たちが築いた憎しみの壁は、あまりに高くて硬い。でも、子供たちの心はまだ、温かいパンでなら溶かせるかもしれません」
「さんせーい!」エリィがぱっと手を挙げた。「難しい顔のおじさんたちを説得するより、ずーっといいわ! フィオナのパンなら絶対よ!」
「ガキどもを懐柔するってか。まあ、悪くねえ手だ。で、何を作るんだ?」
ルーカスの問いに、フィオナは窓から見える市場を指さした。
「この土地で採れる食材を使います。灼熱の太陽を浴びて熟したデーツの甘さと、オアシスで採れた百花蜜の香り……この砂漠の恵みをたっぷり詰め込んだ、甘い平焼きパンです。異国のパンですが、彼らの故郷の味がすれば、きっと……」
翌日、新旧市街の境界にある広場で、フィオナは簡易的な石窯に火を入れた。生地を薄く伸ばし、刻んだデーツと蜂蜜をたっぷり乗せて窯に入れる。やがて、キャラメルのような甘く香ばしい匂いが、乾いた風に乗って広場に流れ出した。
その香りに誘われて、どこからともなく子供たちが集まってくる。旧市街の子も、新市街の子も、遠巻きにフィオナの手元を興味深そうに眺めている。
(うまく、笑わなきゃ……でも……)
フィオナの表情がこわばりかけた、その時だった。
「さあさあ、みんな見てって! 魔法のパン職人フィオナの、スペシャルおやつタイムだよー!」
エリィがどこからか取り出したリボンを振りながら、歌い、踊り始めた。その天真爛漫な姿に、子供たちの警戒心がするすると解けていく。
焼きあがったパンを、フィオナはおずおずと差し出した。
「……どうぞ」
一番勇気のある少年が、恐る恐るパンを受け取り、一口かじる。
途端に、その目が真ん丸に見開かれた。
「……うまっ!」
その一言を皮切りに、子供たちは我先にとパンに群がった。
「おいしい!」「あまい、あまいよ!」「これ、オイラの家の庭のデーツの味だ!」
さっきまで睨み合っていたはずの子供たちが、肌の色も服装も忘れて、一緒になってパンを頬張り、屈託なく笑い合っている。フィオナの胸に、温かい光が灯った。
だが、その光は、広場に響いた怒声によって無惨に掻き消された。
「くだらん真似を……!」
昨日も見た定住民のリーダー、ザヒドだった。彼は子供の手からパンをひったくると、地面に叩きつけた。
「こんな異国の菓子で、我々の魂を売る気か!」
「やめてください!」フィオナは思わず叫んだ。「これは、ただのパンです! 誰かを傷つけるものでは……!」
「黙れ! お前たち王国人は、いつもそうだ! 甘い言葉と甘い菓子で我らを支配し、伝統を奪う!」
ザヒドの瞳は、決して交わることのない憎しみと不信に満ちていた。パンは、またしても無力だった。フィオナは絶望に膝が折れそうになる。
その彼女の前に、仲間たちが進み出た。
「失礼。少しよろしいかな、ザヒド殿」
マルセルが、古びた羊皮紙の写しを広げて見せた。
「私は歴史を調べる者ですが、この街の古い記録を読ませていただきました。今から百年ほど前、このオアシスが大干ばつの危機に瀕した時、砂漠を放浪する遊牧民が秘匿の井戸の場所を教え、あなた方の祖先である定住民は、その礼として貴重な穀物を分け与え、共に生き延びた……そう書かれていました」
マルセルは静かに、しかし力強く続けた。
「あなた方の誇るべき『伝統』とは、他者を頑なに拒絶することでしたか? それとも、手を取り合い、分け合うことでしたか?」
「なっ……それは……」
ザヒドがぐっと言葉に詰まる。
すかさず、ルーカスがザヒドの硬い肩を、大きな手でばしんと叩いた。
「まあ、難しい話は学者先生に任せとこうぜ。アンタ、その腕っぷし、相当なもんだろ?」
ルーカスは挑戦的に口の端を吊り上げた。
「俺と一本、勝負しろや。この街のやり方でいいぜ、腕相撲でも何でもな。俺が勝ったら、こいつの話を、最後まで聞く。アンタが勝ったら、俺たちは尻尾を巻いてこの街から出てってやる。どうだ?」
ザヒドは、自分よりさらに頭一つ分は大きいルーカスの、自信に満ちた瞳を真正面から睨みつけた。広場に集まった人々が、固唾を飲んで二人を見守っている。
やがて、ザヒドの唇に、乾いた笑みが浮かんだ。
「……面白い。よそ者にしては、骨がありそうだ。その勝負、受けた」
フィオナは、自分のパンでは届かなかった心の壁を、仲間たちがそれぞれのやり方でこじ開けようとしているのを見ていた。パンは無力だったかもしれない。でも、まだ、終わりじゃない。
彼女は、砂にまみれたパンのひとかけらを、強く握りしめた。




