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第43話 始祖の祝福と、路地裏に灯る永遠の光

 砂漠の地平線から昇る朝日を背に、フィオナたちの馬車は王都への帰路を急いでいた。その荷台には、三つの幻の食材――真珠のように輝く「朝露酵母」、黄金の光を放つ「太陽草」、そして地底の星々のように煌めく「大地の涙」が、王国の希望を乗せて静かに揺れている。長い冒険だった。しかし、誰の心にも疲労の色はなく、むしろ愛する故郷を、人々を救うのだという熱い使命感に満ち溢れていた。


 数週間ぶりに戻った王都は、フィオナたちの予想以上に、「眠り病」の影に深く覆われていた。街の活気は失われ、道行く人々の顔には疲労と不安の色が濃い。その光景に、一行の心は痛んだ。

「フィオナ様、急ぎましょう! みんな、私達のパンを待っています!」

 エリィが、悲痛な声を上げる。


 馬車が「アトリエ・フィオナ」の前に着くと、固く閉ざされていたはずの店の扉が、ギィと音を立てて開いた。中から現れたのは、腕組みをして仏頂面をしたレオン親方と、その隣で心配そうに佇むマリーさんだった。

「……ちっ。随分と時間がかかったじゃねえか、この半人前どもが」

 レオン親方は、いつものように悪態をつくが、その声は微かに震えている。

「おかえり、フィオナちゃん、みんな! 心配したんだよぉ!」

 マリーさんは、涙ぐみながらフィオナとエリィを力強く抱きしめた。工房の中からは、温かいスープと、レオン親方が焼いてくれたであろう、不器用だが力強い味わいのパンの香りが漂ってくる。長い旅を終えた仲間たちにとって、それは何よりの歓迎だった。


 感動の再会もそこそこに、フィオナはすぐに工房へと向かった。休んでいる時間はない。彼女は、仲間たちと、そして心配そうに見守るレオン親方の前で、最後のパン作り――「始祖の祝福」の創造――を始めた。

 まず、大きな木のボウルに、真珠のように輝く「朝露酵母」を注ぐ。すると、ただの小麦粉と水が、まるで生命を吹き込まれたかのように、ゆっくりと、しかし力強く呼吸を始める。生地は、驚くほどきめ細かく、シルクのような手触りになった。

 次に、細かく刻んだ「太陽草」を練り込む。その瞬間、白い生地全体が、内側から発光するかのように、温かい黄金色に輝き始めた。工房にいる誰もが、その神々しい光景に息をのむ。

 そして最後に、砕いた「大地の涙」を、星を散りばめるように生地の表面に振りかけた。キラキラと繊細に煌めく光の粒。工房には、これまで誰も嗅いだことのないような、芳醇で、清らかで、そしてどこまでも優しい香りが満ち満ちていた。


「…行くわよ」

 フィオナは、仲間たちの想いを一身に背負い、その黄金の生地を、静かに薪窯へと滑り込ませた。


 どれほどの時間が経っただろうか。

 やがて、窯の扉が開かれた時、そこに現れたのは、もはやパンという言葉では表現しきれないほどの、神々しい塊だった。

 それは、まるで太陽そのもののような、まばゆい黄金色に輝く大きな丸いパン。その香りには、人を心の底から安心させ、凍てついた心を温める不思議な力が宿っているようだった。

 これが、幻のパン「始祖の祝福」。


 完成したパンは、まずライアス王太子に導かれ、国王陛下の元へと届けられた。長い眠りから覚めぬ陛下のお口に、パンの一片を浸したミルクを含ませると、奇跡が起こった。

 陛下の瞼が、ゆっくりと開かれたのだ。そして、差し出されたパンを、自らの手で、ゆっくりと、しかし確かな力で口へと運ぶ。

「……なんと……なんと、生命力に満ちたパンだ…。まるで、太陽を…いや、希望そのものを食べているかのようだ…」

 国王陛下の顔に、力強い生気がみなぎっていく。


 その奇跡は、王都中に広がった。

「始祖の祝福」は細かく、細かく分けられ、眠り病に苦しむ全ての人々へと配られていった。パンを一口食べた人々は、まるで長い冬の眠りから覚めたかのように目を覚まし、失われた活気と笑顔を取り戻していく。

 あちこちから、「目が覚めたぞ!」「体が軽い!」という歓喜の声が上がり、やがてそれは、フィオナと「アトリエ・フィオナ」を讃える大きな歓声の渦となった。


 工房では、レオン親方が、奇跡のパンの最後の一切れを前に、腕を組んで佇んでいた。そして、ひとかけらを口に運ぶと、「…ふん。まあ、悪くはねえな。俺の教えが良かったから、こんなもんだろう」とそっぽを向きながらも、その目には、確かに光るものがあったと、後にマリーさんは嬉しそうに語っている。


 フィオナ、エリィ、ルーカス、そしてマルセルは、店の窓から、活気を取り戻していく王都の様子を眺めていた。子供たちの笑い声、恋人たちの囁き、職人たちの威勢の良い声。その全てが、自分たちの冒険がもたらした奇跡なのだ。

「フィオナ様、やりましたね!」

 エリィが、涙でぐしゃぐしゃの顔でフィオナに抱きつく。

「ああ!俺たちのパンが、王国を救ったんだ!」

 ルーカスは、エリィとフィオナをまとめて抱きしめ、子供のようにはしゃいでいる。

「…この素晴らしい結果を、詳細なレポートとして後世に残すことが、私の新たな使命となりましょう」

 マルセルは、眼鏡の奥で静かに微笑み、既に新しい手帳を取り出していた。


「アトリエ・フィオナ」は、王国を救ったパン屋として、伝説的な存在となった。国王陛下から莫大な褒賞や、貴族としての爵位の復帰なども打診されたが、フィオナは全てを丁重に辞退した。

「特別なパンを焼くことも、時には必要かもしれません。でも、私の本当の幸せは、この路地裏の小さな店で、毎日の食卓にのぼる、温かいパンを焼き続けることなのですわ」


 数ヶ月後、すっかり平和を取り戻した「アトリエ・フィオナ」には、以前にも増して、たくさんの笑顔が溢れていた。旅先で出会ったソルティスの塩職人や、ヴォルカンの鍛冶職人、霧の谷の子供たちから、感謝の手紙や、その土地の珍しい食材が毎日のように届く。

 フィオナは、それらを眺めながら、古いレシピ帳の新しいページに、新たなパンのアイデアを書き込んでいた。その横顔は、幸福と、尽きることのないパンへの愛情に満ちて、太陽のように輝いている。

 彼女の焼くパンが、これからもずっと、この世界を少しだけ幸せにしていくことを、そこにいる誰もが確信していた。

 路地裏に灯る、小さなパン屋の温かい光。その光は、これからも永遠に、人々の心を照らし続けるだろう。

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