表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
笑顔が苦手な元公爵令嬢ですが、路地裏のパン屋さんで人生やり直し中です。~「悪役」なんて、もう言わせない!~  作者: 虹湖
笑顔が苦手な元公爵令嬢ですが、路地裏のパン屋さんで人生やり直し中です。~「悪役」なんて、もう言わせない!~
33/96

第33話 路地裏のパン屋と、私の見つけた宝物

 ライアス王太子と、思い出の東屋で過去を清算してから、季節は穏やかに巡った。

「アトリエ・フィオナ」は、すっかり王都の名物店として定着し、今日も朝からパンの焼ける香ばしい香りと、お客様の絶えない賑やかな声に包まれている。


「はい、おじいちゃん! いつものライ麦パン、今日は特別に焼き立てですよっ!」

「まあ、エリィちゃん、いつもありがとうねえ」

「あら、奥様! 今日は旦那様もご一緒? それなら、新作のクルミとハチミツのパンもいかがですか? とっても美味しいんですよ!」

 店の看板娘としてすっかり板についたエリィが、太陽のような笑顔で常連客と楽しげに会話している。その姿を、フィオナは工房の中から、目を細めて見つめていた。


(本当に、夢のようね…)


 今のフィオナは、店の喧騒を背に、工房で新しいパンの試作に没頭するのが何よりの幸せだった。あの謎の老紳士から託された古いレシピ帳。その中に記されていた「春の妖精の涙」と呼ばれる、幻のベリーを使ったパンの再現に挑戦しているのだ。その表情は真剣そのものだが、口元には楽しげな笑みが浮かんでいる。


 昼下がりの休憩時間。店の扉がカラン、と音を立てて開いた。

「よお、フィオナ! また工房に引きこもって、変なパンでも作ってるんじゃないだろうな!」

 いつものように軽口を叩きながら入ってきたのは、ルーカスだ。彼は最近、家の仕事も少しずつ手伝うようになり、以前よりも顔つきが精悍になった気がする。

 そして、その隣には、大きなバスケットを抱えたマルセルの姿が。

「お嬢様、お疲れのことと存じます。故郷のヴィルヘルム領から、今年初摘みとなりました『春の妖精の涙』を使った、特製のジャムが届きましたので、お持ちいたしました」

「まあ、マルセル!なんて素晴らしいタイミングなの!」

 フィオナは、目を輝かせてそのバスケットを受け取った。


 かくして、アトリエ・フィオナの小さなテーブルでは、緊急試食会が開催されることになった。

 フィオナが試作中の、ほんのりピンク色に色づいた可愛らしいパンに、マルセルが持ってきた、宝石のように輝くルビー色のジャムを添えて。


「わぁ……!おいしいですぅ~! 甘酸っぱくて、爽やかで、なんだか心がきゅんとしちゃいます! このパンに、このジャム!最高の組み合わせです、フィオナ様!」

 エリィは、頬いっぱいにパンを頬張りながら、幸せそうに声を上げる。

「……ん、うまい!…まあ、俺が日頃から的確なアドバイスをしてやっているからこそだな、この完成度は! そうだろう、フィオナ?」

 ルーカスは、したり顔で胸を張るが、その口の周りにはジャムがべったりとついている。

「…お嬢様のパンと、我が家の伝統を受け継ぐジャム…これぞ、まさに至高のマリアージュでございますな……」

 マルセルは、ハンカチでそっと目頭を押さえ、感涙にむせんでいるようだった。

 フィオナは、そんな三人の姿に、くすくすと笑い声を漏らした。

「ふふっ、ありがとう、みんな。でも、そうね…もう少しだけ、生地のふんわり感を足したいわね。ええ、まだまだ改良の余地がありそうだわ」

 その横顔は、自信と、そしてパンへの尽きない探求心に満ちて輝いていた。


「そういや、この前レオンの親方がさ、お前の店の前で腕組みしながら、『…ふん、まあ、俺がいなくても、それなりのパンは焼けるようになったじゃねえか。ちっ…』って、すげえ寂しそうな顔で呟いてたぜ」

 ルーカスが、面白そうにからかう。

「あら!ライアス殿下とリリアンヌ様も、この前二人でお忍びで買いに来てくださったんですよ!すごく仲が良さそうで、『この店のパンは、食べると心が安らぐ』って、二人で微笑み合ってました!」

 エリィが、嬉しそうに報告する。

 レオン親方も、ライアス殿下も、リリアンヌ様も。誰もが、それぞれの場所で、新しい一歩を踏み出している。そして、その中心には、いつもフィオナの焼く温かいパンがあった。


 仲間たちとの楽しい会話。店の外から聞こえるお客様の賑やかな声。そして目の前にある、美味しいパンとジャム。

 フィオナは、自分が手に入れた幸せの形を、改めて、深く、深く噛みしめていた。


 夕暮れ時。

 店の片付けを終えたフィオナは、焼き立てのパンを一つ手に取り、店の扉の前に立った。路地裏の小さなパン屋。でも、ここは彼女の世界の中心であり、彼女が彼女自身でいられる、かけがえのない場所だ。

 夕焼けの優しい光が、フィオナと、彼女の愛する店を包み込む。


(婚約破棄され、全てを失ったと思ったあの日。空っぽになった私の心に、温かい光を灯してくれたのは、焼きたてのパンの香りだった)

 彼女は、静かに心の中で呟く。

(でも、本当に私を救ってくれたのは、パンだけじゃない。私を信じ、支え、共に笑い、泣いてくれた…かけがえのない仲間たち。そして、『美味しい』と笑ってくれる、優しいお客様たち)

 フィオナは、店の奥で談笑しているエリィ、ルーカス、マルセルの姿を、愛おしそうに見つめた。

(私が手に入れた宝物は、この小さなパン屋に、全部詰まっている)


 彼女は、手の中の温かいパンを、そっと一口かじった。香ばしくて、優しくて、ほんのり甘い。

「――さあ、明日も、世界で一番美味しいパンを焼きましょう」

 風に乗って運ばれてくる花の香りに、フィオナは囁きかける。

「この温かくて、優しい香りが、たくさんの人を幸せにしてくれると、信じているから」


 路地裏に灯る、小さなパン屋の明かり。その前で、フィオナは、夕焼け空に向かって、これまでで一番美しく、そして幸せに満ちた笑顔を見せたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ