第31話 路地裏の祝杯と、王子様からの呼び出し状
王宮での「試食対決」という名の嵐が過ぎ去り、フィオナが「アトリエ・フィオナ」の古びた木の扉を開けると、そこには満面の笑みを浮かべたエリィ、ルーカス、そしてマルセルが待ち構えていた。
「「「フィオナ(様)!おめでとう(ございます)っっっ!!」」」
パンッ!と軽快な音を立ててクラッカーが鳴り響き、天井からはルーカスお手製の、少々歪んだ「祝☆優勝(仮)」と書かれたくす玉が、勢い余ってフィオナの頭上に花吹雪(主にパンくずと小麦粉)を降らせた。
「も、もう、ルーカスったら!フィオナ様が粉まみれじゃないですかー!」
エリィがきゃっきゃと笑いながらフィオナの髪についたパンくずを払い、ルーカスは「いやー、めでたい席にはハプニングがつきものだからな!がはは!」と豪快に笑い飛ばす。マルセルは、いつの間にか店の小さなテーブルに見事な手料理(もちろん彼の手作り。なぜか高級食材が使われている)と、庶民的ながらも評判の良い葡萄酒を並べていた。
「お嬢様。ささやかではございますが、祝勝の宴の準備を整えさせていただきました。まずは、この度の快挙を祝し、乾杯とまいりましょう!」
マルセルの厳かな(しかし、その声は明らかに弾んでいる)音頭で、四人は小さなグラスを掲げた。
「フィオナ様ーっ! 本当に、本当に、おめでとうございますっっっ!! まるで夢みたいですぅ~!あの、王宮の方々が、フィオナ様のパンを食べて、みんな笑顔になって…!私、感動して涙が止まりませんでした!」
エリィは、そう言ってまたしても目を潤ませ、フィオナの手をぶんぶんと握る。
「よーし、フィオナ!今夜はパーっと飲んで食って騒ぐぞ! 俺様が最初っからフィオナの才能を見抜いて、この路地裏のオンボロ物件(失礼!)を紹介したおかげだからな! もっと俺を敬え!がはは!」
ルーカスは、既に葡萄酒をあおりながら、自分の手柄のように胸を張る。
「…ルーカス様。お忘れかもしれませんが、当初、お嬢様のパンを『石ころ』『凶器』などと評し、その前途を最も危ぶんでおられたのは、貴方様だったかと記憶しておりますが?」
マルセルが、表情一つ変えずに冷静なツッコミを入れる。
「う、うるさいぞマルセル!昔のことはいいんだよ、昔のことは!」
ルーカスが顔を真っ赤にして反論する様子に、フィオナもエリィも思わず笑い声を上げた。
「み、皆さん…!本当に…ありがとう…! 私一人では、ここまで来ることは、決してできませんでしたわ…」
フィオナは、込み上げてくる熱いものを抑えきれず、涙声で感謝の言葉を述べた。仲間たちの温かい笑顔に包まれ、彼女は心からの幸福を感じていた。
翌日から、「アトリエ・フィオナ」は、文字通り押すな押すなの大盛況となった。
「王家特別賞を受賞したパンですって!?」
「あのライアス殿下が『合格』を出した、奇跡のパンですのよ!」
そんな噂が王都中を駆け巡り、貴族も庶民も、フィオナのパンを求めて店の前には開店前から長蛇の列ができるようになった。「ルナ・エスペランサ」はもちろんのこと、他のパンも飛ぶように売れていく。
「いらっしゃいませー!本日は『太陽の恵みブレッド』、残りわずかでーす!お急ぎくださいませー!」
エリィは、店の看板娘として、その小さな体で店内を駆け回り、どんなお客様にも太陽のような笑顔を振りまいている。その働きぶりは、もはや熟練の女将の風格さえ漂っていた。
レオン親方は、相変わらず直接店には顔を出さないものの、マリーさんがお祝いの言葉と共に、自家製の貴重なハチミツ漬けフルーツ(パンの材料にすると絶品らしい)を届けてくれた。
「親方からよ。『…ったく、あいつ、少しは見どころのあるパンを焼けるようになったじゃねえか。だがな!勘違いするんじゃねえぞ! まだまだひよっこだ!次に王宮だかどこだか知らんが、そこで不味いパンでも焼いてみやがれ、ただじゃおかねえからな!』…ですって。もう、いつまで経っても素直じゃないんだから、あのおじいさんは!」
マリーさんは、そう言ってカラカラと笑った。レオン親方なりの、最大限の祝福なのだろう。
フィオナは、店の忙しさに追われ、嬉しい悲鳴を上げる日々を送りながらも、心のどこかでライアス王太子からの連絡を待っていた。「後日、改めて話がしたい」――あの時の彼の真剣な眼差しが、忘れられない。彼が何を伝えたいのか…期待と、ほんの少しの不安が入り混じる。
マルセルは、そんなフィオナの心中を察してか、あるいは単に彼の情報収集癖が発動したのか、フィオナには内緒で、ライアス王太子の最近の動向や、王宮内の噂などを徹底的に調査していた。
「…ふむ、殿下は近頃、明らかに以前よりご政務にも熱心に取り組まれ、表情も明るくなられたとの評判。これは、お嬢様のパンがもたらした良き影響と、例の『お話』が、間違いなく良い方向に進む兆候と見てよろしいでしょうな…」
などと、店の片隅で一人ごちては、満足げに頷いている。
そんなある日の夕暮れ時。店の後片付けをしていたフィオナたちの元へ、王宮からの使者が馬車で到着した。使者は、恭しく一通の手紙をフィオナに差し出す。それは、ライアス王太子からの個人的な手紙だった。
『フィオナ・ヴィルヘルムへ
先日は見事なパンをありがとう。父上も大変喜ばれ、体調も少しずつ快方に向かっている。
改めて、君とゆっくり話がしたい。明日の午後、王宮ではなく、市井の…そうだな、君がよく行くという、あの古い東屋で会えないだろうか。
ライアス』
王宮ではなく、思い出の東屋で。その意外な申し出に、フィオナの心臓が、期待と緊張で、またしても大きく高鳴るのだった。




