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笑顔が苦手な元公爵令嬢ですが、路地裏のパン屋さんで人生やり直し中です。~「悪役」なんて、もう言わせない!~  作者: 虹湖
笑顔が苦手な元公爵令嬢ですが、路地裏のパン屋さんで人生やり直し中です。~「悪役」なんて、もう言わせない!~
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第29話 決戦の舞台!王宮のパン祭り(時々、胃痛)

「試食対決」当日の朝。アトリエ・フィオナの工房は、夜明け前から神聖な儀式でも執り行うかのような、静かで張り詰めた空気に満ちていた。フィオナは、白いエプロンをきりりと締め、最後の仕上げとして「ルナ・エスペランサ」の表面に、月の満ち欠けを思わせるような、繊細なクープ(切れ込み)を入れていく。その指先は、緊張で微かに震えていたが、瞳には確かな決意の光が宿っていた。


「フィオナ様、いってらっしゃいませ! このお守りが、きっとフィオナ様を守ってくれます!」

 エリィは、涙ぐみながら手作りの小さなパンの形のお守りをフィオナの胸元につける。

「フィオナ、お前ならできる! 俺たちのパン屋の誇りを見せてこい! …もし、変な言いがかりつけられたら、俺がいつでも殴り込みに…」

「ルーカス様、それはフィオナ様のご迷惑になりますのでお控えください」

 ルーカスの物騒な(しかし友情に満ちた)言葉を、マルセルが冷静に遮る。そして、フィオナに向き直り、深々と頭を下げた。

「お嬢様。これまでの全てが、今日この日のためにあったと信じております。どうぞ、思う存分、お嬢様のパンを披露なさってください」

 三人の温かい言葉に背中を押され、フィオナは「ルナ・エスペランサ」を大切に抱え、王宮へと向かうマルセル手配の馬車に乗り込んだ。


 久しぶりに足を踏み入れた王宮の大広間は、既に多くの着飾った貴族たちで埋め尽くされ、その期待と好奇の視線が、これからパンを披露する職人たちへと注がれていた。中央には、国王陛下、ライアス王太子、そしてリリアンヌ嬢の姿も見える審査員席が設けられ、厳粛な雰囲気が漂う。

 会場の隅には、今回の「味比べの催し」に参加するパン職人たちが、それぞれの自信作を手に緊張した面持ちで控えていた。宮廷御用達の老舗ベーカリーの恰幅の良い主人、最近王都で評判のクールな若き天才パン職人、そして…なぜかここにも、胸に巨大な薔薇のコサージュをつけ、自信満々に鼻歌を歌っているジャン・ピエール・デュポン(自称・パン界の革命児)の姿があった。彼はフィオナを見つけるなり、「フン、マドモアゼル・イモムシ。君の素朴すぎるパンでは、この華麗なるボクの『銀河系パルフェ・ド・パン』には到底敵わないのだヨ!」と、相変わらずの調子で一方的に宣戦布告してきた。フィオナは、もはや苦笑するしかない。


 やがて、厳かなファンファーレと共に、「味比べの催し」が始まった。

 一人、また一人と、パン職人たちが自慢のパンを審査員たちの前に披露していく。金箔で飾られた豪華絢爛なブリオッシュ、見たこともないような奇抜な形の創作パン、代々受け継がれてきた秘伝のレシピで作られた伝統的なパン…。どれも素晴らしい技巧と情熱が込められているのが伝わってくる。


 そして、ついにフィオナの番が来た。

 深呼吸を一つ。フィオナは、静かに「ルナ・エスペランサ」を純白の麻布の上に置き、審査員たちに向き直った。

「このパンは、『ルナ・エスペランサ』――月の希望、と名付けました」

 彼女の声は、不思議と落ち着いていた。

「私は、かつて全てを失い、暗闇の中にいた時、パンの持つ温かさと、それが繋ぐ人々の笑顔に救われました。このパンには、そんな私のこれまでの道のりと、出会った全ての人々への感謝、そして、どんな困難の中にも必ず希望の光はあるという願いを込めております。素朴なパンではございますが、どうぞ、お召し上がりくださいませ」

 フィオナの真摯な言葉と、まるで静かな月のように圧倒的な存在感を放つ「ルナ・エスペランサ」に、会場は水を打ったように静まり返った。


 審査員たちが、次々とパンを手に取り、その香りを確かめ、そして一口ずつ味わっていく。まず、国王陛下が目を見張り、そして深く頷いた。隣国の美食家特使は、何度もパンとフィオナの顔を見比べ、感嘆のため息を漏らす。他の貴族たちも、その複雑で奥深い味わいに言葉を失っているようだった。


 その頃、王宮の庭の隅では、そわそわと結果を待つ三人の姿があった。

「よし、今だフィオナ!月のパワーを解き放つのだ!届け、俺たちの友情パワー!」

 ルーカスが、なぜか天に向かって叫んでいる。

「フィオナ様のパンなら、きっとみんなを笑顔にできるはずです…!お願い、神様、パンの神様!」

 エリィは、小さなパンのお守りを握りしめ、必死に祈っている。

「…現時点での各審査員の表情筋の微細な動き、瞳孔の開き具合、そして咀嚼回数とそのリズムを総合的に分析いたしますと、我が方の『ルナ・エスペランサ』に対する評価は…極めて、極めて良好であると推察されます。おお、あの美食家特使閣下、今、感動のあまり涙を…!」

 マルセルは、懐中時計を片手に、冷静沈着に(しかし、その声は微かに興奮で震えている)実況中継を続けている。


 そして、ライアス王太子。

 彼は、フィオナのパンをじっくりと、一口一口噛みしめるように味わっていた。その表情は真剣そのもので、何を考えているのか窺い知ることはできない。長い間目を閉じていた彼が、やがてゆっくりと目を開くと、その瞳はフィオナをまっすぐに見つめていた。そして、彼は何かを言おうと、わずかに唇を開きかけた――。


 全てのパンの試食が終わり、審査員たちが別室で協議に入った。会場は、結果発表を待つ人々の緊張と期待で、息苦しいほどの空気に包まれている。

 フィオナは、ただ静かに、自分のパンが伝えたかった想いが、一人でも多くの人に届いていることを祈りながら、その時を待っていた。

 果たして、彼女の「ルナ・エスペランサ」は、王宮の舌の肥えた審査員たちに、そしてライアス王太子に、どのような評価を受けるのだろうか。

 運命の結果発表が、間もなく始まろうとしていた。その結末は、フィオナの人生を、そして「アトリエ・フィオナ」の未来を、大きく左右することになるだろう。

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