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第12話 祝・開店!てんやわんやのパン祭り!

 開店当日の朝。フィオナは、夜明けよりも早くに目を覚ました。いや、緊張でほとんど一睡もできなかったというのが正しい。それでも、不思議と体は軽く、心は期待でパン生地のように膨らんでいた。

 店の心臓部である薪オーブンに丁寧に火を入れる。パチパチと薪のはぜる音、じんわりと温まっていく窯の空気。それが、フィオナにとっては何よりの応援歌に聞こえた。

 今日、店の「顔」として焼き上げるのは、昨日までの試行錯誤の末に完成させた「大地の恵みライ麦パン」と、清々しい香りが食欲をそそる「朝摘みローズマリーのフォカッチャ」、そして、子供たちにも喜んでもらえるようにと、ほんのり甘い「ふわふわミルクパン」の三種類。数は多くないが、一つひとつに心を込めて。


「フィオナ、準備はいいか? 看板、ちゃんと磨いたか?」

 開店時刻が近づくと、ルーカスがそわそわと現れた。その手には、なぜか巨大で奇妙な形のサボテンの鉢植え。「開店祝いだ! 砂漠でも生き抜くこのサボテンのように、お前の店も逞しくな!」…そのセンスはさておき、彼の友情は心に染みる。

 続いてマルセルも、どこで見つけてきたのか見事な白薔薇のブーケを手に、「お嬢様、本日は誠におめでとうございます。微力ながら、全力でサポートさせていただきます」と、いつもの冷静な口調ながらも、その瞳は誇らしげに輝いていた。


 そして、ついに約束の開店時刻。

 フィオナは深呼吸を一つすると、店の扉に手をかけ、ゆっくりと開いた。

「アトリエ・フィオナ、開店いたします……!」

 まだぎこちないながらも、凛とした声が、朝の静かな小路に響いた。


 最初のお客様は、意外なようで、でもどこか予感していた人物だった。先日パンを試食してくれた、大きな麦わら帽子の村娘――エリィだ。彼女は、開店と同時に飛び込んできたかのような勢いで、目をキラキラさせながら店内のパンを見つめている。

「わぁ……!全部美味しそう! あの、このローズマリーのパンと、ミルクパンをください!」

「は、はい!ありがとうございます!」

 初めての「お客様」。初めての「売買」。フィオナは緊張で手が震え、お釣りを間違えそうになったり、パンを袋に入れるのに手間取ったりしたが、エリィは嫌な顔一つせず、にこにこと待っていてくれた。

「このパン、本当に美味しいです! 私、フィオナさんのパンの大ファンなんです!」

 その言葉が、どれほどフィオナを勇気づけたことか。


 エリィを皮切りに、ぽつりぽつりとお客様が訪れ始めた。近所のおばあさん、仕事へ向かう途中の職人風の男性、子連れのお母さん。皆、パンの焼ける良い香りに誘われてきたようだった。

 フィオナは一人でレジ打ち、袋詰め、そしてパンの説明(時折、緊張のあまり小麦の栽培方法や酵母菌の生態について熱く語りそうになり、ルーカスにこっそり肘で突かれる)にてんてこ舞い。

 見かねたルーカスが、「へい、いらっしゃい!焼きたてパンだよ!可愛い店主が心を込めて焼いてるよ!」と、いつの間にか店の前で即席の呼び込みを始め、マルセルはいつの間にか帳簿をつけ始め、売れ筋のパンを分析し、次の焼き上げのタイミングをフィオナに的確に指示している。まるで、長年一緒に店を切り盛りしてきたかのような阿吽の呼吸だ(主にルーカスとマルセルの間で)。


 昼過ぎ、店の入り口にひときわ大きな影が現れた。マリーさんに腕をがっちり組まれ、不機嫌そうな顔で引きずられるようにして入ってきたのは、レオン親方だった。

「……ちっ。騒々しい店だな」

 レオンは忌々しげに言い放つと、店に並べられたパンを一つ一つ吟味するように眺め、そして、なぜかフィオナが最初に焼いた「大地の恵みライ麦パン」と「朝摘みローズマリーのフォカッチャ」を無言でトレーに乗せ、マルセルが完璧な手つきで差し出した代金を乱暴に叩きつけた。

「……まあ、腹は壊さんだろう。それだけだ」

 それだけ言うと、さっさと店を出て行こうとする。

「あらあら、おじいさんったら、素直じゃないんだから。フィオナちゃん、開店おめでとう!このパン、本当にいい香りね!」

 マリーさんはにっこり笑ってフィオナに祝福の言葉をかけると、レオンの背中を力強く押して店を後にした。

 ルーカスがこっそり後をつけると、少し離れた角を曲がる際、レオンがマリーさんに「……あいつ、なかなか根性だけはあるじゃないか。あのライ麦パンも、まあ、悪くはなかった……」と呟いているのを聞き逃さなかったという。


 その後もお客様は途切れることなく訪れ、「こんな美味しいパンは初めてだよ」「香りが良くて、パン屋さんの前を通るのが楽しみになったわ」「明日も来るからね!」そんな温かい言葉が、フィオナの胸をいっぱいにした。

 そして、閉店間際、パンを買いに来ていたエリィが、意を決したようにフィオナに申し出た。

「あの、フィオナさん! 私、ここで働かせていただけませんか? パンが大好きで、フィオナさんのパンが大好きで……お店のお手伝いがしたいんです!」

 その真っ直ぐな瞳に、フィオナはかつての自分を重ねた。


 長いようで短かった開店初日。閉店時間を迎える頃には、棚のパンはほとんど空っぽになっていた。

 フィオナは、カウンターに突っ伏したまま動けない。喜びと、安堵と、そして心地よい疲労感でいっぱいだった。

「お疲れ、フィオナ。大成功だったな」

 ルーカスが、温かいハーブティーを淹れてくれる。

「お嬢様、本日の売上は予想を遥かに上回っております。素晴らしい船出でございますな」

 マルセルが、いつの間にか完璧に集計された売上報告書を差し出す。

 その二人の顔は、達成感とフィオナへの誇りで輝いていた。


 片付けを終え、ランタンの灯りだけが灯る静かな店内で、フィオナは今日の出来事を一つ一つ思い返していた。お客様の笑顔、温かい言葉、仲間たちの支え。

(私のパン屋が、本当に始まったんだ……)

 窓の外には、家路を急ぐ人々の姿。その中の一人が、ふと足を止め、明日も開いているだろうかと、店の看板を優しく見上げているような気がした。

 フィオナは、そっと微笑んだ。それは、まだ少しぎこちないけれど、心からの、パンの香りのように温かい笑顔だった。

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