09 騎士の変化
「殿下も……ご不便をおかけいたしました」
クロードの声には後悔が満ちていた。
「僕の不便なんてどうでもいい」
カミーユは固い声で言い切った。
「今まで、僕が我慢してればそれで済んだ。僕もそれでよしとしてきた。怖かったんだ。でも今日分かった。自分が傷つくことより、大切な人が傷つけられることの方がずっと怖いんだね」
それは違うと、私は思った。
王子はまだ小さい。怖がっていい年齢だ。
そんなに急いで大人になる必要なんてない。
けれど、何かを決意したようなその言葉を否定するのは躊躇われた。
「だから僕は、戦うよ」
「殿下……」
何を言ったらいいのだろう。
ただ、その時の王子は出会った時のようにまばゆい光を放っていた。
「……私も覚悟を決めました」
クロードはいつもの眉間に皺を寄せた顔ではなく、どこかすっきりしたような顔をしていた。
「ニール、入れ」
知らない名前だ。
一体誰が来るのかと不思議がっていると、部屋の中に入ってきたのは全身黒い服を纏ったニーナだった。トレードマークのツインテールも、今は無造作におろしている。
「ニーナ!」
私は思わず叫んだ。
そして彼女がエドガーに連れて行かれたことを今更ながらに思い出し、血の気が引いた。
「大丈夫? ひどいことされてない? あなたのことを守り切れなくてごめんなさい」
私はニーナの直属の上司だ。
彼女はエドガーに命令されたら拒否できない。そして下級の使用人をそういった横暴から守るのは、私の職務に含まれる。
暢気に気を失っている場合ではなかったのだ。
私が謝ると、ニーナは驚いたような顔をした。
「別に……」
彼女はふいと目をそらす。
そこでクロードが咳ばらいをした。
「彼の本来の名はニールという。サリーシュ、君を探るため、そして殿下の護衛とするために私が付けた男だ」
開いた口が塞がらないとはこのことだ。
「本当なの……?」
短い間とはいえ、毎日朝から晩まで一緒にいたのだ。
だが彼女の振る舞いは完璧で、一度も男性だなんて疑ったことはなかった。
確かに、女性にしては少し力持ちだとは思っていたが。
「……本当だ」
いつもより、その声は低かった。
そちらが本当の声なのだろう。
「でも、男だってばれたらエドガー様にひどい目に遭わされたんじゃ……」
この際ニーナが男だろうが女だろうがどうだっていい。
問題は、彼がエドガーに連れて行かれたことの方だ。
するとニーナは、目を見開いて言った。
「いい加減にしなよ! あんた自分が殴られてんのに人の心配ばっかしてる場合じゃないだろ。俺は……俺はあんたを騙してたんだぞ!?」
そう突然叫びだすものだから、私も殿下も、そしてクロードも驚いたような顔をした。
「おい」
クロードがそう窘めると、ニーナ――いやニールは再び私から視線を外した。
「あんなやつ出し抜くなんて訳ない。適当に抜け出してきたさ」
ぶつぶつといじけたように呟くニールの言葉に、私は心底ほっとした。
「よかった。あの方は禍々しいオーラを纏っていたから」
「禍々しいオーラ?」
私の言葉が引っかかったのか、クロードが問い返してくる。
「はい。魔法の属性はオーラのようにその人が纏う光の色によって判別しているのですが、あの方が纏っているのは光ではありませんでした。とても暗い……嫌な感じのするなにかでした」
今まで、あんなものを纏っている人など見たことがない。
そのせいで、王子を護ろうと必死になって過剰に反応してしまった部分は否定できなかった。
「それは……闇の魔法属性を持つということか?」
クロードの問いかけに、私はかぶりを振る。
闇という属性もないわけではないが、その場合紫がかった光という形で見える。
だがエドガーはそうではなかった。
彼が纏っていたのは、煙に近いかもしれない。ただの煙ではなく、真っ黒い色のついた煙だ。
「あのような方を見たのは初めてなのでうまく言えないのですが、まるで巨大な力を持つ何者かに操られているような感じがしました」
そしてエドガーの纏う黒煙は、彼の取り巻き立ちにも影響を与えていたように思う。
と言っても、見た時は王子を守ることに必死でそこまで頭が回らなかった。
そう感じたのは、改めて当時を思い返してみてからだ。
私のぼんやりとした感想に、クロードは何かを考え込む顔になった。
確かに、突然こんなことを言われても戸惑うだけだろう。
私は慌てて発言を取り消そうとした。
「こんなこと言われても困りますよね。ええと……今の話は忘れてください。私の見間違いだと思います」
だが意外なことに、私の言葉を否定したのはクロードだった。
「いや。実際に、君の助言通りにした殿下は魔法が使えるようになった。君には何か我々には見えないものを見ることができるのだろう。ならばその見解も何か意味があるはずだ」
そんなことを言われたのは初めてなので、私は戸惑った。
今まで力を隠すことばかり腐心してきたので、この感覚を言葉で共有するということに私は慣れていなかった。
そしてクロードは王子に向き直り、言った。
「殿下。とにかく一度我が領地へお越しください。今の王宮において、殿下の身の安全を確保することは難しい。領地で秘密裏に魔法の鍛錬を積みましょう。話はそれからです」
あれほど魔法の練習をしたがっていたのでその提案にもすぐに飛びつくかと思ったのだが、私の予想に反て彼は迷うように私を見上げた。
「サリーも一緒に来てくれる?」
そう問われても、私の存在をクロードは喜ばないだろう。
それに公爵家の領地ならば、王子に仕えるべき人間はいくらでもいるはずだ。
そう――思ったのだが。
「勿論、ついてきてくれるな? 君の力が我々には必要だ」
そう告げたクロードは、今までの彼とは別人のようだった。
私は心の中でやきもきしているであろう両親に謝罪し、そして言った。
「勿論。どこであろうと殿下のお傍でお仕えします」
そうして私は、一路グリンダル公爵領に向かうことになったのだった。