08 想定外
最初は夢かなぁと思った。
目を開けると、そこにやけに整った顔があったからだ。
その顔はクロードのものだった。本当に、見ているだけで凍えそうな冷たい瞳をしている。
こんな風にまじまじと彼の顔を見たのは初めてだった。
夢にしては、随分細部まで再現されている。
いつもは恐ろしくて直視できないが、夢だと思えば遠慮なく観察することができた。
どれくらいそうしていただろう。
「……いつまで見ている気だ」
目の前の顔が喋った。
まるで地獄の底から聞こえてくるような低い声だ。
心臓が飛び出るかと思った。
夢ではなく、なんと現実だったらしい。
そう思ったら、突然感覚が戻ってきた。
頬に冷たさを感じ、手を伸ばす。そこには冷やした布が置かれていた。
急速に記憶がよみがえる。どうやら、殴られた個所を冷やしてくれていたらしい。
慌てて起き上がろうとしたが、クロードはそれを手で押し留めた。
「少し待っていろ」
そしてそう言うと、静かに部屋を出て行った。
一体どれくらい気を失っていたのだろう。
頭がうまく働かないが、気を失っている間にクロードが自室に入ったのだと思うと、恥ずかしくてたまらない気持ちになった。
別に見られてまずい物なんてないが、それとこれとは話が別なのだ。
それにしても、彼はどうして私の部屋にいたのだろうか。説明をお願いしたいが、呼び止める前に出て行ってしまったので一人悶々とすることになった。
とにかく体を起こし、クロードが戻るのを待つ。
するとぱたぱたと扉の向こうから走っているような足音が近づいてきた。
「サリー!」
部屋に飛び込んできたのは、寝間着を纏ったカミーユ王子だった。
彼は転びそうになりながら寝台まで駆け寄ってくると、目を潤ませて私を見上げた。
「僕のせいでごめんね。大丈夫? 痛くない?」
どうやら、私は王子に大変心配をかけてしまったらしい。
確かに彼を抱きしめたところで記憶が途切れているから、きっと色々大変だったに違いない。
「いいえ。こちらこそ、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
謝ると、王子は細い首がとれてしまうのではないかと心配になるほど速く首を横に振った。
「迷惑なんかじゃない! サリーは僕を守ってくれたんだ!」
鼻声でそう叫んだかと思うと、涙が溢れてしまい王子は服の裾で乱暴にそれを拭った。
「僕は……僕はもっと強くなって、今度は僕がエドガー兄様を追っ払ってやるんだ!」
王子の後ろから、クロードが部屋に入ってくるのが見えた。
「あの男を兄などと呼ぶ必要はない」
「クロード……」
クロードは断固として言い切った。
「あれはただの伯爵の倅にすぎん。本来ならこの離宮に立ち入ることすら許されない身。それを仮にも王子たるものが、様付けで呼ぶなど!」
どうやらクロードは、エドガーがカミーユをどのように扱ってきたかも知らなかったらしい。
もっとも、それは私も知らない。
分かっているのは、あの男がやけに居声高に離宮にやってきたことくらいだ。
「大きな声を出さないでください。殿下が悪いのではありません。周りに護る人もなく、どうやってあの男の言い分を退けることができたでしょう。悪いのは間違いなくあの男ですが、クロード様に王子を窘める資格があるのですか」
私は思わず、口を挟んだ。
彼らの事情は、まだよく分からないことが多い。
だがそれでも、今日のエドガーの態度を見れば普段彼がどのように王子に接していたのか想像することくらいはできる。
あの男は容赦なく、私を殴った。躊躇すらしなかった。
それはつまり、今までの王子の使用人にもそのような態度であったことの証左だ。そして、どんな横暴をしても今の王宮では彼の方に分があるということだ。
敵だらけの王宮で、人手不足のまま王子を放置していたクロードに、偉そうなことを言う権利はないと思った。
彼は一瞬顔をゆがめたが、怒りのままに言い返してくるようなことはなかった。
「……君の言う通りだ。俺は――殿下の後見たるグリンダルは青き血の責務を放棄していた。少なくとも、君と殿下にそう思われていたとしても仕方ないだろう」
そう言うと、彼はまっすぐに私を見つめ居住まいをただした。
「殿下を守ってくれて、礼を言う」
まさかそんな言葉が返ってくるとは思わず、私は目を伏せる。
てっきり怒鳴り返されるものと思っていたので、驚いてしまったのだ。
心臓がうるさいぐらいに騒いでいるのも、きっとそのせいに違いない。