07 暴虐
ニーナが来てくれたことで、私の仕事はだいぶ楽になった。
「本当に助かります。ここ一週間は息つく暇もなかったので」
なのでついついお礼の言葉が口をつく。
ニーナは少し変わっているが、よく働くし力持ちだし、なにより要領がよかった。
一度教えれば大抵のことは覚えるし、クロードは本当にどこからこんないい子を探してきたのだろうか。
ただ気になるのは、私がお礼を言うたびにニーナが複雑そうな顔をすることだ。
「ごめんなさい。なにか気に障ったかしら?」
いい仕事仲間なので、できれば仲良くやっていきたい。
なのでそのたびにこうして理由を尋ねるのだが、ニーナはかぶりを振るばかりだ。
「気に障ったなんてとんでもない。お役に立てているみたいで嬉しいです」
そう言って笑顔になる。
その笑顔がなんだか、心からのそれとは思えないのだ。
といっても、私は田舎で育ったせいか対人スキルが最低レベルなので、思い違いの可能性は大いにあるのだが。
そしてそんなやり取りをしていると、突然離宮に来客がやってきた。
「おいおい。この離宮には満足な護衛もいないのか?」
バタンと扉が両開きになり、入ってきたのは顔に歪んだ笑みを張り付けた痩せた男だった。
「エドガー兄様……」
怯えたように、カミーユ王子が私の影に隠れた。
王子の言葉で、私は目の前の人物が王子の義理の兄であるエドガー・ミラ・ラーゼフォンであることを知った。
赤茶けた髪に、灰色の瞳。美男ではあるが、唇が左右で歪んでいる。
兄と言っても、この男は王子ではない。
男の母は現国王の公妾であり、同時にラーゼフォン伯爵夫人という肩書も持っている。エドガーは伯爵と伯爵夫人の間の子どもだ。だから王家には関係ないのだが、伯爵夫人と国王の間に生まれた子供が弟に当たるため、我が物顔で王宮に出入りしていると聞いた。
確かに先触れもなく王子の私室に入ってくるぐらいなのだから、我が物顔でというのは本当なのだろう。
本来の序列で言えば、彼の行動は許されないことだ。それが見過ごされているところが、今の宮廷の歪な部分でもある。
エドガーの後ろからは、ぞろぞろと彼に追従する貴族がついてきた。彼らは、エドガーの弟王子を次期国王に推挙している、ラーゼフォン伯爵派なのだろう。
だが私には、そんなこと以上に気になることがあった。
それは彼が纏っているモノについてだ。
「全く人気がないな。これが仮にも王子の離宮とは笑わせる」
エドガーはくつくつと嫌な笑い声をあげる。
その笑みは、彼についてきた貴族たちにも共通するものだ。
誰かを蔑むことで己の立場を確立しようとする、卑小な人間の顔だ。
「いくら間もなく王位継承権がはく奪されるとはいえ、なぁ?」
エドガーは私など目に入らない様子で、後ろにいるカミーユ王子に問いかけた。
くすくすと貴族たちの笑い声。
私は反射的に、手のひらでエドガーの視界を遮った。
初めて私の存在に気付いたように、エドガーが顔を上げる。
その顔に先ほどまで張り付いていた笑みはなかった。
「見ない顔だな。お前は俺が誰だか分かってやっているのか?」
「エドガー・ミラ・ラーゼフォン様とお見受けしますが」
「ほう。知っていてなお、その能無しを庇うと?」
エドガーは、顎でカミーユ王子を示しながら言った。
「殿下は能無しなどではございません」
そう言い返すと、相手は盛大に笑い出した。
「はっはっはっ! これは傑作だ。どうやらこの新しい使用人は、随分な世間知らずらしい。この能無しに仕えるつもりと見える」
「それが私の仕事ですから」
部屋の中に、大きな笑い声が木霊する。それに追従するさざめきのような嘲笑。
私が最も苦手とするものだ。もしここに私の祖父がいたなら、身分など気にせず全員殴り倒していたに違いない。
なにせ血の気の多い祖父なのだ。
私はそれほどでもないが、流石に幼い王子を徹底的に馬鹿にする大人たちには、不快感を禁じ得なかった。
王宮の美しいものに目がくらんでいたが、そこに暮らす人々のなんと醜いことか。
両親もこんな世界で生きているのだと思うと、なんだかうんざりした気持ちになった。
そんなことを考えていたからか、油断があったのは否めない。
エドガーは突然笑いを止めると、何の前触れもなく私の頬を殴った。
一瞬何が起こったのか分からなかった。気づいたら天井が見えていた。そして私の下には、なにやら柔らかいものがある。
「いった……」
私の下から這い出してきたのは、ニーナだった。
彼女は私の後ろではなく横にいたはずなのに、どうやら巻き込まれて下敷きになってしまったらしい。
「大丈夫っ?」
私は慌てた。ニーナがクッションになってくれたことで私は頭を打たずに済んだが、それは私が受けるはずだった衝撃を彼女が負ったということを意味している。
絨毯の上に横になったニーナの格好は、なんともしどけなかった。
スカートがめくりあがり、太ももまで露出してしまっている。後ろでごくりと生唾を呑む音が聞こえた。
私の頬はとても熱くなってきたが、それよりも今はニーナの容態を確認する方が先決だ。
「い、た……」
そう言いながら、ニーナはそろそろと身を起こした。
意識があると分かって、私はほっとした。
すると私の体を押しのけて、背後からニーナに詰め寄る人物があった。
エドガーだ。
彼はニーナに手を差し出すと、好色な笑みを浮かべて彼女の太ももを見つめていた。
「すまなかったね。けがはないか?」
私への対応とは大違いで、エドガーが優しい声を出す。
ニーナはエドガーの手を借りて、はかなげな風情で立ち上がった。
女の私ですら、その姿には色香を感じたほどだ。
「大丈夫です。お手を貸していただき、ありがとうございます」
ニーナとエドガーの視線が絡み合う。
目の前で一体何が起きているのかと、私は茫然としてしまった。
気をよくしたのかエドガーはニーナの細い腰に腕を回すと、まるで何事もなかったかのように部屋を出て行ってしまった。
貴族たちも慌ててその後を追う。
私はカミーユ王子と二人、その場にぽつんと取り残された。
「サリー……」
王子が私を愛称で呼ぶ。
その声は今にも泣きそうだ。
怖い思いをしたであろう王子の顔を見れば、その瞳は涙で潤んでいた。
「ごめんなさいサリー。僕を庇ったせいで……」
王子はひどく傷ついた顔をしていた。
私は自分が殴られたことよりもその顔を見ているのがつらくて、私は王子の熱い体を抱きしめた。