04 人手不足
王子の侍女としての一日は、まず洗顔用の水を用意するところから始まる。
実情を知って驚いたのだが、王子の住む離宮には王子と直接接することになる上級使用人がほとんどいなかった。
王子を預ける相手がいないという私の推測は当たっていたわけだ。
しかし離宮の人手不足度合いは、私の想像をはるかに超えていた。
なにせ爵位持ちが一人もいないのである。
普通、王族に仕えるのは爵位を持つ貴族と決まっている。掃除や料理などは平民でも行うことができるが、基本的に王族には貴族しか近づいてはならないことになっているのだ。
ところが、まだ小さい王子の面倒を見る人間が、この離宮には存在しない。
一応クロードは爵位を持っているそうなのだが、彼は王子に仕えているのではなく王子の母方の叔父で公爵家の嫡男なのだそうだ。
もっとも、騎士団に所属しているそうなので、騎士なのは間違いないのだが。
そういうわけで、王子に仕える唯一の貴族となった私は多忙だった。
来客はないのでその対応がないのはいいのだが、王子が目覚める前に起きて彼の身支度の用意をし、王子を起こして顔を洗わせ服を着せ、朝食の給仕をする。
その後も王子に一日中ついて回り、彼が眠る時にはその寝台の横で子守唄を歌うことすらあった。
田舎で覚えた私の子守歌は、王宮しか知らない王子には面白く感じられるらしい。
そんなわけでちょっと聞くと大変過酷な職場のように思えるかもしれないが、私はこの生活が存外嫌いではなかった。
まず、忙しいのは忙しいのが、離宮は訪れる人が少ないため宮廷の複雑な人間関係に煩わせられなくて済む。これが一番大きい。なにせ、魔法の属性が見えることを知られるわけにはいかないからだ。会う人は少なければ少ないほどいい。
他にも、王子のものほどではないにしろ料理人による料理は豪華でおいしいし、ベッドはふかふかで、与えられた個室は元の家がすっぽり入ってしまいそうなほど広い部屋だ。
なにより、お給金がもらえる。
恥ずかしい話だが、私は田舎で貴族とは名ばかりの自給自足に近い生活をしていたので、お金を使った買い物をしたことがなかった。
更に一緒に暮していた祖父は大変厳しい人だったので、私に女の子らしい可愛らしいものを与えるなんてこともしなかったのだ。
だからこれまで、というか王宮でパーティーに出席するためドレスを着るまで、私はそれらの装飾品や女性らしいものと無縁で生きてきた。
だが、王都には沢山の綺麗な物や可愛らしいものがある。
そして自分で思っていたよりも、どうやら自分はそれらが好きらしいのだ。
王子の母親である王妃の趣味なのか、離宮の調度品は上品な中に可愛さや遊び心があって非常に私好みだった。
勿論、王族の持ち物だけあって自分でおいそれと購えるような類のものではないが、私はそれらに囲まれて暮らすうちに、なにか自分好みのものを買って傍に置きたいという欲求を持つようになった。
こんなこと祖父に知られたら呆れられるかもしれない。
ベッドに入ってこんな小物が欲しいとか、こんな柄も素敵だと思い浮かべる時間は、私にとって至福だった。
結果として、出まかせから始まった離宮暮らしではあるが、私はすぐに順応していった。
もっとも、手紙でそれを知らせた両親はそうはいかなかったようだ。
なんとか私と会おうと接触を図っているらしいが、複雑な王宮人事に関わる案件だけに下手に訪ねてくることもできず、やきもきしているらしい。
一方私はといえば、自分で稼いだお金で気に入ったものを手に入れたいという目標を掲げていた。
目標があれば仕事というのは楽しいものだ。仕えるべき王子の聞き分けがよく、自分に懐いてくれているというならなおさら。
そんなわけで、王子の朝食の給仕を終えた私は、鼻歌交じりに空になった食器をのせたワゴンを押していた。
離宮には人が少ないので、油断をしていた感は否めない。
「うまく潜入できたとでも思っているのか」
冷たい声音に、思わず体が凍り付くかと思った。
見ると、カーテンの影になってクロードが腕組をして立っていた。
どうして気づかなかったのかと、私は己の迂闊さを恨んだ。
「そんなこと考えてはおりません」
私は自分の油断した態度を取り繕うために、できるだけ冷静を装った。
「言っておくが、俺はまだ完全にお前を信用したわけではない。お前が殿下の傍に侍るのを許しているのは、魔法の教師としての成果が出ているからだ。それがなければ、どうなっていたかは分かっているな?」
そう言って、意味ありげに剣の柄に触れる。
私が手を抜かないよう、そして裏切らないよう、釘を刺しておきたいのだろう。
気持ちは分からないでもないが、私を警戒しながらも身近に見張りを置かないというのは、矛盾していると思う。
そしてその矛盾の訳を、私は既に仲良くなった使用人から聞き出していた。
実は私と王子が出会ったあの日、クロードは王子に仕えていた上級使用人を全てクビにしていたのだ。
それはその使用人たちが、王子を蔑ろにしていたからだという。
詳しくどんな様子だったのかは実際に見たわけではないので分からないが、王子の態度などから見てどうも多くの時間を放置されていたようだ。
ゆえに、クロードも新たに迎える上級使用人について決めかねているのだろう。
その気持ちは分からなくもない。
そして、そんな状況にありながら、私に怯えるでもなく助けてくれた王子は本当に天使だと思う。
なので私が命の恩人である王子に反旗を翻すことなど、万に一つもない。
あとはどうやって、そのことをこの堅物に分かってもらうかということである。
「分かっております。殿下はとても聡明でいらっしゃいます。封具さえそろえて頂ければ、それを用いて各種の魔法が扱えるようになるかと存じます。ただ……」
「ただ、なんだ」
「やはり私だけでは、殿下のお世話に不備がございます。魔法の属性につきましても、秘密裏にそれぞれ専門の教師の方を手配していただきたく存じます。今は基本を覚えて頂いておりますが、早晩には各種能力への制御が必要になるかと」
私も自分が使えるわけではないのでよく分からないが、魔法は属性によって扱い方が異なるらしい。そしてそれらは個々の感覚によるため、安易に本などで学ぶこともできない。
そして更に厄介なのは、王子が魔力を持っていることについて、安易に公にできないことである。
公にすれば大々的に教師を募ることも可能だろうが、それは同時に後継者争いから脱落したと思われていたカミーユ王子が、有力候補として戦線に復帰することを意味していた。
王子の幼い弟たちの陣営は、王子を無視できなくなる。暗殺なども考えられ、今以上に危険な状態になることだろう。満足な護衛の人員も揃えられない状態で、そんなこと公表できるはずがない。
だが私が教えられるのは知識と基本的な魔法の使い方のみで、上級の技を使うためには同系統の能力を持つ先達に師事するのが普通なのである。
「ふむ」
クロードは考え事をするように顎に手を当てた。
「氷ならば俺が教えられるが、他の属性となると……」
私は黙って答えが出るのを待つ。
黙って立っているだけなら、本当にいい男だ。
問題は、この男が私を裏切り者と見定めたが最後、この世とおさらばしなければいけないということである。
成り行き上仕方ないとはいえ、少しは信用してもらいたいのだが。
「分かった。心にとめておこう」
そう言って、クロードは足早に去っていった。
その背中が完全に見えなくなってから、とりあえず今日も命拾いできたと、私は安堵のため息を漏らした。