いじめの厳罰化の課題と対策
いじめについて、一緒に考えてみましょう。
少し前になりますが、少年法を改正して、いじめ加害者を厳罰に処せば、いじめは無くなるんではないか、というエッセイを拝読しまして、当該エッセイの感想にもコメントさせて頂いたのですが、私はこの考えに賛意はあるものの、懐疑的な立場です。
私自身は昔から「犯罪行為まで発展したいじめはいじめと呼ばずに罪名で呼ぶべきだ」と主張していまして、自分たちの行為を正しく認識できない、また、周囲が認識を誤魔化そうとするなら、はっきりと「犯罪行為」であると示すべきだと言っていました。
然し、この意見すら多くの批判を受けるのです。
ネット記事のコメントでこうした意見を言えばかなりのバッドがつきますし、同様の意見を述べた方に「将来ある子供になんてこと言うんだ」と怒りを示す方もいます。
旭川市女子いじめ凍死事件は世間を騒がせ、未だ解決を見ません。あの事件当時の教頭だった男性は現在も職を解かれることも処分されることもなく現役です。彼の発言として、「たった一人のために10人もの未来ある子供を犠牲にできない」という内容のものがあったそうで、この人物がそのまま教職を継続している事実は自浄作用もなく、多くの現場職員が同様の認識であることの一つの証左ともとれます。
実際、この件は週刊誌による報道があるまで、一切が外に漏れることが無かったわけですから。
こうした事を踏まえて、いじめの厳罰化における課題、そしていじめをエスカレートさせないための方法を模索したいと思います。
いじめの厳罰化における課題
旭川市の例では道警や市教委は少なくとも被害女子が川に飛び込むよう強要され、実行した段階でこの件を把握し、捜査介入しています。
然し、学校側はこうした捜査に非協力的なだけでなく、被害女子児童、その母親を非難すらしていたようです。
また、道警は性犯罪があった事実を認定して一人の加害男子児童を触法少年として厳重注意処分に、その他の児童は強要などの捜査の結果、証拠不十分による厳重注意処分としたとあります。
さて、仮に性犯罪があったと認定したのにも関わらず検察を通じて家裁送致処分にならなかった理由はなんなんでしょうか。
成人男性が性犯罪があったと認定されて、逮捕され、検察に送られ起訴されないなんてあるでしょうか。
この児童が法に触れたとされた罪名は「児童ポルノ製造及び所持」です。彼のスマホは証拠隠滅のため、データが削除されていましたが警察により復元され、画像や被害女子や加害者仲間とのやりとりのラインが見つかったそうです。
そこまで明確な証拠がありながら、行政組織である警察が司法に身柄を送致せず厳重注意処分とすることが少年犯罪にたいする慣例であるというなら、法の厳罰化など無意味でしょう。司法に委ねられる前に警察の越権行為で幕がひかれてしまうんですから、もし、道警が当該男子を児童相談所との協議のもと検察に送り、家裁にて相応の処分が下されていれば、加害者たちの行動が改められた可能性は否定出来ないと思うんです。
また、学校が捜査に協力的で被害女子に寄り添っていれば結果は変わった可能性がありますが、こちらも加害者側に与して事件を隠蔽し、関わった教師の処分さえしていません。
現在は辞職したようですが、当時の校長は市教委に天下りしていました。結局、旭川市の教育現場では一人の被害児童より、多数の加害児童のほうが大切なんです。
それ以上にことなかれ主義で問題が発覚することを避けたかった本音が丸見えです。
こうした体質では法改正による厳罰化がより隠蔽を強める可能性すら感じてしまうのです。
旭川市では今回のいじめ事件の前にもいじめによる自殺事案がありましたし、全国でもいじめによる自殺や自殺を装った他殺を疑われるような事件が多くありますね。
然し、加害児童が少年法の定める正規の手続きを経て家裁送致されていた案件は私が知る限り0です。
暴走行為や不良行為を正当化や擁護するつもりはありませんが、不良少年が問題を起こせば家裁送致されて、少年院や保護観察処分を受けるのにたいして、不良少年と同等か、下手をすれば、それより悪質なことをしている少年少女が、将来があるという理由で刑を免れていることは法の上の平等に反していますし、何より、被害者の権利を侵害している不公平なものです。
にも関わらず、いじめ加害者を守る勢力は多く、こうした勢力をどうにかしないことには厳罰化は機能しないでしょう。
教育現場での体質改善を考える
現在の日本では文科省も傘下の教育委員会も、いじめはないことを前提に動いていると感じてしまいます。
現場ではいじめを発見、解決することより、いじめはないと報告するほうが遥かに楽に高い評価を得られる現状があると思います。
この状況で所詮はサラリーマンでしかない教師が正義感以外の理由でいじめに取り組む理由はあるでしょうか。よしんば、そうした心ある先生がいたとして、周りの教師全てが協力的である保証はあると思いますか、そんなことに取り組んでも、時間と体力を削られて、その上、評定まで下がるかもしれない。加害児童の保護者とトラブルになるかもしれない。なら、手を出さず自然解決することを期待して見て見ぬふりすべきだ。そう考えることは、それほど罪深く異常なことでしょうか。私はそう思いません。
文科省はいじめは必ずあることとして考えるべきです。学校側に生徒同士の些細なトラブルも報告し、その解決に努力した教員の評価を上げるシステムを作るべきです。
また、予算をさいてスクールポリスやスクールカウンセラーを地域単位でもいいので導入して、周回させるべきでしょう。常駐が望ましいですが、人材も予算も足りないでしょうから。
教員だけでは様々に増えていく問題に対処するのは不可能ですし、そこまで押し付けて起きながら、待遇は変わらないでは成果など望むべくも無いでしょう。
いじめをエスカレートさせないために
いじめの加害者はその行為が悪質なものであると認識していない可能性が高く。認識していたとして、裁かれる可能性のないことを知っています。
だからこそ、エスカレートするのです。
まず、いじめを罪名で呼びましょう。
刑法に照して、その行為が成人なら犯罪者として裁かれるものであることを理解させましょう。
また、少年であっても、家裁送致され、刑事責任を問われれば更正の名目で少年院に行くこともあること、民事上の賠償が課されれば、親が払わなければいけないことも教えましょう。
悪いことを悪いと教えず、ことなかれ主義の教師に囲まれて尊法意識が低いまま育つことが未来ある若者の教育と言えないと思うのです。
異論はあると思いますし、あって欲しいと思います。様々な議論が尽くされることで、未来を閉ざされる若者がいなくなることを願います。
ご意見お待ちしています。