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幅屋圭太郎は謝罪していくしかない

「ごごご、メンッ!」

「えっ?」

「おおおこづかい貯まったら返すす!」


 幅屋はまず、かつて小体育館の横にある花壇の前で金を巻き上げた男子に頭を下げた。


 増岡ばかりに気を取られていた彼は、ある日ふと、視線の意味をさらにより分けることができることに気がついたのだ。あずま以外の視線は一貫してネガティブだが、“恨み”が根底にある人は限られていた。顕著に表れていたのは涙鬼と戸上で、ああ、今まで自分が攻撃した奴らだと理解したのは早かった。


 増岡さえ戻ってくれさえすれば、そのきっかけを作ったのは幅屋だとみんながわかってくれれば、少しは見直してもらえると高をくくっていたのかもしれない。それは大きな間違いで、勘違いも甚だしいということも、ガンと側頭部を殴られたかのような衝撃を受けた。


 それでも、恨みの視線が弱まってくれれば、教室に入るのにいちいち根性を出さなくてもよくなるはずだ。

 自分の学校生活のために。幅屋は謝る必要のある子たちに頭を下げることを決意したのである。

 それでも、みんなの前で謝るのは嫌で、ひとりずつ呼び出すことに。来てくれなかったらどうしようとソワソワしてしまったが、一人目の彼はちゃんとひとりで来てくれた。


 現場はまさしくこの場所。相手は過去を振り返っているだろう目の動きをして震え上がっている。


「い、いいよ、そんな。謝ってくれただけでも」


 またやられると絶望していたのに。まさかの謝罪に動揺を隠せない。


「だめだッ! ほらここににッ! 住所と名前書けッ! あと金額。いくらか全然覚えてねーから」


 幅屋は手帳と鉛筆を握らせる。


「ナノショーそつぎょしててててて返せるようになッ! わかったかッ!」

「う、うん……」


 男子は声と肉厚な手の熱さに圧倒され、殴られたくなさに必要事項を書いた。


「よし、ありがとな。必ず返すからな!」


 幅屋は次に向かって走り去った。しばらく経ってから、金額を上乗せしとけば良かったかなと、男子は思った。


「ごごめんン!」


 次は悪口を言ってしまった女子に頭を下げた。すると、その子は指をいじりながら口ごもらせる。


「幅屋くんが、ごめんって言ってくれるのは、いいんだけど……。あの、できるなら、饗庭くんも……」

「饗庭?」


 ああ、なるほど。そういうことであれば。と、幅屋は饗庭を三組の教室から引っ張ってきた。饗庭はされるがままトテトテと犬のように従っている。


「よし、謝れ饗庭」


 饗庭の頭をぐんと押し下げた。


「す、すいません……」

「これでいいか?」


 女子は小さくうなずく。すると「ありがとう」と幅屋が緩やかな笑顔を見せるので、彼女は目を丸くした。


「おし。お前も戻っていいぞ」

「あ、ハイ」


 饗庭が“怪訝”な上目遣いをしている。


「なんや」

「え、いやー。ウン」

「んだよ。言いてぇことあんなら……」


 凄んでみせるとたちまち女子の視線から怯えが生まれ、慌てて心を落ち着かせた。


「あ、いや、ちがう、その。ごめん。びびびびビックリさしさしさし」

「あーだいじょーぶだいじょーぶ。ホント。饗庭真帆志は幅屋くんを信じるよ」


 ししし、と前歯で愛想よく笑われて、幅屋は毒気を抜かれた。「そうか」としか返事ができなかった。


 それからも幅屋は思い出せるすべての子に頭を下げ、何かを巻き上げていたのなら手帳にそれを記してもらった。覚えていなかった子は視線で判断すればいい。何に対する謝罪をすればいいのかわからないのはモヤモヤするが、とにかく嫌な気持ちにさせてごめんと言うしかない。


 そして、戸上。彼女にも謝っておきたかったが、近づくことも拒まれる。あの幅屋が手当たり次第に謝りまくっているという噂が出回り始めたこともあり、余計に意識して当たりがさらにきつくなっているのだ。視線が分厚くなり過ぎて、もはや壁。顔すら遮られて見えない時もある。


 彼女と真っ向に対話するには増岡が必要だ。あいつさえ学校に来れば、チャンスをくれるかもしれない。それだとまるで増岡がゲームのキーアイテムみたいな感じがして頭がムカムカしてきた。


 ムカつくといえば、高矢である。ここ最近、高矢から“監視”されているらしい。そんなことをしなくたって、ちゃんとやっているのに。


 幅屋は増岡宅に通い続け、授業中に彼は思った。


(野々村のやつ、ちゃんと学校行ってんのかなあ?)


 教育センターには“仲間”が集うらしいので、三好は問題ないはずだが、転校した野々村はそこでうまくやっていけているのか。彼女は引っ込み思案で恥ずかしがり屋。他人しかいない場所に飛び込んで、はたして新しい人間関係を築けているのか、気になってきた。


 どんどんモヤモヤしてきた幅屋はいつもより早めにゲロを吐いておき、彼女がどこに転校したのか職員室の舞前に調べてもらった。


「え、朝に行くの?」


 他の教員がいる手前、舞前は前屈みになってひそひそと聞き返す。


「うん。善は急げって言うやろ」

「善……ウン。でも、また遅刻したら崇城先生が今度こそご両親に連絡入れちゃうかもしれないよ? 去年は家庭訪問なんてなかったし、びっくりされちゃうんじゃない?」

「そうかもしれんけど……学校の様子を知りたいんやもん……」


 家族のことを出されて尻すぼみになる。


「僕が電話をして様子を聞くじゃだめ?」

「……だめやと思う。やっぱ明日行く」

「善は急げとは言うけど。自己犠牲は時に周りすら犠牲になることもあるんだから。焦っちゃいけないよ」

「じゃあ仮病を使う」

「は……」


 いくら味方でも邪魔されるのは嫌だったので、先生が呆気に取られているうちに職員室から逃げ出した。

 あとは自力でその小学校の行き方を調べることにした。電車を利用したほうが良さそうだと判断した。


「おまえ、少しやつれたんじゃないか?」


 夕食の時間に寡黙な父親から珍しく心配されてしまい、圭太郎はぎくりとした。


「え? ああ、確かに前よりかはシュッとしてるんじゃない?」


 向かい側の母親にまで気づかれてしまった。あずまに指摘されてからは痩せないように夕食はがっつり食べて取り戻していたつもりだったのに。胃袋は吐かれるか否か混乱を極めているらしい。


「最近ほんのちょっと食欲がなくて」

「えーいつもと変わんないくらい食べてんじゃないの」


 母親は呆れた口調で皿の上に目を落とす。


「がんばって食べてるんやけど……えと」

「無理して食わずに量を減らしてもらえ」


 父親は淡々としている。母親は半信半疑の眼差し。具合の悪さをこれ以上アピールしても変な空気になると判断した圭太郎はどうすれば仮病で休めるか考えつつ、野球中継の解説の声を聞きながら悶々と食べた。


 とにかく思考を止める訳にはいかなかった。解説の声に混じって定丸の声も反響している。母の背後に定丸が浮いている。虚ろな彼女から視線は感じられない。この場にいない証拠なのか。


「ごちそうさま!」


 がつがつと食べ終わらせて家族から離れた。定丸は電信柱のように点々と現れる。その間も提案をしてくる。


「なあ、お前帰るウチないんか?」


 部屋でふたりきりになって、貯金箱を勉強机の上にひっくり返しながら問いかけても返ってくるのは提案だ。


 机の明かりの中で小銭を数えて、雀の涙に溜め息をつく。休みの日に食堂の手伝いでもするしかない。


「姉ちゃんがおるって、言っとったやんか。迎えに来てくれんの?」


 会話が成り立たず、自分の方を見てくれているようで見ていない。前に踏み出して、腕を伸ばしてみる。指先が彼女の手に触れ……る前に「ぎゅぎゅぎゅ」と奇怪な唸り声を歯から振り絞って背を向け、電気を消して早々と布団の中に潜り込んだ。歯を磨くのを忘れた。

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