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先生も正解がわからない

会話が多い回(当社比)

 翌日、幅屋はいつも通りの時刻に家を出た。

 母の前ではいつも通りを演じていたかった。改善されたと未だに信じている母。いざ自分が下に見られて弱っちくなって、なよなよした姿を見せたら失望するのではないか。それは自業自得だと、そんな情けない子だと思わなかったと怒るのではないか。


 それらは単なる言い訳で、まだ家族の前では強くありたかった。角を曲がった途端に足がすくんだ。


(俺にはまだ高矢がいるんや)


 そう思いながらもたどり着いたのは“ドラえもんの空き地”で。土管の上に定丸が座っている幻を見て慌てて走り去るしかなかった。


 自分は今遅刻している。だから慌てて学校に向かっているんだというアピールを誰に向けている訳でもなくやる。


 ついに観念して、学校に忍び込んだ。授業中に教室に入ろうものなら戸上の視線が辛い。とても辛い。だからどうしたものかと音を立てないように歩いていると。


「遅刻?」


 口を塞いで慌てふためいた。振り返ると舞前だった。


「先生、授業は……?」

「三組は今、図工なんだよねぇ。で、寝坊しちゃったの?」


 幸い、彼の視線からは自分を咎めている不快な色は検出されなかった。幅屋はほっとする。


 一体何があったのか、お多福だった顔は異国の風を感じる顔に変貌し、鼻にはそばかすができた。学年問わず親身に悩み事を聞くようになったという、舞前ベノワ優祐。噂では前のお多福の男は偽物で、本物の彼は監禁されていたらしい。

 顔面血だらけの千堂に、手を怪我した郡司に、失神した殊久遠寺に舞前先生……。警察だという千堂の父親まで現れて、幅屋は震えたことを思い出す。もしかして逮捕されるのではと、その日はなかなか寝つけなかったのだ。


 今は三組の副担任として顔を出しているという舞前先生。理由は聞いていないが、復帰してからも窮屈そうな黒の手袋を両手につけていることと関係しているのだろうか。


 ともかく幅屋はそんな謎を残した先生に思い切って相談することにした。なぜならこの先生は、千堂をいじめていたのを黙っていてくれただけでなく加勢してくれたのだから。そんな仄暗い理由で相談する。


「先生はさ、俺らがいじめてんの()()()()()()じゃん?」


 ふたりきりの国語資料室で彼は悩みを打ち明ける。この出だしの一言は舞前の心を大きくえぐるものであった。うつむき加減で相手の目を見られない幅屋もそれには気がついた。

 自分の言葉で酷く傷ついたことに気がついて、いかに愚かな理由で先生に自分の気持ちを負担させようとしたのか気がついて、口を閉ざす。やっぱりいいや、なんでもないと言おうにも声が出なくなった。


「そうだね。ずっと見てた」


 舞前の声はやわらかかった。


「だから今度はずっと聞くよ。続けて」


 幅屋の目に分厚い水の膜ができる。声が震え、途中で断念しそうになりながらも、うまく本音を伝えられないこと、自分が思った通りに体が動かないこと、自分は本当に反省しているのか、実はしていないのか、反省したいのにしたくないのに、増岡にどんな顔で何を言えばいいのか、周囲にはどう振る舞えばいいのか、自分が何を考えているのかまったくわからないことを、心も言葉もぐちゃぐちゃで半べそになりながらも自分の言葉で表現しようとした。


 舞前は終始、桁外れに歯切れが悪く、選んだ言葉があっちこっちに飛び、同じことを何回も言い、流れも繋ぎも悪い少年の訴えを真剣に耳を傾けた。


 沈黙が生まれた。


「……幅屋くんは十分反省してると思う」


 明かした後の第一声がそれだった。そうか、俺は反省してるんだ。先生がそう言っているんだからそうに違いない。幅屋は胸につっかえていたものが一つ砕けた気がして、ボタボタと涙が出た。鼻水も二本出てくると、舞前がハンカチを当てた。


「先生も、増岡くんがどんな子なのか会ってみたいな」


 増岡は一組らしい。


「そうだねぇ……そんなすぐ簡単には学校に来れないよねぇ。幅屋くんも本当は今日来たくなかったでしょ?」

「やっぱり無理……?」

「無理ではないよ。無理やり来させる方法ならあるだろうし」


 幅屋は目を丸くしてぶんぶんと首を横に振った。


「あはは……ちゃんと増岡くん自身の意志で来れるようにしないと意味ないよねぇ」


 今度はぶんぶんと縦に首を振った。


「無理じゃないけど、むずかしいなぁ……」


 首をひねり唸る舞前に、幅屋は落胆する。


「まずお互い向き合って、きみは謝罪をする勇気がいるし、増岡くんはそれを受け入れる勇気がいるんだ。その勇気のためにもう一度心に傷がついてしまうのを受け入れないといけないんだ。それってとても怖いことだと思う」

「増岡の方が勇気がいる?」

「そう」

「俺が謝ったらまた傷つく?」

「そう」

「謝ってるのに?」

「そうだよ。例えばきみが殴られたり、悪口を言われたりして、そのあと謝ってきたらどう思う? 謝ってくれたからもういいの?」


 幅屋は力なく首を横に振る。


「もういいよって心の底から言える人ってすごいだろうね」


 そう言われて、幅屋はあずまを思い浮かべた。あいつなら簡単に許してくれるし、根に持たないだろう。でも本来、簡単なことではないはずだ。

 次に幅屋は涙鬼を思い浮かべた。あいつは未だに納得していないだろう。むしろ既に心の整理ができていたら不思議だ。


「俺のこと許してくれなくても、学校に来てくれることできる? えと、千堂みたいに……」

「できるよ。大変なことには変わらないけどね。学校にきみがいても来ることができる勇気とか、周りの信頼関係とかね」

「日比谷だったらぜぜ絶対友だちになななっく、からそれはいいと思うからととと、は俺がいてもいいってなななればええんやね?」

「うふふ。そうだね」


 幅屋の顔は耳から湯気が出そうなほどに真っ赤だ。


「だからそのためにお互いに努力しないとね」

「増岡も努力せなあかんの?」

「残念ながらね」

「最悪じゃん」

「被害者の方が最悪な目に遭い続けるってことだよ」

「やっぱり家にいた方がいいんかな」


 くぐもった声を出し始める幅屋に、舞前は眉尻を下げる。


「どっちにしてもそれは増岡くん次第になっちゃうね。でも僕は、()()()()()きみは行動するべきだと思うよ。また増岡くんが傷つくことになっても、僕はやるべきだと思う。やってみて、その結果から諦めた方がいいのか考えるべきだと思う。もし、誰がきみにこんな行動させたのかって言われたら“先生に言われた”って先生のせいにしちゃえばいいよ」

「それって先生も悪者になるってこと?」

「そうだね。でもそれって今さらだと思わない?」

「うん」

「あはは。正直だねぇ。じゃあ……こうしよう。毎日できる範囲で宿題を届けてあげる。そこに反省文を二、三行添えるんだよ? 二、三行なら書けるよね?」

「うん……」


 できるような。できないような。


「大丈夫。まだ顔は見せなくていいから。ポストに入れるだけならいいでしょ? 一日一つ謝らなくちゃいけないことを思い出して書いて、ぜんぶ謝り終えたら、実際に顔を見せて、本人じゃなくて家族相手でもいいから誰誰さんが学校に来てほしいって言ってたよ~とか、今日こんなことがあったんだよ~とか、一つでいいから学校のことを話すこと」

「あの、親とか俺のこと怒ったりせん?」

「ウーン、名前ばらさなかったらいいんじゃない? 恥ずかしいから言いたくないってことにしとこう」

「い、一個ずつでいい、ん?」

「うん。増岡くんにとっても本当に辛い期間になっちゃうけれど。その辛い気持ちをきみも一緒に感じて、同じ色の思い出を共有することが、先生は大切だと思う。ただ……はたして正解なのか、先生もわからないんだけど、それでも信じてくれる?」

「先生なんに正解がわかんないの?」

「うん。答えがない問題だからね」

「もしバレて、あ、あい、あああ、会いたくな、なな、いって、ててて、い、言われ、たら?」

「それこそ増岡くんの家族に伝言し続ければいいんだから。たとえ最後まで学校に来なかったとしても、彼が来ないでって意思表示するまでは続けるんだよ。“会いたくない”と“来てほしくない”は別だって考えるんだ」


 かつての舞前であればこんなアドバイスなど有り得なかった。どうしても不安は拭い切れないが、幅屋は彼に言われたことを実行できそうな気がした。


「例えるなら、一キロの石が詰まった袋を背負うよりも一キロの羽毛が詰まった袋を背負う方が楽なイメージ。重さは変わっていないけど、不安や苦しみをやわらかくして背負い方を変えることはできると思うんだ」

「いじわるクイズで聞いたことある」

「じゃあなんとなくわかるでしょ? 僕の方から崇城先生に言っておくから、次の授業から参加すること。いいね?」

「で、でも、とと、戸、上が……」

「そういう時こそ無視無視! 休み時間が辛かったら職員室においで」

「せんせい……」

「あはは。先生もね、信頼というか好印象というか、早くポイント稼がなきゃだから」


 と、おどけながら頭をかいた舞前は手を伸ばし、小指を立てた。


「何が正しいのかむずかしいけど、お互い良い人間を目指そう」


 指切りをした。

 その日から、ついに幅屋の長丁場が始まったのである。

会話文が長くなるとモヤモヤする病(どっちがしゃべってんのか書いてる自分が混乱するから)

でも今回はどうしようもできなかった。

表現力がほしい。

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