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余談~医師と上野家の歪みについて③~

区切りが見つからないので今回長いです(当社比)

不定期とはいえ最近更新ペースが開いているのですみません。

また週一に戻ったり戻らなかったりしていきます。

「この店は泰京の汚点だと思わんか? ここは闇の温床なのだ」

「闇の温床?」


 加賀さんは届いたモスコミュールをあおった。急に立ち上がって杖を振り回しながら店の文句を言いそうな印象でしかない彼に、僕は慎重にジンジャーエールを口にした。

 甘口しか知らなかったので、生姜の辛味が喉の奥で弾けて咳き込みそうになった。アルコールは入っていないはずなのに体があっという間に熱くなってしまい、額に手を当てた。


 寅子さんが“狸蝶”として甲斐甲斐しく上野倭文に抱きついたのを見て、確かに闇を感じさせた。先程とは打って変わり別の女に変貌して。


 仕事なのだから仕方がない。けれど、真に恋している相手がいながら簡単に他の男に密着する彼女に、少なからず怒りを覚えたのは確かである。

 いや、厳密にはろくでなしの、みさ子さんからの信頼を失っている奴に愛想を安く振りまいていたからなのか。あるいは寅子さん越しに奴らへ怒りを感じていたのか。病院に行くようハイヒールを叩きつけてやればよかったのだ。


 慈悲の手と対峙した時以来の悔しさ。憔悴してしまいそうなほどの心の軋み。確かに闇の温床なのだろう。


 上野大國の方にも女が寄り添って談笑していた。笑顔がどことなくみさ子さんに印象が似ている女……いや、妻・聖子の面影を感じさせる女だったのだろう。新婚ほやほやの夫婦か、付き合い始めのカップルか。場に似つかわしくない初々しさがあった。ふたりだけの世界というやつである。


 女の方はとんだ女優だ。仕事なので怒りをぶつけるのはお門違いだ。それでも奴を惑わし、娘との距離が遠ざかる一方になっている要因の一つなのだ。


 寅子さんの言った通りここは悪夢であった。まともであれば医療費に回されるべきそれを豪遊に使う男ども。僕はこの悪夢を目に焼きつけなければならなかった。


 一流のキャバレーであることには違いなく、ただのファミリーレストランに鞍替えした方がいいほどに料理もいっちょ前で、魚介料理は特に絶品なのだと。加賀さんが注文した二人前のパエリアと二人前のエビの白ワイン蒸しが運ばれてきた。


 加賀さんはずっと上着を着ていた。暑くないのかと自分の状態を棚に上げて尋ねようとすると、彼は意外にもおとなしく、饒舌に白状し始めた。カチャカチャ音を立てながらだったのは、ちょっとした抵抗だったのかもしれない。が、どの音も、声も、一階の人たちには聞こえることはなかっただろう。




 慈悲……慈悲か。愛情を注いだばかりに生命力がついに尽きてしまった。娘だとわかれば尚更……ちがう。あれは慈悲のなんかのせいじゃない。出産は文字通り命懸けだ。どれだけ死ぬ危険性があるのか、男はてんで理解しちゃおらんのだ。


 あの小娘には罪はない。愛の重いも軽いも関係ない。子どもをどうするのかは親が背負う罪だ。


 だから見捨ててやるまいと誓ったのだ。葬式に誰があの小娘をあやしていたと思う?

 この俺だ。


 かかりつけ医だったから焼香をやりに来てやったら用を押しつけられたのだ。上野大國は使いもんにならない。奴の姉が取り仕切っていた。妹の方は倭文を構っていて手が離せなかった。

 あの女どもは聖子の先輩と同級生で仲がいいと聞かされていたが、まだNICUにいる名前もついていない赤ん坊にかまけている暇はなかったのだ。もっと適任がいたはずなのに、医者だからという単純な理由で、だ。


 ほんとにちっこかった。たったのこれくらいだ。だからって命がけであることには変わりない。自らの命までも落とすことを覚悟でこの世に産み落とすのだ。それをあの男はなんて言っていた? 思い出すだけでもはらわた煮えくりかえる!


 なんの罪もないのだ。少し予定を早めて母親の顔を拝みたかっただけだ。それを。それを。


 だから見捨ててやるまいと誓ったのだ。誓ったのに。

 俺はあの子を養子に迎えるほど、あの家からかっさらうほどの強い意志も、勇気も、なかった。やろうと思えばできたはずなのに、あの子の味方でいようと心に決めるだけで具体的な活動はしていないと、最近そんな風に考えるようになった。


 無意識に呪いを恐れていたのだろう。ちがう。慈悲じゃない。拒絶だ。俺には“拒絶”の呪いがあるのだ。誰かにかけられた訳でも何でもない。


 俺は生粋の、コンプレックスの塊だ。自分が嫌いでしょうがない。だから周りに嫌われるのもしょうがないのだ。このねじ曲がった根性が魔の力と結びついてしまったのだ。


 お前も既に理解しているんじゃないのか。魔力は伝染する。素質があった俺は自身のコンプレックスと聖子の慈悲の影響がカガク反応を起こして、意図せず自分を呪ってしまったのだ。コンプレックスとは複合体だ。その中に魔力、魔法、妖力……なんだっていい。人間からそれて曲がる力が組み込まれてしまったということだ。


 俺は拒絶されて当たり前な人間だ。諦めがついていると思っていたつもりがそうじゃなかった。俺は拒絶されるのが怖い。一度拒絶されれば二度と近づくことができない。これは強迫観念に近いが違う。違うものになってしまった。日本はかつて妖怪帝国と言わしめていたほどの怪しげな力に馴染み深い国だ。一体何パーセントの人間が妖法合成(コンプレックス)されているのか。後天性か、あるいは先天性の魔法体質(コンプレックス)なのか……。


 あの小娘にとっても慈悲はただの劣等感(コンプレックス)だ。“天使の贈り物”などとほざいているが、ふん、馬鹿馬鹿しい。悪魔の間違いじゃないのか?


 上野大國はな、元より短命の運命だと知っていながら、娘が生まれたから妻が死んだと思い込んでいる。八つ当たりで見舞いにも来ない。つまり奴は聖子の慈悲を理解してやっていなかったということだ。神社もあるというのに。


 歴代の泰天家の娘を奉っている神社があるのだ。しかも美人薄命を払うご利益があるらしい。ふざけたものを建てやがって。

 それがある土地は四家の分配から避けられているというではないか。陰陽師にゆかりある家なのは明らかだ。今の泰京市の基盤を作った陰陽師にゆかりある家だ。あの男はそれがどういうことか真に理解していないのだ。何も理解しないままのうのうとタヌキの店に足しげく通っているのだ。娘の“病態”から目を背けながらな。


 ふん! 精神に問題がある、心の病気なのだと周りに言いふらして悲劇のヒーローぶって、一体何様のつもりだ! お前みたいな男のために、聖子は死んだというのか! なんであんな奴と結婚したんだ!


 ……あの小僧も哀れだ。妹が“不治の病”でふせっていると知らずに。物心ついた時から母親はいない。父親は腑抜け。心にもないことを言われてきただろう。父親の影響で妹を汚点と考えるようになった。妹のせいで寂しい思いをしてきたんだと責任転嫁をして、罪滅ぼしと称した金をせびっている。


 いや、実際に会いには行っていない。小娘が嘘をつくはずがないからな。だが父親の方は信じている。可哀想な妹のために使いたいとねだられ惜しみなく渡した金はすべてあの小僧の女遊びに消えていることを知ろうともしない。外には出れない可哀想な娘のためにせめて金だけはしぶらないというアピールにすぎん。本当のことを知っても変わらん。


 あの小僧は愛情に飢えて手癖も悪い。あのまま愛を理解できないままでいた方が、皮肉だが天寿をまっとうできるかもしれんな。ふん。いつ女に背中を刺されるかもわからん男だが、悪運だけは強いからこれからもしぶとく生き続けるかもな。これも聖子の愛か。まあ、あの男も小僧も、小娘からすればただのかわいそうな人たちだ。


 ああ。ああ。ああ。そうだ。くだ。そう、管、だ。俺も占ってもらったことがある。“二信八疑”で占ってもらった。

 ババアのくだらん占いだ。聖子の病気をどうにかできんのか……まあ、およそ千年経とうが朽ちない力だ。そうとわかっていても藁にもすが……ババアならなんて答えるか面白半分で聞いてやったのだ。はした金を投げつけてな。


 慈悲を失わせたいなら冷酷な人間となれ。慈しむ対象をすべて根絶やしに。悲劇を作り出し、慈悲を怨恨に変えればよい。愛を憎しみに。それがお前の愛ならば。


 あンのクソババアはそうぬかしやがった。医者の俺に殺戮を勧めやがった!

 愛……この俺の中に愛がある訳がないだろう! できないとわかっててあのババアは!


 ニヤニヤしながら、ちゃんとお前にも愛がある、と。将来それが証明されると。養子を迎えるそうだ。小娘のことじゃない。

 そのクソガキは守られなければならんそうだ。ふん。養子を迎えるということは、そういうことなんだろう。小娘を養子にできなかった贖罪だとでもいうのか? 馬鹿馬鹿しい。




 ――と、ここまでしゃべると加賀さんは水をがぶがぶ飲み、押し黙ってしまった。僕は一言「大丈夫ですか?」と声をかけたが応答はなかった。


 久しぶりに反応を見せたのは食事を終えて会計を済ました後。エレベーター内の時であった。


「じきにタヌキの大将が代わる。ニュースの一面を飾るやもしれん」

「じゃあ釜遊弟さんが新たに大将になるんですか?」

「なりはする」

「どういう意味ですか」


 加賀さんは詳しく答えてはくれなかった。


 後日、地域新聞に原水留金成が愛人と住んでいた別宅にて変死体で発見されたという記事が見つかった。

 犯人は名前を上げればきりがないほどの愛人の中にいるのか、無数の顧客の中にいるのか。キャバレーの客には泰京警察西のお偉いさんや、サルの首の大将もいたもんだから捜査は混沌としたのは明白。どこで漏洩したか金成が薬物中毒だったことが公になり、どこまで蔓延しているのかも五里霧中となった。


 釜成氏はキャバレーを退職し、本来望んでいた職に就いた。寅子さんもしれっと辞めて、恋人が働く建築業の営業職へとあっという間に鞍替えした。


 泰京警察残りの東南北も巻き込んだ大捜査に、上野大國と倭文の女遊びに関することもバレて漏れたらしいと寅子さんが教えてくれた。みさ子さんが巻き込まれる訳にもいかないので、徹底して他人の出入りを遮断させる算段となっていた。


 僕はそれとなく、誰が腹水留金成を始末したのか彼女に尋ねると。


「表向きには大々的に死んだことになったけど、影武者だったから死んではないよ」


 と、どこにも明言されていないはずの情報をあっけらかんと漏らした。


「今更のこのこと姿を見せやしないだろうさ。また違う姿かたちに化けて、次の大将の座を虎視眈々と狙うんじゃない? タヌキだけど」

「釜遊弟氏に化けて成り代わっている可能性は?」


 さも当たり前に「あるよ」と寅子さんは答えた。

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