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千堂涙鬼は受け入れたくない2

 靴がある。


 涙鬼は新しい外履きに履き替えようとする。片方を突っ込んだ時、ぐちょりと気持ち悪い触覚にゾワリと身の毛がよだつ。

 脱いで確認してみると、緑色のスライムが奥に入っていた。


 饗庭(あえば)の仕業だ。そいつはスライム以外にもトカゲや蛇やゲジゲジおもちゃとゲテモノを持ち合わせていて、特に女子が悲鳴を上げる度に前歯の隙間の虫歯をちらつかせながら下品に笑ういやらしい奴である。


 奴の何がいやらしいかって、身を守るために幅屋を利用していることである。いつも目をソワソワさせて怯えているくせに、あえて幅屋の懐に入り、腰巾着の立場を取ることで“一番の危険人物”の攻撃対象から逃れているところにある。

 鉄壁の守りを手に入れたことで饗庭は調子に乗り、かつやはりビクビクしながら女子に対してデカい態度を取っている。


 奴がいつから涙鬼にも嫌がらせをするようになったかなんて考える価値もないだろう。

 下駄箱全体に泥をぶちまけられてあったり、靴や体操着が切り刻まれてあったりした時よりはマシだと涙鬼は思う。それは忍耐力がついたからなのか、感覚が麻痺し始めているだけなのか……。


 なんで気づかなかったのだろうと後悔しながらスライムをかき出す。その生ぬるさに、饗庭がニヤニヤしながら揉みほぐしていたモノだと思うと舌を出したいほどに顔をしかめる。


「涙鬼くん」


 声変わりの始まっていない幼い声に背中をこわばらせる。

 なぜビビる必要があるのか、これではまるで饗庭と同じだ。そのことに気づいた涙鬼は口を歪ませる。


 日比谷あずまがついに接触を図ってきた。奴の父親“かっちゃん”から仲良くするように言われているのだろう。


(嫌な父親だ)


 無責任で、自分は無愛想な態度をしていたくせに、自分の子どもには愛想を良くすることをしつけているのだ。


 そして奴は律儀に使命を果たそうとしている。

 涙鬼はスライムを手にしたまま黙って外に出る。あずまが慌てて靴を履き替え追いかけてくる。


 涙鬼は校舎裏に回り、ゴミ捨て場のゴミ袋を開けてスライムを放り込む。


「靴に入れられたの?」


 涙鬼は無視しつつ水道で靴を洗い、爪の中のスライムのかけらをほじくり、靴下をポケットに突っ込みながら履き直した。


「いつもこんなことされてるの?」

「……」

「ちゃんとやめてって言った?」

「うるさいお前」


 涙鬼は怒鳴りたい欲求を押さえ歩く。


 あずまが隣から顔を覗き込んでくる。大きな目をしていた。


「じゃあ僕がやめてって言ってあげるよ」

「馴れ馴れしくするな」


 立ち止まって強くにらみつけると、大きな目が真ん丸とした。


「そんなぁ。ねえ、友だちになろうよ!」

「お前馬鹿だろ。俺と関わると幅屋らにやられるんだぞ」

「あはは、僕たちの話聞いてたんだね?」


 なぜか笑う。まるで話に混じりたかったのかと言わんばかりに、馬鹿にされた気分だった。聞いていたのではなく聞こえただけなのに腹が立つ。


「日比谷のくせに」


 相手にしていられない。

 涙鬼は走った。「待ってよ!」と後方から聞こえる。奴は足が遅かった。


 タイミング良く来たバスに乗り込み、空いている席にずり落ちるように座った。


 家に帰宅すると部屋には行かず、そのまま道場に向かった。ランドセルを下し、床に寝そべった。いつもならば何もかも頭の中から出て行ってくれるはずだった。


 何なんだ。あいつは一体。


 日比谷あずまの笑顔が残る。こちらに向ける大きな目が残る。瞳の中ににじむ秋空の清んだ青色が残る。


 イライラした涙鬼はその場で宿題に取りかかった。


(くそ。くそ)


 イライラする。


 算数ドリルがイライラする。

 むしゃくしゃしながら数字を書きなぐる。


(くそ。くそ)


 漢字ドリルがイライラする。

 むしゃくしゃしながら漢字を書きなぐる。


「ダああッ!」


 宿題が終わるや鉛筆もドリルも放り投げてふて寝した。


「……おい、起きろ」


 兄に肩を揺すぶられ、目を覚ます。


「帰ってるなら一度家に顔を見せろ。母さんがまだ帰ってないって思い込むだろ」


 不機嫌な顔の弟に、魃は苦笑する。


「今日、転校生来たんだろ?」


 弟は「知らん」とぶっきらぼうに言いながら寝返りを打つ。


「知らんじゃないだろ。どうなんだ? 友だちになれそうか?」

「どうせすぐ諦める」


 涙鬼はむくりと起き上がり宿題を片付ける。


「諦めてるのはお前の方だろ。まあ、仕方ないったら仕方ないんだけど……。とにかくムリはすんな。俺はいつだって仇を取りに行けるからさ。二度とお前に嫌がらせしないようにするから」


 兄の言葉を受けながら、ランドセルを担ぐ。


「いらん」

「涙鬼」


 涙鬼は兄をじっと見つめ返し、一本調子で言う。


「だったら右目取り替えてほしい。あいつらが何もしなくなっても、みんなの見る目は変わらない。俺は妖怪のままなんだ」

「涙鬼。俺たちは妖怪じゃない。俺だって両手が変だ。でも妖怪じゃない」

「俺は妖怪だ。みんながそう言うんだから」


 涙鬼は道場から出ていった。弟の丸い背中がより小さく見えた。


「どうすりゃあいいんだ……」


 魃はその場であぐらをかいて、頭もかいた。


 露出している部分に呪いがあるかどうか。それを違和感なく隠せるかどうかで人生は決まってしまうのだろうか。


 いや、結局は人間関係だ。魅来が辰郎に救われたように、涙鬼もまた誰かに救われなければならないのだ。


 魃の場合、その性格は父親に似たばかりに自力で最悪な学校生活から脱した。自力で気が合う人間を見定めて、自力で仲間を作って、自力で侮辱してきた奴らを倍にしてやり返した。一言で言ってしまえば“手のかからない子”だった。


 兄だから、というのももちろんあるが。やはり辰郎に似てしまったばっかりに、魃も救われるべき人間の側である事実をすっかり彼は頭から抜け落ちていた。

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