定丸をまぜてはいけない2
「なんだよ」
会いたくない奴ランキング一位の敵を目の前にして、幅屋は足を踏みしめる。負けるものかとにらみ返す。戸上は彼を冷たく無視し、あずまに角が立つ言葉をかける。
「日比谷くん、そいつと一緒にいない方がいいよ」
「どうして?」
「うつっちゃうから。悪いのが」
彼女はあずまの片腕をむんずと引っ張った。はっと幅屋は彼のもう片方の腕をつかむ。せっかく日比谷あずまが友好的に近づいてきてくれたのに、取られたくなかった。
「ちょっと放してよ!」
「お前が放せよ!」
「ねえちょっと……」
あずまはきょときょとと交互にふたりを見る。
「あんたが触るとうつるでしょ!」
「バイ菌扱いすんな!」
「何よ! 同じことしてたくせに!」
「あっ、うっ、知らねえよブス!」
言い慣れた悪口で対抗すると、戸上の顔がぶるぶると赤くなる。
「あんたこそ! お前こそ学校からいなくなれ!」
「待って。待ってふたりとも」
「日比谷くんは黙ってて! 千堂くんと仲良くしてるくせにこいつと仲良くなるのは絶対変だよ!」
あずまは威圧されてパクパクと口を開閉させる。はたして聡く気がついたのだろうか。戸上の悪いところの片鱗。幅屋はこれだから戸上聖子が嫌いなのだ。
「こいつはね、こいつのせいで三好くんと増岡くんは学校に来なくなったんだよ! 野々村さんは転校しちゃったんだよ! 今さら何よ! 何よッ!!」
戸惑っている同級生に目もくれず、感情を爆発させた戸上は厳しい言葉を幅屋に浴びせた。
「じゃあなんで同じ係にしたんだよ!」
「学級委員なんだから仕方ないじゃん! お前が学校に来なかったらいい話やろ!」
戸上は乱暴にいなし唾をまき散らす。険悪な状況に自然と視線が集まってきた。心配の視線、興味の視線、馬鹿にしている視線……徐々に精度は上がっている。
あらゆる感情の視線が集中して幅屋の視覚を蝕む。けれど視線の鮮やかさは、濃さが違っても同じだ。この色はきっと、みんな戸上を支持しているという色なのだ。
間違いなく一年生も混じっていて、菜の花小学校には“ヤバい奴”がいると知られてしまった。学年中に広まるだろう。
幅屋は気持ち悪くなった。第六感どころか病気かもしれない。力を緩めると、あずまは戸上の方へ流れていく。取られてしまう。
そもそも、日比谷あずまは自分の物ではない。どこにいて誰といるのか決定権があるのは本人な訳で。
幅屋はあずまのおろおろと過敏に変化する視線の色を一歩下がったところで漠然と、観察してみた。冷めた訳ではないが、もはや諦めていた。勇気を出したこと自体が間違っていたのだ。途方に暮れそうになった。胸やけがする。胸糞悪い。
あずまは視線の色を選択した。透き通った青い色だ。
「待ってお願い。圭太郎くんはもう誰もいじめたりしないよ」
戸上は「だから?」と涙目を充血させた。涙鬼の泣く姿と重なってしまい、あずまは口をつぐんでしまう。
「いじめが終わっても増岡くんはどうなんの? 転校した野々村さんと教育センターに行ってる三好くんはもういいよ。でも増岡くんはずっと家にいるんだよ?」
肩と胸を上下させて、彼女は荒い息を鎮めていった。小さく口をわななかせると、周りに自分の意見を聞かせた。
「わたしは、こいつじゃなくて増岡くんが学校に来るべきだと思います」
そして挙手した。このアピールは有効だった。粛然と天井へ伸ばされる手。手。手……。
上げていないのはあずまと幅屋、そして輪の外にいる高矢の三人だけ。
「なんだよ! みんな死ね! 死ねよみんな!」
幅屋は蛮声を張り上げた。
「死んじまえッ!」
「圭太郎くん!」
人だかりを押し退けて校舎を飛び出した。
校門前にいた崇城は幅屋の逆走に気がついて声をかける。ついさっき珍しく日比谷あずまと登校したばかりだというのに。
「なにっ」
崇城は鬼気迫る少年にまとっている見えない何かに触れた気がして悪寒が走る。
幅屋は立ちふさがれ伸ばされる腕から力任せに抜けた。
走って。走って。走って。転びそうになって。また走って。
とぼとぼと。
ぐす、と鼻をすすり、口周りを舐め、目頭を拭いながら“ドラえもんの空き地”へ逃げた。
足のない定丸がいる。ランドセルを放り投げて蹴散らし、土管の中に隠れた。
「ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう!」
強がりの情けない声が反響する。
「ちくしょう! 死ね! みんな死ね! 死ね!」
三好は勝手に教育センターに通い、野々村は勝手に転校しただけだ。増岡も勝手に不登校になっているだけだ。
「悪くない! 俺は何も悪くないんだ!」
俺に負ける方が悪いのだ。俺なんかよりも弱っちいのがいけないのだ。
苦しくなってきて、やがて呻くだけになった。ぐしぐしと鼻水を流した。意地でも涙は流してやるものかと眼球に力を込め、ふうふうと腹から呼吸をした。
“幅屋圭太郎くん――”
耳をふさぐ。今は誰の声も聞きたくない。
“いっしょに千堂を殺そう――”
もう千堂涙鬼には手を出してはいけないのだ。奴の兄のことを思い出して打ち震える。
“汚らわしい力に感染してしまった――”
汚らわしい? 鼻水まみれな自分のことを言っているのか?
“わたしをまぜて――”
向かい合わせに、定丸が手を伸ばす。
“わたしだけが味方――”
手が伸びてくる。金色の瞳孔が笑っている。どこかで見たことがあるような――
「おーい」
後ろから声をかけられ顔を上げた。ゴツンと頭を打った。
「い……ッてェ……」
悶絶。
「おい」
今度は前から声をかけられた。真顔の高矢が覗いていた。どんどん腹が立ってきた。
「なんだよ! ちくしょう!」
物音がした。高矢がランドセルと投げたらしい。
「おじゃましまうま」
珍しくギャグを放出して、土管の中に入ってきた。
「入ってくんなっ」
「ひひ~ん」
細身の高矢は軽々と頭一つ分の距離までほふく前進する。
「きったねぇ顔。カバじゃなくてブタみてぇ」
「うるせぇうるせぇ! いってェ!」
殴ってやろうと腕を上げようとしたら肘をぶつけた。高矢は頬杖をついてニヤニヤした。




