千堂魁は謝罪しなければならない
ちょっとだけ長いです(当社比)
「人の子の戦利品を勝手に拝借するのはいかがなものか……」
辰郎は大きなあくびをして言う。彼は魁に叩き起こされ、眠気眼をこすりながら縁側にあぐらをかいていた。
「ちゃんと許可もらってるよ。ほら、飲みな」
魁もドスンとあぐらをかき、お猪口に大吟醸の熱燗を入れ、赤い鼻をすする辰郎に差し出す。
「せっかくの息子の大健闘を見ないで、ぐーすか寝てんじゃないよ」
「しゃあないだろ。姉貴には逆らえない。なんで正月にやんだ、こら」
宴会の酒が抜けきっていないのか、辰郎は不機嫌な面をしている。目がすわって今にも噛みついてきそうな獰猛な顔つき。知らない者は怯え近づこうとしないだろう。
熱燗を一口飲むと喉から腹まで温まり、もう一口飲むと全身が温まる。ふーっと息を吐けばぼうっと白い気体が出た。気体はゆらゆらと龍のように昇り、冷たい空気の中で分散する。
「ま、魃もなかなか弱い男だね」
魁はグイッと一杯を一気に飲む。
「おい勝手に俺の子にケチつけんな」
「……姉ちゃんから、こっちに来るのをやめたって聞いた時、ホッとしたようで、ムッとしたようで」
魁は辰郎にお酌をしてから自分のお猪口にも熱燗を入れる。それを繰り返す。
「あたいは今あっちの世界で仕事作って、働いて、第二の人生を歩んでるけど。あたい自身は別に構わないんだよ、呪いがあるのは。旅の途中、何度もこの足に助けられたし、鬼があたいの力になってくれる。この中の鬼さえ手なずければこっちのもんだからね」
彼女は自身の胸をぽんと叩き、表情に陰りを作る。
「ただちょっと、可哀想っていうかね。あの兄弟ちっとばかり繊細で、弱いところを突くと感情のままムキになったりする。あんたにそっくりだよ」
辰郎はムッとする。
「今回は牛方彦に煽られて、力をいい具合に引き出して勝ったけどね。たかがぜんざい、されどぜんざいってね」
「珍しく切なげだな」
「あたいは姉ちゃんの妹で、お前の義理の妹になるから呪いを解かなくちゃって思った。姉さんのためだけじゃなく、生まれてくる子どものためにって思った。あんたのためにも」
神から送られた酒は想像以上に強いらしい。目頭まで熱い。
「解けた呪いの行く先がどうなるのか、危険なのは理解してるつもりだった。でも探し続ければきっと解決の糸口が見つけられるはずだって……十年でやっと諦めた。今度は魃が、涙鬼の兄だからそう思って、三年して諦めた」
「もう平気だと思って受験を決めたんだから、そう言うな」
「タツロー。鬼は心が弱いほど凶暴になるものだろ。特に思春期ってものは、赤ん坊の頭蓋骨みたいなもんじゃないか。あたいもそうだった。また気が変わるかもしれないから、ふたりが若いうちは色々と覚悟しといた方がいい」
覚悟……と、辰郎がつぶやく。千堂家の姉弟、姉妹は必ずと言っていいほど呪いに対する捉え方が、未来への思いが違う。魁次郎の兄は悲観的な人物だったという。魅来もどちらかといえば諦観していて、いつでも死を受け入れようという姿勢であった。対照的に、魁次郎は楽観的に考えようと努めていて、魁は感情的になっている。
魃も涙鬼も生活環境に対する不満をくすぶらせているが、感情に火をつけるのは魃だろう。結局、遅かれ早かれ勇敢にも行動を起こす。
「あたいも性懲りもなく考える瞬間がある。結果は変わらない。たとえ呪いが解けたとしても恨みまで消すことはできない。感情をコントロールできる魔法があるとして、それは根本的な解決にはならない。頼らざるを得なかった鬼の力を失わせて、どうやって奴らから身を守ればいいのか。奴らからの攻撃を取るか、人間からの攻撃を取るか。あたいはいいさ、強いんだから。だけど生まれてくる子どもたちには戦う術が与えられるのかどうか。四六時中ずっとそばにいられる訳でもない。どんなに健康でいても、あたいらが先に死んでいくんだ」
辰郎は相槌を打たずに酒を飲んだ。どんなに平穏が続くことを祈っても、叶えてくれる神仏はいない。自分たちにできることは家族を見守り、壊された平穏を修復することに努めるだけ。
「あんたに謝りたいことがあるんだ」
「うん?」
「ほんとは接戦を繰り広げるべきだったんだ」
「なんのことだ」
やけに真面目な低い声音で、辰郎は魁の顔を覗き込む。彼女は興覚めしたようにも見える面持ちでこちらを向こうとはしなかった。
「あたいは蹴りを一回、赤角に入れただけで勝った。逃げ回って、奴の背後に回って、ケツに蹴りを入れてやったんだ。騒然としてたよ」
「まあ、そりゃあ、神さまが無様にやられちゃあな」
「あんな図体をしていてこんなもんか、見かけ倒しだって馬鹿にしたよ。牛方彦は手を叩いて笑っていた。赤角も悔しがってはいたけど、あの時はなんにもお咎めはなかった」
「それが、俺になんの関係があるんだ?」
魁は「ああ」と声を震わせて項垂れた。お猪口が逆さになって酒が流れ落ちるのに辰郎は唖然とした。酒好きの彼女が一杯でも無駄にするなんて只事ではない。気の毒にも思えてくる。
「ああ、たしかに。あの時はまだアンタとは知り合ってなかったし。でも――」
見上げようとして、やめた。魁は目を合わせられなかった。
「アンタの背中の怪我を見て……あたいにも責任があるって。赤角を卑怯な手で負かしたから、そのしわ寄せがアンタに行っちまったんだって」
「そんなわけあるか」
「あるんだよ。憂さ晴らしにアンタは利用されたんだ。姉ちゃんに関わろうとするから痛い目を見るんだって最初は思ってたさ。でもそれだけじゃないって気づいた」
長年、それがしこりとなって残っていた。十年粘ったのも後ろめたい気持ちがあって、呪いさえなくなれば万事解決する、と。償いになる、と。それが支えにもなって頑張ってみたのだ。そして徒労に終わった。華の二十代は呪いの容認と諦めと絶望で幕を閉じた。
魃はうまくやってのけた。魁は心の底から思った。彼が身を削ったおかげで、鬱憤の矛先が弟の方に向けられることはないのだ。小学校にいた敵のことは聞いたが、正直なところレアケースだろう。
「もしミクちゃんと一緒じゃなかったら、ミクちゃんが危なかったんだろ?」
「正当化するならそうさね。タツローが身代わりになったんだって。でもそもそもあたいが空気を読んでいれば、アンタはあそこまで痛めつけられることなかったはずだ」
「結果論だ、んなもん。らしくねーってお前」
魁の体がほんの少し膨らむ。彼女は大きく息を吐きだした。うなじは赤らんでいて、灰色の後れ毛が銀糸のように揺れている。
辰郎は何か気の利いた言葉をかけようと一考しようとして、いきなり肩に腕を回され体重をかけられた。
「ちょ、重い!」
図体がでかいので余計に。もしかして彼女の方が体重はあるかもしれない。
「いやぁ、魃はすっかりお前の顔に似てきたじゃないか。んん~」
「おいやめろっ。酔ってんな?」
頬に唇をうずめてきたので、辰郎は顔を真っ赤にして身をよじった。
「なぁ、最後にしたのはいつだよ?」
「は?」
「げへっ、なぁに決まってんだろぉ! 姉ちゃんはまだまだべっぴんさんだろ~? 三人目作んねぇの~? 野球チーム作ろうぜ~」
彼女は目元と口元をだらんと垂れ下げて、猫なで声を出す。
「もう飲むのやめて寝ろ。俺もまた限界きた」
昔から下ネタが多い奴だが、酔っぱらえばもっと酷い。魁は飲める量こそ多いが、酔う早さは常人並みなのだ。そもそもこの大吟醸がただの大吟醸かどうかもわからないのに。
「なんだよぅ、こうやって飲み交わせんの年に数回なんだからぁん」
「休みがあればちょくちょく来ればいいだろ」
「あ~んもぉ~。あたいを側室に入れろ! 足の裏を舐めさせろ!」
もうむちゃくちゃ。足の裏が云々は本格的に酔っている証拠となる。
「ほら、もう終わり! 片付けるかんな。風邪ひくぞ」
「あ~んもぉ~。いけずぅ」
魁は縁側にあおむけで寝そべる。片膝を上げ、がっしりと筋肉がついた太ももが揺れる。
冬の夜は暗い。それなのに今夜は特別にぼんやり白く感じるし、魁に色気があるように見えたのも酒の効果なのか。どちらにしろ、魅来に対する感情に勝ることはない。
「ほら。引きずるかんな。ミクちゃんゴメンなぁ……ウワキじゃないからぁ……」
辰郎は重い魁の両腕を引っ張り、室内へ引きずり込んだ。すると魁は急にアリスの『遠くで汽笛を聞きながら』のサビをべろんべろんに歌い出すので、辰郎は困り果てた。こんな姿、義母には見せられない。
「好きな世界を選べよ。生きていきたい方、生きていけそうな方を選べよ」
「向こうにもタツローがいたらなぁ~」
魁は嘆き、笑い、そして可愛いいびきをかいた。




