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千堂魁は狐の思惑が気に食わない

 ラーメン屋『きつね軒』の男は客側に座っていた。魃がしょいこんでいる間は客足があって一区切りついたのか、ずっと暇だったのか、煙草を持つ手をぶらつかせている。


 魁は皆に「ちょっと世間話でもして待ってて」と満面の笑みで断りを入れてから、立ち上がる男にずかずかと歩み寄る。


「アンタね」


 魁は男の胸を無骨な指でつつきながら、小声で怒る。


「まさかじゃないけど今しがたのヤツ、アンタがけしかけたんじゃないだろね」

「まさか。明子さまがいて?」

「いるからだろ」


 男は毒気のない顔つきで、ちらっと明子を見やる。彼女はあずまに「間一髪だったぜ!」と小躍りしている。


「楽しそうで何よりではないか」

「だから思惑は外れちまった、だろ? それとも占いの方か」


 魁は見破ったつもりでいる。男は素っ気なく、灰が落ちて短くなった煙草を手の中へと自然な動作で隠す。ジッ……と焦げる音がした。マジシャンではあるまいしと魁は白い目で見据えている。


「まさか俺が、いちいち占いに頼らないと生きていけないとでも?」

「独断だったらアンタ、責任取れんの?」

「独断なはずないだろう」

「どこ」

「ヘビ」


 魁は邪険に肘鉄砲を食らわしてやろうとして、寸前で止めた。子どもたちの前で“一般人”に暴力を振るうわけにはいかない。自分や父がいたからやってのけたのだろうが、それでもこの男は女の子を危険にさらそうとしたのだ。ふたりきりなら肘を一発だけでは済まなかった。


 彼ら“狐”といえば、“トラの足”と“ヘビの尾”の側についている。傘下ではない。これは実家を出る前の話だが、十年以上たった今でも変わらないはずである。


 ただ“トラの足”は、辰郎の足抜けからの千堂家への婿入りをきっかけに、形態に変化が訪れた。かき乱したと言った方が正しいか。

 他の四家も世代交代へのカウントダウンが始まりつつある時期だろう。“狐”も次の立ち回りを思案しなければならない。けして彼らは服従しているわけではないのだ。


「なあ藤八(とうはち)。アンタらは期間限定とはいえタツローに協力してくれたろ。あの子にも猶予を与えてやれないの?」


 藤八は身構えるのを解き、真剣な顔で耳打ちする。


「次のヘビ……若様は明子さまを案じているのだ。今の姿を若様に見られでもしろ。心がかき乱され、失望されてしまうぞ。トラの株が下がっては四家の関係性が損なわれて泰京を守護する力が崩れるぞ」


 次の“ヘビの尾”はいわゆる保守派というわけか。もし早い世代に生まれていたら、辰郎も寅子も、姉の魅来も許さなかっただろう。

 四家の均衡がどうのこうのという話は、耳にタコができそうなほど聞いている。久々に耳にして魁はうんざりした。


 明子が身ぶり手振りで試合の感想を魃に聞かせている。魁次郎は米俵に腰かけ、彼女の全力で伝えようとしている姿を微笑ましく見つめている。

 魃と涙鬼はやはりこちらの様子が気になっていて、あずまもちらちらと顔を向けてくる。


 魁は鼻を鳴らした。


「のっぴきならない事態だって? 見てわからないのかい? 生き生きしてるんだよ。まあ普段はどうなのかあたいは知らないけど。決めるのはあの子だよ」

「何もかも決めさせていれば取り返しがつかないことになる。大人は子どもを放置してはいけない」

「それが本音じゃないのかい。わざとそうやって、気にかけるように仕向けたつもりなんだろ」

「取り付く島もない態度はよせ」


 会話が止まりにらみ合う。


「おーい! おばちゃん! 寒くなってきたぜ! ラーメン食うのか!?」


 明子が大声で呼んだ。はつらつとした彼女の笑顔に、藤八は柔らかに口角を上げた。


「一杯食ってあったまってくか? 噂によれば別世界に住居を構えてるんだってな。いろいろ話を聞かせてくれないか」

「化かされたくないから帰る」


 魁はけんもほろろに踵を返し、顔だけ振り返り舌を出した。藤八は顎を引き、目を細めた。「ざんねんだ」と潔く、ならばもう用はないとばかりに彼もまた冷たく踵を返して屋台の裏側へと回った。暖簾で顔が隠れ、魁はもう一度「んべ」と鼻筋にしわを寄せた。


「彼はなんて?」


 魁次郎は戻った娘に問う。


「……明子ちゃんと仲良くやりなよ」


 魁は涙鬼と魃に向けて答えた。それが当然の明子はにんまりと顎をしゃくらせる。ふざけた表情を向けられた涙鬼は白い目で返した。


 魁は具体的な答えを明かさなかった。父なら悟ってくれるに違いなかったからである。


「ラーメンは?」

「こんな時間にラーメンは美容の天敵だよ」

「おっと、そいつは困るぜ」


 明子は丸い頬に手を当てた。


「きつね軒のラーメンはおいしいんだけどね」

「げ。親父あいつの店行ったことあんの?」

「あるよそれくらい。餃子がね、おいしんだよ」


 いつか食べに行こうね、と魁次郎は子どもたちに言った。


 子どもが寝るにはあまりにも遅すぎる時間に千堂家の屋敷に着いた。涙鬼、あずま、明子の三人は座敷で広々と川の字で寝た。


 明子は口を半開きにして眠っているが、涙鬼はまだ眠れない。

 舞台上の兄の姿が脳裏に焼き付いている。形式上の話でも、合意の上だとしても、兄は神に刃向かったのだと、涙鬼にはそうとしか思えなかった。


 あの話の流れだと、いずれは自分が赤角と何かで競うことになる。

 双剣を一振りで、一振りしただけにしか見えなかった。赤角の図体に似合わない敏捷(びんしょう)の剣術。剣術ではかなわないだろう。涙鬼は布団の角を握りしめる。


 敷き布団が初めてのあずまは初めての湯たんぽを抱きながら軽くうとうとしている。


「夢の中にいるみたいだ……」

「まだ寝てないぞ」

「明日、忘れないうちにお母さんに話さなきゃ……日本に来てから、話したいことたくさん増えたよ……」

「そうか」

「ありがとう……」


 涙鬼は顔を向ける。あずまの瞼は重く、半分意識が飛んでいるのか焦点がずれている。


「お礼を言われるようなこと何もしてないぞ」

「魁次郎さん、強くなれって言ったよね……俺も強くなれる……?」

「今のままでいい」


 まだあずまの一人称に違和感がある。戻せと言ってやりたいが、それだと明子がうるさい。


「強くなったら……助けられるよ……友だちいっぱい……つくらなきゃ……」

「危ないぞ。あまりこっちに来るな」

「こっちってどこ……」

「お前はふつうの人間なんだぞ」

「んむう、んん、知りましぇん……んむう……」


 あずまは寝息を立てる。涙鬼は体も彼の方に向かせる。すると明子が「わまま……」と謎の寝言を言うので、白けた顔で布団を頭までかぶった。

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