神さまが決めたルールは守らなければならない
金色の吹雪に、牛方彦は柔らかに手をかざして受け止める。
「壮観であろう。降参することなく、最後までよくぞ耐えた。赤角はあのように胸を熱くさせて息巻いているが、今回も楽しませてもらった。圧巻であったぞ」
「たのし……」
魃は素直に喜ぶことができず、ぐったりと膝をついた。両手の甲が重く持ち上がらない。渾身の力を振り絞り続けたのだ。もしかしたら人生初めての筋肉痛をこれから味わうかもしれなかった。
「こいつらはちょいちょい千堂家にちょっかいを出してはこうだ」
魁が高く飛び込んできた。砂金の大粒を目ざとく掴み取ると指の腹で転がしてじっくりと目利きをしだす。
「少なくとも滅ぼそうだとか、そういう悪いようには思っちゃいない。ちょっとしたおふざけ。
恒例行事だよ」
「何言ってんだおばちゃん! 魃ちぃのお手手がどうにかなってんだぜ!」
明子は中途半端に舞台によじ登り、指差して不平を飛ばす。
「これもご愛嬌だ、娘。許されよ」
「なーにがごあいきょうだ! うわわ」
反抗的な目をしながら舞台からずり落ちる明子に牛方彦は声を出して笑う。その回りではセコンド小鬼たちが箒とは塵取りを手にせっせと降り注がれるものを集めている。
「三日も経たないうちに全部治っちまうよ。どうだい、今の気分は?」
「さいあく……」
魃は上目遣いで叔母をにらんでみせるが男らしく微笑み返される。
セコンド小鬼の一体に目を向けた。気づいたセコンド小鬼が小走りで彼の手袋を差し出そうとして。
「ふざけるなッ!」
観衆の波から濁声が上がった。毛むくじゃらで羊にも猿にも見える、人面の前足の長い大柄の化け物がのしのしと波をかき分け前へ躍り出る。溝のような異臭に涙鬼は鼻をつまみ、あずまは息を止める。
「おい、よせ」と涙鬼に文句を言っていた輩が引き留めようとするが、その化け物は止まらない。尻尾の毛を逆立たせ、不揃いの大きな牙にねずみ色のよだれをまとわせ怒る。
「まさか神が八百長をするとはな……失望した!」
牛方彦は何を言っているのだろうとばかりに首を軽くかしげて、魃に同意を求める視線をいい加減に投げた。
「おいお前たちもだ! 千堂家の小僧が勝ってなぜ喜んでいるのだ!?」
しまいには神に背を向けて観衆に訴えかけ始める。戸惑い隠せない者は大勢いた。その戸惑いには種類があり、そのほとんどが呆れや怯えから来るものであったが、激高している怪物は気づいていなかった。
怯える童小路と目が合い詰め寄る。
「お前もだ!」
「やめて怖がってる!」
あずまは童小路の前に立ち腕を広げた。涙鬼は彼の行動が信じられないまま足が動かなかった。
「あずまくんは勇敢だね」
寡黙でいた魁次郎が間に入ると、大きな円を作るように、彼らの周囲が距離を置く。
「人間の分際で俺にものを言うつもりなのか!?」
化け物は魁次郎に目もくれず後ろのあずまを見下す。
「そっちこそルールを守ってよ! ここは牛方彦さんと赤角さんの陣地なんだよ!?」
あずまが負けじと言い返せば、そうだそうだ! と、周りが化け物を非難する。
「おい何してるんだね!?」
さらに明子が魁次郎の前に立った。涙鬼は動けないままだった。タラ福を相手にした時はそうでもなかったのに、敵対する者を前に堂々と彼女が立ったのを見て、無性に動きたくなくなってしまった。みんなが動いたのだから、自分はそうする必要はないと意地を張った。
「ふん! 何が“トラの足”の娘だ! この俺に威光は効かん! 裏切り者を輩出した四家など滅びてしまえ!」
「それは辰郎おじちゃんのことを言ってるのかね?」
明子は声を低めてぎろりと相手を見据えた。
「呼ぶ価値もない奴の名前など知るか!」
「タツローを侮辱するヤツは許さないよッ!」
魁が舞台から降りて怒鳴った。父親である魁次郎は薄らと微笑みを顔に貼りつけている。
「明子ちゃんの威光が効かないということは、さては泰京の外から来た。あるいはあなたさまこそ裏切り者ということになるになりますが、いかがでしょう?」
「国一番の大妖怪だったのは昔のことだ。四つに分断された上に人間の言いなりに成り下がり、未だにそいつとの約束を守っているというではないか。そんな奴らが泰京を牛耳っているなど片腹痛い!」
魁次郎は片腕をそっと上げ……しかしやめて顎をなで、こいつの背後を見やった。
ずん! と地響きが鳴る。赤角が櫓から降りたのだ。
「それ以上我々の前で勝手なことを抜かすなよ小童」
化け物は振り向きながらボコボコと体を大きくさせ赤角を見下す。
「何を偉そうに! 千堂家よりも弱い神の命令など聞けるのか!? なあお前たち!」
賛同を得ようとするが、誰ひとり声を上げようとはしなかった。ひとりくらいはいたのかもしれないが、声を出す前に肝心の化け物は細切れになり、炭になって死んでしまったので口を閉ざすほかなかった。
「だまれ」
赤角の両手の大剣が金色に輝く。
「腕力で負けたからといって何だ? 神の威厳は腕力のみで決まるのか? 否だ」
大剣が小さくなって耳飾りに戻った。
否! 否! 否ァ!
観衆は赤角に賛同して拳を突き上げた。
一変した事態は急速に収束した。セコンド小鬼たちは余計な仕事を増やしてくれたと不満げに、炭を片付け始める。
「約束通り、お前たち兄弟は死ぬまで我らの神社に来てもよい。ご利益は一切与えないが。なあ、赤角」
「次こそはおれが出る。お前が相手しろ。何を賭けるかはその時に決める」
指名された涙鬼はびっくりした。
「お前はさっさと早く女を見つけて子を沢山儲けろ。次の世代でも遊べるようにな」
頬を引きつらせる魃のもとへ、行司小鬼が近づいてきた。
「千堂魃よ。牛方彦様は至極満足をしておられる。達者でな」
行司小鬼は晴れ晴れと言った。魃は唖然とした。
「“トラの足”の娘よ、そのうち牛安一同引き連れて天頂環へ赴くこう」
「皆の衆、これにてお開きだ!」
牛方彦が明子に約束をして、赤角が叫んだ。行司小鬼は魃から一歩下がり、すっと表情を素っ気ないものに変えた。
「一本締めよォ~ッ!」
赤角に合わせ一斉に一本締めがおこなわれ、牛のかぶり物の踊り手たちはくるりと回って跳ねると朱色の噴き上がる煙となった。
煙が消えると舞台ごと牛方彦たちの姿はなく、魃ひとりだけが立ち尽くしていた。




