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牛方彦①~千堂魃はアウェーでやらなければならない~

「道を開けよ!」


 観衆はぞろぞろと左右に移動し、その間を涙鬼たちは通っていく。

 誰が神で誰が妖怪か、一歩進むたびに汗の酸っぱい臭いや雨が降る前兆のような独特な臭い、動物園の臭いや湿布のような臭いまでもがする。肌がべたつき始め、上着を脱ぎたくなる。


「来よったな」

「こりゃまた、貧相でひょろい子孫だわ」

「あれはカイジロウではないか? 随分としわくちゃになってしまったではないか」

「あの卑怯な小娘もいる。相変わらず生意気な顔をして腹立たしい」


 彼らは悪びれもなく口々に言う。千堂家を忌み嫌っている者や、気の毒に思っている者、あるいはどちらでもなく関心の眼差しを向ける者。あらゆる感情の視線が向けられ涙鬼はひとり混乱してしまう。


「今回も兄弟の片割れだけなんだろう?」

「どうしていつもひとりしか戦いに挑まないのやら」

「さあ、どうしてだろうね」

「だが今回は長男の方だろう? いつもは次男か次女だったではないか」

「まあまあ、見たまえよ弟の方を。あんなにちっちゃくてアリンコみたい……」


 針のむしろのようでたまらず唇を噛む。安全だと叔母は言ったが、安心はできなかった。

 父が野球を見ている時、アウェーだからどうのこうのと言うことがあったが、この状況こそがアウェーゲームというやつなのだろう。


 またしても思わず祖父の袖をつかみ、兄の方を見上げる。こんなところで恥をかく訳にはいかないと、強張った顔をした兄の緊張が伝わってくる。


 涙鬼が兄のことを気にしたのに対し、魃は祖父と叔母のことを気にしていた。とうの昔に勝利を収めた身であるからなのか、ふたりは包囲された熱気に構わず平気な表情をしていたからである。()()()()()()()成績があるからこそ、彼は憂慮していた。


 尊厳のために。自分たちには何の罪もないのだから叔母の言ったことは正しいとは思ってはいるが、本番直前になって未だに魃には引っかかりがあるままでいる。本当に勝ってしまってもよかったのか、かえって反感を買ってしまうのではないかという懸念である。

 結局、兄弟そろって不安がり、ひとりで抱え込もうとしていた。


「堂々としな。お前がメインだ」


 魁は魃の肩を叩いて活を入れる。痛みに顔をしかめる甥に、彼女は男らしい笑みを浮かべた。


 あずまが「ここだよ」と手を振っている。観衆の前列まで進むとより一層の熱気を感じたかと思うと、ほんのりとお香の香りと心地よい風を感じる。それは櫓の上でくつろぐ牛方彦のためにあおがれている巨大な扇によるものであった。


 糸の一本一本が燃え盛るように装束は赤く輝いている。かがり火に照らされている牛方彦は赤角よりも目立っていた。彼がおもむろに前腕を上げると、ややあって場は静まりパチパチと火が跳ねる音と、遠くの屋台を楽しむさざめきが残る。


 牛方彦は魃に告げる。


「この通り、望み通りに腕相撲だ。もしその(ほう)が勝てば、二人は今生ここへ通って構わん。おれが勝てば二度と姿を現してはならん」

「……わかりました」


 自分に言っているのだと、魃は慌てて返答した。


「では、先に誰かと競ってもらおう。肩慣らしは必要だ。しかし負ければそこで終わりだ」

「は?」

「まずは三勝してもらおう」


 牛方彦の手振りを見て、行司子鬼が慌てて舞台の中心に移動する。


「一人目、東! 雪まくり!」


 名前を呼ぶと、東側から蓑を羽織った眉の太い少年が現れ舞台に乗り上げた。どどんどんどん! と太鼓役は打ち鳴らす。


「牛方彦め、体力を消耗させるつもりだな」


 つまらない奴め、と魁は鼻を鳴らした。


「西! ……西っ! このトンチキめ」


 行司子鬼が早くしろと言わんばかりに手招きしている。魃は戸惑いながらも舞台に上がった。


 本当に三人もやらなきゃいけないのか? 視線をさまよわせるがその問いに答えるものはいなかった。しかし、文句を言う者はいた。明子である。


「おい! 卑怯じゃないのかねッ!?」


 魃はぎょっとした。会場がどよめく。赤角が全身の筋肉を盛り上がらせてブルブル震え、行司小鬼と雪まくりはガクガクと震えた。童小路も怖がってあずまにしがみつく。


 牛方彦は涼しげな顔をしていた。


「ハンディキャップと言えば通じるか? おれは力比べとは縁遠い。非力な男なのだ。だからおれを選んだのだろう。お前は手に力の根が封じられている。力の根が足にある千堂魁が足に自信があるように、だからお前は有利な腕相撲を選んだのだ」


 はんでぃきゃっぷってなんだ? ひそひそ声が聞こえる。


「であればおれにも有利な条件があってしかるべきなのだ。嫌ならおれが得意な流鏑馬(やぶさめ)で競うことにし、お前にハンディキャップをやろう」


 牛方彦の新たな手振りに行司小鬼が指笛を鳴らすと、火の光が届かない闇の奥から二頭の馬が出てきた。


(冗談じゃない!)


 魃は額を擦った。


「魃ちぃ! やぶさめ得意かねッ!?」

「んなワケないだろ……」

「じゃあやっぱり卑怯もごごごッ!」


 魁は舞台に乗り上げる勢いだった明子の口をふさいだ。


「世間知らずなお嬢さまで悪かったね。まずは三勝。こちらに文句はないよ」


 したばたする明子に構わず、魁は言い切った。牛方彦は「それは残念だ」と馬を下がらせた。


「名前」


 魃は落馬で恥をかかずに済んだと胸をなでおろしていると、行司小鬼に声をかけられる。


「名前っ」

「え? ああ、千堂魃」

「西! 千堂ひでり!」


 ちちちちちちちーん。

 ずっと準備していた摺鉦(すりがね)をようやく叩く太鼓役。


 魁が叫ぶ。


「さあ、覚悟を決めな! 三連覇を決めるんだよ!」


 三連勝ではなく三連覇。魃は顔を引きつらせて笑った。

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