余談~みさ子との出会いについて~
「いい加減見苦しい。病院に行け」
僕がみさ子さんを知った日もそう言った。
夏服から冬服へ移行する最中。琥将も合服を着ていたが、ふとした拍子で包帯の形が見えてしまっていた。絶え間なくどこかを怪我しているため、さすがに周囲も見慣れてしまって興味も薄れていたが、僕はそうもいかなかった。
「浮気になるからイヤだ」
「……何をどうしてそういう結論になる?」
「ナースの脚見たら興奮する」
魅来さんに聞かれまいと耳打ちしてきた。
「アホらしい」
「医者に聴診器当てられたらドキドキすんじゃん。いででででで! つかむな! つかむなって!」
「勉強の邪魔をしないという約束はきっちり守ってもらう」
相変わらず自然治癒が追いつかない負傷をしている琥将の二の腕を引っ張った。注目の的になろうが、それは日常茶飯事で無視してしまえば問題にはならなかった。
しかしこの男の怪我は目に余った。本人はピンピンとしている風を装っていて、実際その通りだったのかもしれないが、これは彼のためでもあった。
魅来さんが鬼札の提供を考えた。自分のためにと琥将は感動していながら、それが問題だということを気づいていなかった。
彼女はいつも通りの態度を見せているが、胸の内ではどう思っているのか。たとえ何も思っていなかったとしても、琥将は彼女のことを思うべきだろう。ピンピンしている姿を見せていればいいと思っているなら短絡的ではなかろうか。
「ミクちゃん! ミクちゃーん!」
琥将の助ける声にふと反応した魅来さんはいつもの速度でついてきた。助けを求め伸ばしている片腕に追いついた彼女は、ゆっくりと手をつないだ。
琥将はあられもない声を出して以降、一言も発さなくなった。日に日に魅来さんへの気持ちが膨らんで、いざ距離が縮まると熱暴走を起こしてしまうようになった。
「なーにやってんだアンタら、初々しいな」
魁さんが自転車で現れ呆れた声を上げた。彼女は部活動をやっていないので、こうやってわざわざこっちまで来て一緒に帰るようになった。
「ついに手をつなぐようになったかと思えばなんだい? おい、タツロー」
魁さんからデコピンを食らっても無反応だった。
「琥将を病院につれていくから、今日はふたりだけで帰ってほしい」
「だってさ。ほら姉ちゃん。奴は仲人に任せて、うしろに乗って」
魅来さんの手が離れると、緊張していた腕がだらりと揺れながらも、手は名残惜しそうにしていた。
「ったくさぁ。“トラの足”ってのは、ヤクザか何かなんかねぇ。やれ寅子さんに迷惑をかけるな、やれ四家の秩序を守れ。姉の方を立てるために弟の方をたこ殴りにしようってのは正気の沙汰じゃないよ。まあ、そうなるまえにあたいが【馬形】を突っ込ませてやったんだけどね」
鬼札を馬の形に折って気力を込めるとたくましい霊馬となる。魁さんが得意な鬼札の使い方であった。手本を見せてもらった際に琥将も見様見真似でやってみたが、気合が足りないことを理由に変化が起こらなかった。
「因縁をつけられたらどうするんだ」
「千堂家は因縁つけられてなんぼさ。今に始まったことじゃないよ。むしろ意識そらしてあげたんだから感謝してほしいくらいだね。じゃーねー仲人。ちゃんと病院に押し込んどけよー」
姉がヘルメットを着用したのを確認して、魁さんはペダルをこいだ。
愛しのミクちゃんがいなくなったと気づいた琥将はしくしくと泣き出した。
きつね軒の時にも思ったが、彼は情緒不安定なところがあった。複雑な家庭環境だからなのか、内面に螺鈿に輝く瑠璃色の目の龍がひそんでいるからなのかはわからないが、いろんなものが絡み合った結果、感情のコントロールがうまくいかなくなっている。
「魅来さんが心配するだろう」
すっかりおとなしくなった琥将を病院に押し込んだ。もはや、信ぴょう性のために僕を不良から救おうと怪我を負ったと、今回もそう嘘をついていようがどうでもよかった。
待合室で参考書を見ていると、そこに淡い影が落ちた。見上げると、年齢が近そうな女子が参考書を隣から覗いていた。僕が気づいたと、彼女も視線を上げた。
「今日も友だちを連れてきたの?」
「……これにて僕は失敬するよ」
「え?」
急に立ち上がった僕に対し彼女はぽかんとしていたが、僕は構わずその場から立ち去った。呼び止められたかは覚えていない。眼鏡のブリッジを押さえて表情をごまかした。僕としたことが。
琥将を置いて病院から出た。しばらく歩いて、適当に目についたバス停のベンチに腰かけるとやがて落ち着きを取り戻した。すると思い出したのが管先輩の占いで、僕は振り払うように頭を動かした。
夜に琥将から電話があった。僕を探していたところに可愛い女の子が現れ、もう帰ったことを教えてもらったのだという。置いてけぼりにされたことを咎めはせず、今にも笑い声を上げそうな声音で彼は言った。
『みさ子ちゃんっていうんだって。俺らが病院に来るのいつも見てたって』
「きみはいつも目立っているからな」
『おお、役に立ったな。ひひひひひひ』
大笑いになるのを遠慮したような風で、鼻息が受話器越しでボウボウとうるさかった。
『そんでさ。知り合ったからには何かの縁だろ? 明日またお見舞いに行くことになったかんな』
「また?」
『あのあとめっちゃしゃべったから、俺らみさ子ちゃんのお見舞いのために病院に来たんだなあって思ったんだよ』
「きみの積極性には感心するよ」
『かっちゃんのことも知りたがってたかんな。ひひひひひひ』
「やめろその笑い」
気色の悪い笑いをやめない男に、僕は電話台に頬杖をついた。
「めっちゃしゃべったって、どこまでしゃべったんだ」
『どこまでっつわれてもな』
「きみの家についてだとか、恋人についてだとか」
『ヒェーー!』
突然の奇声に僕は受話器から少し耳を離した。小さな金属がいくつか落ちる音もわずかに聞こえ、公衆電話からかけているのだと知った。
「テレホンカードを持っていないのか」
『持ってるけどもったいないもん』
「使わない方が損だろう」
『だって星野仙一のテレカだもん』
そういえば今年の中日ドラゴンズの戦績は芳しくないらしく、ラジオで試合を聞くのもためらっているらしかった。微妙に声音が落ち込んだかと思えば、すぐにまた気色悪い笑い声が生まれた。
『へへへ。恋人。へへへ』
魅来さんとの距離は縮まってはいるが、未だそういう関係には至っていない。
この様子では彼女のこと、千堂家のことは言っていないと僕は判断した。
「お見舞いはキャンセルできないのか?」
『何言ってんだよ! 行くの!』
「病院嫌いじゃなかったのか?」
『それとこれとは話は別腹! じゃ! ばいばいばいばい!』
一方的に切られた。
翌日の放課後は立場が逆となり、琥将が僕の腕をつかんだ。
「ミクちゃんも手伝って!」
行くのを拒んだ僕の手を魅来さんは取った。そう指示した琥将は「チキショーッ」と悔しがって意味がわからなかった。
左に琥将、右に魅来さん。途中から魁さんが先頭に入り、三人に囲まれた僕は渋々と病院に連行された。




