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佐原明子に二言はない

 ストローを骨組みに、レジ袋を切って凧を作った。涙鬼は『BOOKOFF』の黒のレジ袋に白の油性ペンで龍の顔を迫力に描いた。明子は『高島屋』透明なレジ袋にリボンの花やかわいいシールをふんだんに貼った。


 涙鬼はあずまの作品を見て言う。


「それなんだ」

「え? 忍者だよ?」


 あずまは『JUSCO』の白いレジ袋に黒と青の油性ペンで半裸の人型の何かとトゲトゲの何かを小さく描いた。明子はそれを見て言う。


「プロレスラーじゃないのかね」

「ちがうよ」

「ウニを投げて攻撃をするマスクマンじゃないのかね」

「これは手裏剣だよ」

「あずまっちはピカソの素質があるぜ」

「本当? ありがとう」

「次はもう少し大きく描いた方がいいぜ。そうすりゃ遠くからでも自分の力作が見えるだろ?」

「ああ、たしかに! 次はそうするよ!」


 魁次郎はあずまと明子の頭をなで、むすっとしている涙鬼に優しい眼差しを送った。


「さあ少年少女たち。凧を飛ばしにいこう」


 山下風が吹いていた。あずまは耳当て越しに手を押さえる。明子は『北風小僧の寒太郎』を歌いながら、いつでも凧を上げられるように構えていた。


「いくぜ」と明子は能動的に叫び、農道を走り出した。慣れたもんだとばかりに下駄を鳴らす彼女をあずまは追いかけた。凧の二本の尻尾がひらひらと波打った。


 明子が勇ましい声を上げながら、風に立ち向かうように駆けていく。凧の糸がピンと張り、シールがキラキラと光る。


 ぼう、と風が耳元でぼやいてくる。あずまは息を小刻みに切らしながら振り返ってみる。自分の凧も空を泳いでいた。明子がアドバイスしてくれた通り、忍者は小さくて黒い虫が引っ付いているようにしか見えなかったが、あずまは満足であった。


 走るのをやめても凧は風に乗り続けた。龍の顔と横並びになる。ずっと後方で魁次郎といる涙鬼に「楽しいね」と声をかけた。魁次郎は良好な反応を見せてくれたが、涙鬼は何の反応もない。その代わりに風が、ぶう、と不機嫌そうな溜め息をうならせる。


 明子のキラキラ凧も隣に並んだ。魁次郎の凧も見える。まるで海面で泳ぐタコの家族みたいだと、なんとなくあずまが呟くのを彼女は聞き逃さない。


「あずまっちの家族はどんなファミリーなんだね?」

「俺のファミリー?」

「兄弟姉妹はいるのかね?」

「ううん、いないよ。お父さんと、お母さんと、ぼ……俺の三人暮らし」

「ほう」

「親戚には……お父さん側のおじいさんとおばあさん。お母さん側のおじいさんと、おじいさんのお姉さん、おじいさんの妹、お母さんのお兄さんと、お兄さんのお嫁さんと、女の子がふたり」

「ほーう」

「お父さん側のおじいさんとおばあさんは年に一回はアメリカまで来てくれて会ったことはあるんだけど、お母さん側の人は写真で見ただけで誰とも会ったことはないんだぁ」


 改めて振り返ってみると、母みさ子は父克義の実家のことは喜々として語っても、自身の実家のこととなると言葉数が減った。入院していた時期が長すぎたあまり、家族との思い出が少ないかららしい。あまり触れない方がいいのだろうと、幼い頭なりに空気を呼んだ記憶があった。


 ふたりが凧に目を向けたまま明るく話しているのを涙鬼はじっと見る。はきはきとした明子の発声は混雑している場所でもよく通る。近くにいるのに感情の起伏で無駄に声量を出すこともしばしばである。


 彼女の問いかけははっきりと聞き取れる。しかし肝心のあずまの返答が風で遮られ途切れ途切れだ。「そばに行けばまぜてもらえるよ」と祖父に言われたが、足が余計に地面に引っ付いて動かない。


「パパとママはどうだね? ちゃんとラブラブしてるかね?」

「もちろん! 前はね、お父さんて無愛想で素っ気ない人だなぁって思ってたんだけど、よーく見たらお母さんのこといつも心配してて大好きなんだなぁってわかったよ」

「心配? あずまっちのママはドジっ子なのかね?」

「あはは、ちがうよ。ちょっぴり体が弱くて、時々病院で診てもらってるんだ」

「何? そりゃあ大変だぜ」


 明子は真面目な顔をした。


「なら俺様のお家に通ったらいいぜ! 俺様んちにゃあ体にいい評判の温泉があんぜ」

「え、温泉っ?」

「おかあちぃが女将をやってっから、サービスしてくれってお願いしてやんぜ」

「ほんとっ?」

「明子様に二言はないぜ。ほれ、腕切りげんまん」

「うできり……?」

「指切りのパワーアップバージョン」


 そう言って、明子はあずまの左腕に自身の右腕を絡めた。


「腕切りげんまん、嘘ついたら針無限にのーむぜぃ」


 あずまは顔が冷たいのか熱いのかよくわからなくなった。涙鬼の声が聞こえたような気もした。


「るーちゃんも一緒に俺様んち遊びに来たらいいぜ!」


 急に名前を呼ばれた涙鬼は「いらん」と答えた。あずまにはまったく聞こえなかったが、明子には伝わった。


「むむ! その見慣れた口の動き! “いらん”と言ったな! お前のそういうのは謙虚とは言わんのだよ!」


 目を三角にして指さされ、涙鬼はますます不機嫌になった。


「俺が行ったら迷惑になるだろ!」


 明子もさらに目を吊り上げて怒鳴る。


「迷惑のひとつやふたつどうってことねーぜッ! かいじろじーちゃんも来てくれるだろ!?」

「ああ、いいともさ。涙鬼と一緒に行くよ」


 涙鬼は裏切られた気分になった。


「千堂くん! 千堂くんをお父さんとお母さんに紹介させてよ! お母さんも会いたいって!」


 しんどい思いをしたくなかった涙鬼はみさ子に会いたくなかった。嫌な態度を取ってもきっと彼女は笑顔を崩さないだろう。それがかえって負担になる。

 そのことを正直に明かすことなどできる訳もなく、開けかけた口を閉ざして下唇を噛んだ。

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