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神さまはお金を使わない

 新年を迎えた。


 あずまはテーブルに置かれた重箱を開けて笑顔が弾ける。


「わあ、すごい!」


 ピンクと白のかまぼこ、栗きんとん、昆布巻き――と、お馴染みの品がそろっているお節料理でも、彼にとっては宝箱の中身。心が弾むものだった。


 みさ子はビデオカメラを構えたまま胸を張る。


「ちょっとがんばってみましたよ」

「食べるのもったいないね!」


 あずまのはしゃぎようは親の寝室にも届いた。克義は息子には見せられないしかめ面でベッドから身を起こし、ベッドサイドテーブルの眼鏡に手を伸ばす。


 シンプルなデザインのデジタル時計と、ねだられて買った水森亜土(みずもりあど)の置き時計が九時を示している。隣に妻はいない。いつも彼女の方が早く起きる。

 今日は深く眠り過ぎたらしく、一方的な習慣になっている彼女からのキスの感覚に覚えはない。


 懐かしい夢、懐かしい人物を見た気がした。そのせいで一日の始まりにみさ子がいないことに淡い不安を抱いた。何分何秒、彼女との時間を縮めてしまったのだろうか。

 興奮しているあずまが「これは何?」と質問しているのが聞こえるが、妻の答えはここまで届かない。


 克義は息子には見せられない寝癖のまま自室のパソコンの電源を立ち上げた。

 数年前から世界的に懸念されていたミレニアム・バグがどうなったのか、只今の状況を個人的な興味で確認する。

 長ったらしいパスワードを入力してから仕事関連のメールに目を通すと、ようやく着替えを済ました。


「これ食べたら千堂くんの家に行ってもいいですか?」


 あずまはお雑煮の餅に苦戦しながら言った。


「風邪引かないようにジャンパーを着て、マフラーと手袋してね。そうそう、これも持っていってね」


 みさ子はぽち袋を二つ、あずまの前に置いた。


「涙鬼くんと魃くんのお年玉。落としたら駄目よ? 滑って転んだり、気をつけてね」

「うん任せて!」


 餅に箸が絡みつき、あずまは両手を使い始める「行儀悪い」と父に注意されて「ごめんなさい」と謝る。みさ子は幸せそうに眺めた。


 出かけようとした際に、年賀はがきが届いていることに気がついた。青一色で塗られた大きな龍の絵は涙鬼からであった。

 舞前先生からも届いていた。市販のものに『昨年はとてもお世話になりました』とボールペンで書いてある。彼は既に千堂家での療養を終え、チヨが紹介した医者の治療を受けているという。


 あずまはバスに乗る。

 水墨画のような空に潜む日暮山はぽっかりと白いニット帽をかぶっていた。浅緋は泰京市の中でも積雪量が多い地域である。降雪が少ない地域で暮らしていたあずまにとって、雪の眩しさも、雪を踏みしめる音も、五感を通して刺激的に感じていた。


「久しぶり、童ちゃん。寒くない?」


 いつもの鳥居の柱のところで童小路は立っていた。彼女は首を横に振る。恰好は出会った時と変わらず、白い息も出していなかった。


「童ちゃんはいつもここにいるの?」


 童小路は頷く。


「お家は?」


 神様にも家はあるとあずまは思ったのである。


「ない」

「ないの?」

「帰ったらなかった」

「どうして?」

「あのね、あそこの山の神さまのためにね、お使いにいきなさいってみんなに言われてね」


 彼女は日暮山の頂上を指さす。


「それでみんなで山に行ってね、それで置いてけぼりにされて、帰ろうとしたらね、ここから出られなくなった」


 鳥居を指さす。


「どうして出られないの?」

「山の神さまを怒らせないようにしないといけないから。それでね、でもね、山の神さまが怒って山から出てっちゃって、千堂家の人がこれ壊したから、鳥居じゃなくなったから、出られたの。それでお家に帰ったら、なかった。知らない人ばかりだった」


 童小路は不貞腐れたように唇をぷくっと尖らせた。


「そっか……。それじゃあずっとひとりなの?」

「ひとりだけど、ひとりじゃないよ。浅緋はあさひのになったから」

「童ちゃんの本当の名前は“あさひ”なの?」

「あっ。しーっ。しーっ、だからね!」

「あはは。しー、だね」

「ん!」


 ふたりは人差し指を口元に立たせ合った。


「そうだ、童ちゃんにもお年玉あげるよ」


 あずまはリュックサックを下ろし財布から五百円玉を取り出す。小銭を差し出された童小路は目を丸くする。


「おさいせん、くれるの?」

「おさいせん? あ、神さまはお金使わないんだっけ……?」

「おくれ!」


 童小路は目を輝かせながら小さな手をいっぱいに広げて伸ばした。


「もらった、おさいせん。えへへ、おさいせん、もーらった!」


 受け取った小銭を握り締め、歌って喜んだ。頬をリンゴのように染め、あずまの周りを跳び回り、あどけない足跡を残して消えた。


 彼女に劣らず頬がほんのりと赤いあずまは、ハンカチを取り出して鼻をかむ。


 滑らないように石段を上ると、あの地蔵が待っている。誰かが払い落したのか、地蔵には雪が積もっていない。真っ白な田畑の向こうに建つ屋敷は、初めて来た時よりも遠く感じられた。


 涙鬼は門扉の前で待っていて、彼は日暮山と同じ白いニット帽をかぶっていた。


「久しぶり千堂くん!」


 終業式以来で、手を振りながら駆け寄った。


「明けましておめでとうございます」


 堅苦しく、涙鬼は頭を下げた。


「ハガキありがとう。あれ千堂くんが描いたの?」

「じじのをまねて掘っただけ」


 魁次郎は版画が趣味で、涙鬼もサツマイモを掘ってハンコを作り、初めての年賀状に使ったのだった。辰年だっただけに、なかなか彼は苦労した。


「これ、お母さんから」

「俺も、父さんが渡しとけって」


 名刺のようにお年玉を交換した。


「辰郎さんも今日はお休み?」

「父さんは寅子おばさんのとこに顔を出しに行った」

「……どうしたの?」


 涙鬼が憂鬱な顔をしたのだ。


「父さんが向こうへ行く代わりに、あいつがこっちに顔を出しに来る」

「あいつ?」

「いとこの明子(あきこ)。おばさんの子で、俺たちと同い年」

「へぇ、女の子でしょう? かわいい?」


 ありえない、という風に涙鬼は勢いよく首を横に振って否定した。


「今日、お前が来てくれてよかった」

「そんなにイヤなの?」

「とにかく、中に入ろう」


 魅来と共にぬくぬくとこたつに入ってお笑い番組を見ていた魃にお年玉を渡すあずま。涙鬼は自室へ案内した。彼は電気ストーブを運び入れ、水を入れる。


 あずまは彼の部屋を見渡す。天井に木製の飛行機の模型が三機吊り下げられていた。戸を開けた勢いでそれらは小さく揺れ、プロペラも動いた。


「これ作ったの?」

「色を塗っただけ。作ったのは兄さん」

「へぇー」


 次にあずまは書机に置かれた黒のCDラジカセに興味を示す。


「いつも何を聞いてるの?」

「別に……」

「机の下にいろいろあるみたいだけど」


 涙鬼は適当にカセットテープを取り、ラジカセにセットした。ぷつぷつと雑音の後にスローテンポな曲が流れる。美空ひばりの『哀愁出船』だが、歌声を聴いても誰なのかあずまにはわかるはずもなく。


「日本で流行ってる?」

「死んでるぞ、この人」


 曲を流したまま、ふたりは宿題を用意する。


「すごい、もう宿題ここまで終わってる」

「そっちもあとちょっとだろ」

「千堂くんて、字うまいね」

「おばあさんから習字を教わるから」

「じゃあ書き初めはAプラスだね!」

「知らん」


 ぶっきらぼうに涙鬼は言う。


「宿題終わったら何する? お正月っていろいろ遊ぶんでしょ? スキーとかスケートとか」

「それは正月じゃなくてもいいんじゃないのか? 正月なら羽子板とか、すごろくとか、コマとか、あと……」


 福笑い、と言いかけて飲み込んだ。


「はごいたって?」

「……バトミントン、みたいなもん」

「へぇ! やってみたい!」

「負けると顔に墨塗るんだぞ?」

「いいよおもしろいね、やってみたい! 僕バドミントンやったことないんだぁ」

「俺もない」


 菜の花小学校の体育館には道具がそろっているが、女子に人気で休み時間になればあっという間に倉庫からラケットが消える。とはいえ、それを手に入れようが相手がいなかった訳で。


「あのね、カメラ持って来たんだ」


 リュックサックからインスタントカメラを出すと、涙鬼は眉をひそめる。


「写真撮るのか?」

「いや?」

「いや……」

「ならいいや」

「いやそうじゃなくって……もらえるならもらってもいい」

「うん、現像したらあげるね。絶対お母さん喜ぶよ」

「そうか……」


 ミカンを摘まみながら宿題をした。

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