余談~辰郎の姉について~
「かっちゃん!」
病院からの帰りに声をかけられた。赤いバイクにまたがっているその女性はフルフェイスのヘルメットを取り、黄色いワンレンヘアを振り上げて白いうなじを見せた。
「ひさしぶり! ちょっとお茶しない?」
僕の表情が少々歪んでしまったのがわかった。
最もややこしいのは、琥将の二つ年上の姉である寅子の存在だろう。彼女が、というよりも彼女を慕う者たちである。
四家が持つ威光は、感情を前向きにも後ろ向きにも揺さぶる。カリスマというやつである。
恐怖、尊敬、憧れ、崇拝、愛情。受け取り方は三者三様。しかし寅子さんはうら若いにもかかわらず妖艶という言葉の似合う女性であった。
高校生の頃は番長として男も女もまとめ上げ、未成年の治安の悪さを抑制させてきた。毒を以て毒を制す。彼女なりに泰京を守るという遺言を守っていたと言っていいだろう。
お嬢さまが通うような女子高通いだったこともあってまさに女帝。放課後になれば校門に彼女の舎弟が並び、一斉に頭を下げる。僕も見たことがあるが、あれはなかなか面白い見世物だと思う。
日に日に増えていく頭頂部の数に、教師も口出しができないほどに彼女の掌握力は恐れられ、慕われていた。
大学に進学してからも沸々としていた学生運動の兆しを見逃さず回避させるかたわら、夜は赤いフェラーリを買うためにキャバクラで働く。自身の欲に忠実で強い女性だろう。
「サルのジジイなんかは特に羽振りがいいんだよね」と、煙の輪をポッと吐き出した。
「いいんですか。誰が聞いてるかもわからないのにそんなことを言って」
「かまうもんか」
寅子さんは鼻を鳴らす。
「あのヒヒはね、女の子のために金使ってる時が一番マシなのさ。その間だけ真摯でいられるからね。自分のために動こうって時が厄介なんだよね。女の子だろうが赤子だろうが平気で――」
そんなさばさばした寅子さんであるが、自身の持つカリスマ性を巧みに使っていた訳ではない。感情を揺さぶられた男と女たちは彼女のために、良かれと思って勝手な行動をした。
寅子さんは自身の若さを理解していた。言葉が足りないのか、威光が弱いのか。ついて来てくれる者たちを分け隔てなく操縦するには限界があった。
「不憫だと思ってるさ」
寅子さんは紅のついたタバコを灰皿にねじ込みながら言った。
「あの弟は琥将家から生まれるべきじゃなかったよ」
僕はホットのカフェオレを飲んだ。異性とふたりきりでファミレスにいるなんて、去年までは考えられなかった。寅子さんは僕に配慮して今はひとりだと断言してくれたが、それでも“親衛隊”が見張っているのではないかと居心地の悪さを感じていた。
大なり小なり、怪力は感染する。悔しいが、僕は何となくそう思っていた。
馬鹿は風邪を引かないというが、仮に怪力が感染してもほとんどが自覚のないまま生涯を終えるだろう。逆に症状が悪化して、最悪死に至らしめるかもしれない。そして原因不明の変死体として処理されてしまうのだ。
免疫がつけば、人は怪力に目覚める。超能力者の誕生である。
はっきり言って馬鹿馬鹿しい。今止めどなく感じている視線も、単なる思い込み。自意識過剰だろう。このままでは勉強に力を入れられないではないか。
だから僕はあえて、背中でにらみ返すのを想像した。何見てんだよ、趣味悪いな、という具合に。そうすると、居心地の悪さも少しはマシに思えてきたのだった。
「――それは龍だからですか?」
「ああ」
彼女はワンレンヘアのトサカをかき上げ、「一体どっから流れてきたんだか」と頬杖をついて艶っぽく笑みを浮かべた。このセリフは母親の不貞疑惑を示唆していた。
「辰郎って名前をつけてる時点で隠し通すつもりは毛頭ない。それなのに誰もあの女に問いただそうとはしない。嫌われたらどうしようってみんなビビってんのさ」
「もしや彼を思いとどまらせようとしているのは点数稼ぎも兼ねてますか」
寅子さんの舎弟は恋にうつつを抜かしている弟を正そうと琥将に口を出し、手を出した。そのほとんどがただの人間であったがために、琥将は鬼札を使うのを遠慮し、姉に文句を言うこともできず、自力で対応していくほかなかった。
ある日、思いがけず鬼札から出てきて懐かれた青い龍に威嚇してもらえば多少の抑制力になるだろうに、一般人を怖がらせてはいけない、騒ぎになってはいけないと気を使い過ぎているのだ。
「あの女の点数を稼いだところで、うちの操が手に入ると思ったら大間違いだよ」
通りがかったウェイトレスがぎょっとこちらを見たが、寅子さんは知らんぷりであった。
「琥将家は婿入りが習わしだけどね。うちは嫁に行くよ。あの家から出ていく」
「他に兄弟は?」
「うちと辰郎だけさ。けど、それがなんだっての。琥将家の母性はとっくの昔に汚れちまってんだから。“トラの足”から龍の子どもが生まれたのも、“清く正しくあれ”っていう天からの忠告なのかもね。うちはとっとと琥将の姓を返上して、ひとりの男のために生きていきたいんだよ」
彼女は窓の外を見た。通りの反対側ではビルの建設の真っただ中で、鉄骨をクレーンで引き上げているところであった。
「恋はいいよ、かっちゃん。大好きな人のためだったら盲目になったって構わないって思えちゃう。いくらでも貢ぎたくなっちゃうんだから」
「フェラーリを買うんじゃなかったんですか?」
「フェラーリに乗ってデートに誘うの。ラジオを聞きながら海辺沿いを走って、夜はドライブインシアターに行く。そこで告白を成功させてキスするのよ」
うっとりと、建設現場を眺め続けた。そこで意中の人物が働いているらしかった。
男の存在は彼女を慕う者たちにとって何になるのだろうか。慕っているからこそ応援するのか、どこの馬の骨ともわからない奴を認める訳にはいかないと邪魔立てするのか。
父親が違ってもさすが姉弟というべきか、愛に生きて茨の道を行こうとしているところはそっくりであった。
「もう出会ったの?」
「何がですか」
「占いのこと」
琥将がしゃべったらしく、僕は内心で舌打ちした。
「ああー。ほっぺ赤くなってらぁ」
寅子さんは「ししし」と白い歯を出して僕の頬をつついてきた。
「やめてください」
「ちゃあんと、守ってあげるんだぞ。男の子なんだから」
管先輩の占いのせいで、僕も茨の道を歩まなければならないらしい。
「いろいろ愚痴とか、聞いてくれてありがとね。気兼ねなく本音で話し合える人なんてあんまりいないから、かっちゃんみたいなタイプ貴重だよ。ここはうちが持つから。ごちそうさま」
寅子さんは伝票を取ってウインクした。彼女が会計を済ましていると他のテーブルの客が続々と立ちだして、僕は溜め息をついた。




