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千堂涙鬼は笑わない

これで話の前半部分は終わりです。

ちょっと登場人物が多いと思っているので、紹介を一番最初にはさみました。

 殊久遠寺は中腰で席の間を通り、あずまの席の前で止まった。日の出のように顔半分を出し、教科書を机にしまっている彼を凝視する。


「おはよう、和子ちゃん」

「饗庭を友だちにするの?」


 両手を口元に、ひそひそ声で殊久遠寺は問う。饗庭が嫌いだとはっきり明かしてはいない。女子からの嫌われぶりは公然のことでわざわざ言うまでもないと彼女は思っていたが、もしやあずまはわかっていないのではないかと心配になったのである。


 郡司は女子に好かれているので、涙鬼を気にかけるくらいのことでは幻滅されない。むしろ優しいと評価されている。しかしあずまは最初からずっと涙鬼にばかり構ってきたため、一部から偽善者呼ばわりされている。

 彼はきれいな顔をしているからその程度で済んでいるのだと思う。ここからさらに饗庭なんかを友だちにしようものならいよいよ仲間外れの仲間入りではないか。


 殊久遠寺は自分なりに饗庭と仲良くするリスクを伝えた。するとあずまはこう答えた。


「グループってそういうもんだよ。グループのどれかに入れるなら、僕はそれでいいよ。まあ、最高なのはいくつかの集合体があって、それの重なっている部分に僕がいればいいんだ」

「集合体の重なってる部分……?」

「例えば光の三原色っていうのがあって」


 あずまは自由帳を用意して三つの円を三色のペンで描く。


「赤と青と緑ね。赤と青が重なっているところはピンクで、青と緑が重なっているところは水色で、赤と緑が重なっているところは黄色で、三色とも重なっているところが白だよ。白いところに僕がいればいいんだよ」

「どうして白くなるの? 絵の具はいろんな色混ぜたら汚くなるもん」

「三色のライトがあれば実験できるんだけどね。光の三原色と色の三原色とじゃ結果が違うんだ。でも別に白である必要はないんだけどね。汚い色でも真っ黒でも重なっているところにいればなんでもいいんだ」


 殊久遠寺は「ふーん」と唇を尖らせる。


「日比谷くんの言ってることなんとなくわかったけど、ひとりだけいろんなグループと仲良くするのって大変だと思うよ。日比谷くん、前に言ってたもん」

「うん。ある程度は諦めが必要になるんじゃないかな」

「諦めるのも大変だと思うよ。だってね、ワコね、この前初めてじゃがりこ食べた時とまらなくなったもん。食べ過ぎたら横に背が伸びるし、歯に詰まって大変になるのに“食べだしたらキリンがない”んだもん。諦めるのを諦めさせようとするウマい商法なんだもん。カルビーの株買ってっておじいちゃんに言おっかなぁ……」


 冗談めかさず深刻な顔をする彼女に、あずまはおかしくて笑った。


 その時、饗庭が切羽詰まったかの調子で「千堂くん!」と声を上げた。たちまち顔をくしゃくしゃにして戸の前に立つ涙鬼の下へ急いでいた。


「眠れなかったんだよぉ」

「鼻水を垂らすな」


 人目をはばからず今にもすがってきそうな勢いだったので、涙鬼は非難の目で見た。あずまにはそれが困った表情に見えた。近寄ると、目つきが微妙に緩やかになったように思えた。

 淡いオレンジのニット帽をかぶっていたので、「新しい帽子、似合ってるね」と気づいてあげると、涙鬼は眉間にしわを寄せた。


「兄さんがこの前買ってくれた。前かぶってたの、ボロボロになったから」

「そっか……」


 ギイ、と椅子が動く音に教室の空気が硬直する。高矢が真顔で歩み寄ってきた。

 涙鬼と高矢がにらみ合う。


「お前ら通行のジャマになってんぞ」


 高矢は涙鬼の背後から顔を出した郡司をじろりと見る。郡司は気にせずにもう一つの戸へと向かった。


 ようやく、先に口を開かせたのは高矢だった。


「色々お前も大変だな」

「お前も大変なのか?」


 涙鬼は煽る。


「べっつに」


 高矢は視線を逸らし、あずまの眼鏡を見つめて「接着剤?」とぽつり。あずまは「え?」と聞き取れなかった。


「お前、だっせぇんだよ」


 急に視線をぶつけてきて冷淡に責められた饗庭。自覚していたことを一言突き刺され青ざめた。だが高矢はそれ以上何も咎めずそっぽを向いて、自分の席に戻っていく。


「気にすることないよ」


 あずまはうつむいている饗庭の背中をなでた。


「日比谷、親に何も言われなかったか?」


 あずまは不機嫌な顔をしている涙鬼に笑顔で頷いた。


「お泊りのことでしょ? “お泊り楽しかった?”ってお父さんもお母さんも言ってたよ」

「そうか」

「お母さんがね、次は千堂くんがお泊りに来てねって!」

「いらん」

「どうして?」

「いらん」


 涙鬼はみさ子との通話を思い出してげんなりした。


 朝の会にて、崇城は定丸が家族の都合で転校したと生徒に伝えた。クラス一同は静かに顔を見合すだけであった。「おいおい、寂しい反応だな」と崇城は言ってみせたが、誰もが彼女のことをよく思っていなかったので、点々と苦笑する子がいただけにとどまった。饗庭は胸をなで下ろし、高矢は興味なさそうにしていた。


 普段から定丸は個人行動を取っていたこともあり、クラスメイトが一人減っても教室はいつもと変わらなかった。彼女に関する話題も一限目後の休み時間に盛り上がりはしたが、それ以降は語られることはなく、初めから存在していなかったような雰囲気に変わっていった。


 放課後、あずまは涙鬼と教室から出てふと振り返った。

 幅屋は定丸の机を見下ろしていた。寂しさがにじみ出た背中をしていたので、あずまは気の毒に思えた。涙鬼に止められるも声をかけた。


「幅屋くん」

「……なんだよ」

「お別れ言えなかったから、寂しい?」


 幅屋はあずまを軽く突き飛ばす。涙鬼の表情に気づいてとっさに手を引っ込め目をそらし、ぼそりと言う。


「お前よくあいつと一緒にいられるよな」

「どうして?」

「あいつと一緒にいて楽しいか?」

「楽しいよ」

「どこが?」

「しゃべってる時。話し相手がいると嬉しいんだ」


 あずまの笑顔に幅屋は顔をしかめ喉をかく。


「つーか……お、俺、と、よよ、く、しゃべ」


 言い終わらさずに舌打ちする。言いたいことをわかっていたあずまはまったく気にしなかった。


「大丈夫だよ。もう嫌がらせしないなら、僕は平気だよ」


 幅屋は仏頂面で涙鬼をちらっと見る。


「お前が平気でも、あいつはそうじゃないからもう話かけんな。気になっから」


 調子狂うぜ、と彼は教室から出ていった。


「怒ってる?」


 あずまは涙鬼に上目遣いをする。

 最終的にみんなが仲良くなれば最高。でも、最良とは限らない。自分が望むハッピーエンドは彼らにとっては苦痛になりうる。全員の関係は自然の流れに任せるしかないのだと、彼は悟っていた。


「怒ってない」


 涙鬼はさっさと廊下に出る。


「……俺といて楽しいか?」


 すぐ隣に現れるあずまに投げかける。


「うん、楽しい。僕たち友だちだよ。知ってる? 出会ってもう一ヶ月経ってるんだよ」

「まだ一ヶ月」

「たった一ヶ月でこんなに仲がいいんだから、きっと一年経ったら親友だよ!」


 何をそんなに喜んでいるのかわからず、「お前は本当に変な奴だな」と涙鬼は口を尖らせる。


 小さな沈黙の後、ぽつりと。


「本当になれるのか? 親友に」

「なれるよ!」


 簡単に言い切るので、また涙鬼は黙り込む。顔をしかめ続けるのも疲れるので、筋を緩ませる。


「あっ、笑ってる!」

「笑ってない」

「笑ったよー」

「笑ってない。日比谷のくせに」


 あずまの笑い声が廊下に響いた。

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